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男爵令嬢ミーナ・ブラウンは、学園の庭に設けられたガゼボで大人しく座っていた。
既に授業は終わり、他の生徒たちは帰路についたり、学園内で思い思いの時間を過ごしている時だ。どこからか聞こえてくる喧噪を耳に入れながら美しく整えられた庭園を見つめていると。
「ミーナ様、お待たせして申し訳ありません」
かけられた声に答え、ミーナは立ち上がってカーテシーをした。
「いいえ、私もたった今来たところです。アルフィーネ様」
本当はだいぶ前から待っていたのだが、こう言っておけば大丈夫だろう。案の定ローゼリアは、少しだけ安堵したような表情になっている。
ローゼリア・アルフィーネ公爵令嬢。凛と咲く白百合にも似た美貌を持ち、同学年に通う第三王子、ルドルフ・エーヴァルトの婚約者として有名な令嬢だ。
「……それで、どういった御用件でしょうか?」
椅子に座ってすぐにそう切り出せば、ローゼリアはその美貌を曇らせながら口を開いた。
「ルドルフ様のことなのだけど……」
まあそうでしょうね、とミーナは思いながらも「はい」と頷いて先を促す。
「マリア・ウィロウ様と仲睦まじいご様子なの。それだけではなく、他の殿方とも……」
「そのようですね」
「あの方は、平民出身の庶子だと聞いているわ。平民の間では、あの距離感が当たり前なのかしら?」
何故そんなことを私に聞く? と思いながらも、ミーナは答えた。
「そのようなことは無いでしょう。それに、マリア様のような庶子の方は珍しくありません。私の知る限りではありますが、皆さん節度を持って接していらっしゃいますよ」
それにローゼリアは「そうよね……」と呟くように言った後、改めて口を開く。
「貴方にお願いしたいことがあるの」
「何でしょうか?」
予想はしているが、あえてミーナは尋ねる。
「マリア嬢に、殿方との……ルドルフ様との接触を控えるように進言していただけないかしら?」
目を伏せて申し訳なさそうに頼むローゼリア。心苦しい、という体裁を装っているが、そんなことはお見通しだ。
だから答える。
「お断りいたします」
やはり断られるとは思っていなかったのだろう。ローゼリアの目が見開かれた。
何故、と聞かれる前に、ミーナはさらに言葉を重ねた。
「お断りする理由は、私にメリットが何一つ無いからです」
「め、メリット……ですが、」
「おや、高位貴族である自分の願いは何でも叶えて当然と思っていらっしゃるのですか?」
「な、なんですって! 不敬にも程があるわ!」
「どうやら図星のようですね」
そう指摘してやれば、ローゼリアはぐっと唇を結んだ。それに目を狭めてみせてから、ミーナは言葉を紡ぎ出す。
「そもそもマリア様の行動は意味があってのことです。……アルフィーネ様は、マリア様ご自身に一度でもその意味を聞いたことがおありですか……まあ、無いのでしょうね、私に頼みに来るのでしょうから。ですが、婚約者であるエーヴァルト様にはお尋ねにならなかったのですか?」
「そ、それは……。でも、よく分からないことを仰られて煙に巻かれてしまったのよ」
ローゼリアの答えに、ミーナは溜息を吐きたいのを懸命に堪えた。
「将来の領地経営のために話を聞いている、のどこが分からないのですか?」
都合の悪かったり分からないことは耳に入らないのかお前、という意味を込めて行ってやれば、ローゼリアは目を僅かに見開く。
「エーヴァルト様は側妃の子であるが故、王位継承権は限りなく低い。なので学園を卒業した後は、一代限りの爵位と領地を与えられることになっております。……その領地は、どの場所にあるのかもちろんご存知ですよね?」
「そ、それは……」
ローゼリアは目線をうろうろと彷徨わせた。
どうやら知らなかったらしい。本当にあり得ない、とミーナは額に手を当てつつ答えた。
「ウィロウ男爵家の隣です。これで分かりましたよね? エーヴァルト様がマリア様に意見を求めていた理由が」
ローゼリアは全身をわなわなと震わせ、そして絞り出すように口を開く。
「で、ですが、マリア嬢は他の殿方にも声を」
「それにも理由があります。ウィロウ男爵家の土地でしか採れない希少植物……それらは『香水』に使われます。要するに『香料』に特化した植物しか採れないのです。自身で付けるだけでなく、女性への贈答用にとマリア嬢は『販売目的』のために声をかけているに過ぎません。さらに、調香比率や原料が他家に漏れないよう、信頼できる人物を彼女は自身の目で見定めているのですよ。だから自然と対象が高位貴族になってしまうのでしょう」
「そ、それなら女性にも声をかけたっていいじゃない」
「女性社交界で『香り』は嫉妬や張り合いを生みやすいものです。だからあえて積極的に勧めないだけですよ」
「な、なら、あんなに笑顔を振りまくなんて、はしたないにも程があるわ!」
「無表情かつ機械的な口調で勧められた商品など、誰が興味を持つんですか?」
容赦なく応えてやれば、ローゼリアはわなわなと唇を震わせた。
(バカバカしい……こんなことなんで私が答えてやらないといけないの? マリア様に聞けば全部教えてくれたでしょうに)
本当に頭痛がしてきた、とミーナは強く額を押さえる。
「それで私に進言して欲しいなどと頼み事をしてきた理由は……マリア様とクラスメイトであるだけでなく、私の家が男爵家でありながら外交や情報収集の術に長けており、王家にも多少なりとも影響力があるから、とこんなところでしょうか?」
「公爵令嬢様は思いがけないところでご才知をお示しになりますのね」
わなわなと震えてこちらを睨みつけるローゼリアに、ミーナは額から手を離して軽く笑ってみせる。
「知らない分からない、で理解なさろうともせずに貴族社会をお渡りになれるとお考えでしたら、それは随分とお心が安らかでいらっしゃいますのね」
「そのようなお考えで、本当に問題はございませんの?」
その言葉に、ローゼリアの顔がどんどん青ざめていく。
もうここまでで良いでしょう、とミーナは判断し、静かに立ち上がった。
「では、失礼いたします。私、今日は日直ですので日誌を届けに行かなければいけませんの」
丁寧にカーテシーをし、テーブルの上に置いておいた日誌を手に歩き出す。
ローゼリアがどのような表情をしていたのか、そんなものはもう興味の範疇に無かった。
(全く……とんだ時間の無駄だったわ。下位貴族だからって何でも言うことを聞くとか思わないで欲しいわね)
呼び出しに応じたのは、上位貴族の誘いを表立って断ることが出来ないからだ。逆を言えば、それだけに過ぎない。
(それに、立場を弁えていないのは貴方の方でしょうに)
ブラウン男爵家の高い情報収集力により、ミーナは知っている。
ローゼリアもまた、『庶子』であることを。
彼女が引き取られたのはまだ物心付くか付かないかの頃だったため、覚えていないのは仕方ないかもしれないが。
だとしても、そういったことはきちんと告げた方がいいと思うのだが……まあ、他家の教育方針に口を出す権限はない。そういった意味では、彼女も被害者なのかもしれない。
(『妹が』婿を取って公爵家を継ぐ時点で、何か察しても良いと思うのだけれど……でも、口があるのだから尋ねれば良いのよ。それだけの勇気が無いのならそこでおしまい。それなら婚約者の立場を理解して支えようとする姿勢があれば、まだ救いようがあったのに……)
ローゼリアはそれすらも怠り、全くの他人である自分に寄りかかろうとした。
これはもう、見限られても仕方ないだろう。
制服の胸ポケットに忍ばせておいた、ペン型の録音機。これを渡す相手など、言わなくても分かるだろう。
(他人を利用しようとして、自身を破滅へ導くなんて……愚かな人)
ミーナはそう一人ごち、そっとペン先を指でなぞった。
(終)
既に授業は終わり、他の生徒たちは帰路についたり、学園内で思い思いの時間を過ごしている時だ。どこからか聞こえてくる喧噪を耳に入れながら美しく整えられた庭園を見つめていると。
「ミーナ様、お待たせして申し訳ありません」
かけられた声に答え、ミーナは立ち上がってカーテシーをした。
「いいえ、私もたった今来たところです。アルフィーネ様」
本当はだいぶ前から待っていたのだが、こう言っておけば大丈夫だろう。案の定ローゼリアは、少しだけ安堵したような表情になっている。
ローゼリア・アルフィーネ公爵令嬢。凛と咲く白百合にも似た美貌を持ち、同学年に通う第三王子、ルドルフ・エーヴァルトの婚約者として有名な令嬢だ。
「……それで、どういった御用件でしょうか?」
椅子に座ってすぐにそう切り出せば、ローゼリアはその美貌を曇らせながら口を開いた。
「ルドルフ様のことなのだけど……」
まあそうでしょうね、とミーナは思いながらも「はい」と頷いて先を促す。
「マリア・ウィロウ様と仲睦まじいご様子なの。それだけではなく、他の殿方とも……」
「そのようですね」
「あの方は、平民出身の庶子だと聞いているわ。平民の間では、あの距離感が当たり前なのかしら?」
何故そんなことを私に聞く? と思いながらも、ミーナは答えた。
「そのようなことは無いでしょう。それに、マリア様のような庶子の方は珍しくありません。私の知る限りではありますが、皆さん節度を持って接していらっしゃいますよ」
それにローゼリアは「そうよね……」と呟くように言った後、改めて口を開く。
「貴方にお願いしたいことがあるの」
「何でしょうか?」
予想はしているが、あえてミーナは尋ねる。
「マリア嬢に、殿方との……ルドルフ様との接触を控えるように進言していただけないかしら?」
目を伏せて申し訳なさそうに頼むローゼリア。心苦しい、という体裁を装っているが、そんなことはお見通しだ。
だから答える。
「お断りいたします」
やはり断られるとは思っていなかったのだろう。ローゼリアの目が見開かれた。
何故、と聞かれる前に、ミーナはさらに言葉を重ねた。
「お断りする理由は、私にメリットが何一つ無いからです」
「め、メリット……ですが、」
「おや、高位貴族である自分の願いは何でも叶えて当然と思っていらっしゃるのですか?」
「な、なんですって! 不敬にも程があるわ!」
「どうやら図星のようですね」
そう指摘してやれば、ローゼリアはぐっと唇を結んだ。それに目を狭めてみせてから、ミーナは言葉を紡ぎ出す。
「そもそもマリア様の行動は意味があってのことです。……アルフィーネ様は、マリア様ご自身に一度でもその意味を聞いたことがおありですか……まあ、無いのでしょうね、私に頼みに来るのでしょうから。ですが、婚約者であるエーヴァルト様にはお尋ねにならなかったのですか?」
「そ、それは……。でも、よく分からないことを仰られて煙に巻かれてしまったのよ」
ローゼリアの答えに、ミーナは溜息を吐きたいのを懸命に堪えた。
「将来の領地経営のために話を聞いている、のどこが分からないのですか?」
都合の悪かったり分からないことは耳に入らないのかお前、という意味を込めて行ってやれば、ローゼリアは目を僅かに見開く。
「エーヴァルト様は側妃の子であるが故、王位継承権は限りなく低い。なので学園を卒業した後は、一代限りの爵位と領地を与えられることになっております。……その領地は、どの場所にあるのかもちろんご存知ですよね?」
「そ、それは……」
ローゼリアは目線をうろうろと彷徨わせた。
どうやら知らなかったらしい。本当にあり得ない、とミーナは額に手を当てつつ答えた。
「ウィロウ男爵家の隣です。これで分かりましたよね? エーヴァルト様がマリア様に意見を求めていた理由が」
ローゼリアは全身をわなわなと震わせ、そして絞り出すように口を開く。
「で、ですが、マリア嬢は他の殿方にも声を」
「それにも理由があります。ウィロウ男爵家の土地でしか採れない希少植物……それらは『香水』に使われます。要するに『香料』に特化した植物しか採れないのです。自身で付けるだけでなく、女性への贈答用にとマリア嬢は『販売目的』のために声をかけているに過ぎません。さらに、調香比率や原料が他家に漏れないよう、信頼できる人物を彼女は自身の目で見定めているのですよ。だから自然と対象が高位貴族になってしまうのでしょう」
「そ、それなら女性にも声をかけたっていいじゃない」
「女性社交界で『香り』は嫉妬や張り合いを生みやすいものです。だからあえて積極的に勧めないだけですよ」
「な、なら、あんなに笑顔を振りまくなんて、はしたないにも程があるわ!」
「無表情かつ機械的な口調で勧められた商品など、誰が興味を持つんですか?」
容赦なく応えてやれば、ローゼリアはわなわなと唇を震わせた。
(バカバカしい……こんなことなんで私が答えてやらないといけないの? マリア様に聞けば全部教えてくれたでしょうに)
本当に頭痛がしてきた、とミーナは強く額を押さえる。
「それで私に進言して欲しいなどと頼み事をしてきた理由は……マリア様とクラスメイトであるだけでなく、私の家が男爵家でありながら外交や情報収集の術に長けており、王家にも多少なりとも影響力があるから、とこんなところでしょうか?」
「公爵令嬢様は思いがけないところでご才知をお示しになりますのね」
わなわなと震えてこちらを睨みつけるローゼリアに、ミーナは額から手を離して軽く笑ってみせる。
「知らない分からない、で理解なさろうともせずに貴族社会をお渡りになれるとお考えでしたら、それは随分とお心が安らかでいらっしゃいますのね」
「そのようなお考えで、本当に問題はございませんの?」
その言葉に、ローゼリアの顔がどんどん青ざめていく。
もうここまでで良いでしょう、とミーナは判断し、静かに立ち上がった。
「では、失礼いたします。私、今日は日直ですので日誌を届けに行かなければいけませんの」
丁寧にカーテシーをし、テーブルの上に置いておいた日誌を手に歩き出す。
ローゼリアがどのような表情をしていたのか、そんなものはもう興味の範疇に無かった。
(全く……とんだ時間の無駄だったわ。下位貴族だからって何でも言うことを聞くとか思わないで欲しいわね)
呼び出しに応じたのは、上位貴族の誘いを表立って断ることが出来ないからだ。逆を言えば、それだけに過ぎない。
(それに、立場を弁えていないのは貴方の方でしょうに)
ブラウン男爵家の高い情報収集力により、ミーナは知っている。
ローゼリアもまた、『庶子』であることを。
彼女が引き取られたのはまだ物心付くか付かないかの頃だったため、覚えていないのは仕方ないかもしれないが。
だとしても、そういったことはきちんと告げた方がいいと思うのだが……まあ、他家の教育方針に口を出す権限はない。そういった意味では、彼女も被害者なのかもしれない。
(『妹が』婿を取って公爵家を継ぐ時点で、何か察しても良いと思うのだけれど……でも、口があるのだから尋ねれば良いのよ。それだけの勇気が無いのならそこでおしまい。それなら婚約者の立場を理解して支えようとする姿勢があれば、まだ救いようがあったのに……)
ローゼリアはそれすらも怠り、全くの他人である自分に寄りかかろうとした。
これはもう、見限られても仕方ないだろう。
制服の胸ポケットに忍ばせておいた、ペン型の録音機。これを渡す相手など、言わなくても分かるだろう。
(他人を利用しようとして、自身を破滅へ導くなんて……愚かな人)
ミーナはそう一人ごち、そっとペン先を指でなぞった。
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