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13. 運命からの提案
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どうしてこんなことになっているんだろうか。
千歳はダイニングで食パンをかじりながら、思わず遠くを見つめた。いつもと同じパンなのに、どうもパサついて感じるのはなぜなのか。
視線を向けた窓の向こうには、雨が降っていた。窓に打ち付ける雨の音が、家の中にまで響いている。今年は梅雨に入ってもなかなか雨が降らず、水不足が叫ばれていた。この雨で少しは改善されるだろうか。
梅雨が終われば、すぐに夏が来る。今年は受験生だからあまり遊んでいる余裕はないが、この家から見える位置に上がる地元の花火を見ることくらいは許されるだろう。
でも、千歳は今、猛烈に、遠方にある祖母の家へ行きたい衝動に駆られている。
山に囲まれた何もないところだが、夏の日差しに照らされて青々と輝く木々や、さらさらと流れる川のせせらぎ。そして、力強く、でもどこか切なく響く虫の声。そういう自然から感じる生命力のようなものを千歳は欲していた。現実逃避ともいう。
なぜそんなふうに思うのかと言えば、それは今、隣に座っている男のせいで間違いない。
リビングのドアを開けるなり崩れ落ちた千歳に、累は驚いて駆け寄ってきた。でも、冷静な母親に「なにやってんの」と一喝され、千歳はひとまずダイニングテーブルの椅子に座った。
その後は用意されていた朝食を食べながら母親からのお小言を頂戴している。そんな千歳を累はずっとニコニコと眺めていた。
もしかして、昨日の出来事は全部夢だったんだろうか。そう思ってしまうくらい、累の態度は全く変わらない。その眩しいほどの笑顔に、千歳の疲労が増していく。
「パジャマ姿の千歳さんもかわい~♡」
「………」
「ちょっと、千歳! 何なのその態度?! 感じ悪いわ~、まったく。累くんがわざわざ迎えに来てくれたっていうのに、全然起きてこないし!」
「いや、そもそも約束してないんだけど」
「そうなの? それでも休みだからって寝過ぎでしょ」
「すみません、お母さん。僕が急にに来ちゃったから」
「いいのよ~。それにしても千歳にこんなかっこいい後輩がいるなんて知らなかったんだけど!」
「そうだよ! インターホン出たらどえらいイケメンがいるもんだから、びっくりしちゃったよ~!」
「そんな、お父さんまで。照れるなぁ」
――なんで、仲良くなってんの……?
千歳は今、すこんと表情が抜け落ちたような顔をしている自信がある。父母と累のやり取りを無心で聞き流していると、インターフォンが鳴った。
「あっ、来たかな?」
累のこの一言で、もう嫌な予感しかしない。
ちょうど口にパンを含んでいた千歳が止める間もなく、父親がインターフォンに応答する。
「は~い」
「さっき言ってお友達かしらね?」
「多分、そうだと」
もう早く自室に戻ろう。ベッドが無性に恋しい。
もともとほとんどなかった食欲も、もうすっかり消え去ってしまった。だからといって用意してもらったものを残すなんて許されない。残りのパンとウインナーを慌てて口に詰め込み、千歳は立ち上がった。
「あっ、千歳さん。この後出かけるから着替えてきてね」
「はっ?」
「予約は10時からだから、まだ余裕あるけど、道混んでると嫌だし早めに行った方がいいかな」
「ちょ、よ、予約? なんの?? 」
「あっ、来た来た」
父親の後に続いてリビングに入ってきたのは案の定、湊だった。
さすがに湊は累と違って、気まずそうにしている。千歳と目が合うと、視線をさまよわせた後、小さく「悪い……」とつぶやいた。
何に対する謝罪なのか。昨日のことか、家に来たことか。どうもイラっとしてしまう。
自分はこんなにも短気だっただろうかと、冷静になれない自分が嫌になる。
「ほらほら、千歳さん、準備してきて!」
「だから! なんで!!」
昨日、千歳は累が自分勝手に千歳を振り回していることにキレたばかりだ。そのことにようやく思い至ったのか、累はしゅんと眉を下げた。
「あっそうだった、ごめんね。ちゃんと説明しないとだよね」
美形のしょんぼりした顔というのは庇護心をあおる。しかも、累の後ろに立っている湊も同じような顔をしているから、威力は二倍、いや、二乗か。
それにやられたのは当然千歳だけではない。父母から千歳に非難めいた視線が送られている。
千歳は悪くない。悪くないはずなのに、とても理不尽だ。
「……ちゃんと説明してくれた、考えてもいい」
決して屈したわけではない。千歳はくっと心の中で悔しさを噛みしめる。せめてもの抵抗に累と決して視線を合わせないようにしているが、それでもわかるほど累は顔を輝かせた。
「千歳さんの二次性に俺たちがどう影響するのか、ちゃんと専門家に聞きに行こうと思って。二次性外来を予約しました」
ドヤった顔の累の向こうで、湊が「えっ」と驚いている。どうやら湊も聞かされていなかったらしい。
千歳は考えた。
累は千歳の話を全く聞かない。湊が千歳にしていたというマーキングの影響も気になる。それなら累の言う通り専門家から話を聞くのはいい案かもしれない。
「わかった。着替えてくるから、待ってて」
「っ!! ありがとう、千歳さん!!」
まだなんとも言えない微妙な顔をしている湊を横目で見ながら通り過ぎ、リビングを出て自室に戻る。
もし、専門家に千歳のΩ因子がなくならないのはマーキングのせいだと言われたら――。自分はどうするのだろう。
湊に「もう近づかないで」と言って、縁を切るのか。それとも――。
考えても答えが出ないことは後回しにして、千歳は着替えを手に取った。
千歳はダイニングで食パンをかじりながら、思わず遠くを見つめた。いつもと同じパンなのに、どうもパサついて感じるのはなぜなのか。
視線を向けた窓の向こうには、雨が降っていた。窓に打ち付ける雨の音が、家の中にまで響いている。今年は梅雨に入ってもなかなか雨が降らず、水不足が叫ばれていた。この雨で少しは改善されるだろうか。
梅雨が終われば、すぐに夏が来る。今年は受験生だからあまり遊んでいる余裕はないが、この家から見える位置に上がる地元の花火を見ることくらいは許されるだろう。
でも、千歳は今、猛烈に、遠方にある祖母の家へ行きたい衝動に駆られている。
山に囲まれた何もないところだが、夏の日差しに照らされて青々と輝く木々や、さらさらと流れる川のせせらぎ。そして、力強く、でもどこか切なく響く虫の声。そういう自然から感じる生命力のようなものを千歳は欲していた。現実逃避ともいう。
なぜそんなふうに思うのかと言えば、それは今、隣に座っている男のせいで間違いない。
リビングのドアを開けるなり崩れ落ちた千歳に、累は驚いて駆け寄ってきた。でも、冷静な母親に「なにやってんの」と一喝され、千歳はひとまずダイニングテーブルの椅子に座った。
その後は用意されていた朝食を食べながら母親からのお小言を頂戴している。そんな千歳を累はずっとニコニコと眺めていた。
もしかして、昨日の出来事は全部夢だったんだろうか。そう思ってしまうくらい、累の態度は全く変わらない。その眩しいほどの笑顔に、千歳の疲労が増していく。
「パジャマ姿の千歳さんもかわい~♡」
「………」
「ちょっと、千歳! 何なのその態度?! 感じ悪いわ~、まったく。累くんがわざわざ迎えに来てくれたっていうのに、全然起きてこないし!」
「いや、そもそも約束してないんだけど」
「そうなの? それでも休みだからって寝過ぎでしょ」
「すみません、お母さん。僕が急にに来ちゃったから」
「いいのよ~。それにしても千歳にこんなかっこいい後輩がいるなんて知らなかったんだけど!」
「そうだよ! インターホン出たらどえらいイケメンがいるもんだから、びっくりしちゃったよ~!」
「そんな、お父さんまで。照れるなぁ」
――なんで、仲良くなってんの……?
千歳は今、すこんと表情が抜け落ちたような顔をしている自信がある。父母と累のやり取りを無心で聞き流していると、インターフォンが鳴った。
「あっ、来たかな?」
累のこの一言で、もう嫌な予感しかしない。
ちょうど口にパンを含んでいた千歳が止める間もなく、父親がインターフォンに応答する。
「は~い」
「さっき言ってお友達かしらね?」
「多分、そうだと」
もう早く自室に戻ろう。ベッドが無性に恋しい。
もともとほとんどなかった食欲も、もうすっかり消え去ってしまった。だからといって用意してもらったものを残すなんて許されない。残りのパンとウインナーを慌てて口に詰め込み、千歳は立ち上がった。
「あっ、千歳さん。この後出かけるから着替えてきてね」
「はっ?」
「予約は10時からだから、まだ余裕あるけど、道混んでると嫌だし早めに行った方がいいかな」
「ちょ、よ、予約? なんの?? 」
「あっ、来た来た」
父親の後に続いてリビングに入ってきたのは案の定、湊だった。
さすがに湊は累と違って、気まずそうにしている。千歳と目が合うと、視線をさまよわせた後、小さく「悪い……」とつぶやいた。
何に対する謝罪なのか。昨日のことか、家に来たことか。どうもイラっとしてしまう。
自分はこんなにも短気だっただろうかと、冷静になれない自分が嫌になる。
「ほらほら、千歳さん、準備してきて!」
「だから! なんで!!」
昨日、千歳は累が自分勝手に千歳を振り回していることにキレたばかりだ。そのことにようやく思い至ったのか、累はしゅんと眉を下げた。
「あっそうだった、ごめんね。ちゃんと説明しないとだよね」
美形のしょんぼりした顔というのは庇護心をあおる。しかも、累の後ろに立っている湊も同じような顔をしているから、威力は二倍、いや、二乗か。
それにやられたのは当然千歳だけではない。父母から千歳に非難めいた視線が送られている。
千歳は悪くない。悪くないはずなのに、とても理不尽だ。
「……ちゃんと説明してくれた、考えてもいい」
決して屈したわけではない。千歳はくっと心の中で悔しさを噛みしめる。せめてもの抵抗に累と決して視線を合わせないようにしているが、それでもわかるほど累は顔を輝かせた。
「千歳さんの二次性に俺たちがどう影響するのか、ちゃんと専門家に聞きに行こうと思って。二次性外来を予約しました」
ドヤった顔の累の向こうで、湊が「えっ」と驚いている。どうやら湊も聞かされていなかったらしい。
千歳は考えた。
累は千歳の話を全く聞かない。湊が千歳にしていたというマーキングの影響も気になる。それなら累の言う通り専門家から話を聞くのはいい案かもしれない。
「わかった。着替えてくるから、待ってて」
「っ!! ありがとう、千歳さん!!」
まだなんとも言えない微妙な顔をしている湊を横目で見ながら通り過ぎ、リビングを出て自室に戻る。
もし、専門家に千歳のΩ因子がなくならないのはマーキングのせいだと言われたら――。自分はどうするのだろう。
湊に「もう近づかないで」と言って、縁を切るのか。それとも――。
考えても答えが出ないことは後回しにして、千歳は着替えを手に取った。
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