ママが呼んでいる

杏樹まじゅ

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【第六章.二人の女の書】

【二十七節.ビスク】

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『大丈夫? マコトくん』

 定まらない視点の中、ヒナが懸命に手話で伝えてくれている。目を開けて初めて見た景色がそれだった。
 外の『夜』は終わったらしく、窓からは軟かい朝日──もしかしたら夕日かもしれない──が差し込んでいる。

「マコト? 気が付きましたか。大丈夫ですの?」

 布団を挟んで反対側に、アイも座ってくれている。ヒナと同じように心配そうに、こちらを覗き込んでいる。お気に入りの黒のワンピースは胸の開いたデザインだ。谷間に目がいってしまうので、いちいち目のやり場に困る。
 そんなことには全く気が付かない西洞院家の子女は、艶のある長い髪を肩から垂らして、流し目でこちらを見つめる。

「大丈夫ですわ、貴方にはあたくしが付いているのだから」
『ヒナも一緒だよ』
「ああ、二人とも、ありがとう」

 アイの目が、優しい目から訝しむようにこちらを見る目に変わったことに、気がついた。

「マコト。まだ具合がよくありませんね?」
「なんで……」

 そればかり聞くのだろう。だが、それよりも気になることがある。

「……どうして、俺たち、助かったんだろう? アイ、覚えているか?」
「それが分からないのですわ。あの殺人人形の群れから、どうやって──」
『ヒナがね、助けてあげたの。二人とも。気を失ってたから』

 ヒナがにっこり笑って手話を送る。
 そうだったのか。ホッとするマコトに、ヒナが続ける。

『あの人形たち。ビスクっていうの。ヒナは、昔からそう呼んでた』
『待て、なんでそれを知っている?』
「マコト? なあに? どうしましたか?」

『何も聞こえない』アイが許婚に尋ねる。

「あ……いや。どうやらあの人形はビスクと言うらしい」
「……そう。ビスク……ね。わかりましたわ」

 ふうとため息ひとつ吐いて、アイは枕元から立ち上がった。
 そして、振り返りながらこう付け加えた。

「いい? 貴方にはあたくしが必要なのです。いい加減おわかりになって? ね? お願い」

 そう言うと、部屋を後にした。
 完璧な姿勢で歩くその後ろ姿は、もうそれだけで絵になるほどだ。

 ……許婚を破棄したことに、後悔はない。
 そのはずだ。



 マコトは、ポケットに仕舞っていたスマホを取り出して見る。八月十二日。電波は一本も立っていない。
 マコトの彼女の女の子が、マコトの許婚の言葉をなぞってきた。

『貴方にはあたくしが必要なのです』
『……すまない』
『いい加減おわかりになって?』
『ごめんって』

 ヒナは基本大人しい子だけれど。
 妊娠することと、あとなぜか西洞院アイについてだけ、『ぷっつん』しやすくなる傾向があるから気をつけなくてはならない。

『あのさあ』

 こういう時のヒナには話題を変えるに尽きる。

『どうして、人形のことをビスクという?』
『ビスクというのはフランス語で二度焼きを意味してるの。素焼きの磁器を二回焼くから……』
『いやいや、そうではなくて。なぜヒナがそんなことを知っている?』

 にい。
 あ。嫌な予感がする。
 ヒナが何か企んでいるとき、大抵こういう風に笑うのだ。

『知りたい?』

 知りたくない気もするが。
 こくこく。言われるがまま黙って頷くと。



「いやー、ひどい雪だった」
「ほんと、寒くてモエ死んじゃうー」

 オカルトサークルの一行が、菊の間に向かってどやどやと入ってきた。
 タクミに。マサルに。アカネに。カナエに。ケンに。モエに。
 みんな、みんな死んでしまっているはずだ。

「おう、九条? 貧血は大丈夫か!」

 がはは、と笑いながら、最年長のおっさんがマコトの肩をバンバン叩く。

「あ、ああ。もう大丈夫……です」

 マコトは、左隣にずっと座ってくれている恋人に手話をこっそりと送る。

『ヒナ』
『なあに?』
『やっぱり俺たちとアイ以外は全員……』
『うん、ビスクだね』
「いったいなんの騒ぎですの」

 にぎやかな声を聞きつけて、アイも戻ってきた。

「アイ様、何処へ行かれてらっしゃったんですか。急に居なくなって、心配しました!」

 カナエが聞いてくる。
 もうとうに居ないはずのヒト達を見て、彼女の表情も固まる。

『ビスク達はね、気付いていないの。自分たちが人形にされたことに。だから、昼間の間は繰り返し続けているの。生きていたときのことを、ずっと』

 にこやかに談笑するオカルトサークルの部員たちを前にして、ヒナはマコトにそう告げた。
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