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草原
18.改めて言葉に
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カガルトゥラードの動向を追う必要もあり、ユクガは市に出かけたり、他の集落を訪れたりと外出が増え、家を空けがちになっていた。キアラを家に一人にしておくのは不安なので、そういうときはククィツァのところに預けるようにしているのだが、戻ったとき、駆け寄って抱きついてくるのが可愛らしく、また心苦しくもある。
「おかえりなさいませ、ユクガ様」
「ああ、ただいま」
もっとキアラと過ごす時間を作ってやりたいし、ユクガとしても傍にいたい。
しかし、カガルトゥラードが攻めてきたときには、キアラを取り戻そうとしてくる可能性もある。守るために時間を削られるのは苛立たしいが、他のやりようも見つからず、ユクガはキアラのためにわずかな時間をあてるしかなかった。
ククィツァとて、子どもが生まれたばかりだが外回りを続けている。今日は帰ってこないそうだ。
あとをはいはいで追ってきた双子に服を引っ張られて、キアラがぱっと振り返った。サルヒとラーツァと名づけられた双子は、日頃よく世話をしているキアラに懐いているらしい。
なお、家にいる時間の短いククィツァは、抱こうとすると嫌がられると嘆いていた。
「サルヒ様、ラーツァ様、そんなにズボンを引っ張らないでください」
キアラが屈んで撫でると、短い声で返事はしたものの、二人でべしょりとよじ登りにかかっている。赤ん坊にものを言って聞かせたところで、話が通じるわけもない。
ユクガが上から手を伸ばして持ち上げると、二人してびゃーっと泣き始めた。
「ユクガ様」
「キアラをお前たちに譲ったつもりはない」
「大人げない……」
イェノアは料理の最中で、赤ん坊を預けるわけにはいかない。呟いたベルリアーナに双子を渡し、ユクガはキアラのもとに戻って抱き寄せた。
久しぶりに触れたキアラから、落ちつく香りがする。
「共にいられる時間が少ないんだ。俺に優先権がある」
「そんなこと言ったって、あんたたち結婚式もしてないじゃない……」
耳慣れない言葉に、ユクガは目を瞬いた。
「……けっこんしき、とは何だ」
キアラがユクガを見上げ、それからベルリアーナに視線を向ける。同じように、聞き慣れない単語が出てきて疑問に思ったのだろう。
「えっ、結婚式よ……普通の……」
「……イェノア、知っているか」
「聞いたことないわねぇ……」
今度はベルリアーナが目を丸くする。カガルトゥラードでは一般的なことなのだろうか。
「……夫婦になる二人が、お客様を招いてお披露目をするのよ」
カガルトゥラードでは、夫と妻になるものが、親戚や友人を招いて宴を開くらしい。それをもってその二人が夫婦だとみなされるようになり、家族となるのだそうだ。王族だと、国を挙げた式典になることもありえるらしい。
ヨラガンで考えるなら集落をあげた宴になりそうだし、場合によっては他の集落と合同の宴になる。料理や酒の用意が大変だろう。
「ここではやらないっていうなら、どうやって夫婦になるの?」
「二人が同じユルトで暮らし始めたら、夫婦よねぇ」
「そうだな」
キアラがちょっかいを出されていたのも、まだユクガの保護下にある子どもだと思われていたからだ。キアラが十六になったという話が広まり、それでもユクガの下を離れず暮らしているので、ユクガの嫁になったのだとだいたいは引き下がった。
一部しつこいものもいたが、きちんとユクガが話を通しにいって黙らせた。キアラに心ない言葉をぶつけていたらしい相手も、きっちり特定して話はつけておいたので、もう悩まされることはないはずだ。
ヨラガンの子どもは、大人になると親と暮らしていたユルトを出て、自分のユルトで暮らすようになる。無論昼の間を親のユルトで過ごすこともあるが、基本的に寝泊まりは独立したユルトだ。
そこに誰かを招き入れて共に暮らし始めたなら、その二人は夫婦になったのだとみなされる。あるいは、共に暮らしていたものが別々のユルトで暮らし始めたときは、夫婦でいることをやめたのだと理解される。
「……結構、緩いのね……」
「そうか?」
「そんなものじゃない?」
いちいち宴を開くのは大変そうだし、そうそう羊を潰すわけにもいかない。酒を買ってくるのも、確実に荷車が必要なので大ごとになってしまう。
夫婦であることのお披露目会など、ヨラガンではあまり現実的ではない。
「……私は、ユクガ様のお嫁さんになれていたのですか」
ぽつりとこぼされた呟きに視線を落とし、ユクガはキアラの表情に目を瞬いた。
「あら、そうよ? ユクガと一緒に暮らしてるんだから、ユクガのお嫁さんはキアラ」
「だって……ユクガ様、そんなこと、ひと言も……」
「……すまん、伝えていなかった」
ユクガとしては当然の話だったので、改めて言うことでもなかった。先日も、すでにキアラはユクガの妻であるつもりで話していたのだ。
ただ、キアラはその習慣の中で生きてきたわけではないし、案じていた部分でもあるから、言葉で言って聞かせたほうが確かだったかもしれない。もっと言葉を交わしたほうがいいと先日学んだつもりだが、まだ考えが甘かったようだ。
少々機を逸しているし、聞かれてから伝えるのも格好がつかないが、変に片意地を張ることでもない。
「キアラ、お前は俺の妻だ。周囲も認めている」
指通りのいい銀の髪を撫でて告げると、キアラの顔がふんわりと和らいだ。遠慮がちにくいくいと服を引っ張るので屈んでやると、ふに、と唇に柔らかい感触が当たる。
目を瞬くユクガの前で、キアラがはにかむように笑っている。
「お嫁さんなら、してもいいでしょう?」
今までキアラから口づけてくることはなかったのだが、妻という立場なら遠慮を横に置いておけるようだった。ふふ、と悪戯が成功した子どものようなキアラは愛らしい。
「……ああ」
ユクガが口づけを返し、ふわりとキアラが頬を綻ばせたところで食事の支度ができたとイェノアの声がかかった。キアラがベルリアーナのもとに行き、ラーツァを受け取る。サルヒはベルリアーナにくっついたままだ。三人が交代で、赤ん坊の世話をしながら自分たちの食事も取っているらしい。
何か手伝ったほうがいいのかと思うものの、双子はユクガに慣れていないので、少しでも手を出せば泣かれる気がする。
「……赤ん坊の世話は、大変だな」
「ユクガも今のうちに慣れておいたほうがいいんじゃない?」
「……泣かれると思うと気が重い」
イェノアがからからと笑って、自分の食事を終わらせる。それからサルヒを受け取り、あやしながら赤ん坊用の食事を取らせる手際は慣れたものだ。
ユクガが隣のキアラに視線を向けると、おいしいですねなどと話しかけながらラーツァの口にスプーンを運んでやっていた。キアラの前に置かれた食事は、ほとんど手つかずだ。
「キアラ」
「はい、ユクガ様」
「……代わろう」
泣かれるのだろうが、それでもキアラが食事を取る時間は作ってやるべきだろう。ただでさえ食は細いし、食べるのも早くはない。せっかくの料理が冷めてしまう。
「よろしいのですか」
「そのままではお前が食事を取れないだろう」
ユクガの言葉に銀色の睫毛を何度か上下させて、キアラが柔らかい笑みを見せた。膝の上のラーツァの口元を拭いてやる仕草は、母親のようですらある。
「ラーツァ様、今日はユクガ様が食べさせてくださいますよ」
返事をしたつもりか定かではないが何事か唸ったラーツァに頷き、キアラがユクガの膝にラーツァを乗せてきた。転げ落ちないよう重たい頭を支えるようにユクガが腕を添わせてやると、何を考えているのかわからない顔がじっと見上げてくる。
「……何だ」
「うー」
唸られてもわからないものはわからない。
見よう見まねで、キアラに渡されたスプーンでラーツァの口元に粥らしきものを近づけてみる。
口に入れた。
「……泣かないな」
「ラーツァのほうが、あまり人見知りしないのよ」
先に言っておいてくれとも思ったが、ユクガは大人しくため息をつくにとどめておいた。こういう場面で言い合いになったとき、ユクガはイェノアに言い負かされた記憶しかない。
「でもククィツァが抱っこすると泣くのよね」
「乱暴にはしてないはずなんだけど」
キアラが自分の食事を進められているのを確認して、ユクガは淡く笑みを浮かべた。ユクガにとってはラーツァの食事のほうがついでで、キアラが健やかに過ごせることのほうが大切だ。
催促するようにまた不明瞭な声をあげたラーツァに意識を戻し、ユクガはせっせとスプーンを動かした。
「おかえりなさいませ、ユクガ様」
「ああ、ただいま」
もっとキアラと過ごす時間を作ってやりたいし、ユクガとしても傍にいたい。
しかし、カガルトゥラードが攻めてきたときには、キアラを取り戻そうとしてくる可能性もある。守るために時間を削られるのは苛立たしいが、他のやりようも見つからず、ユクガはキアラのためにわずかな時間をあてるしかなかった。
ククィツァとて、子どもが生まれたばかりだが外回りを続けている。今日は帰ってこないそうだ。
あとをはいはいで追ってきた双子に服を引っ張られて、キアラがぱっと振り返った。サルヒとラーツァと名づけられた双子は、日頃よく世話をしているキアラに懐いているらしい。
なお、家にいる時間の短いククィツァは、抱こうとすると嫌がられると嘆いていた。
「サルヒ様、ラーツァ様、そんなにズボンを引っ張らないでください」
キアラが屈んで撫でると、短い声で返事はしたものの、二人でべしょりとよじ登りにかかっている。赤ん坊にものを言って聞かせたところで、話が通じるわけもない。
ユクガが上から手を伸ばして持ち上げると、二人してびゃーっと泣き始めた。
「ユクガ様」
「キアラをお前たちに譲ったつもりはない」
「大人げない……」
イェノアは料理の最中で、赤ん坊を預けるわけにはいかない。呟いたベルリアーナに双子を渡し、ユクガはキアラのもとに戻って抱き寄せた。
久しぶりに触れたキアラから、落ちつく香りがする。
「共にいられる時間が少ないんだ。俺に優先権がある」
「そんなこと言ったって、あんたたち結婚式もしてないじゃない……」
耳慣れない言葉に、ユクガは目を瞬いた。
「……けっこんしき、とは何だ」
キアラがユクガを見上げ、それからベルリアーナに視線を向ける。同じように、聞き慣れない単語が出てきて疑問に思ったのだろう。
「えっ、結婚式よ……普通の……」
「……イェノア、知っているか」
「聞いたことないわねぇ……」
今度はベルリアーナが目を丸くする。カガルトゥラードでは一般的なことなのだろうか。
「……夫婦になる二人が、お客様を招いてお披露目をするのよ」
カガルトゥラードでは、夫と妻になるものが、親戚や友人を招いて宴を開くらしい。それをもってその二人が夫婦だとみなされるようになり、家族となるのだそうだ。王族だと、国を挙げた式典になることもありえるらしい。
ヨラガンで考えるなら集落をあげた宴になりそうだし、場合によっては他の集落と合同の宴になる。料理や酒の用意が大変だろう。
「ここではやらないっていうなら、どうやって夫婦になるの?」
「二人が同じユルトで暮らし始めたら、夫婦よねぇ」
「そうだな」
キアラがちょっかいを出されていたのも、まだユクガの保護下にある子どもだと思われていたからだ。キアラが十六になったという話が広まり、それでもユクガの下を離れず暮らしているので、ユクガの嫁になったのだとだいたいは引き下がった。
一部しつこいものもいたが、きちんとユクガが話を通しにいって黙らせた。キアラに心ない言葉をぶつけていたらしい相手も、きっちり特定して話はつけておいたので、もう悩まされることはないはずだ。
ヨラガンの子どもは、大人になると親と暮らしていたユルトを出て、自分のユルトで暮らすようになる。無論昼の間を親のユルトで過ごすこともあるが、基本的に寝泊まりは独立したユルトだ。
そこに誰かを招き入れて共に暮らし始めたなら、その二人は夫婦になったのだとみなされる。あるいは、共に暮らしていたものが別々のユルトで暮らし始めたときは、夫婦でいることをやめたのだと理解される。
「……結構、緩いのね……」
「そうか?」
「そんなものじゃない?」
いちいち宴を開くのは大変そうだし、そうそう羊を潰すわけにもいかない。酒を買ってくるのも、確実に荷車が必要なので大ごとになってしまう。
夫婦であることのお披露目会など、ヨラガンではあまり現実的ではない。
「……私は、ユクガ様のお嫁さんになれていたのですか」
ぽつりとこぼされた呟きに視線を落とし、ユクガはキアラの表情に目を瞬いた。
「あら、そうよ? ユクガと一緒に暮らしてるんだから、ユクガのお嫁さんはキアラ」
「だって……ユクガ様、そんなこと、ひと言も……」
「……すまん、伝えていなかった」
ユクガとしては当然の話だったので、改めて言うことでもなかった。先日も、すでにキアラはユクガの妻であるつもりで話していたのだ。
ただ、キアラはその習慣の中で生きてきたわけではないし、案じていた部分でもあるから、言葉で言って聞かせたほうが確かだったかもしれない。もっと言葉を交わしたほうがいいと先日学んだつもりだが、まだ考えが甘かったようだ。
少々機を逸しているし、聞かれてから伝えるのも格好がつかないが、変に片意地を張ることでもない。
「キアラ、お前は俺の妻だ。周囲も認めている」
指通りのいい銀の髪を撫でて告げると、キアラの顔がふんわりと和らいだ。遠慮がちにくいくいと服を引っ張るので屈んでやると、ふに、と唇に柔らかい感触が当たる。
目を瞬くユクガの前で、キアラがはにかむように笑っている。
「お嫁さんなら、してもいいでしょう?」
今までキアラから口づけてくることはなかったのだが、妻という立場なら遠慮を横に置いておけるようだった。ふふ、と悪戯が成功した子どものようなキアラは愛らしい。
「……ああ」
ユクガが口づけを返し、ふわりとキアラが頬を綻ばせたところで食事の支度ができたとイェノアの声がかかった。キアラがベルリアーナのもとに行き、ラーツァを受け取る。サルヒはベルリアーナにくっついたままだ。三人が交代で、赤ん坊の世話をしながら自分たちの食事も取っているらしい。
何か手伝ったほうがいいのかと思うものの、双子はユクガに慣れていないので、少しでも手を出せば泣かれる気がする。
「……赤ん坊の世話は、大変だな」
「ユクガも今のうちに慣れておいたほうがいいんじゃない?」
「……泣かれると思うと気が重い」
イェノアがからからと笑って、自分の食事を終わらせる。それからサルヒを受け取り、あやしながら赤ん坊用の食事を取らせる手際は慣れたものだ。
ユクガが隣のキアラに視線を向けると、おいしいですねなどと話しかけながらラーツァの口にスプーンを運んでやっていた。キアラの前に置かれた食事は、ほとんど手つかずだ。
「キアラ」
「はい、ユクガ様」
「……代わろう」
泣かれるのだろうが、それでもキアラが食事を取る時間は作ってやるべきだろう。ただでさえ食は細いし、食べるのも早くはない。せっかくの料理が冷めてしまう。
「よろしいのですか」
「そのままではお前が食事を取れないだろう」
ユクガの言葉に銀色の睫毛を何度か上下させて、キアラが柔らかい笑みを見せた。膝の上のラーツァの口元を拭いてやる仕草は、母親のようですらある。
「ラーツァ様、今日はユクガ様が食べさせてくださいますよ」
返事をしたつもりか定かではないが何事か唸ったラーツァに頷き、キアラがユクガの膝にラーツァを乗せてきた。転げ落ちないよう重たい頭を支えるようにユクガが腕を添わせてやると、何を考えているのかわからない顔がじっと見上げてくる。
「……何だ」
「うー」
唸られてもわからないものはわからない。
見よう見まねで、キアラに渡されたスプーンでラーツァの口元に粥らしきものを近づけてみる。
口に入れた。
「……泣かないな」
「ラーツァのほうが、あまり人見知りしないのよ」
先に言っておいてくれとも思ったが、ユクガは大人しくため息をつくにとどめておいた。こういう場面で言い合いになったとき、ユクガはイェノアに言い負かされた記憶しかない。
「でもククィツァが抱っこすると泣くのよね」
「乱暴にはしてないはずなんだけど」
キアラが自分の食事を進められているのを確認して、ユクガは淡く笑みを浮かべた。ユクガにとってはラーツァの食事のほうがついでで、キアラが健やかに過ごせることのほうが大切だ。
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