白銀オメガに草原で愛を

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草原

17.一度の敗北、一度の勝利

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 秋頃にククィツァとイェノアの子が産まれ、男女の双子だったのでそこそこの騒ぎになった。
 ユクガはいつも通り羊を放牧に出ていたのであとから知らされた側だが、ククィツァはしっかり立ち会ったらしい。女はすごい、あれは命がけだ、さすが俺のイェノア、などしきりに言っていた。

 キアラも、いつか通るかもしれない道だから、と産婆をあれこれ手伝ったそうだ。私にできるでしょうかと不安そうだったので、嫌ならしなければいいと伝えたら、それは嫌ですと返されてしまった。キアラの心の機微は難しい。

 そうしてまた年替わりの日を越え、春になって草原が若草色に染まる頃、嫌な話が届いた。
 カガルトゥラードが、ヴァルヴェキアの姫を第二王子の正妃として迎えたという。

 ヴァルヴェキアはカガルトゥラードの南に位置し、今まであまり友好関係にはなかった国だ。戦をすることこそなかったが、お互い国境には軍を常駐させていたし、二国間で品物が流通することもなかった。商人などは、わざわざ第三国を挟んで行き来していたくらいだ。

 それがどう話を進めたのか、王家が婚姻を結ぶことになった。少なくとも、内情はギスギスしていたとしても、内外に向けてその情報を流しているということは、この先しばらくカガルトゥラードとヴァルヴェキアで争うことは考えにくい。

 つまりカガルトゥラードは、今までヴァルヴェキアへの警戒にあてていた戦力を、ヨラガンに振り分けることができるようになる。

 無論ヨラガンも、ベルリアーナを差し出されてククィツァのもとに置いてはいる。しかしその後特段の交流はないし、カガルトゥラード国内でベルリアーナがヨラガンに嫁いだという話が知れ渡っている様子もない。
 ヨラガンには、裏切られる可能性が残っている。

 ただ、放置しておくわけにもいかない。そこで集落の長たちを集め、今後の動きについて話し合う場にユクガも同席することになったのだが。

「だからといってうちの働き手は減らせん」
「貴様、カガルトゥラードから離れているからと呑気に構えすぎだろう!」
「しかし向こうが進軍を始めたというわけでもないのに」
「何を言っている、攻め込まれてからでは遅い」

 長たちは自分の主張をあれこれ口にするだけで、一向に話はまとまらなかった。ユクガの集落の代表はもちろんククィツァであり、この会合のまとめ役自体もククィツァなのだが、その様子を静観したまま、何か方向性を持たせようと介入する様子はない。
 同じようにククィツァの後ろに控えているジュアンが、助けを求めるように目配せしてきたが、ユクガは黙って前を見つめていた。ククィツァが無策だとは思わなかったからだ。

 長たちの声が途切れてきた頃を見計らって、ククィツァがようやく体勢を変える。

「……つまりだ」

 ふっと空気が変わり、その場にいた人間の目がククィツァに集まる。そういうことが苦にならず、場を支配するのがうまい男だと思う。

「これから夏に向けて、子羊も生まれるし糸紡ぎや機織り、野良仕事、やることは増えるばかりだ。働き盛りの男も女も、集落からあまり出したくない。それはもっともだ」

 一部の長が頷き、一部の長は不愉快そうな顔をする。

「カガルトゥラードはまだ何もしてきていない。事前に備えるといっても限度がある。もちろんそうだ」

 穏やかな、イェノアやキアラに見せるような顔で話していたククィツァが、ごく自然に姿勢を正した。それだけでまた、その場の空気が締まる。

「ただ、思い出せ。カガルトゥラードは火の国だ」

 カガルトゥラードは伝統的に、火の精霊の加護を受けた人間が多く生まれる地だ。火の精霊は、人の情熱をかき立てる力が強いと言われている。あるいはそれは、苛烈な性質を持たせるとも考えられる。

 度々、カガルトゥラードは草原に侵出しようとしてきた。ときに追い返し、ときに土地も人も奪われて、ヨラガンという国にまとまるまでは、集落それぞれが苦しめられてきたのだ。無論今まで攻め入ってきた国はカガルトゥラードだけではないが、距離が近く、最も厄介だったのはカガルトゥラードという国だった。

 先だっての戦の際に、いっそのこと滅ぼしてしまえという過激な声もあった。しかしその後のカガルトゥラードを統治する労力を考えると、今後の不可侵を約束させて手を放したほうがいいだろうという判断になったという経緯がある。

 ざわめきが広がって、またしばらくあちこちで声が上がる。

「しかし、うちだってカガルトゥラードの人質はいるだろう」

 人質だけでカガルトゥラードが大人しくしているのかどうか、ユクガは懐疑的だった。
 軍隊の規律は取れていたとは思うが、城に攻め入ったときは、逃げ遅れたらしいものはたくさんいたし、重要なものとして囲い込んでいたはずのキアラだって置いていかれていた。国を残すとか、王家の血筋を絶やさないとか、大義の前にはあらゆるものを捨て去りそうな国だと思う。
 ユクガがベルリアーナに個人に思うところはないし、彼女に落ち度があるわけでもないが、切り捨てられそうな予感はあった。

「一度負けた国に、もう一度攻め込んだりするか……?」

 誰の声か確認しようとしたもののククィツァの視線を感じ、ユクガはそちらに目を向けた。そそのかされているような気もするが、反対する理由もない。
 静観するという結論に進めるわけにはいかない。

「一度勝ったくらいで、永遠に勝者だと思うのか」

 長たちの目が、一斉にユクガに向いた。少々驚きはするが、臆するものではない。

「一度負けたとしても、俺なら次の策を練る。カガルトゥラードもそういう国だろう」

 草原の民がカガルトゥラードに悩まされてきた歴史は、ユクガが生まれる遥か前から続いている。ユクガより年上の長たちなら、その苦難は実体験として記憶にあるはずだ。
 静まったユルトの中で、ユクガはあからさまにククィツァに視線を向けた。この状況を作り出したのはユクガだが、収めるべきはククィツァだ。

「限度はある。もちろんだ。だが無策ではこの草原を守れない。力を貸してくれ。俺一人でできることじゃない」

 ククィツァの目的はあくまで、元々自分たちのものだった草原を守ることだ。ヨラガンを広げることではない。奪うよりも守るほうが、遥かに努力が必要だ。それはククィツァやユクガの一人二人でどうにかできることではなく、大勢に協力してもらわなければ成り立たない。

 誠実に頭を下げるククィツァに、長たちが徐々に賛同し始めた。どうにか協力を取りつけて、カガルトゥラードに近い土地を交代で見回る仕組みを作るという話まで進めておく。

 集会場所に選ばれた集落を出てかなりの距離を進んでから、ククィツァが唐突に大きくため息を漏らした。

 集落ごとの自主性を損なわないようにするという方針がある以上、各集落の長たちの意思は無視できない。丁寧にその声を拾い、納得させながら方向性を決めようとすると、気は使うし時間もかかる。

「一苦労だな」
「まあ、選んだのは俺だからな」

 ユクガはそういうことには到底耐えられそうもない。細かい気遣いは苦手だし、言いたいことがあるならはっきり言えと思ってしまう。
 だからこそ、王という役目はククィツァが担ったほうがいい。

「あの……俺が同席している意味は、あったんでしょうか……?」

 げっそりした様子でぶち馬に乗っているジュアンが、おそるおそるといった様子で尋ねてくる。

「あるさ。調子のいい俺と、馬鹿強いユクガには言いづらいことでも、バランス感覚のいいお前には言えるって場合があるからな」

 ジュアンを連れていくことに否やはなかったが、ククィツァの言葉にユクガは眉を寄せた。

「馬鹿強い……」

 同じように眉をひそめて、ジュアンが弱く反論する。

「それって立場が弱いから言いやすいってだけじゃ……」

 ククィツァからは、どちらにも返事はない。ルイドの足を速めてユクガが横に並ぼうとしたものの、ククィツァの馬が先に駆け出した。

「追うぞ、ジュアン!」
「えっ、ちょっ」

 あの男、ふざけて遊びだしている。
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