32 / 51
【第六章.二人の女の書】
【二十七節.ビスク】
しおりを挟む
『大丈夫? マコトくん』
定まらない視点の中、ヒナが懸命に手話で伝えてくれている。目を開けて初めて見た景色がそれだった。
外の『夜』は終わったらしく、窓からは軟かい朝日──もしかしたら夕日かもしれない──が差し込んでいる。
「マコト? 気が付きましたか。大丈夫ですの?」
布団を挟んで反対側に、アイも座ってくれている。ヒナと同じように心配そうに、こちらを覗き込んでいる。お気に入りの黒のワンピースは胸の開いたデザインだ。谷間に目がいってしまうので、いちいち目のやり場に困る。
そんなことには全く気が付かない西洞院家の子女は、艶のある長い髪を肩から垂らして、流し目でこちらを見つめる。
「大丈夫ですわ、貴方にはあたくしが付いているのだから」
『ヒナも一緒だよ』
「ああ、二人とも、ありがとう」
アイの目が、優しい目から訝しむようにこちらを見る目に変わったことに、気がついた。
「マコト。まだ具合がよくありませんね?」
「なんで……」
そればかり聞くのだろう。だが、それよりも気になることがある。
「……どうして、俺たち、助かったんだろう? アイ、覚えているか?」
「それが分からないのですわ。あの殺人人形の群れから、どうやって──」
『ヒナがね、助けてあげたの。二人とも。気を失ってたから』
ヒナがにっこり笑って手話を送る。
そうだったのか。ホッとするマコトに、ヒナが続ける。
『あの人形たち。ビスクっていうの。ヒナは、昔からそう呼んでた』
『待て、なんでそれを知っている?』
「マコト? なあに? どうしましたか?」
『何も聞こえない』アイが許婚に尋ねる。
「あ……いや。どうやらあの人形はビスクと言うらしい」
「……そう。ビスク……ね。わかりましたわ」
ふうとため息ひとつ吐いて、アイは枕元から立ち上がった。
そして、振り返りながらこう付け加えた。
「いい? 貴方にはあたくしが必要なのです。いい加減おわかりになって? ね? お願い」
そう言うと、部屋を後にした。
完璧な姿勢で歩くその後ろ姿は、もうそれだけで絵になるほどだ。
……許婚を破棄したことに、後悔はない。
そのはずだ。
◇
マコトは、ポケットに仕舞っていたスマホを取り出して見る。八月十二日。電波は一本も立っていない。
マコトの彼女の女の子が、マコトの許婚の言葉をなぞってきた。
『貴方にはあたくしが必要なのです』
『……すまない』
『いい加減おわかりになって?』
『ごめんって』
ヒナは基本大人しい子だけれど。
妊娠することと、あとなぜか西洞院アイについてだけ、『ぷっつん』しやすくなる傾向があるから気をつけなくてはならない。
『あのさあ』
こういう時のヒナには話題を変えるに尽きる。
『どうして、人形のことをビスクという?』
『ビスクというのはフランス語で二度焼きを意味してるの。素焼きの磁器を二回焼くから……』
『いやいや、そうではなくて。なぜヒナがそんなことを知っている?』
にい。
あ。嫌な予感がする。
ヒナが何か企んでいるとき、大抵こういう風に笑うのだ。
『知りたい?』
知りたくない気もするが。
こくこく。言われるがまま黙って頷くと。
◇
「いやー、ひどい雪だった」
「ほんと、寒くてモエ死んじゃうー」
オカルトサークルの一行が、菊の間に向かってどやどやと入ってきた。
タクミに。マサルに。アカネに。カナエに。ケンに。モエに。
みんな、みんな死んでしまっているはずだ。
「おう、九条? 貧血は大丈夫か!」
がはは、と笑いながら、最年長のおっさんがマコトの肩をバンバン叩く。
「あ、ああ。もう大丈夫……です」
マコトは、左隣にずっと座ってくれている恋人に手話をこっそりと送る。
『ヒナ』
『なあに?』
『やっぱり俺たちとアイ以外は全員……』
『うん、ビスクだね』
「いったいなんの騒ぎですの」
にぎやかな声を聞きつけて、アイも戻ってきた。
「アイ様、何処へ行かれてらっしゃったんですか。急に居なくなって、心配しました!」
カナエが聞いてくる。
もうとうに居ないはずのヒト達を見て、彼女の表情も固まる。
『ビスク達はね、気付いていないの。自分たちが人形にされたことに。だから、昼間の間は繰り返し続けているの。生きていたときのことを、ずっと』
にこやかに談笑するオカルトサークルの部員たちを前にして、ヒナはマコトにそう告げた。
定まらない視点の中、ヒナが懸命に手話で伝えてくれている。目を開けて初めて見た景色がそれだった。
外の『夜』は終わったらしく、窓からは軟かい朝日──もしかしたら夕日かもしれない──が差し込んでいる。
「マコト? 気が付きましたか。大丈夫ですの?」
布団を挟んで反対側に、アイも座ってくれている。ヒナと同じように心配そうに、こちらを覗き込んでいる。お気に入りの黒のワンピースは胸の開いたデザインだ。谷間に目がいってしまうので、いちいち目のやり場に困る。
そんなことには全く気が付かない西洞院家の子女は、艶のある長い髪を肩から垂らして、流し目でこちらを見つめる。
「大丈夫ですわ、貴方にはあたくしが付いているのだから」
『ヒナも一緒だよ』
「ああ、二人とも、ありがとう」
アイの目が、優しい目から訝しむようにこちらを見る目に変わったことに、気がついた。
「マコト。まだ具合がよくありませんね?」
「なんで……」
そればかり聞くのだろう。だが、それよりも気になることがある。
「……どうして、俺たち、助かったんだろう? アイ、覚えているか?」
「それが分からないのですわ。あの殺人人形の群れから、どうやって──」
『ヒナがね、助けてあげたの。二人とも。気を失ってたから』
ヒナがにっこり笑って手話を送る。
そうだったのか。ホッとするマコトに、ヒナが続ける。
『あの人形たち。ビスクっていうの。ヒナは、昔からそう呼んでた』
『待て、なんでそれを知っている?』
「マコト? なあに? どうしましたか?」
『何も聞こえない』アイが許婚に尋ねる。
「あ……いや。どうやらあの人形はビスクと言うらしい」
「……そう。ビスク……ね。わかりましたわ」
ふうとため息ひとつ吐いて、アイは枕元から立ち上がった。
そして、振り返りながらこう付け加えた。
「いい? 貴方にはあたくしが必要なのです。いい加減おわかりになって? ね? お願い」
そう言うと、部屋を後にした。
完璧な姿勢で歩くその後ろ姿は、もうそれだけで絵になるほどだ。
……許婚を破棄したことに、後悔はない。
そのはずだ。
◇
マコトは、ポケットに仕舞っていたスマホを取り出して見る。八月十二日。電波は一本も立っていない。
マコトの彼女の女の子が、マコトの許婚の言葉をなぞってきた。
『貴方にはあたくしが必要なのです』
『……すまない』
『いい加減おわかりになって?』
『ごめんって』
ヒナは基本大人しい子だけれど。
妊娠することと、あとなぜか西洞院アイについてだけ、『ぷっつん』しやすくなる傾向があるから気をつけなくてはならない。
『あのさあ』
こういう時のヒナには話題を変えるに尽きる。
『どうして、人形のことをビスクという?』
『ビスクというのはフランス語で二度焼きを意味してるの。素焼きの磁器を二回焼くから……』
『いやいや、そうではなくて。なぜヒナがそんなことを知っている?』
にい。
あ。嫌な予感がする。
ヒナが何か企んでいるとき、大抵こういう風に笑うのだ。
『知りたい?』
知りたくない気もするが。
こくこく。言われるがまま黙って頷くと。
◇
「いやー、ひどい雪だった」
「ほんと、寒くてモエ死んじゃうー」
オカルトサークルの一行が、菊の間に向かってどやどやと入ってきた。
タクミに。マサルに。アカネに。カナエに。ケンに。モエに。
みんな、みんな死んでしまっているはずだ。
「おう、九条? 貧血は大丈夫か!」
がはは、と笑いながら、最年長のおっさんがマコトの肩をバンバン叩く。
「あ、ああ。もう大丈夫……です」
マコトは、左隣にずっと座ってくれている恋人に手話をこっそりと送る。
『ヒナ』
『なあに?』
『やっぱり俺たちとアイ以外は全員……』
『うん、ビスクだね』
「いったいなんの騒ぎですの」
にぎやかな声を聞きつけて、アイも戻ってきた。
「アイ様、何処へ行かれてらっしゃったんですか。急に居なくなって、心配しました!」
カナエが聞いてくる。
もうとうに居ないはずのヒト達を見て、彼女の表情も固まる。
『ビスク達はね、気付いていないの。自分たちが人形にされたことに。だから、昼間の間は繰り返し続けているの。生きていたときのことを、ずっと』
にこやかに談笑するオカルトサークルの部員たちを前にして、ヒナはマコトにそう告げた。
11
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百物語 厄災
嵐山ノキ
ホラー
怪談の百物語です。一話一話は長くありませんのでお好きなときにお読みください。渾身の仕掛けも盛り込んでおり、最後まで読むと驚くべき何かが提示されます。
小説家になろう、エブリスタにも投稿しています。
(ほぼ)1分で読める怖い話
涼宮さん
ホラー
ほぼ1分で読める怖い話!
【ホラー・ミステリーでTOP10入りありがとうございます!】
1分で読めないのもあるけどね
主人公はそれぞれ別という設定です
フィクションの話やノンフィクションの話も…。
サクサク読めて楽しい!(矛盾してる)
⚠︎この物語で出てくる場所は実在する場所とは全く関係御座いません
⚠︎他の人の作品と酷似している場合はお知らせください
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる