“いつまでも一緒”の鎖、貴方にお返しいたします

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「私、婚約が決まったの」
 伯爵令嬢マルグリット・シャンテリィはそう言って、カップを静かに置いた。真っすぐな亜麻色の髪に日差しが柔らかく降り注ぎ、新緑の瞳は静かな光を湛えて、こちらを見つめている。
 その容姿に慣れていないものなら、その凛としつつも神秘的な美しさに見惚れていたことだろう。
 が、幼馴染ゆえ、とっくに慣れている男爵令嬢エリナ・ブランシュは微笑むだけに留めた。
「おめでとうございます」
 マルグリットは「ありがとう」と嬉しそうに微笑んだ。エリナはそれには返答せず、静かにカップを傾ける。
「お相手は、公爵家のティオ・ソルベ様よ。ご存知かしら?」
 エリナは紅茶の香りと味を楽しんでから、カップを静かに置いてみせる。
「まあ、公爵様とですの? 素晴らしいお相手なのでしょうね」
 こう答えるのが『正解』だとエリナは知っている。
 思った通り、マルグリットは嬉しそうな微笑みを崩すことなく、口を開く。
「ええ、この国有数の鉱山を所有しているソルベ家ですもの。素晴らしいお方よ。白銀のように輝く銀色の髪に、空を閉じ込めたような青い瞳……お話も楽しくて、ついつい時間を忘れてしまう程だったわ」
「さようでございますか。良いご縁が出来て羨ましいです」
 エリナは微笑みを貼り付けたまま、頷いてみせる。
「何を言っているの? それは貴方もよ」
 何でもないことのようにそう返され、エリナの手元が僅かに震えた。それに気付くことなく、マルグリットは手を顎の下で組んで静かな微笑みを浮かべる。
「貴方にも紹介するから、準備をお願いね」
 ここで断ることが出来たらどんなに胸がすくだろう。
 だけど、それは許されない。
「……分かりました」
 誤魔化すように口に含んだ紅茶は、酷く苦く感じた。


 幼馴染、といえば聞こえは良いが、実際は引き立て役だとエリナは思う。
 昔、ブランシュ家が困窮した際に手を差し伸べたのが、シャンテリィ家だった。それ以来深い恩義をシャンテリィ家に感じるのは良いが、それを子ども同士の関係に強いる両親にエリナは失望していた。

「マルグリット嬢に失礼のないように。誠意を込めてお支えするようにな」
「シャンテリィ家の援助がなければ、貴方は産まれてこなかったかもしれないのよ?」

 これが物心付いた時から両親に言い聞かせられてきた言葉だった。
 幼い頃は両親が言ったことだから、と素直に従って来た。そうした結果、『マルグリットを』褒める両親に自分の『誠意』がちゃんと伝わっているのだと感じ、それなりに嬉しく感じた。
 しかし成長するにつれ、マルグリットばかりを褒め称える両親に少しの寂しさを感じるようにもなった。同じ学園に通うようになり、これはチャンスだと思った。
 目に見える数値……即ち良い成績を取れば、褒めてくれるのではないか、と。
 そして頑張った結果、マルグリットよりも良い成績どころか、学年でトップの成績を修めることが出来た。
 その時、マルグリットは。

「すごいわ、エリナ。次は私も頑張らないとね」

 純粋な誉め言葉だと思った。だから「ありがとうございます」と返した。
 その本当の意味が分かったのは、両親に報告した時だった。
 

「なんということをしたんだ、お前は!! そんな風に育てた覚えはない!」
「そうよ、マルグリット嬢を差し置いて出しゃばるなんて!!」

 目を吊り上げて叱責され、エリナは愕然とした。
 今度こそ褒めてくれると思ったのに。
 なにをいってるのだろう、この人たちは。
 ただただ呆然とした様子の自分をどう思ったのか、両親は軽く首を振って厳しい表情で告げた。

「それだけ出来るのなら、マルグリット嬢に教えて差し上げろ。それがお前の役目だ」
「それがシャンティ家の支えになるということよ。分かったわね?」

 何かが崩れる音が聞こえたような気がした。
 そしてマルグリットが言った、あの言葉の意味も嫌と言う程分かった。
 両親はシャンティ家に恩義どころか、崇拝しているレベルで依存しているということも。
 誰も自分を見てくれる人なんていなかった。
 そう感じた瞬間、目の前の人たちに、何も感じなくなった。もう諦めた、と自分の中で区切りが付いたのかもしれない。
 寂しいとも、悲しいとも、何も思うことはない。この先もずっと。
「わかりました」
 エリナは淡々とそう答えて、綺麗なお辞儀を披露してみせた。


 そうして数日後。
 自分の意思とは関係なく、セッティングされた本来だったら2人だけの逢瀬。
「ティオ様、紹介しますわ。こちら、幼馴染のエリナですの」
 婚約者から挨拶もそこそこによりにもよって幼馴染を紹介されたティオは、一瞬目を見開いたようだった。が、すぐに紳士の笑みを浮かべてくれるのがありがたい。
「初めまして、エリナ嬢」
「お初にお目にかかります。エリナ・ブランシュと申します」
 カーテシーをしてみせれば、ティオは頷いて名乗ってくれた。
「ティオ・ソルベだ。よろしく頼む」
 そう言ってはいるが、これは形式的なものだろう。彼としては幼馴染などより、婚約者との仲を深めたいだろうに。
 第三者の自分でも分かることが、マルグリットには分からないのか微笑んでこう言った。
「ティオ様、今日は交流を深めるために3人で出かけませんこと?」
 常識を欠いたにも程がある発言に、ティオの目が僅かに見開かれる。
 またしてもそれに気付くことなく、マルグリットは話し続ける。
「エリナは大切な幼馴染ですの。ティオ様にも交流を深めていただきたくて」
 エリナと交流を深めてもティオにメリットなどない。そしてエリナ自身にも。
 伏せていた目線を少し上げてティオを見ると、少し戸惑ったような表情をしていた。
(まだ、浸蝕されていないようね……)
 これまで出会って来た人は、老若男女問わずマルグリットの崇拝者と化していた。自分の両親が良い例だ。
 凛とした美しい顔立ちに立ち振る舞い、優秀な頭脳を持ちながらそれに驕ることなく、身分性別問わず誰にでも優しく接していた人格者。それにエリナのお膳立てが大きく関係しているとは露程も知らない信者たちに、嫉妬と蔑みの感情を向けられたことは数えきれない。
(今はまだ出会って間もないからかもしれないわ。どうせこの人もまた崇拝者になって、私を……)
 綺麗に揃えた手に、自然と力が入った。
「……なるほど。では、そうしようか」
 最終的にティオがそう答えたことに、諦めを感じた。
 ああ、やっぱり、と。
「お2人の貴重な時間にお邪魔して申し訳ありません」
 虚ろな気持ちのまま謝罪すると、マルグリットはにっこりと微笑む。
「気にしなくていいのよ。貴方は大切な幼馴染ですもの」
 お前が言うな。
 エリナはそう言いたいのを静かに堪え、目を細めてみせた。
 
 

 そうして『交流を深めるため』の目的で連れ出されること、3回目。
 『それ』はついにマルグリットの口から出た。
「ねえ、ティオ様。お願いがありますの」
「何かな?」
 不思議そうな顔をするティオに、マルグリットは微笑んで答えた。
「結婚後のことなのですが、エリナもソルベ家へ迎え入れてくれませんこと?」
 エリナの膝の上で揃えた手が、ぴくり、と震える。表情が強張りそうになるのを、必死に堪えた。
 それは幸いにも気付かれず、ティオはいつものように目を細めて口を開く。
「可愛いマルグリット、どうしてそんなことを?」
 当然の疑問である。
「何を仰いますの? エリナは私達にとって、最早家族も同然ですわ。……エリナだって、私達と離れるのは嫌でしょう?」
 嫌どころか諸手を上げて喜びます、とはやはり言えず。
「そうですわね」
 いつもの微笑みを貼り付け、機械的にそう答える。
 それをじっと見ていたティオは、マルグリットに顔を向けてこう言った。
「ああ、分かったよ」
 その言葉に心がずしりと重くなる。
 やはりこの人も崇拝者になり果ててしまったのだと。
「まあ、ありがとうございます。ねえ、エリナ」

「私たちは、いつまでも一緒よ」

 その言葉は、エリナにとって死刑宣告も同然で。
 結局のところ、マルグリットから逃れることなど出来ないのだと痛感した。
 震える唇を叱咤して、何とか言葉を紡ぎ出す。
「……光栄ですわ」
 それにマルグリットは、嬉しそうに、そして満足そうに微笑んだ。見る者全てを魅了するようなその笑顔は、エリナにとっては心をすり減らす一因で。目を逸らしたくなるのを必死に堪える。
「嬉しいわ、エリナ。それにしても、もっと気安い口調で良いと言っているのに、ずっと堅苦しいままなのね」
 そう不満を漏らすマルグリット。恐らくは身分の差を気にして、と思っているのだろうが、それは大きな間違いだ。
 これはエリナなりの精一杯の『抵抗』。
 貴方に心を許していない、という意思表示だ。
(気付きもしないのが滑稽ではあるけれど)
 内心の思いをおくびに出すこともせず、微笑んでみせる。
「勿体ないことでございます」
 それだけを口にして、紅茶を口へと運ぶ。
 ああ、やはり苦く感じる。
 そこに映る自分は、酷く虚ろな顔をしていて。
(……この人から解放されるには)
 そこで、ふ、と気が付いた。
(そうよ、どうしてこんなに簡単なことに気付かなかったのかしら?)


 死ねばいいのよ。


 カップで隠した口元が歪むのを感じる。
「……」
 その様子を静かに観察している視線に、この時は気付かなかった。


 それから数週間後。
「これはどういうことだ、エリナ!?」
「私たちをどうするつもりなの!? 私は貴方の親なのよ!」
 覆面をした屈強な男たちに取り押さえられた両親がそう喚くも、エリナは澄ました態度のままだった。その紫色の瞳は虚ろで、何の感情も宿してはいない。
 それに気付くこともなく……いや、その態度に怒りが増したのだろう、両親は尚も口を開く。
「なんだその態度は!? いや、それよりもマルグリット嬢が大変な時に何をしているんだ!?」
「そうよ、早くお見舞いに行かないと」
「その必要はありませんわ」
 吐き出したのは、絶対零度を思わせる声。
 今まで聞いたことのない娘の声に、両親は息を飲んだようだった。それを逃さず、エリナは言葉を続ける。

「やったのは私ですもの」

 にこやかに。
 何でもないことのように。
「な、なにを、いって……」
 見る見る内に蒼白になる両親に、エリナはにっこりと微笑んでみせる。
「ですから」

「マルグリット様を『大変な目』にあわせたのは私ですの」

  もはや言葉もないのか、口をはくはくとさせる両親を他所に、エリナは話し続けた。
「攫って喉を潰す薬を飲ませ、そのお綺麗なお顔を鞭で殴り、ナイフで切り裂き、最後に足の腱を切りましたわ。……お可哀想に。もう社交の場に出ることは一生叶わないでしょうね」
 その言葉と裏腹に、エリナは笑顔のままだ。
 それに嘘偽りを述べている様子はない。嫌でも分からされる。

 彼女は、真実を語っているのだと。

「ああ、動機ですが、あなた方は分からないでしょうから、きちんと説明して差し上げますね」
 形の良い唇からは、残酷な言葉が零れ落ちていく。
 幼い頃から『世話になった恩』とやらを押し付けられて迷惑していたこと。
 良い成績をとっても褒めるどころか叱責され、あろうことか出しゃばる真似をするなと言われて深く傷ついたこと。
 『マルグリット様のため』を免罪符にされ、過酷な教育を詰め込まれたこと。
 そして。
「彼女が婚約するにあたり私を侍女に抜擢すると聞いたあなた方は、大喜びしましたね? 私の意思など聞きもせずに」
 まあ、話しても聞き入れてはくれなかったでしょうけれど、と付け加えてやれば、両親の顔は面白い程引き攣った。予想通りの反応に、ふっ、と冷たい笑みが零れる。
「言っておきますが、私はマルグリット様がいなくても大丈夫なのですよ? 彼女と、ひいてはあなた方のために本当の能力を偽っていたに過ぎません。……だって『教えてあげられる力』があるのですからねぇ?」
 そう、学園時代にマルグリットが『最初以降』にトップをとり続けていられたのは、エリナの教えと手心あってのことだ。そして婚約者であるティオとのことも、ソルベ家を事前に調べ上げ、会話に詰まったらさりげなく助言をして関係を深めてやったに過ぎない。
「そんな、嘘だ……。お前の一人の力でここまで出来る筈が」
「ありますよ。現実を見てください。世の中にはお金さえ出せば何でもやってくれる方々がいらっしゃるんですよ。ご安心を、この家の財産には一切手を付けておりません」
「ではどのように」
「あなたに教えても仕方がないでしょう?」
 両親、そしてマルグリットに隠れて稼ぐのは苦労したけれど、方法を教えてやるつもりは毛頭ない。
(まあ、『私ひとり』というのは誇張がありますが)
 その思考も口に出す気はない。
「さて、マルグリット様を害したのが私、エリナと分かったあなた方はどうするおつもりですか?」
 ぴらり、と両親の目の前に差し出した書類。
 それにはエリナをブランシュ家の籍から外す旨が記されている。
「あなた方の娘が恩人を害した犯罪者、となれば、この家はどうなるでしょうね?」
 お取り潰しどころか、一家全員処刑になりかねませんね、とエリナはくすくすと笑ってみせた。両親の顔色は紙のように白く、眼は信じられないものを……まるでバケモノでも見るかのような光を湛えている。
 だけど、そうさせたのは、そうしたのは、お前たちだろう。
 生まれる前に受けた恩とやらを子どもにも強いた、それが諸悪の根源だ。
「なので取れる道は実質お一つだけです」

「こちらにサインをお願いいたします。ブランシュ男爵」

 その時のエリナは。
 今までに見たことがない程の、太陽のような笑顔で輝いていた。


「やあ、お見舞いに来たよ」
 そう声をかけると、マルグリットは俯いたままびくりと肩を揺らした。
 ティオはそれに構うことなく、ベッド近くの椅子へと腰を下ろす。侍女には事前に言い含めておいたため、この部屋にいるのはマルグリットとティオの2人だけだ。
「もう具合は良いのかい?」
「……」
「おや、何かしらのジェスチャーをしてくれなければ分からないよ?」

「君はもう、話すことが出来ないのだからね」

 びく、とマルグリットの肩がまた跳ね上がった。それにティオは静かに目を細めてみせる。
「でも大丈夫だよ。私は『こんなこと』で婚約を解消しないからね」
 マルグリットの身体がぶるぶると震え出した。ティオは微笑んだまま言葉を続ける。
「君に似合うウェディングドレスはもう手配してあるんだ。2人きりで式を挙げられる教会も既におさえてあるから、何も心配することはないよ」
 ぽたり、とマルグリットの手に、雫が落ちた。
「社交の場は私ひとりで出るし、領地経営に関しても既に有能な部下を見つけたから負担がかかることもない」

「君はただ、私のそばにいてくれるだけでいいよ」

 ぽた、ぽた、とマルグリットの手にさらに雫が落ちる。
「ああ、それにしても」

「君は本当に可愛いね愚かだね

 大きく震える肩を、ティオは優しく抱き寄せてその耳元で囁く。
「もう君に侍る人は誰もいない」
 そう、助けてくれる人も。
「君は私にしか頼れないんだよ」
 砂上の楼閣に立たされていることにも気が付かなかった、可愛い愚かな人。
 だから、あと一押しを手伝った。
「ああ、可愛い愚かなマルグリット」


「私たちはいつまでも一緒だよ」


 甘く囁いてマルグリットの身体を抱きしめれば、くたりと力が抜けるのを感じた。


(終)
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