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辺境異聞 22 竜を目指して
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岩と岩の間のわずかな亀裂に指を食い込ませる。
全身を引き上げ、次の足場に足を置く。
切り立った崖が遥か上に続き、見上げれば手前に反り返っているかのような錯覚におちいるほどだ。
峻烈な岩山の頂を目指して鬼一法眼が壁虎功を駆使して崖を登っていた。
道具はなにひとつ使っていない。肉体の持つ力と技のみで登攀している。
壁虎功とは、そのような技だ。
この技の要訣は四肢の筋力ではなく、眼力だ。
指をかける凹凸部分に自分の重みを支えられるか、それを一瞬で見極める力が大事なのだ。
壁面を文字通り壁虎のように素早く駆け上がる。
幼少の頃より第十四代目・鬼一法眼を襲名するため滝に打たれ、山々を駆ける修験道の山岳修行をしてきたからこそできる芸当であった。
瘤のように突き出た大岩の上に登りきり、一息つく。
「まるで『X‐ミッション』だな」
CGなしで危険なアクションを繰り広げるエクストリーム映画の題名をつぶやいて崖を見下ろすと、下から見上げたときよりも遥かに高く感じた。眼下には緑豊かな山々が連なり、渓谷や山上湖がその間隙を埋めている。
空を飛ぶ乗矯術を使えばもっと楽に山頂へ登ることができるだろう。だが、これからすることを思うとそのような気持ちにはならなかった。
平安時代。寺社に参拝する貴族が騎馬や牛車ではなく徒歩を選んだように、身ひとつでおもむきたいのだ。
相手に対する敬意を込めて。
「竜を退治しろ、だと」
「そうだ。おまえが行って退治してこい」
「…………」
「考えてみれば私のこの格好で山登りはしんどいしな、その点おまえは野遊びは得意そうだ」
「…………」
「どうした? 行かないのか?」
怖いのか。とは訊かない。
ウィリデは目の前の男が、鬼一法眼がドラゴンよりも弱いとも臆しているとも思ってはいない。
こいつの実力ならば齢千年を経た老竜であっても倒せるだろ。
純粋にそう考えている。
「いやな、あの姿を見た後ではどうもな」
竜は魔獣にして神獣。
その姿は雄々しく猛々しく、優美で、禍々しくも神々しい。
神聖にして邪悪な存在。
「東洋の竜ではないが、西洋の竜もやはり侵しがたい気品のようなものがある。あれを狩るのは、正直気が引ける」
鬼一がもといた世界にも竜は実在した。
仏教の八大竜王や道教の四海竜王といった主として水を司る高位の霊的存在たち。
竜神や竜王と称される、それよりかは格が下がる悪竜の類を退治したこともある。
竜とはいえ霊的特殊生物災害の一種にすぎない。
すぎないのだが――。
「竜は古神だという説がある。今現在人々か信仰しているどの神々よりも、もっと古い時代からこの世に君臨した存在だと。だが、だからなんだ。それがどうした。現実問題として人間に仇なす存在を放ってはおけまい。自然崇拝者たちだって里に下りてきた熊や狼は駆逐するぞ」
「…………」
「この世はしょせん弱肉強食。強ければ生き、弱ければ死ぬ。それが自然の摂理だ。神だけが特別じゃない、人だけが特別じゃない。人も神もおなじ自然という円環のなかの存在にすぎない。人も神も、同等なんだ。なんで私らが連中に遠慮する必要がある。神だろうがなんだろうが、バカにはバカと言ってやれ、殴られたら殴り返せ!」
「…………」
「納得できないか?」
「いいや、とっくの昔に納得済みさ」
鬼一のいた『日本』では呪術を習得するにあたり『宗教(信仰心)の排除』が徹底されていた。
特定の思想や信仰に染まらないからこそ陰陽師は神道の祝詞も密教の真言も道教の呪文も唱え、その力を発揮することができた。
全知全能の、創造主としての神など、いない。
いても、たいした存在ではない。
人が勝てる、あらがえる。その程度のものだと。
信仰の否定。
これこそもっとも強大な呪だ。
だがこれ自体もまた一種の信仰といえた。
どう転んでも人は信仰からは逃れられない。
信じるものがなくては、人は強くなれない。
「人も神も鬼も竜もおなじ――俺のやり方で、やらせてもらおう」
「好きにしろ」
そういうことになって、鬼一は今ここにいる。
「……竜を倒せぬのなら友に、なんて英雄もいたな。あれは確か――」
鬼一がこの世界で見聞きした事柄の記憶を探り、古の英雄譚のひとつを思い起こす。
「竜に勝るというのは竜と戦い、勝つことではない。竜殺しの英雄ならば竜など必要としない。人は竜になれないし、竜は人になれない。人にあって竜にないものを示せ」
最初の竜騎士リシャールが後進達に送った言葉。
それは天地が創られる頃から存在していた。
それの吐く灼熱の息は山をも溶かし、凍てつく息は海をも凍らせた。
それの牙は岩を泥のように穿ち、それの爪は鉄を紙のように切り裂いた。
いかなる鳥よりも高く速く空を飛び、いかなる魚よりも深く速く海を進むことができた。
神々と起源を同じくするもっとも古き竜。
古竜は己の眷属が人のような国を作り、そこに王として迎えたいというのをよしとせず絶海の孤島に住み原始の暮らしを謳歌していた。
起きたければ夜も起き、寝たければ昼も眠り、腹が減れば獣を狩り、勝手気ままに海を揺蕩い空を飛ぶ。
自由であった。
その男が来るまでは。
その男は古竜に呼びかけた。
「おまえの力を借りたい」
「人の子風情が不遜なり」
「おまえの力を借りたい。その代わり、おまえに与えられるものがある」
「人の子よ、定命の者よ。おまえが我に何を与えられるというのか」
金銀財宝や美男美女。古き竜の眷属達の中にはそのようなものに人と同じく価値を見い出し、蓄えるものもいたが古き竜にはまったく興味がなかった。
「名前を与えられる」
「なんだと……」
これはまったく予想外の答えであった。
親などいない〝最初の存在〟である古竜には名前などなかったからだ。
「そして目的だ。おまえを自由という枷から解き放ち、倒すべき相手を、戦う相手を与える」
「我が名は何という」
「光輝」
「戦う相手は」
「魔王ヘルヴスト=ケストリッツァー」
古竜は、セイリオスは喜びの咆哮をあげてリシャールの誘いに応じた――。
全身を引き上げ、次の足場に足を置く。
切り立った崖が遥か上に続き、見上げれば手前に反り返っているかのような錯覚におちいるほどだ。
峻烈な岩山の頂を目指して鬼一法眼が壁虎功を駆使して崖を登っていた。
道具はなにひとつ使っていない。肉体の持つ力と技のみで登攀している。
壁虎功とは、そのような技だ。
この技の要訣は四肢の筋力ではなく、眼力だ。
指をかける凹凸部分に自分の重みを支えられるか、それを一瞬で見極める力が大事なのだ。
壁面を文字通り壁虎のように素早く駆け上がる。
幼少の頃より第十四代目・鬼一法眼を襲名するため滝に打たれ、山々を駆ける修験道の山岳修行をしてきたからこそできる芸当であった。
瘤のように突き出た大岩の上に登りきり、一息つく。
「まるで『X‐ミッション』だな」
CGなしで危険なアクションを繰り広げるエクストリーム映画の題名をつぶやいて崖を見下ろすと、下から見上げたときよりも遥かに高く感じた。眼下には緑豊かな山々が連なり、渓谷や山上湖がその間隙を埋めている。
空を飛ぶ乗矯術を使えばもっと楽に山頂へ登ることができるだろう。だが、これからすることを思うとそのような気持ちにはならなかった。
平安時代。寺社に参拝する貴族が騎馬や牛車ではなく徒歩を選んだように、身ひとつでおもむきたいのだ。
相手に対する敬意を込めて。
「竜を退治しろ、だと」
「そうだ。おまえが行って退治してこい」
「…………」
「考えてみれば私のこの格好で山登りはしんどいしな、その点おまえは野遊びは得意そうだ」
「…………」
「どうした? 行かないのか?」
怖いのか。とは訊かない。
ウィリデは目の前の男が、鬼一法眼がドラゴンよりも弱いとも臆しているとも思ってはいない。
こいつの実力ならば齢千年を経た老竜であっても倒せるだろ。
純粋にそう考えている。
「いやな、あの姿を見た後ではどうもな」
竜は魔獣にして神獣。
その姿は雄々しく猛々しく、優美で、禍々しくも神々しい。
神聖にして邪悪な存在。
「東洋の竜ではないが、西洋の竜もやはり侵しがたい気品のようなものがある。あれを狩るのは、正直気が引ける」
鬼一がもといた世界にも竜は実在した。
仏教の八大竜王や道教の四海竜王といった主として水を司る高位の霊的存在たち。
竜神や竜王と称される、それよりかは格が下がる悪竜の類を退治したこともある。
竜とはいえ霊的特殊生物災害の一種にすぎない。
すぎないのだが――。
「竜は古神だという説がある。今現在人々か信仰しているどの神々よりも、もっと古い時代からこの世に君臨した存在だと。だが、だからなんだ。それがどうした。現実問題として人間に仇なす存在を放ってはおけまい。自然崇拝者たちだって里に下りてきた熊や狼は駆逐するぞ」
「…………」
「この世はしょせん弱肉強食。強ければ生き、弱ければ死ぬ。それが自然の摂理だ。神だけが特別じゃない、人だけが特別じゃない。人も神もおなじ自然という円環のなかの存在にすぎない。人も神も、同等なんだ。なんで私らが連中に遠慮する必要がある。神だろうがなんだろうが、バカにはバカと言ってやれ、殴られたら殴り返せ!」
「…………」
「納得できないか?」
「いいや、とっくの昔に納得済みさ」
鬼一のいた『日本』では呪術を習得するにあたり『宗教(信仰心)の排除』が徹底されていた。
特定の思想や信仰に染まらないからこそ陰陽師は神道の祝詞も密教の真言も道教の呪文も唱え、その力を発揮することができた。
全知全能の、創造主としての神など、いない。
いても、たいした存在ではない。
人が勝てる、あらがえる。その程度のものだと。
信仰の否定。
これこそもっとも強大な呪だ。
だがこれ自体もまた一種の信仰といえた。
どう転んでも人は信仰からは逃れられない。
信じるものがなくては、人は強くなれない。
「人も神も鬼も竜もおなじ――俺のやり方で、やらせてもらおう」
「好きにしろ」
そういうことになって、鬼一は今ここにいる。
「……竜を倒せぬのなら友に、なんて英雄もいたな。あれは確か――」
鬼一がこの世界で見聞きした事柄の記憶を探り、古の英雄譚のひとつを思い起こす。
「竜に勝るというのは竜と戦い、勝つことではない。竜殺しの英雄ならば竜など必要としない。人は竜になれないし、竜は人になれない。人にあって竜にないものを示せ」
最初の竜騎士リシャールが後進達に送った言葉。
それは天地が創られる頃から存在していた。
それの吐く灼熱の息は山をも溶かし、凍てつく息は海をも凍らせた。
それの牙は岩を泥のように穿ち、それの爪は鉄を紙のように切り裂いた。
いかなる鳥よりも高く速く空を飛び、いかなる魚よりも深く速く海を進むことができた。
神々と起源を同じくするもっとも古き竜。
古竜は己の眷属が人のような国を作り、そこに王として迎えたいというのをよしとせず絶海の孤島に住み原始の暮らしを謳歌していた。
起きたければ夜も起き、寝たければ昼も眠り、腹が減れば獣を狩り、勝手気ままに海を揺蕩い空を飛ぶ。
自由であった。
その男が来るまでは。
その男は古竜に呼びかけた。
「おまえの力を借りたい」
「人の子風情が不遜なり」
「おまえの力を借りたい。その代わり、おまえに与えられるものがある」
「人の子よ、定命の者よ。おまえが我に何を与えられるというのか」
金銀財宝や美男美女。古き竜の眷属達の中にはそのようなものに人と同じく価値を見い出し、蓄えるものもいたが古き竜にはまったく興味がなかった。
「名前を与えられる」
「なんだと……」
これはまったく予想外の答えであった。
親などいない〝最初の存在〟である古竜には名前などなかったからだ。
「そして目的だ。おまえを自由という枷から解き放ち、倒すべき相手を、戦う相手を与える」
「我が名は何という」
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