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帰還
62.なすべきことを、なすために
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「……ユクガ様」
「何だ」
「私は、一人でも馬に乗れます」
後ろに座っているユクガが笑っているような気がして、キアラはむくれて振り返った。思った通り、ユクガの口の端が上がっている。
「ユクガ様もご存じではないですか」
「……お前がまだ幼かったころに、同じようなやりとりをしたのを思い出しただけだ」
ぽんぽんとなだめるようにお腹のあたりを撫でられて、キアラはそっとユクガに体を寄せた。
ずっと不機嫌でいたいわけではなくて、ただ、キアラ一人だけユクガと相乗りになっているのが少々不服なだけだ。ユクガとキアラの乗っている馬の前にはルガートが一人で馬に揺られていて、やや後ろでは同じように、ラグノースとリンドベルがそれぞれ騎乗している。
キアラが夢で知った大きな池は、湖というもののようだった。あのあとラグノースが連れてきたルガートの話によると、ファルファーラには湖というものがいくつかあって、そのうちの一つに、石造りの建物が湖の上に建てられているところが、実際にあるのだそうだ。
それが探しているところかどうかわからなかったが、どうしてもそこに行きたい、行かなければならないのだと、キアラはユクガに頼み込んだ。
そしてユクガからククィツァに話してくれて、ヨラガンに向かう本隊と別れ、キアラを含めた五人がファルファーラに向かうことになった。ミオとシアは馬に乗れず、レテとローロはファルファーラの生まれではないから案内はできないし、あまり大勢で行くものでもないだろう、ということらしい。
「……ユクガ様のお傍にいられるのは、嬉しいです」
相乗りをするのは、ユクガを近くに感じられて好きだけれど、キアラ一人だけ馬に乗れない子どものように見えるのではないかと思うと、それは嬉しくないのだ。
カガルトゥラードに行くことになったときから、キアラは何かにつけ、きちんと仕事を割り当ててもらえていない。
「……そろそろ昼にするか」
ユクガがひとり言ともつかない声をあげると、ルガートがゆっくりと馬足を緩めた。人通りのなさそうな森の中ではあるが、そこまで木が密集していることもなく、ときどき休憩にちょうどいい開けた場所もある。
馬を止めると他の四人はそれぞれひらりと降りるのに、キアラだけユクガに抱かれて降ろされて、それも少々不服だ。
「不満か」
「私も、一人でも降りられます」
また穏やかな笑みを浮かべて、ユクガが髪を撫でてくれる。子ども扱いしているわけではないのだろうが、一人だけ丁寧に扱われると、大人ではないのだと思わされるようで気に入らない。
口を尖らせていたら抱き上げられてしまって、びっくりして目を瞬く。
「俺が、お前を大切にしたいんだが……嫌か」
「……そのように仰られては、何も言えなくなってしまいます……」
ずるいと思いつつぎゅっと抱きつくと、ユクガがキアラを抱っこしたまま歩き出してしまった。馬はいいのかと慌てて顔を上げたら、賢くその場にとどまっている。ルイドではないが、いい馬だ。
馬に気を取られているうちにしっかり運ばれてしまって、誰かが用意してくれたらしい敷物の上に下ろされる。靴は履いているから自分で歩けるのだが、ユクガがそうしたいのだと言われてしまっては、キアラは大人しく受け入れるより他にない。
「リンドベル、キアラを頼む」
「はい」
「ラグノース、馬を」
「了解です」
「ルガート、斥候と水の調達を」
「承知しました」
慣れた様子でユクガが指示を出し、ルガートたちもそれに従っててきぱきと動き始めてしまい、キアラはついていけずにぽつんと座っていた。そのままユクガはルガートと行ってしまったから、傍に来てくれたリンドベルに尋ねてみる。
「……私は、何をしたらよいでしょう」
「……お待ちいただいていれば、よいかと存じますが」
不思議そうな顔をしたリンドベルが地面を整え始めたので、キアラも立ち上がって草を抜くことにした。
「キアラ様……お召し物が汚れてしまいますよ」
「ここを平らにして、たき火を作るのでしょう?」
草花が生えているところにそのまま火をつけるわけにはいかないから、草を抜き、石をどけて周囲に積んでおいて、たき火を作る場所にすることはキアラも知っている。ラグノースは近くで馬たちの世話をしているが、ユクガとルガートは森の中に分け入って行ったから、おそらく枝を集めてくるはずだ。
せっせと草取りに励むキアラに、リンドベルが苦笑する気配がした。
「我々の主は、働き者ですね」
「自分一人だけ何もしないのは、気が休まりません」
カガルトゥラードではミオとシアが困るようだったから大人しくしていたが、ヨラガンでは自由にしていいはずなのだ。集落の皆で、助け合って仕事をこなすのが当たり前で、何もしないのは本当に小さな子や、お年寄り、病気やけがの人だけだった。
何をすべきかすべてを知っているわけではないが、キアラにもやれることはあるはずなのだから、きちんと仕事を割り振ってほしい。
少し意地になって地面を整えていたらふっと手元が暗くなって、キアラは顔を上げた。
ユクガがじっと見下ろしてきている。
「おかえりなさいませ、ユクガ様」
「ああ」
立ち上がって手をはたいてみたものの、土が取れない。
おろおろしていたらユクガにその手を取られて、キアラはあたふたと手を引っ込めようとした。
「ゆ、ユクガ様、今は、手が汚れていて」
「けがはないか」
心配性だとも思いつつ、ユクガが気にかけてくれることが嬉しくて、自然と笑みが浮かんでくる。
「けがはございません。それに、私のけがはすぐ治ります」
ただ、安心してもらおうと思って答えたのに、ユクガの表情がわずかに曇って、キアラはこて、と首を傾げた。キアラの前に片膝をついて、ユクガが両手でそっとキアラの手を包む。
「……キアラ、今のお前の目的は、何だ」
「……目的、ですか……?」
考えてもみなかったことを尋ねられて、キアラは何度か目を瞬いた。怒っているのではないだろうことはわかるのだが、ユクガが何を話そうとしているのかわからない。
不安になって、恐ろしくて、泣きそうになったキアラの頬に、ユクガの確かな手が触れてくる。
「キアラ」
「……はい、ユクガ様」
ユクガが少し、困ったように笑って、キアラの髪をそっと撫でてくれる。
「お前は、ファルファーラに行きたいのだろう」
「はい」
目的、というのはファルファーラのことなのだろうか。話が見えないまま、しかしファルファーラに行きたいのは確かだから、素直にうなずく。
「ファルファーラの湖にあるという……石造りの建物に行きたい、のだったな」
「はい、ユクガ様」
見たことも聞いたこともなかったのに、何度も夢に出てきた場所は、キアラの訪れを待っている、と思う。キアラ自身の足で歩いていって、あの岩に触れなければいけない。
それがどうしてなのかも、触れたら何が起きるのかもわかっていないのだが、キアラがしなければいけないことなのだという確信だけはあって、自分でもどうしていいのかよくわからなかった。
だからルガートの話を聞いても、もしかしたらその場所かもしれないとは思いつつ、きちんと説明できないまま、ただそこに行きたいとお願いするしかなかったのだ。
「今、お前がなそうとしているのは、その場所に行って何かをすること、だろう」
「……はい」
上手に話すこともできず、わけのわからないであろうふんわりしたキアラの言葉を、それでも信じて叶えようとしてくれるユクガは、優しい。
きゅっと力の入ってしまった肩を緩め、髪を撫でてくれているユクガの手に、キアラはおずおずと頭をすりよせた。ユクガのまとっていた空気も和らいで、安心させるように笑みを浮かべてくれる。
「何かやりたいことがあるのなら、それを成し遂げることを優先しろ。お前はもっと……己を優先するくらいでちょうどいい」
こて、と首を傾げ、キアラはじっとユクガを見つめた。
初めに言われた、目的、というのは、ファルファーラにある湖の建物に行って、あの岩に触れて何かをすること、だと思う。ただ、そのためにもっと自分を優先していい、というのが、よくわからない。
キアラはユクガに、ルガートたちにも、とても大事にされている。これ以上わがままなことをしては、いけないのではないだろうか。
今だって、よくわからないまま見つめるキアラに、ユクガはきちんと向き合ってくれている。
「お前の体が、けがも病もすぐに治るのはわかっている」
けれど、普通の人は、ちょっとのけがや病が重くなって、死んでしまうこともある。死んでしまえば当然、何かをやろうとしていたとしても、成し遂げられない。
だから普通の人は、些細なけがや病にも気をつけるものだ。
「けがをしてもすぐ治るからいいというものではない。けがをしないように、もし難しいと思えば誰かを頼れ。草を抜く程度でけがをするとは、俺も思っていないが……いつか大事になってしまったときが、恐ろしい」
普段からおろそかにしていることは、大事なときにもぞんざいになってしまいかねない。だから日頃から、何事も誠実に向き合うようにしなさいと、いつかイェノアが言っていたのを思い出した。
「……申し訳、ありません」
今回キアラがしたのは、ただ草を抜くというとても小さなことだが、ユクガはその小さな試みのうちに気づかせようとしてくれたのだろう。
キアラが自分のけがを気に留めないのは、すぐに治るからだ。
けれど、おそらく、試したことはないし試そうとは思わないが、例えば足を切り落とされるようなことがあったとしたら、元通り足がくっつく、ということはないと思う。
ユクガや、他の誰かが傷つくよりはいいと思ってしまうけれど、傷ついたときはとても痛いだろうし、その後ずっと、周りの人たちはキアラを見るたびに悲しい思いをするだろう。
キアラの不注意でいつまでもそんな思いをさせるのは、キアラも悲しい。
しおしおと項垂れたキアラを、ユクガがそっと抱きしめてくれる。力強いけれど繊細な腕に包まれると、安心できて甘えたくなってしまう。
少しためらいつつキアラからもくっつくと、大きな手が背中を撫でてくれた。
「お前の、人のために何かをしようという心根は、いいものだと思っている。ただ、それが過ぎて自分の目的が叶わなくなるようなことはよせ」
「……はい」
そのままキアラを抱き上げてユクガが立ち上がったので、キアラは慌ててユクガの服を掴んだ。
「手を洗わなければな。ルガート、水場に案内してくれ」
「承知しました」
いつのまにかルガートも戻ってきていて、ユクガの前に立って歩き始める。キアラはユクガに抱っこされたままだ。馬の世話は終わったようで、ラグノースがリンドベルに合流していて、たき火の傍に立って鍋を見ている。料理だったらキアラも手伝えるから、早く戻らなくては。
「ユクガ様、自分で歩けます」
「俺がお前を抱えていたいんだが、嫌か」
先ほども似たような質問をされて、キアラは何も言えなくなってしまったのだ。口を結んでユクガの腕に収まってから、はっとしてもう一度見上げる。
「……もしかして、私が断れないとお考えになって、仰っていますか?」
「……こう言えばお前が断らないなら、次からもそうしよう」
ますます何も言えなくなって、キアラはユクガに抱きついているしかなかった。
「何だ」
「私は、一人でも馬に乗れます」
後ろに座っているユクガが笑っているような気がして、キアラはむくれて振り返った。思った通り、ユクガの口の端が上がっている。
「ユクガ様もご存じではないですか」
「……お前がまだ幼かったころに、同じようなやりとりをしたのを思い出しただけだ」
ぽんぽんとなだめるようにお腹のあたりを撫でられて、キアラはそっとユクガに体を寄せた。
ずっと不機嫌でいたいわけではなくて、ただ、キアラ一人だけユクガと相乗りになっているのが少々不服なだけだ。ユクガとキアラの乗っている馬の前にはルガートが一人で馬に揺られていて、やや後ろでは同じように、ラグノースとリンドベルがそれぞれ騎乗している。
キアラが夢で知った大きな池は、湖というもののようだった。あのあとラグノースが連れてきたルガートの話によると、ファルファーラには湖というものがいくつかあって、そのうちの一つに、石造りの建物が湖の上に建てられているところが、実際にあるのだそうだ。
それが探しているところかどうかわからなかったが、どうしてもそこに行きたい、行かなければならないのだと、キアラはユクガに頼み込んだ。
そしてユクガからククィツァに話してくれて、ヨラガンに向かう本隊と別れ、キアラを含めた五人がファルファーラに向かうことになった。ミオとシアは馬に乗れず、レテとローロはファルファーラの生まれではないから案内はできないし、あまり大勢で行くものでもないだろう、ということらしい。
「……ユクガ様のお傍にいられるのは、嬉しいです」
相乗りをするのは、ユクガを近くに感じられて好きだけれど、キアラ一人だけ馬に乗れない子どものように見えるのではないかと思うと、それは嬉しくないのだ。
カガルトゥラードに行くことになったときから、キアラは何かにつけ、きちんと仕事を割り当ててもらえていない。
「……そろそろ昼にするか」
ユクガがひとり言ともつかない声をあげると、ルガートがゆっくりと馬足を緩めた。人通りのなさそうな森の中ではあるが、そこまで木が密集していることもなく、ときどき休憩にちょうどいい開けた場所もある。
馬を止めると他の四人はそれぞれひらりと降りるのに、キアラだけユクガに抱かれて降ろされて、それも少々不服だ。
「不満か」
「私も、一人でも降りられます」
また穏やかな笑みを浮かべて、ユクガが髪を撫でてくれる。子ども扱いしているわけではないのだろうが、一人だけ丁寧に扱われると、大人ではないのだと思わされるようで気に入らない。
口を尖らせていたら抱き上げられてしまって、びっくりして目を瞬く。
「俺が、お前を大切にしたいんだが……嫌か」
「……そのように仰られては、何も言えなくなってしまいます……」
ずるいと思いつつぎゅっと抱きつくと、ユクガがキアラを抱っこしたまま歩き出してしまった。馬はいいのかと慌てて顔を上げたら、賢くその場にとどまっている。ルイドではないが、いい馬だ。
馬に気を取られているうちにしっかり運ばれてしまって、誰かが用意してくれたらしい敷物の上に下ろされる。靴は履いているから自分で歩けるのだが、ユクガがそうしたいのだと言われてしまっては、キアラは大人しく受け入れるより他にない。
「リンドベル、キアラを頼む」
「はい」
「ラグノース、馬を」
「了解です」
「ルガート、斥候と水の調達を」
「承知しました」
慣れた様子でユクガが指示を出し、ルガートたちもそれに従っててきぱきと動き始めてしまい、キアラはついていけずにぽつんと座っていた。そのままユクガはルガートと行ってしまったから、傍に来てくれたリンドベルに尋ねてみる。
「……私は、何をしたらよいでしょう」
「……お待ちいただいていれば、よいかと存じますが」
不思議そうな顔をしたリンドベルが地面を整え始めたので、キアラも立ち上がって草を抜くことにした。
「キアラ様……お召し物が汚れてしまいますよ」
「ここを平らにして、たき火を作るのでしょう?」
草花が生えているところにそのまま火をつけるわけにはいかないから、草を抜き、石をどけて周囲に積んでおいて、たき火を作る場所にすることはキアラも知っている。ラグノースは近くで馬たちの世話をしているが、ユクガとルガートは森の中に分け入って行ったから、おそらく枝を集めてくるはずだ。
せっせと草取りに励むキアラに、リンドベルが苦笑する気配がした。
「我々の主は、働き者ですね」
「自分一人だけ何もしないのは、気が休まりません」
カガルトゥラードではミオとシアが困るようだったから大人しくしていたが、ヨラガンでは自由にしていいはずなのだ。集落の皆で、助け合って仕事をこなすのが当たり前で、何もしないのは本当に小さな子や、お年寄り、病気やけがの人だけだった。
何をすべきかすべてを知っているわけではないが、キアラにもやれることはあるはずなのだから、きちんと仕事を割り振ってほしい。
少し意地になって地面を整えていたらふっと手元が暗くなって、キアラは顔を上げた。
ユクガがじっと見下ろしてきている。
「おかえりなさいませ、ユクガ様」
「ああ」
立ち上がって手をはたいてみたものの、土が取れない。
おろおろしていたらユクガにその手を取られて、キアラはあたふたと手を引っ込めようとした。
「ゆ、ユクガ様、今は、手が汚れていて」
「けがはないか」
心配性だとも思いつつ、ユクガが気にかけてくれることが嬉しくて、自然と笑みが浮かんでくる。
「けがはございません。それに、私のけがはすぐ治ります」
ただ、安心してもらおうと思って答えたのに、ユクガの表情がわずかに曇って、キアラはこて、と首を傾げた。キアラの前に片膝をついて、ユクガが両手でそっとキアラの手を包む。
「……キアラ、今のお前の目的は、何だ」
「……目的、ですか……?」
考えてもみなかったことを尋ねられて、キアラは何度か目を瞬いた。怒っているのではないだろうことはわかるのだが、ユクガが何を話そうとしているのかわからない。
不安になって、恐ろしくて、泣きそうになったキアラの頬に、ユクガの確かな手が触れてくる。
「キアラ」
「……はい、ユクガ様」
ユクガが少し、困ったように笑って、キアラの髪をそっと撫でてくれる。
「お前は、ファルファーラに行きたいのだろう」
「はい」
目的、というのはファルファーラのことなのだろうか。話が見えないまま、しかしファルファーラに行きたいのは確かだから、素直にうなずく。
「ファルファーラの湖にあるという……石造りの建物に行きたい、のだったな」
「はい、ユクガ様」
見たことも聞いたこともなかったのに、何度も夢に出てきた場所は、キアラの訪れを待っている、と思う。キアラ自身の足で歩いていって、あの岩に触れなければいけない。
それがどうしてなのかも、触れたら何が起きるのかもわかっていないのだが、キアラがしなければいけないことなのだという確信だけはあって、自分でもどうしていいのかよくわからなかった。
だからルガートの話を聞いても、もしかしたらその場所かもしれないとは思いつつ、きちんと説明できないまま、ただそこに行きたいとお願いするしかなかったのだ。
「今、お前がなそうとしているのは、その場所に行って何かをすること、だろう」
「……はい」
上手に話すこともできず、わけのわからないであろうふんわりしたキアラの言葉を、それでも信じて叶えようとしてくれるユクガは、優しい。
きゅっと力の入ってしまった肩を緩め、髪を撫でてくれているユクガの手に、キアラはおずおずと頭をすりよせた。ユクガのまとっていた空気も和らいで、安心させるように笑みを浮かべてくれる。
「何かやりたいことがあるのなら、それを成し遂げることを優先しろ。お前はもっと……己を優先するくらいでちょうどいい」
こて、と首を傾げ、キアラはじっとユクガを見つめた。
初めに言われた、目的、というのは、ファルファーラにある湖の建物に行って、あの岩に触れて何かをすること、だと思う。ただ、そのためにもっと自分を優先していい、というのが、よくわからない。
キアラはユクガに、ルガートたちにも、とても大事にされている。これ以上わがままなことをしては、いけないのではないだろうか。
今だって、よくわからないまま見つめるキアラに、ユクガはきちんと向き合ってくれている。
「お前の体が、けがも病もすぐに治るのはわかっている」
けれど、普通の人は、ちょっとのけがや病が重くなって、死んでしまうこともある。死んでしまえば当然、何かをやろうとしていたとしても、成し遂げられない。
だから普通の人は、些細なけがや病にも気をつけるものだ。
「けがをしてもすぐ治るからいいというものではない。けがをしないように、もし難しいと思えば誰かを頼れ。草を抜く程度でけがをするとは、俺も思っていないが……いつか大事になってしまったときが、恐ろしい」
普段からおろそかにしていることは、大事なときにもぞんざいになってしまいかねない。だから日頃から、何事も誠実に向き合うようにしなさいと、いつかイェノアが言っていたのを思い出した。
「……申し訳、ありません」
今回キアラがしたのは、ただ草を抜くというとても小さなことだが、ユクガはその小さな試みのうちに気づかせようとしてくれたのだろう。
キアラが自分のけがを気に留めないのは、すぐに治るからだ。
けれど、おそらく、試したことはないし試そうとは思わないが、例えば足を切り落とされるようなことがあったとしたら、元通り足がくっつく、ということはないと思う。
ユクガや、他の誰かが傷つくよりはいいと思ってしまうけれど、傷ついたときはとても痛いだろうし、その後ずっと、周りの人たちはキアラを見るたびに悲しい思いをするだろう。
キアラの不注意でいつまでもそんな思いをさせるのは、キアラも悲しい。
しおしおと項垂れたキアラを、ユクガがそっと抱きしめてくれる。力強いけれど繊細な腕に包まれると、安心できて甘えたくなってしまう。
少しためらいつつキアラからもくっつくと、大きな手が背中を撫でてくれた。
「お前の、人のために何かをしようという心根は、いいものだと思っている。ただ、それが過ぎて自分の目的が叶わなくなるようなことはよせ」
「……はい」
そのままキアラを抱き上げてユクガが立ち上がったので、キアラは慌ててユクガの服を掴んだ。
「手を洗わなければな。ルガート、水場に案内してくれ」
「承知しました」
いつのまにかルガートも戻ってきていて、ユクガの前に立って歩き始める。キアラはユクガに抱っこされたままだ。馬の世話は終わったようで、ラグノースがリンドベルに合流していて、たき火の傍に立って鍋を見ている。料理だったらキアラも手伝えるから、早く戻らなくては。
「ユクガ様、自分で歩けます」
「俺がお前を抱えていたいんだが、嫌か」
先ほども似たような質問をされて、キアラは何も言えなくなってしまったのだ。口を結んでユクガの腕に収まってから、はっとしてもう一度見上げる。
「……もしかして、私が断れないとお考えになって、仰っていますか?」
「……こう言えばお前が断らないなら、次からもそうしよう」
ますます何も言えなくなって、キアラはユクガに抱きついているしかなかった。
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