いつか誰かの

秋月真鳥

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いつか誰かの 1

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 肩を越す赤毛をハーフアップにして、残りを襟足が隠れるように流した男性、ジャン・ルシュールがハイスクールの同窓会でアルミロ・カペーチェと話していると、近付いて来た長身で作りのいいスーツを着た黒髪の人物に、先に気付いたのはアルミロだった。
「サムエル、久しぶりだね。会社を立ち上げたんだって?」
 声をかけられて、サムエルは目を伏せる。長い睫毛が紫がかった青い目に深い影を落とした。
「大した事業じゃないよ。……久しぶり、アーロ。あの、ジャン、僕のこと、覚えてる、かな?」
 問われてジャンは鋭くも見えるくっきりとした緑の目で、サムエルを見上げる。
「あぁ、えーっと……悪い、あまり、ハイスクール時代は記憶がなくて」
 もう10年近く前のことだからと言い訳しつつ、ジャンははっきりと嘘を吐いた。他の誰を忘れても、サムエル・カウットを忘れた、というクラスメイトはいないだろう。彼はジャン達の学年で唯一の男性のαだったのだから。

 α、それは優秀な遺伝子を持つ、生まれながらのエリートで、その出生率は極めて低いと言われている。
 β、それはいわゆる一般人。男性、女性の他にα、β、Ωの性を持つ中で、数としては一番多い。
 Ω、それは三ヶ月に一度発情期を迎えて、αを誘惑するフェロモンを出す、α同様に出生率の低い産むための性と言われている。
 αとΩはどういう原理かは分からないが、「番い」というものが存在し、その相手と交わればそれ以外の相手に発情したりすることはなくなるというのが定説である。

 サムエル・カウットはαの男性だった。そして、ジャン・ルシュールもアルミロ・カペーチェもβの男性である。
「そっか……僕は、よく覚えてる。君は……その、とても、かっこよかったから」
 恥じらいのような照れのようなものを込めて言うサムエルに、ジャンは苦笑した。どちらかといえば、ジャンはハイスクール時代に成績も良くなかったし、スポーツもできたわけではない、地味な学生だったと思う。
 ただ、ジャンは手先が器用ではあった。だから、既製品の服の手直しや編み物、そういうものを引き受けて小遣い稼ぎをしていた記憶がある。その中で、ジャンが編んだマフラーをサムエルに自分が作ったと言ってあげた人物がいたらしくて、それを他の子たちがやり玉に上げていじめの対象になっていたのに、ジャンが「誰が作ったっていいだろうが!そういうのは、贈りたいって気持ちが大事だろう!」と怒鳴ったのも憶えている。
 そのときに、サムエルから声をかけられたが、ジャンは特に返事をしなかった。
「はっ?あんたにかっこいいと言われるとは、皮肉にしか聞こえないな。悪い、アーロと話してるんだ」
「ジャン、サムエルが一緒でもいいだろ?」
 アルミロの目には明らかにサムエルを狙う色があったので、ジャンは肩を竦める。
「じゃあ、お二人で楽しく話してるといい」
 軽く両手を上げて別の場所に移ろうとするジャンの手首を、サムエルの手が掴んだ。それは決して強い拘束ではなかったが、掴んだサムエルの方が驚いている顔をしている。
「僕は、君と、話したい」
「それって、俺を口説いてる?」
 意地悪く口を斜めにするジャンに、サムエルは眼元を赤く染めた。
「そのつもり」
 消えそうな声で小さく答えたサムエルに、ジャンはゆっくりと問いかける。
「あんた、α、β、Ω?」
 性に関しての問題はひどく個人的でデリケートであるが、あえて土足で踏み入るジャンに、サムエルは戸惑ったように鮮やかな青い目を瞬かせた。それでも、αという威厳があったのだろう、しっかりと答える。
「αだよ」
「そう。俺は、β以外の相手とは付き合わない主義なの。ごめんね」
 謝りながらも、赤い舌を出したジャンに、サムエルは目を伏せてしまった。

 ジャン・ルシュールはサムエル・カウットを覚えている。
 絶対に忘れない。
「君は勇気があって、優しいんだね」
 穏やかに言った言葉。それはジャンへの好意を込めて発せられたように思われた。
 けれど、数日後に誘われたのか、サムエルが発情期のΩと空き教室で抱き合っているのをジャンは見た。
 αはΩの発情期に発するフェロモンには抗えない。そして、αと番いになれるのは、Ωだけ。

「いつか誰かのものになる相手となんて、不毛だろ」
 ひらひらと手を振って、ジャンはその場を辞した。


 ジャン・ルシュールの仕事はテーラーでオーダーのスーツを作ることだった。そのうちに独立して自分のデザインのスーツを作りたいとは思っていたが、今はまだ修行中の身である。オーナーのテオドルス・ベンニンクが連れてくる客のサイズを測って、その体を一番美しく見せるスーツを作るのが、ジャンの目標だった。
「ジャン、ご指名だ」
 テオドルスに声をかけられて、自分の作った細身のスーツのジャケットを脱いで、ベスト姿になったジャンは、困ったような表情で近付いてくる黒髪に紫がかった青い目の男性、サムエルの姿にこの仕事に就いてから一番といえるほどの美しい営業スマイルを浮かべた。
「いらっしゃいませ、サムエル・カウット様。上着、ベスト、シャツ、パンツ、どれを御誂え致しましょうか?」
「あ、あの」
「夜会用のものをお求めですか?」
 完全な営業口調と笑顔のジャンに、サムエルは戸惑っている。それを気にせずに、ジャンは黒髪に特徴的な紫がかった青い目に合いそうな、黒地に紫のストライプの入った生地などを出して見せた。
「カウット様には、こちらなどお似合いかもしれません」
「ありがとう……君が選んでくれるなら、それにしようかな」
 目を伏せて、僅かに白い頬を赤らめている気がするサムエルを、ジャンは構わずに鏡のある個室に招く。上着を預かって、メジャーでサイズを測っていく。背丈もジャンよりもかなり高いが、胸板も腰回りもがっしりとしていて逞しいのが分かる。するりと抱き付くように腕が回るのに、サムエルはどこか居心地が悪そうだった。
「ジャン、僕、君の腕がとてもいいと聞いてね」
「それは光栄です」
「一揃えくらい、オーダーのスーツを持っていてもいいんじゃないかって」
「そうですね。カウット様のような紳士でしたら、オーダーのものをお持ちになるのもよろしいでしょう」
 穏やかとも言える笑顔を浮かべて、決められた通りに答えるジャンに、サムエルの表情が憂いを帯びる。
「仕事が終わったら、一緒に食事でもどうかな?」
 おずおずと発せられた誘いに、ジャンは極上の笑顔を浮かべた。
「申し訳ありませんが、お客様との店外での個人的な付き合いは禁じられておりますので、ご容赦ください」
 どこまでも他人行儀な物言いに、サムエルは明らかに傷付いた表情をする。そんな表情をすれば、その地位に、その美しい姿に、そのほっとけない様子に、たくさんの男女が引っかかるのだろう。
 しかし、ジャンはそんなものに引っかかるつもりは到底なかった。
「君と、話したい」
「生地やデザインの打ち合わせをしましょうね。中に着られるシャツも一枚誂えましょう」
「そうじゃなくて」
 ぐっとなにかを堪えるように声を上げたサムエルに、ジャンはゆるりと首を傾げる。
「なにか?」
「君は……男性に興味のないタイプだと思ってた。でも、アーロと、付き合ってたって聞いて」
「男女問わず、αとΩに興味がないだけです。冷やかしに来ただけなら、帰っていただけますか?」
 笑顔の下で、いっそ冷ややかなジャンの言葉に、サムエルはため息を付いた。
「αとか、Ωとか、そういうのは、生まれたときから決まってて、自分で決められないことでしょう。そういうので、差別をされると、傷付くよ」
「では、離れればいいだけの話でしょう」
 これ以上脱線するなら、この仕事はなかったことにしようとするジャンに、サムエルは自分よりも細いジャンの手首を掴む。
「これから先、ずっと、君のスーツしか着ないと、言ったら?」
「お金で買われるほど安くないですよ」
「ごめん……」
 謝って黙り込んだサムエルの採寸を、ジャンは手際よく続けた。
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