可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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九章 奏歌くんとの九年目

8.謎の肉の正体と髪の毛問題

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 奏歌くんの中学二年生の夏休みが終わろうとしていた。
 稽古が終わってマンションに帰って、私は奏歌くんに真尋さんの作ったお弁当の写真を見せていた。携帯電話で撮らせてもらったのだが、疑問点があったのだ。
 四角のハムのような柔らかな食感のものはなんだったのだろう。
 写真を見せると奏歌くんはじっくりとそれを検分した。

「スパムじゃないかな」
「スパム?」
「うん、缶詰のソーセージみたいなものだよ」

 ソーセージは普通は腸詰めにするのだが、スパムは缶詰にしていると奏歌くんは教えてくれる。

「豚肉のランチョンミートを缶詰にして、元々はアメリカ軍のレーション用に作られたんじゃなかったっけ?」
「レーションって何?」
「軍隊のひとたちが食べる携帯食だよ」

 私は全く知らなかったが、スパムという缶詰のソーセージのようなものがあって、それを真尋さんは使ったというのだ。説明されると何を食べているのか分からなかった不安が消えていく。

「真尋さんが作ったものだから信じていいとは思ってたんだけど、何を食べているか分からないのはやっぱり不安だわ」
「そうだよね。海瑠さんには僕がいないとね」

 可愛い笑顔で言う奏歌くんに私は激しく頷く。

「奏歌くんのお弁当が一番だし、奏歌くんが傍にいてくれることが一番嬉しいの。奏歌くんが血が必要になってるって聞いて、私、同棲を考えちゃったくらいなんだよ」
「え!? 同棲!?」

 色素の薄い奏歌くんの顔が真っ赤になる。
 正直に言ってしまったが私は奏歌くんと過ごす時間が少しでも長ければいいと考えずにはいられなかった。最近は泊まりに来ることもなくなったので、奏歌くんは夜には帰ってしまう。今は夏休みだが中学校があって忙しい中でも毎日のように来てくれるのは嬉しいが、奏歌くんを帰したくないという私の気持ちも確かにあった。

「ど、同棲は、早いと思うんだ」
「うん、分かってる」
「僕が高校を卒業して、海瑠さんが男役トップスターを辞めるときじゃないと、僕は海瑠さんとは同棲できないよ」

 同棲するとなると真尋さんとデートに行ったと騒がれたくらいではなく、ものすごく大きなスキャンダルになることは間違いない。気軽に決断していいものではなかった。

「後四年と少しだよ」
「私はそれまでは劇団で頑張らないと」

 こんなに長く男役トップスターを務める役者も初めてかもしれないが、百合が既に女役トップスターとしての記録を毎年更新しているので、私など霞んでしまいそうだった。
 百合が頑張ってくれているからこそ、私は劇団でやっていける。そのことだけは確かだ。

「真尋兄さんもお料理上手なんだ」
「百合も美鳥さんも真月さんもすごく喜んでたよ。美味しいって言ってた」

 私も美味しいと思わなかったわけではない。

「私は、申し訳ないけど、ちょっと物足りなかった」
「少なかったのかな?」
「ううん、奏歌くんのお弁当の味を思い出して」

 他のものを食べているときのように味が分からないようなことはなかったけれど、奏歌くんのお弁当ではないと思うだけで私には味気なかった。奏歌くんの作る甘みのないだし巻き卵や、ちょっと優しい味の塩味の唐揚げ、酸っぱさが柔らかいアジの南蛮漬け、焼いた鮭ですら全く違う気がしたのだ。

「一番違ったのはおにぎり。奏歌くんのおにぎりが食べたくなった」

 真尋さんのお弁当に対して失礼だと思うが味気なく感じたのを話した私に、奏歌くんはにこにこ聞いていた。

「真尋兄さんには悪いけど、ちょっと嬉しいな。海瑠さん、今日の晩ご飯はおにぎりを作る?」
「嬉しい! 食べたかったんだ、奏歌くんのおにぎり」

 炊き立てのご飯をラップに乗せて、中に入れるものがなくても海苔で包んでしまえばそれだけで美味しい。おにぎりとレバーの竜田揚げと温野菜のサラダとお味噌汁の晩ご飯を私は頂いた。

「海瑠さんの血を頻繁に貰うことになるから、貧血予防をしないとね」
「このレバーの竜田揚げ美味しい」
「牛乳で血抜きをしたんだよ」

 サクサクの衣で揚げられたレバーの竜田揚げは中は柔らかくてとても美味しかった。おにぎりをもう一個作ってもらって、お味噌汁もお代わりをして晩ご飯を食べる。
 食後の歯磨きを終えてから、奏歌くんはソファに座った私の前に立った。

「海瑠さん、血を貰うね」
「どうぞ」

 目を閉じていると奏歌くんの唇が私の首筋に触れる。ちくりと僅かな痛みが走って、その後は恍惚とするような感覚が私を包み込んで、目を開けたときには奏歌くんは唇に付いた血を舌で舐め取っていた。その光景が妙にセクシーに見えるのは私だけだろうか。
 ずっと傍にいて可愛いと思っていた奏歌くんが、実はかっこいい男のひとになりつつあるのに気が付いて、私の頬が熱くなる。赤くなっているであろう頬を押さえていると、奏歌くんが私の首筋を指先で撫でた。

「傷は残ってないみたい。公演があるのに、首から吸ってごめんなさい」
「う、ううん。いいよ、構わない」

 奏歌くんに首から血を吸われると気持ちいいなんてことを口に出せるわけがないが、吸血鬼にとって首から血を吸うのは求愛行動に繋がるのだとやっちゃんから聞いたことがあって、私はそれを思い出してますます顔が熱くなって頬から手が外せなかった。

「秋公演、楽しみにしてるね」

 日が落ちるのが早くなり始めたが、まだ明るい道を自転車で帰っていくであろう奏歌くんを、私は頬に手を当てたまま見送ったのだった。
 秋公演に向けて稽古は終盤に入っていた。
 舞台上に立っての通し稽古が多くなってきて、衣装も着るようになる。
 死の象徴の妖しい長い髪のかつらは、はっきり言って捌くのが大変だった。

「踊るときに、ここでターンをすると、後から髪の毛がばさぁって来るでしょ?」
「海瑠、それ、結構な確率で私に当たってるんだからね」
「どうすれば髪の毛がばさぁってならないの!?」

 百合と踊りながら髪の毛の捌き方を二人で研究する。百合の方は女役でスカートや髪の毛が長いのに慣れているが、私は男役なので長い髪のかつらはあまり使わない。特に死の象徴の髪は長くて毛量がものすごく多いのだ。
 動くたびに顔にかからないように、演技の妨げにならないように気を付けなければいけない。

「ポニーテールじゃダメかな?」

 佐々木小次郎を演じたときには長髪だったけれど、高く括ったいわゆるポニーテールという髪型だったので問題がなかったが、死の象徴は妖しさを搔き立てるために白に紫のメッシュの入った髪を長く垂らしているのだ。

「ポニーテールで死の象徴が来るのを想像してよ! コメディになっちゃうから!」
「ダメかぁ」

 百合に激しく突っ込まれて私は肩を落とした。
 なんとか上手に捌きたいのだが、顔が隠れて演出家の先生に注意されたり、踊っているときに思い切り百合の顔を髪で叩いてしまって百合の動きがおかしくなってしまったりする。

「海瑠さんは猛特訓ですね」

 演出家の先生に言われて私はその日から休憩時間もかつらをつけて過ごすようになった。肩くらいまで髪は伸ばして普段は縛っているのだが、腰まである髪を日常的に捌くことはない。
 お弁当を食べるときにもばさぁと落ちて来て、耳にかけるのだが、何度も落ちて来てとても食べにくかった。

「死の象徴はどうやってご飯食べてるのかな」
「海瑠、死の象徴はご飯は食べないと思うわ」
「ワインとか飲んでそうじゃない? ワイングラスをぐるんぐるん回して」
「あーありそう」

 死の象徴の私生活についてまで考える始末だった。
 稽古場に来たらかつらを付けられて、そのまま過ごすこと数日、私は遂にコツを掴んだ。

「垂れる髪の毛を自然に掻き上げる。遅れてくる髪の毛は、不自然に見えないように手で抑える」
「海瑠、今日は私に当たってないわよ!」
「練習したからね!」

 難関の死の象徴の髪の毛捌きを会得して私は秋公演に備えるのだった。
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