おだやかDomは一途なSubの腕の中

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後編

24.あの日

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 うっすらと、自分も同類なのかもしれないと恐怖して、そうはなるまいとした結果が、このぼんやりした性格なのかもしれない、と唐突にレーネは思った。
 目の前で、子どもがうずくまってしくしくと泣いている。

「ごめ、なさい……ごめんなさい……」
「ガキはな! 親の言うこと聞いてりゃいいんだよ!」

 投げつけられたジョッキはあらぬ方向に飛んで大きな音を立てたが、子どもはその音にすら怯えてますます縮こまった。鼻息荒く、ジョッキを投げた男が足を踏み鳴らして部屋を出ていったあとも、子どもは一人で泣き続けている。誰も部屋には来ない。そっと屈んで子どもを撫でようとして、すり抜けた手をレーネはじっと見つめた。

 このころはまだ検査を受けておらず、自分がDomなのかSubなのかも知らなかった。そもそもDomやSubというのがどういったものか、知らなかったのだ。誰も教えてはくれなかったし、おそらく、村の誰もよく知らなかったのだと思う。この村でDomはレーネの父ただ一人で、Subにいたってはいなかった。
 Domとしての支配的な性格が強かった父は、頼れるリーダーと扱われることもあれば、傲慢だと遠巻きにされることもあったようだ。そこが魅力と感じていた母と結婚したまではよかったが、生まれてきたレーネがDomだったことで父の均衡は崩れてしまった。

 Domは基本的に、相手を支配したい、世話をしたい、守りたいという気質が強くなる。生まれたばかりの赤ん坊はもちろん、世話をして守らなければ死んでしまう。そこからある程度育つと子どもにも自我が芽生えて、自分であれこれやりたがるようになるし、親の言うことを聞かなくなる。レーネの場合、自分がDomとは知らなかったものの、父にあれこれ支配されるのをことさら嫌がった。
 それが父には、許せなかったのだ。
 暴力や、大声や、意味は知らないが何かの効力を持っているらしいCommand、Dom同士であれば威嚇の意味になるGlareの飛び交う家は、レーネの安らげる場所ではなくなった。母には、父のその変化はレーネのせいだと突きつけられた。

 父のCommandもGlareも、レーネには意味のないものだったが、守ってくれるもののない暮らしは苦しかった。
 そのうち自分にも父のような衝動があるのに気がついて、ぞっとした。恐ろしくて、嫌だと感じるものを自分も持っている。誰かを殴ったり、怒鳴りつけたりするようになるのかもしれない。物を投げたり、居丈高に命令したりしてしまうかもしれない。
 そうはなりたくなかった。必死に、そういう衝動を感じそうになったらぼんやりと空を見て、気持ちをどこか遠くへ追いやってしまうようにした。

 あの日も家に帰りたくなくて村をうろついていたら、近所の子どもにからかわれて腹を立てそうになって、慌てて空を見上げたのだ。
 空には、翼を持った魔物が飛んでいた。

「……お客さん?」

 はっと目を開けて、レーネは声の主を確認した。確か、乗合馬車の御者だ。そろりと視線を巡らせると、他の乗客はもういないらしい。

「大丈夫ですか」
「……すみません」

 最後の乗り換えの馬車にきちんと乗り込めたので、これで大丈夫だと気が緩んだらしい。眠りこけていたようだ。
 寝ている間抜けな客など起こさずそのまま折り返してもよかったのに、御者の男はわざわざレーネを起こしてくれたらしかった。お礼を言って荷物を抱え直し、降り立った先の景色を見てため息を漏らす。

 王都のどこからでも見える立派な尖塔群を備えた王城は、今日も堂々とそびえ立っている。

「えっと……」

 荷物から紙を取り出して、レーネは改めて目的地を確認した。レーネが行くべき場所は、あの尖塔の一つ、ではないが、王城の西の一角にあるようだ。ひとまず空を飛んだら怒られるだろうし、大人しく歩いて城門へ向かうことにする。簡単に入れてもらえるのかわからないが、鳥を使わずわざわざ人の手で届けられたこの紙があれば、何とかなるだろう、と思いたい。

 王都は広いが、養父と暮らした町でもある。石畳で舗装されたきれいな道、乗合馬車の停車場の近くには店が立ち並んでいて、威勢のいい呼び込みの声が飛び交う。さらに城のほうへ向かって進むと居住区が始まり、水路の水音やちょっとした隙間に植えられた花に少し和む。それから旧商業区を挟んでまた居住区があり、石壁に突き当たる。そこから先は貴族の屋敷が立ち並ぶ区画だからだ。
 胡乱げにレーネをじろじろ眺める門番にあの紙を見せてみたところ、さっと進ませてくれたので、城門もこれでいくことにする。大事なもののようだったので、なくしたり汚したりしないよう簡単な魔法はかけたものの、紙きれ一枚にここまで効力があるとは思わなかった。

 ひとまずもう一度紙をしまって、貴族区画も大人しく歩く。この辺りにはあまり人通りはない。家と家の間の距離がかなり広いから、たとえ隣の家に行くのであっても貴族は馬車を使う。使用人が何かの仕事で歩いていることはあるが、一般居住区や商業区のようにぶらぶら歩く場所でもなく、皆足早だ。静かで寂しくて不愛想で、この場所は昔からあまり好きではない。
 用もないしとレーネもさっさと貴族区を抜けて、城門を同じ紙で突破した。そこからはさすがに道を知らないので、できるだけ優しそうな人に聞きながら一つの部屋を目指す。

 西方将軍執務室。なぜかレーネが明日から働くことになった場所だ。

 魔法学校を卒業したあとはずっと北の砦で働いていたから、西方の防衛に配置換えされるなど筋が通らないし、将軍の下で働くほど功績を上げた覚えもない。変だと思いつつ、これは動かせない人事なのだと魔術師団から言われては、北の砦に残りたいと駄々をこねるわけにもいかなかった。
 一つ息をついて、飴色の扉をノックする。

「はい」
「明日からこちらの配属になるレーネです。ご挨拶に参りました」

 中からばたばたと音がして、扉が勢いよく開く。内開きの扉でよかった。あの勢いで板が当たったら、とても痛そうだ。

「レーネさん!」

 少し明後日のことを考えていたレーネの耳に、聞き覚えのある声が届く。意識を戻して入口に立っている人物を見てみると、確かに知っている相手だった。

「リィロンくん」
「はい! 覚えててくださったんですね!」

 嬉しそうに抱きついてくるリィロンに驚きはしたが、新しい仕事場に知り合いがいてくれるのは安心する。ふっと笑みをこぼして撫でてやるとリィロンもますます嬉しそうな顔になってくれたのだが、部屋の中からわかりやすく咳払いが聞こえてきた。音の発生源は、執務机の横に控えている騎士らしい。茶色い髪に緑の目をした彼に、見覚えはない。
 そこから執務机の椅子にいる人物に目を移し、レーネは自分を制御しきれずGlareを放った。
 黒い髪。空色の瞳。恵まれた体格を持った彼が、少し顔をしかめて椅子に沈む。
 違う、攻撃したいわけではない。抑えられない。

「……レーネさん」

 十年ほど前にはずっとそばにいた声が、机の向こうから聞こえてくる。

「……俺は構いません。でもリィロンは……もうClaimしたパートナーがいるので……」

 はっとしてリィロンに目を向けると、ぺたりと床に座ってしまっていた。じっとレーネを見つめる顔は陶然としているが、彼の言う通り、リィロンの首にはCollarがある。

 一気に頭が冷えて、レーネもずるずるとその場にへたり込んだ。人のSubをひざまずかせてしまった。手足の先が冷たい。最低だ。そもそも了承も得ていないのにGlareを放って、無理やりこの状態にしてしまっている。
 父親と同じような、力で相手をねじ伏せるようなことをしてしまった。

 どうしようという言葉だけがひたすら頭を巡って、すべきことが何も思いつかない。
 誰かがすっとそばにきて、レーネを易々と抱え込む。

「クリフ、ジョアルを呼んできてくれ。リィロンの名前を出せばすぐ来るはずだ」
「了解しました。そちらは?」
「俺がついてる」

 誰かが横を通り抜けていく。
 どうしよう。リィロンを助けないと、誰かのパートナーなのに、どうしよう、元に戻してやらないと、ひどいことをしてしまった。ばたばたいう足音や、誰かが喋っているのは聞こえているのに、うまく理解できない。どうしたらいい。
 混乱して震えるレーネを抱き上げて、誰かが移動し始めた。怖い。
 しがみついた体を支えてくれる手にぎゅっと力がこもって、大丈夫、と安心させるような言葉が降ってくる。揺れが収まって、抱きしめてくれている体温が知っているもののような気がして、レーネはゆっくり顔を上げた。

「……ティノールト、くん」

 またGlareが出てしまいそうになって、ひくりと震えたレーネを撫でてくれる。

「いいですよ、ここには俺しかいないです」
「……や、だ」

 嫌だ。したくない。

「Glare、もう嫌なのに、我慢できなくて、出ちゃう、嫌だ」

 ぎゅっと目をつむって手で押さえても、自分の中にくすぶっているものがわかる。ティノールトにだってGlareをぶつけたいわけではないのに、自分で自分を制御できない。
 夢で見た子どものように嫌だとくり返すレーネを撫でて、ティノールトがぐっと抱きしめてくる。

「……レモン」

 レーネの中でくすぶっていたものが突然消えて、ぽっかりと穴が開いたようになった。
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