転ぶだけでいいの

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「貴方は転ぶだけでいいの」

 何言っとんじゃコイツ、と思ってしまった自分は悪くない、と男爵令嬢ミカエラ・フランクは内心で自己弁護した。


 そもそもの発端は、公爵令嬢リディア・シュトローマに手紙で呼び出されたことだ。何の飾りもないシンプルな封筒の中に入っていた紙に書かれていたのはシンプルなものだった。
 
『放課後、裏庭のガゼボでお待ちしています。リディア・シュトローマ』

 リディアはただの公爵令嬢ではない。この国の第一王子ハインツ・エンメリックの婚約者でもある。
 接点といえば同学年であることだけ。姿をお見かけすることはあったが、話したことはない。というか、上位貴族に下位貴族如きがおいそれと声をかけて許される筈がない。
 一体何の用事が? 知らない内に何か失礼なことをしでかしただろうか? とミカエラはびくびくしながらガゼボへと向かった。
「……お待たせしてしまい申し訳ありません、リディア様」
 先に座っていたリディアにそう謝ると、彼女は微笑んだ。黒く艶やかな髪に、切れ長の赤い瞳はルビーのような静かな輝きを放っている。同性から見ても見惚れてしまう程のその美貌に、ミカエラは内心で感嘆の溜息を吐いた。
「いえ、お呼びしたのはこちらですから。さあ、お座りになって」
 向かい側の椅子を指され、ミカエラは「失礼します」と断ってから、静かに腰をかけた。
「早速本題に入らせてもらうわね」
「はい」
 本当に何だろうか、と少々緊張しながら返事をすれば、リディアは笑んだまま口を開いた。
「あなた、ハインツ様のことをどう思っていますの?」
 予想もしなかった質問にミカエラは目を見開く。
(なに? どう答えるのが正解なの、これ?)
 月光を織り上げたように輝くプラチナブロンドに澄んだ湖のような青い瞳。さらには文武両道で慈善事業にも力を入れている人格者でもあり、誰もが王太子にふさわしいと太鼓判を押しているハインツ・エンメリックをどう思うかなど。
「素敵な方だと思います」
 とりあえず当たり障りのない程度に褒めておくことにした。
 それに、すう、と赤い瞳が静かに狭められる。
「あらそう。好ましく思っているということね」
「は、はい」
 肯定すれば、リディアは満足そうに一つ頷いた。
「それならお願いしたいことがあるのだけれど」
「何でしょうか?」
 出来ることであれば良いけれど、とミカエラが思いながら聞き返せば、リディアはにっこりと微笑んだ。

「ハインツ様の前で転んで欲しいの」

 ……
 一瞬、時間が止まったように感じられた。
「何故、そのようなことを?」
 それでも何とか恐る恐る尋ねれば、リディアは笑んだままこう言った。

「貴方は転ぶだけでいいの」

 ここでやっと話は冒頭に戻る。
 ミカエラは内心の言葉を表情に出さないよう、必死だった。
(普通に痛いし嫌なんだけど)
 ふ、と息を吐いて、口を開く。
「申し訳ありませんが……」
「もちろん、貴方にも理があることよ」
 断ろうとしたが遮られてしまった。リディアは相変わらず読めない笑みを浮かべたままだ。
「これをきっかけに、ハインツ様と親しくなれるかもしれなくてよ?」
「え……?」
 また何言っとんじゃコイツ? とリディアは内心で思った。
(いや、婚約者と他の女が親しくなるのを奨励するってなに? というかそれ以前に第一王子と男爵令嬢なんて、身分が違い過ぎて恐れ多すぎるんだけど!)
 遠くから御姿を拝見するだけで充分過ぎるんですけど! とこれまた内心で絶叫していると、リディアは何が可笑しいのかくすくすと笑った。
「ふふ、少し喋り過ぎたかしら?」
「い、いえ……、そのお願いはともかくとして、何故私にお声がけをしたのですか?」
 貴族なら必ず入学するこのシグリェン王立学園には、男爵令嬢など数多くいる。それこそ自分より裕福な家や、美人な令嬢もだ。
 そんな中、ミカエラの容姿は茶色の髪に黒い瞳と地味な色合いで、極々平凡なものだ。家だって決して裕福とはいえない。
 本当に何故?、とミカエラが困惑していると、リディアは一瞬だけ笑みを深め、こう言った。

「貴方でなければ意味がないからよ」

「……」
 押し黙るミカエラをどう思ったのか、リディアは椅子から立ち上がった。
「よろしく頼むわね」
 返事も聞かずに立ち去るリディアの後ろ姿を、ミカエラはただ黙って見送るしかなかった。


 翌日。
「きゃっ!」
「おっ……と」
 曲がり角で鉢合わせた女生徒が躓いて転んだ。
「すまない、大丈夫かな?」
 手を差し伸べると、女生徒は顔をあげて目を見開く。そしておずおずといった風に自身の手を重ね、静かに立ち上がった。
「あ、ありがとうございます。申し訳ありません、エンメリック殿下のお手を煩わせてしまい」
「気にしないで。それより、足は大丈夫かな?」
 女生徒が答えようとした、その時。
「ハインツ様、保健室へ連れて行ってあげてはいかがでしょうか?」
 リディアが心配そうな顔で、そう助言してくれた。ハインツは「それもそうだ」と頷く。
「そうだな。では、保健室まで送っていこう」
「い、いえ、その……あ、ありがとうございます」
 女生徒は少し迷う素振りを見せたが、少し頭を下げた。ハインツはその手を取ったまま、「行こうか」と促す。
「……」
 二人の後ろ姿を見送ったリディアの口元は。

 ほんの少し、歪んでいた。


 あれから数ヵ月。
 ミカエラは順調に、ハインツとの仲を育んでいるようだ。
 その仕上がりに、リディアはこっそりと嗤いを堪える。
(そう、ミカエラが動いてくれなくては何も始まらないもの)

『虐げられた男爵令嬢は、王太子殿下の溺愛に包まれる』

 リディアが『生前』好きだった小説のタイトルだ。
 あらすじは男爵令嬢が学園に入学し、王太子殿下と親交を深めていく内に溺愛され……タイトル通りのものだ。主人公である男爵家令嬢は元平民ということで周りからは虐げられるのだが、その『周り』には王太子殿下の婚約者も含まれる。その王太子殿下の婚約者というのが、『リディア・シュトローマ』だ。そして主人公の男爵令嬢は『ミカエラ・フランク』。
 自分が一度死に、所謂『悪役令嬢』というポジションに転生したと分かった時、これはむしろチャンスだ、と思った。
(これって『断罪イベント返し』ができるってことでしょ?)
 所謂『ざまぁ』ものも好んで読んでいたリディアは、こっそりとほくそ笑む。本当に出来たらスカッとするだろうけど、まさかその機会が巡ってくるなんて、と期待にぞくぞくと背筋が震えた。
 物語の中では、リディアは卒業パーティにてハインツから婚約破棄を突きつけられ、孤島にあるベチワ修道院行きを命じられるが……。
(ここは物語と違うもの。私の行動次第で幾らでも変えられる筈だわ)
 『一応』物語と現実を弁えている彼女はそう考え、ハインツとの婚約を大人しく受け入れた。整った美貌と穏やかな性格を持つハインツはまさに理想の王子様といえる……が、リディアは不満だった。
(ギャップも隙もないなんて、つまらない男ね)
 在り来たり過ぎて逆に刺さらない、というアレである。それは男性が『やっぱり女は少し馬鹿なくらいが良いよな』などという高慢な発言をしているのと同意なのだが、リディアはそれに気が付かない。
 閑話休題。
 だからこそハインツがミカエラを見初め、婚約破棄を言い出してくれなくては困るのだが、あの男爵令嬢は一向に行動を起こす様子が無かった。むしろ全く目立つこともなく、シグリェン王立学園の一生徒として平々凡々に過ごしている。
 これはいけない。
 そう思ったリディアは手紙でミカエラを呼び出し……現在へと至る。
 近頃は仲良くして『あげている』令嬢たちから「ミカエラ様と殿下の距離が近すぎませんか?」と心配されている。その度に儚げな笑みで「大丈夫ですわ」と返すのも忘れてはいない。
 そのおかげかすっかり高位貴族の令嬢から煙たがられているミカエラは、下位貴族の令嬢たちと行動を共にしているようだがそれも何時までもつか。
(まあ、『もたせる』ように手紙を送り続けているのだけれどね)
 時には宥め励まし、時には少し脅しながら。
(継続させるには飴と鞭が必要よね)
 リディアは暗い恍惚に浸り、くすくすと嗤った。

 
 それから一週間後。
「失礼いたします」
 優雅にカーテシーをしながら室内に入ると、部屋中の視線が集まった。
 突き刺さるようなそれに息が詰まるような苦しさを覚えながらも、リディアは平静を装う。
 室内には学園長、担任教師、そしてハインツとミカエラの姿があった。ハインツの傍らには、護衛騎士が控えている。その誰もが厳しい視線をリディアに容赦なく向けていた。
「座りなさい」
 教師の指示に、リディアは「はい」と頷いて椅子へと座った。
 それを合図にしたかのように、ハインツが口を開く。
「リディア、君は私との婚約を破棄したいのかい?」
 一瞬の沈黙。
 リディアは少しだけ言葉に詰まったが、平然と言い返した。
「いえ、そのようなことはありませんわ」
 その答えにハインツの目が狭められる。
「ミカエラ嬢に私と仲良くなるよう、そそのかしたのというのに?」
 かあっ、と血液が沸騰したかのように熱くなった。が、それを隠してリディアは口を開く。
「……身に覚えがありませんわ。第一、私はミカエラ様とお顔を合わせたのはこれが初めてですのよ」
 余計なことを言うなとばかりに、ぎろっ、とミカエラを睨んでやる。ミカエラはびくっ、と肩を震わせたが、気丈にもリディアを真っすぐに見据えた。
「う、嘘です。私、リディア様に呼び出されて、エンメリック殿下の前で転べって言われました」
 リディアは静かに微笑みながら口を開く。
「貴方の証言だけでは充分な証拠とはいえませんわね。の偽造など幾らでもできましてよ?」
 瞬間。
 空気が変わった。
 穏やかな笑みを浮かべ、ハインツが口を開く。
「おや、どうしてミカエラ嬢が『手紙で呼び出された』ことを知っているのかな?」
「……っ!」
 リディアは己の失言に気付いた。だがもう遅いとばかりにハインツは言葉を続ける。
「実はミカエラ嬢を保健室に連れて行った時に聞いたんだ。君に私の前で転ぶように指示をされたということを」
「……っ」
「ミカエラ嬢を睨むのはお門違いだよ。彼女の疑問も当然だ、よりにもよって『婚約者から』親しくなるよう手伝いをされるなんてどう考えてもおかしいからね」
 泣きそうな顔で言われたよ、と青い瞳が痛ましげに狭められる。

『これで済めばいいのですが、また何か行動を起こせって言われてしまうかもしれません。私だけ罰を受けるのは構いません、でも家を取り潰されてしまったら、私……』

「そこで私は頼んだんだ。『もしリディアからまた手紙が来たら報告して欲しい』とね」
 その結果がこれだよ、と小箱から手紙が取り出され、ばさりと机上に広げられた。その数は一桁では収まらない。
「『私は心から貴方のことを応援しています』『もし行動を起こさなければ、こちらとしても考えがあります』……飴と鞭を上手に使っていたつもりかい? これは立派な『恐喝』だよ」
 手紙を処分するよう指示すれば良かったと後悔するがもう遅い。
「身分を笠に着て他人を脅すような真似をするなど、シグリェン王立学園の生徒としてあるまじき行動です」
「全職員の緊急会議後、おって処分を下すからそれまで謹慎しておくように」
 担任教師、学園長から次々と容赦なく言われ、リディアは愕然と目を見開いた。
「で、ですが、ハインツ様がミカエラ様と親しくなさっていましたのは」
「それは君から来た手紙を渡して貰っていただけだよ。『君の指示通り』人目につくようにしたから、勘違いしたようだね?」
 こちらの手紙を逆手に取られていたなんて、とがくがくと身体が勝手に震える。そんなリディアを他所に、ハインツはミカエラに深々と頭を下げた。
「申し訳なかった、ミカエラ嬢。私がリディアの異変に気付けていれば、君に気苦労をかけずに済んだのに」
「と、とんでもありません! ……私の言葉を信じていただけて、ありがとうございます」
 それだけで充分です、と言えば、ハインツは頭を上げて少し安堵したように微笑む。
「君が私と親密だという噂は、事実を話して全て払拭すると約束しよう」
「そ、それではっ……!」
 顔を青ざめさせたリディアが口を挟もうとするが、ハインツが静かに見据えることで強制的に黙らせた。それにミカエラは「ありがとうございます」と深々と頭を下げる。
「では、後は私のリディアとの今後に向けての話し合いになる。だから……」
「はい、部外者である私は席を外します。……その前に、リディア様に申し上げたいことがあるのですが」
 不安そうな顔をするミカエラに、ハインツは頷いてみせる。
「ああ、この場に限っては不敬にならないとしようか。君はリディアの『被害者』だからね」
「……っ」
 最早隠そうともしないのか悔しそうに唇を噛みしめるリディア。ミカエラは「ありがとうございます」と礼を言ってから、静かに立ち上がった。
 黒い瞳がリディアを真っすぐに見据え、すう、と狭められる。


「断罪イベント返しが出来なくて、残念でしたね」


 一瞬の沈黙。
 そしてリディアの顔が見る見る内に真っ赤に染まった。
「あ、貴方、まさかっ……!?」
 それに口角を吊り上げてみせるだけに留め、ミカエラはカーテシーをして室内を後にする。閉めたドアの向こうからは、ヒステリックな喚き声やら「押さえろ!」と指示を出すハインツの声やら何かが倒れる物音やらが聞こえてきたが、素知らぬ顔で呟く。
「タダで転んでやる程甘くないっての」
 とんだ茶番に巻き込まれたものだ。だがこれで解放される。
 ミカエラは心持ち軽い足取りで、廊下を歩いていった。

(終)
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みんなの感想(1件)

クレサ
2025.09.17 クレサ

うん、やっぱりこの作者の方、天才だな。
凝縮された格調のある文章。プロット。厳格な残酷さ。

解除

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