ユキノホタル ~名もなき遊女と芸者のものがたり~

蒼あかり

文字の大きさ
15 / 43

~15~

しおりを挟む

 和歌が目を覚ました時は、すでに日が昇り始めていた時分だった。
 布団の中で目を覚まし、見慣れぬ天井にここはどこだ?と頭を回転させる。
 はっ!と気が付き、飛び起きるように布団を這い出て見渡すと、隣に並べられた布団は昨日の晩のまま、一筋の乱れもなかった。
 まさか?と思い障子を開けて隣の部屋に行くと、そこに辰巳の姿はなく、昨日の座卓の上は綺麗に片付けられていた。
 そんな和歌の物音を確認したように、「おはようございます。お目覚めでいらっしゃいますか」と、部屋の外から仲居の声がかかった。
「は、はい」と慌てて返事をすると、するりと障子が開けられ、昨日と同じ仲居が「朝食の支度ができております。どうぞ、ご案内いたします」と、和歌を案内するのだった。

 連れられて来た部屋は、和歌が泊まった部屋を背合わせにした部屋で、そこには福久春と駒菊の姿があった。
 彼女たちはすでに身支度を整え、昨日の着物を着ていた。さすがに髪は結い上げてはいないが、それでもまとめた髪は整えられている。

「おはようございます」

 和歌が二人に挨拶をすると、「おはよう」と返事が返る。
 だが、ここに辰巳の姿は無い。すでに起きて朝食の席についているのだろうと思ったのに、キョロキョロと辺りを見渡していると仲居がお膳を運びこんでくる。先ほどの仲居を見つけると、和歌は声をかけた。

「辰巳様はどこに?」
「辰巳様でしたら、昨晩のうちにお帰りになられました」

 仲居の言葉に「え?」と驚きを隠せない和歌に、「まさか、昨晩粗相があったわけではないのよね?」と、福久春の問いが降って来た。
 和歌は覚悟を決めたように、昨日のことを正直に話して聞かせた。
 結局、何もないままに眠りにつき、朝になったらその姿が無かったと。

「そう。まあ、粗相があって気分を害されたのでなければそれで良いわ。
 お父さんたちの報告には、私も立ち会って一緒に説明するから」
「ありがとうございます。お願いします」

 和歌は、福久春の言葉に少しだけほっと肩を撫でおろした。

「それにしても、旦那になったのに手を出さないなんて。本当に粗相はしてないのよね?」
「はい。たぶん大丈夫だと思うのですが」

 駒菊はさも不思議そうな面持ちで聞いてくる。やはり、あの状態で手を出さないなど、あり得ない話しなのだと改めて思った。

「後はお父さんたちが判断するわ。私たちは早くいただいて、帰りましょう」
 
 三人は出された目の前のお膳を、軽い世間話などをしながら食べ始める。
 さすがに仲居のいるこの場では、噂話が好きそうな駒菊とは言え、和歌に根掘り葉掘り聞いてくることは出来ないようだった。

 三人は急いで平らげると、丁寧に礼を告げ吟山を後にした。




それから月日は流れていく。


 あの初顔合わせの日以降、和歌は辰巳に呼ばれても床を用意されることは一度もなかった。
 接待なのだろう席に呼ばれることはあっても、芸者としての本分を果たすだけで、私的な事もなく二人きりになることもない。
 辰巳がいなくとも姉芸者と共にお座敷に呼ばれることも増えたが、そこには旦那としての辰巳の影が常にちらつき、裏で手を回し和歌に仕事を与えているのが垣間見える。
 お座敷用の着物や簪も定期的に送られてくるが、それらはどれも和歌には見覚えのある物に近いものだった。
 品々は上等品で文句の付けようもない品。
ひとつだけ言わせてもらうなら、若松と言う若い新人芸者には到底似合わぬような、円熟した者にこそ似合うような品であったことくらいだろうか。
 



 和歌がそんな風に過ごしている間、ユキもまた日々の暮らしに追われていた。
性根のまっすぐで擦れていないその性格は、周りの遊女達からも可愛がられるものだった。
駒ネズミのようによく動き回り、キツイ仕事も弱音一つ吐かず働くその姿は、皆に一目置かれるようになる。
客からもらった菓子をこっそりもらったり、着た切りすずめ状態で店に入ったユキに着古した着物をくれてやったりと、何かにつけ目をかけてくれた。
それでも虫の居所の悪い時もある。気に入らぬ客の後の八つ当たりなどは仕方がないと、ユキも覚悟をもって受け入れていた。物を投げられたり足で蹴られたりはかわいいもので、煙管のふちを押し当てられ火傷を負わされた時には、さすがに花見が先輩女郎をきつく叱ってくれた。普段は見えぬ部分でも、客を取るようになればさらさぬわけにはいかない場所だ。
 そんな商売道具に跡を残すような傷をつけるなどあり得ないと、それはそれはキツイお仕置きを与えられ、ユキ本人が恐縮するほどだった。


「ユキ。悪いけど、また薬を頼まれてくれないか?」

 古参の遊女である豊川が、洗濯をするユキの背中からそっと声をかける。

「豊川姉さん、大丈夫ですか? やっぱり一度お医者に診てもらった方が?」
「ああ、大丈夫だよ。少し風邪気味なだけさ。だから、ね? 頼んだよ」

 そう言って金をユキの手に握らせると、そそくさとその場を後にした。
 ユキは急いで洗濯を終わらせると、裏の通用口に向かう。
 するとそこには、佐平が酒樽を転がしながら運び入れているところだった。

「どうしたユキ?」
「あ、うん」

 上手い言い訳が見つからず、ユキはキョロキョロと視線を動かし立ち尽くす。

「姉さんの頼まれごとか?」
 ユキは、佐平の問いにうつむいたまま無言でこくりと頷いた。

 豊川から頼まれた薬は正規の物ではない。遊女とて人の子だ、怪我もすれば病気にもなる。だが、医者にかかるには大金がかかる上に、それらは身体を売って稼いだ積み金から差し引かれることになる。
 太客、上客が付くような人気遊女ならまだしも、古参で遊女としては年増のとうの立った遊女には到底払えぬ金額だ。だから金の無い者は皆、裏で売っている闇の薬を口にする。誰が何を使いどうやって作っているかもわからない、そんな怪しい物を口にするのだ。その分値は安い。だがその後、どうなるかもわからない恐ろしい物だ。それでも背に腹は代えられぬと、怪しい物に手を出してでも症状を抑え客を取る。そうでもしなければ、格下の店に転売されるのだから。

「薬を……」
「豊川姉さんか?」

 こくりと頷くユキの胸が申し訳なさでいっぱいになる。これは内緒ごとなのだ。病気を誰にも気づかれぬよう、内緒だからユキに頼んだのに。

「わかった、俺も一緒に行く。あんな危ない所、おめえ一人で行かせるわけにいかねえだろ。番頭さんには俺から話すから、おめえはここで待ってろ」
 そう言うと、小走りで店の裏に消えて行った。

 怪しい品は、怪しい場所にあるものだ。ましてやここは花街、どんな人間がいるかもわからない。小娘が一人で歩き回れば何をされるか……。
 大事な商売物をさらわれぬよう、傷つけられぬようにとそれぞれの店で結託をし、用心棒代わりの男衆を置いている。他の店の商品でも、お互い様だと目を光らせてはくれている。だから、日中人目のつく所なら安心して歩くこともできるが、裏街道の怪しい店まで手が回らないのが実状だった。
 豊川の頼みで何度か買いに走ったユキだが、正直怖い思いをすることもあった。だから佐平の提案は正直ありがたかった。

「お待たせ。番頭さんに言ってきた。ついでに使いを頼まれた。だから気兼ねは要らない、お前は荷物持ちだ。のんびり行こう」

 ユキと佐平は並び、裏口の門をくぐるのだった。


しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

付喪神狩

やまだごんた
キャラ文芸
古い道具には年月と共に人の情念が蓄積され、それが意思を持ったものが付喪神と呼ばれる。 容姿端麗だが口も性格も女癖も悪い大和御門は日本で唯一の付喪神狩として、付喪神を祓う能力者。 自分に取り憑いた大口真神を引き連れ、同居中の相方・棚橋亨と繰り広げる現代異能バトル

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

まひびとがたり

パン治郎
歴史・時代
時は千年前――日ノ本の都の周辺には「鬼」と呼ばれる山賊たちが跋扈していた。 そこに「百鬼の王」と怖れ称された「鬼童丸」という名の一人の男――。 鬼童丸のそばにはいつも一人の少女セナがいた。 セナは黒衣をまとい、陰にひそみ、衣擦れの音すら立てない様子からこう呼ばれた。 「愛宕の黒猫」――。 そんな黒猫セナが、鬼童丸から受けた一つの密命。 それはのちの世に大妖怪とあだ名される時の帝の暗殺だった。 黒猫は天賦の舞の才能と冷酷な暗殺術をたずさえて、謡舞寮へと潜入する――。 ※コンセプトは「朝ドラ×大河ドラマ」の中高生向けの作品です。  平安時代末期、貴族の世から武士の世への転換期を舞台に、実在の歴史上の人物をモデルにしてファンタジー的な時代小説にしています。 ※※誤字指摘や感想などぜひともお寄せください!

【完結】東京・金沢 恋慕情 ~サレ妻は御曹司に愛されて~

安里海
恋愛
佐藤沙羅(35歳)は結婚して13年になる専業主婦。 愛する夫の政志(38歳)と、12歳になる可愛い娘の美幸、家族3人で、小さな幸せを積み上げていく暮らしを専業主婦である紗羅は大切にしていた。 その幸せが来訪者に寄って壊される。 夫の政志が不倫をしていたのだ。 不安を持ちながら、自分の道を沙羅は歩み出す。 里帰りの最中、高校時代に付き合って居た高良慶太(35歳)と偶然再会する。再燃する恋心を止められず、沙羅は慶太と結ばれる。 バツイチになった沙羅とTAKARAグループの後継ぎの慶太の恋の行方は? 表紙は、自作です。

訳あり冷徹社長はただの優男でした

あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた いや、待て 育児放棄にも程があるでしょう 音信不通の姉 泣き出す子供 父親は誰だよ 怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳) これはもう、人生詰んだと思った ********** この作品は他のサイトにも掲載しています

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

【完】経理部の女王様が落ちた先には

Bu-cha
恋愛
エブリスタにて恋愛トレンドランキング4位 高級なスーツ、高級な腕時計を身に付け ピンヒールの音を響かせ歩く “経理部の女王様” そんな女王様が落ちた先にいたのは 虫1匹も殺せないような男だった・・・。 ベリーズカフェ総合ランキング4位 2022年上半期ベリーズカフェ総合ランキング53位 2022年下半期ベリーズカフェ総合ランキング44位 関連物語 『ソレは、脱がさないで』 ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高4位 エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高2位 『大きなアナタと小さなわたしのちっぽけなプライド』 ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高13位 『初めてのベッドの上で珈琲を』 エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高9位 『“こだま”の森~FUJIメゾン・ビビ』 ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高 17位 私の物語は全てがシリーズになっておりますが、どれを先に読んでも楽しめるかと思います。 伏線のようなものを回収していく物語ばかりなので、途中まではよく分からない内容となっております。 物語が進むにつれてその意味が分かっていくかと思います。

処理中です...