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しおりを挟む朝を迎え、三人は無言のまま歩き続けた。
歩を進める足の下は、すでに町の匂いがして来るようだった。
山道や街道沿いの整備が行き届かない路面ではなく、旅人や馬車が難なく進めるように整備された路面。道幅も広く、行き交う人の顔も明るい。
そして、旅籠や茶店、露店なども次第に増えて行く。
今までの旅路と違う事をはっきりと肌で感じながら、三人は二河についた。
山岡の町からなるべく平坦な道を選び歩き続けると、運河を挟み対岸に一河を望む二河に着くことになる。
ここから先は、渡し船で一河に渡る。
「うち、船なんて始めてだ」
ユキが子供のように目を輝かせてワクワクして見せた。
「和歌さんは? 船に乗ったことありますか?」
「ええ、祭りのときに館船になら」
「館船?」
「ええ。船の上に屋根があるというか、家が乗っている感じとでもいうのかしら?」
「家が? 船の上に?」
ユキが驚いたような声を上げると、「ほら、あれだ」そう言って小太郎が指を指す。
指を刺された方を向くと、岸に止められている船の中に確かに屋根を乗せた家のような物が乗っている船がある。
「すごい。なにあれ」
ユキは素直な感想を漏らす。
「なあに、おめえらも真面目に仕事して立派になれば、あれに乗るくれえ分けねえぞ。おめえの頑張り次第だ」
小太郎はユキの頭を軽く撫でると、船頭に渡し賃を払い船に乗り込んだ。
泳いで渡るには運河は広いが、目の前に見える一河の町には船であっと言う間だった。もっと乗っていたかったとわがままを言いながらも、三人は一河の地に降り立った。
二河から渡った一河の船着き場は、大層活気にあふれていた。
着いた時間は昼を少し回ったところだった。繁華街のように大店が軒を連ね、山岡の町や通り過ぎて来た町とは雰囲気の違う店構え。
まだ店開きには早いようで、店の中は掃除や準備で忙しく動きまわる人の影が見える。
そんな店を横目に、三人は小太郎を先頭に船着き場から少し離れた店へと入って行った。
店の看板を見上げ、和歌が「一鶴楼」とぽつりと声を出し読み上げた。
「いっかくろう?」 ユキの言葉に
「ええ、そうよ。一鶴楼。ここが、これから私たちがお世話になる店の名よ」
和歌はユキに教え聞かすように、ゆっくりと答えた。
まだ店開き前でのれんは出ていないが、小太郎はそのまま門構えをくぐり中に入って行く。すると、門番らしき男がすぐに声をかけて来た。
「おう、小太郎。今回は二人か? 旦那様は奥に居られるが、まずは足洗いが先やな」
そう言って小間使いの若い男を呼びつけると、勝手口近くの腰かけにたらいを並べそこに水を張らせた。
三人は草履を脱ぎ、汚く汚れた足を水で洗い流した。長旅で足は擦り切れ、豆も出来ている。潰れていないだけまだ良い方で、冷たい水は足の傷に染み痛さが急に思い出されてしまう。
洗い終わり差し出された手ぬぐいがあまりにも綺麗で、ユキは恐縮してしまう。
「こんな綺麗な布でうちの足を拭くなんて、申し訳ないです」
それを聞いた門番と若い男は「ハハハ」と笑い、「これからは、まだ子供のおめえがこれを洗濯することになるかもしれねえ。自分が洗うと思えば気にもならんだろう? 存分に使えばええ」と言う。
和歌も微笑みながらユキに頷いた。そうか、掃除や洗濯といった仕事をするためにうちは雇われたのかと、そう思ったら少し気が楽になりそれでももったいなくて、優しくそっと足を拭くのだった。
通用口の脇には、ほうずきの花が白く咲き誇り、二人を迎えていた。
その後通された奥の座敷には、大きな神棚を背に座る男性が煙管を咥え、その脇では妻らしき女性が居住まいを正しこちらを見据えるように座っていた。
「花見の旦那。お時間をいただき、ありがとうございます。
今日は二人連れて参りました」
「おう、ご苦労やったな」
花見の旦那と呼ばれた男は口角を上げながら、しかし目は一片の笑みすら浮かべずに二人を凝視している。
「で? そっちが元お武家さんとかいう嬢ちゃんかい?」
「はい。名は……」
「戸倉和歌と申します。
旧戸倉家藩主でありました、戸倉直治の娘でございます。
今はすでに没落し、父の手によりこうしてこの身を預けることになりました。
自分の置かれた立場は十分理解しておるつもりでございます。
かくなる上は、一日でも早く客を取り界隈随一となり、私を捨てた者を見返してやりたいのでございます。憐れな娘の願い、どうかお聞きとりくださいませ」
和歌は畳に両手を付き、額をこすりつけるように深々と頭を下げた。
それを隣で呆気にとられたように、ユキはみつめるだけだった。
和歌の腹は決まっている。武家の娘として、いざという時の最後の覚悟も聞かされている。それにくらべれば、命があるだけありがたい。
親に売られた自分を殺さずに生かし続けるのだ、その恩に報いるためにも体で払えるのであれば惜しみはしない。
「ほぉ。こりゃまた、肝の据わった娘だ。気に入った!
桔梗、おめえはどう思う?」
花見は横に座る妻の桔梗に声をかけた。
「おまえ、武家の娘として習い事は何となにを?」
「はい。踊りと琴、それにお茶にお花と武道も少々」
「鳴り物はまったく?」
「鳴り物は戦のものだと。手習いではないからと、近づくことを禁じられておりました」
「まあ、これはこれは。まごうことなき本物だわね。
あんた、この子にただ身売りをさせるにゃもったいないよ。芸者にさせたらどうかね? 身のこなしに佇まい、それにこの品格に旧武家の名は武器になるよ。
その上で高値で売れば良い商品になるってもんだ」
「そうだな。俺もただで客を取らせるのはもったいないと思っとった」
値踏みするように花見の夫婦は和歌を見つめる。
彼らの頭の中には算盤が音をたてて鳴っているに違いない。
「恐れながら、芸者ではすぐに客がつくかどうか? 私は早く名を売り、借金を返したいのです」
和歌の必死の懇願に桔梗が答える。
「ただ客を取るよりも、芸者の方がずっと名を売れるってものさ。
この一鶴楼は、一河でも指折りの店でね。接待に使うお得意様には大店や政治家も顔を連ねるんだ。そんな方々に気に入られれば、お前の名などあっと言う間に広まるだろうよ。うまくいけば数年で身請けの話しも出るかもしれないねえ。
それくらいおまえの血筋には価値があるんだ。使えるもんは存分に使っちまいな」
桔梗の言葉に和歌は納得したのか、すこしだけ安堵の笑みをこぼす。
「さて、もう一人。おめえの名はなんだ?」
突然ふられたユキは慌てて返事をしようとするが、緊張で思うように声が出ない。咄嗟に小太郎が「山岡の先の栗山から下りて来た、ユキと申します」と答えてくれた。
「山岡か。で、歳はいくつだ?」
小太郎はユキを見ると、こくんと頷き答えを促す。それを見て、ユキも少しだけ落ち着きを取り戻しゆっくりと答え始めた。
「十四になりました」
「十四か。うちは十五にならんと店には出さん。おめえ、誕生日はいつだ?」
「はい。真冬の二月の頭です」
「あと半年か。まあ、丁度いいくらいか? 下働きをさせながら仕込んで行けば、その頃には使い物になるだろう。なあ?桔梗」
「そうね。田舎者ほど、こういう擦れてない娘を好む傾向があるから。意外と人気になるかもしれないよ。この子には下手な手ほどきは無い方が面白くなるかもしれないね」
「ああ、なるほどな。それもありか。
じゃあ、そう言事だ。おめえはしばらく下働きで働いてもらう。上の者の言う事良く聞いて、しっかり働けよ。今日からここでは、俺たちがおめえたちの親代わりだ。困ったことがあったら、何でも相談しろ。わかったな?」
花見の言葉に「はい」と、ユキは元気に答えた。
それを聞いた花見の夫婦は声を上げて笑い出した。
「知らないってことは幸せだ。おめえはこのまま、その日を迎えられたらおもしれえなあ」
そんな花見の言葉に、ユキは笑みをこぼすのであった。
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