おだやかDomは一途なSubの腕の中

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後編

30.兄と弟

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 西方視察から戻ったあと、レーネは執務室の片隅を借りて、魔道具の研究に精を出すことにした。北の砦にいたころから開発している魔道具だが、西方では特に使い道がありそうだし、事務仕事のできないレーネがただ座っているよりは、見た目にも健全かと思ったからだ。
 ティノールトの許可はもらっているので、小さな机に部品を広げ、魔力の流れを考えつつ組み立てては壊しをくり返している。

「レーネさん」

 何度目かの分解のあと、自分を呼ぶ声に気がついてレーネはふっと顔を上げた。
 途端に、ぎゅる、と腹が鳴る。

「ほら、お腹すいたでしょう?」

 目の前にパンが差し出されたので、レーネはそのまま迷いなく食いついた。おいしい。そういえばまだ昼食をとっていないが、そろそろそんな時間だろうか。

「お昼……」
「すみません、昼食の時間を過ぎてしまったんです。軽食を用意してもらいましたから、そちらで我慢してもらえますか」

 そこまで言われて、レーネはようやく相手が誰かを把握した。ティノールトが、かじりかけのパンを手にしてレーネを覗き込んでいる。そのかじられた部分は、今レーネの口でもしゃもしゃと咀嚼されているところだ。
 Domには相手の世話を焼きたがる性質があるが、Subには相手に尽くしたがる性質がある。ティノールトの奉仕の表れが、今のレーネへの餌付けだろう。普通は、DomからSubにやりそうだが。

「……僕、お昼食べ損ねた?」
「すごく集中してて、呼びかけても反応してもらえなかったもので……すみません」
「ううん……」

 そこまで入れ込んでいたつもりはなかったのだが、先ほどのティノールトの声まで気づかなかったようだ。
 ひと息ついたほうがよさそうだと判断して、レーネは軽く伸びをした。体が縮こまっていたのか、ぱきぱきと音がする。確かに集中しすぎていたかもしれない。
 広げていた部品や道具を軽く片付けて椅子から降りると、ティノールトに手を差し出された。少し戸惑って、しかし断るほどでもないのでレーネがそっと手を載せると、ティノールトが嬉しそうな顔をする。思わずクリフとリィロンを見たが、リィロンはにこにこし、クリフは無言で書類に顔を戻しただけだった。
 ティノールトのこれは、二人には容認されているらしい。

「小部屋に置いてあるので、そちらで休んでください」
「……うん?」

 執務室横の小部屋にあるなら、わざわざ案内するほどの距離でもない。しかしティノールトの手が離される様子はないし、レーネに合わせてティノールトも歩いている。本人の休憩も兼ねているのだろうと思うことにして、レーネはそれ以上考えるのをやめた。クリフが説得をあきらめているなら、レーネがどうにかできるレベルではない。

「フルーツもつけてもらって……」

 レーネが大人しくティノールトの説明を聞きながら小部屋に入ろうとしたところで、執務室の入り口の扉がノックもなく開かれた。勢いよく押し開けられた扉が壁にぶつかって、大きな音を立てる。レーネは肩を跳ねさせてそちらを向いた。
 焦げ茶色の髪に見覚えはないが、空色の瞳はティノールトによく似ている。背はレーネより高いが、ティノールトほど高くはない。眉間にしわを寄せて眉を吊り上げた男が、ドアの前に立っている。

「ティノールト! 貴様、西方へ行ったらしいな!」

 声も大きい。レーネがまたびくっとしたのに気づいたのか、ティノールトが体をずらしてレーネを隠してくれた。

「はい、兄上。先日西方へ視察に行って参りました」

 あれがティノールトの兄。騎士学校に入るまでティノールトとPlayをしていたという話だが、暴力的なPlayだったのではないかと邪推してしまう言動だ。わざわざ靴音を立てるように足を踏み鳴らして、ティノールトの兄が近づいてくる。

「例え領外であろうとへき地であろうと、視察に出たなら当主に報告するのが礼儀ではないか?」

 そんな慣習は聞いたことがないが、貴族の中では普通なのだろうか。ティノールトの上官は元帥である国王なのだから、国王にさえ報告していたら問題ないはずだ。レーネは随行しなかったが、クリフがきちんと付き従っていたはずで、何か不備があったという共有は受けていない。

「……申し訳ございません、陛下にご報告差し上げたのですが、あの場に兄上がいらっしゃらなかったとは」

 ティノールトの言葉が不自然に途切れて、レーネは軽く眉を寄せた。
 Glareだ。

「何を立っている。Glareを受けたらとっととひざまずけ」

 ティノールトの重心がわずかに動いたのに気づいて、レーネはすっと前に出た。
 こんなDomに、ティノールトが膝をつく必要はない。

「レーネ……?」
「何だ貴様……」

 ティノールトの兄らしい男に向かって、Glareを返す。相手が言葉につまり、少したじろいだのもわかるが、途中でやめる気はない。

「あなたが伯爵だろうと、兄だろうと、この国の将軍に膝をつかせていいのは陛下だけだ」

 じりじりと、男が後ろに下がっていく。レーネより背が高くても、身分が高くても、例え力に勝る騎士であっても、ティノールトを貶めるような行為は許さない。立場上、レーネがティノールトの名誉を守ろうとするのはおかしくないはずで、この苛立ちも正当なはずだ。

 静かに歩を進めるレーネから後ずさりつつも、にらんでくる男の視線にもはやGlareは込められていなかった。かなわないことはわかっても、プライドが許さないDomがいるのはレーネも知っている。自分の矜持しか残っていないのに、くだらない。
 男の周囲をさりげなく魔法で冷やして演出しながら、レーネは開け放たれたままの扉のところまで男を追いつめていった。動きが鈍り、つまずいて尻もちをついた男を見下ろして、慇懃に告げる。

「お引き取りを」

 戸口に立ったままGlareの威力を緩めず、高圧的だった男が廊下の向こうに消えるまで見送って、レーネは一つ息をついた。瞬きしてGlareを止め、扉の横についていた警備の騎士の視線が、自分に向いているのに気づく。

「……ミソンくん?」
「……覚えててくださったんですか……!」

 感激した、みたいな顔をしているので、個人をしっかり覚えていたわけではない、というのは黙っておく。
 確か彼の名前はジョアル・ミソンで、リィロンのClaimしている相手の名前がジョアルのはずで、つまり、彼がリィロンの相手だ、というのが重要なだけだ。

「ミソンくん、念のためリィロンくんのケアを頼めるかい」
「リィロン!?」

 慌てて部屋に飛び込みリィロンに駆け寄っていくジョアル・ミソンを、レーネはぽかんと見送った。リィロンは特に問題なく立っているようだから大丈夫だとは思うが、ひとまず、任せておいていいだろう。
 改めてドアをきちんと閉めて、クリフに視線を向けると無言でティノールトを示された。床に座り込んで、空色の目がまっすぐレーネを向いている。

「……クリフくん、しばらくお願いできるかい」
「早くいけ。ヴァリエ伯が来たあとは毎回体調を崩される」
「わかった」

 走るより速いので、浮き上がってティノールトのもとに飛んでいく。そっと両手で頬を包んで覗き込んだティノールトの瞳が、冬空のようにおぼろげで、よくない状態なのが一目でわかった。

「ティノールトくん、Hugぎゅってして

 縋りつくように抱きしめられて、まだCommandは届く状態なのに安堵した。以前ティノールトがDropしたときは本当に怖かったから、しっかりすくい上げなければいけない。

「ティノールトくん、隣の部屋までTake連れていって
「……はい」

 返事はある。レーネを苦もなく抱き上げて、ジョアル・ミソンたちが入っていったのとは別の部屋に歩いていく。まだ表情は少し沈んで見えるが、反応があるなら大丈夫だ。
 Dropは免れたかなと安堵して、レーネもティノールトに腕を回した。ティノールトの歩みが一瞬止まって、また歩き出す。

「大丈夫? 重たいかい?」
「……いえ」

 レーネを抱っこしていることでティノールトの両手がふさがっているから、魔法でドアを開いて手伝う。中の長椅子にレーネを下ろすと、ティノールトがレーネの足元に座った。

Good boyよくできました、連れてきてくれてありがとう、ティノールトくん」
「……はい」

 ほんの少し、ティノールトの口角が上がった気がする。気分がましになったならよかった。もっと喜んでほしくてよしよしと撫でて、ティノールトに向かって両手を広げる。

Comeおいで

 長椅子に押し倒すようにティノールトがのしかかってきて、レーネはくつくつと笑った。Commandがあるからにせよ、ティノールトがぎゅっと抱きついてくるのはかわいい。

Good boyいい子だね
「……重たくありませんか」
「うーん、本当はつぶれそう」

 ばっとティノールトの顔色が変わって、慌てて手をついて体を浮かせる。はふ、と息をついたレーネに申し訳なさそうな顔をするが、覆いかぶさっている体勢は変えないので、まだ甘えたい気持ちはあるらしい。微笑んでティノールトを撫でてやり、下から抜け出そうとしてレーネは肩を掴まれた。

「ティノールトくん?」
「どこ、行く……」

 不安げでどこかたどたどしくなった声にきょとんと眼を瞬いて、レーネは肩を掴んでいるティノールトの手に自分の手を重ねた。

「君にぎゅってしてほしいけどつぶれそうだから、僕が上に乗ろうと思ってる」

 今度はティノールトが目を瞬いて、レーネの肩を掴んでいた手を離す。レーネが長椅子から一度降りると、ティノールトが自分から長椅子に寝そべってレーネのほうを向いた。
 本当は、RollのCommandを与えようと思っていたのだが。
 まあいいかと気にしないことにして、レーネはティノールトにまたがった。

「重たくないかい?」
「……正直なところ、安心します」

 どこかにふわふわ飛んで行ってしまいそうで怖いから、と抱きしめられて、レーネは苦笑いするしかなかった。
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