白銀オメガに草原で愛を

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草原

19.極上の甘露

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「わかった、教えてくれてありがとな」

 店主に礼を言って離れるククィツァの後ろで軽く頭を下げ、ユクガも市の通りに戻った。心なしか、並んでいる店の数が普段より少なく思えてくる。

「そろそろか」
「……そうだな」

 買い出しを名目にククィツァと二人で市まで出かけ、いつもの店で消耗品や野菜を買ったところだった。何気ない様子で店主に呼び止められ、潜めた声で、カガルトゥラードが傭兵を集めているという噂を教えられたのだ。

 実際、麦の作付けを増やしているという情報は以前からあって、ある程度推測はしていた。カガルトゥラードが結んだヴァルヴェキアは貧しい国ではないから、そちらを支援する目的とは考えられない。つまりカガルトゥラードが食料を増やすということは、戦の準備をしていると考えていい。

 ただ、ヨラガンがカガルトゥラードへの警戒を強め始めたのは、昨年のことだ。備蓄に余裕を持たせるよう各集落に伝え、いざというときにはすぐに集落を東へ移動できるよう対策は進めてもらっている、はずだ。それなりに備えはできている。
 その緊張感が続いていれば問題ないが、人はずっと警戒を続けられるものでもない。どこかで引き締めを図らなければならなかったが、ククィツァもユクガもきっかけを掴めず、漫然と各集落への顔つなぎを続けるしかなかった。

 そこへきて、兵力を増強しているという噂だ。実際にククィツァやユクガが裏を取ったわけではないので、噂でしかないと言われればそれまでだが、こと人の動きに関して、商人の情報収集力は国にも勝る。あの店主がユクガたちを欺きたいなら騙りもするだろうが、信用を大事にする商人が、わざわざ今までの客を騙すほうが非現実的だ。カガルトゥラードに金を渡されている、あるいはすでにヨラガンが見限られているならその推論も的外れになるが、現時点この市に店を出しているということは、それもない。

 目当ての品々が荷車に積み込まれていくのを見守りながら、どうすれば戦が終わるのかと果てしないことを思う。
 数年ごとに争いが起きていては、穏やかな暮らしなど夢物語で終わってしまう。

 ため息をついて首を振り、ククィツァに声をかけようとして、ユクガは開けかけた口を閉じた。早駆けの音がする。

「急いでるな」

 ククィツァも気づいていて、ゆったりと剣の柄に手を置いた。さすがに襲われるようなことはないだろうが、何か起きてからでは困る。

 だが、身構えていた二人の前に現れたのは、見覚えのある馬だった。

「ベルリアーナ?」

 ひらりと馬を下りたベルリアーナの視線は、問いかけたククィツァではなくユクガに向いている。

「……キアラに何かあったのか」

 朝は少しぼんやりしているようにも見えたが、キアラは風邪をひかないし、けがもすぐに治ってしまう。命にかかわるような事態にはならないはずだが、それ以外でベルリアーナが馬を飛ばしてくる理由がわからない。
 軽く周囲を見回すと、ベルリアーナがククィツァとユクガの服を引っ張った。二人で軽く目を見合わせ、ベルリアーナの口元に耳を寄せる。

「……キアラがヒートを起こしてる。ユクガは急いで戻って。ククィツァは今は戻らないほうがいいわ」

 ククィツァと視線を合わせて頷き合い、ユクガは荷車の横で行儀よく待っていたルイドのもとに急いだ。結んでいた手綱をもどかしく外し、飛び乗って集落へ走らせる。

 もう十八にもなったのに、まだヒートが来ない、とキアラが気にしていたのはユクガも知っていた。表立って口にしていたわけではないが、ベルリアーナにオメガのことについて尋ねたり、イェノアに女性の体について聞いてみたりしている、というのも、質問を受けた二人からこっそり共有されている。
 焦る必要はないとユクガは思っていても、本人からすれば重大な話なのだろう。そう思って静かに見守りつつ、なるべく言葉で、キアラを番にする意思があると伝え続けてきたつもりだ。そうして然るべきときが来れば、キアラのうなじを噛むのはユクガのつもりでいた。

 ただ、もっとはっきりした兆候のようなものがあると思っていたから、出かけた先から急いで戻ることになるなどと、考えてもいなかった。 

 ククィツァは市に残っているし、集落に他のアルファが寄りつかなければ事故は起きようがない。キアラの首輪の外し方も、いまだにわかっていない。だから他のアルファがキアラと番になってしまうようなことは、起きえないはずだ。
 頭ではそう理解していても、ユクガは気が急くのを抑えられなかった。

 集落に近づくにつれて、キアラから感じていた香りが強くなってきている。これに誘われない男がいるほうが、信じられない。

 慌ただしくルイドから降りてユルトの傍に繋ぎかけ、ユクガは束の間逡巡した。外にいるだけでも酩酊しているかのようにくらくらするのに、ユルトの中に入ったら、正気を保って出てこられる気がしない。ルイドの世話をする余裕すら、失っている。

「……ルイド、すまん、イェノアのところに行って世話をしてもらってくれ」

 ついでにカヤの綱も外してやって、二頭の首を撫でる。人の言葉などわからないはずなのに、ルイドたちが向かう方向は正しくククィツァのユルトだ。

 心の中でひっそりと礼を言って、ユクガはユルトの入口に向き直った。しっとりと甘く、しかし清廉さを失わない香りが、ユクガを誘っている。
 ごくりと喉を鳴らし、意を決してユルトに足を踏み入れると、さらに濃厚な香りがユクガを包み込んだ。しかし、いるはずと思った寝床の上に、キアラの姿はない。

「……キアラ?」

 ユルトの中はキアラの香りで満ち満ちていて、匂いではどこにいるのか見当がつけられない。視線を巡らせ、ユクガの行李の蓋が空いていることに気づいて、足を向ける。

「……キアラ」

 愛しい白銀のオメガが、薄紅に色づいて蕩けた顔で、ユクガの服を抱えていた。

「……ユクガ、さま……?」

 瑞々しく成長したとはいえキアラの体はまだまだ華奢で、行李の中に入ろうと思えば入れるだろうとは思う。しかしそんな狭いところで何をしているのか、よくわからない。ぎゅっとユクガの服を抱え、細い腕には余る他の服に、半ば埋もれるように行李の中に納まっている。

「なぜ、そんなところにいる」
「……ユクガさまの、匂い……いっぱい、します」

 ふにゃ、と笑うキアラは幸せな顔で、抱きかかえている服に頬ずりさえしてみせた。そっとユクガが手を伸ばすと、嬉しそうにそちらにも頬を寄せてくる。
 ヒートのオメガというのは、香りでも、仕草でも、全てでアルファを籠絡してくるものなのだろうか。

「……キアラ、出てこい」

 自分がラットになりかかっているのか、すでにラットになっているのかわからない。ただ、目の前のオメガを、自分のものにしたくて堪らない。

「……いや、です」
「なぜ」

 駄々をこねるように緩く首を横に振るキアラに、いっそ鋭く聞き返す。行李の中に入り込まれた状態では、キアラに手が出せない。

「ユクガさまの、匂い、ここが一番、しあわせ……」

 ユクガがキアラの香りに酩酊しているように、キアラもユクガのにおいを求めているらしい。
 衝動的に帯を解いて服を脱ぎ、丸めてキアラの傍に置く。ほっそりした手がすぐに掴んで、大切そうに胸元に抱きしめた。

「俺ではなくて、服がいいのか」

 薄青に色づいた瞳が、いつもより潤んで見える。行李の上に覆いかぶさるように覗き込むと、服を放した手が伸びてきた。

「ユクガさま……」

 行李の中から抱き上げた体は、いつもより熱いような気がした。自分からもぎゅっと抱きついてきて、すんすんと鼻を寄せてくる。

「ユクガさまが、いいです」

 服を脱いだ素肌に寄せられる唇が、こそばゆい。ちゅ、ちゅ、と小鳥のように触れてくる拙さは、けれど、確かに、ユクガに想いを向けてきている。

 このオメガは、ユクガのものだ。

「……キアラ」
「はい、ユクガさま」

 寝床に横たえてやって、逃げ出すことを許さないように覆いかぶさっても、キアラはとろんとした顔でユクガを見上げている。

「今からお前を抱く」

 銀色の睫毛がゆっくりと上下して、ほっそりした手がユクガの頬に伸びてきた。触れてきた指がしっとりと、ユクガの顔をなぞっていく。

「私を、ユクガさまの番にしてくださるのですか」
「お前のうなじを噛ませろ」

 キアラの首輪の外し方は、わからないままだ。
 ただユクガは求め、キアラはふんわりと微笑んだ。

「……初めて、お会いしたときから」

 何の音もしなかった。継ぎ目も何もなかったはずの首輪が二つに割れて、真白く細い首が、露わになる。

「私は、ユクガさまのもの、です」

 性急に裏返した体は、何の抵抗もしなかった。
 噛みついた首筋はユクガが今まで口にした何よりも求めていた味で、喰い尽くしたくなるほどの、至福の瞬間だった。
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