ユキノホタル ~名もなき遊女と芸者のものがたり~

蒼あかり

文字の大きさ
26 / 43

~26~

しおりを挟む
 同じ日、同じ時に皆と花火を見たユキは、始めて見たその美しさが忘れられず、しばらくの間佐平や他の遊女を捕まえては綺麗だったと話して聞かせていた。
「綺麗だった」「雷は嫌いだけど、花見の音は平気」「忘れられない、もう一度見たい」と何度も同じ話をし、そして最後には「でもね、里で見た蛍の小さな光も綺麗なんよ。皆にもあれを見せてあげたい」と話して聞かせるのだった。
 それを聞きながら佐平は、そんなささやかな夢を叶えてやりたいと願った。


 花街の日常は変わらない。変わるとすれば、店に顔を出す客が違うだけ。
 与えられた仕事が普通と違うだけで、彼女達の日常は町の娘たちとも変わらない。同じように時を重ねていくだけ。


そうして月日は流れ。
ユキは十七になり、和歌は十九を迎えようとしていた。
 代り映えのしない日常の中。同じ花見の下で働きながら、遊女と芸者では身を置く立ち位置が違う。直接顔を合せることはないけれど、内と外とでその存在を確かめることは出来た。
 お座敷に呼ばれた行き帰り、和歌が町なかを歩いて回る時に、遊女屋の中からユキの姿を見ることがある。
 互いの存在に気が付けば、微笑み手を振ったりもしてみせた。
 毎日、毎回ではないけれど、時折見るその姿で互いに元気でいることを確かめあっていた。
 隣に並び身を寄せ合いながら花見の前で頭を下げた二人は、お互い幸せになりたいと願っていた。無理ならば、せめて相手だけでも幸せになれるようにと願い続ける。

 それなのに、運命とはどうして悪戯に少女たちを翻弄するのだろうか。



 それは突然だった。
 ある日、いつものように和歌が自分の部屋から町を見下ろしていた時の事。
 芸者置屋の二階に部屋を持つ和歌は、座敷に出る身支度をする前に、部屋の窓から花街を見下ろすのを日課にしていた。
 よく晴れた日には、自分で洗った手ぬぐいを窓辺に干したりしながら、行きかう人を眺めたり、灯りゆく提灯の灯りを眺めたりしていた。
 そんな時、今自分がいる置屋の隣から人の出入りが目に入る。
 ふと視線を下ろせば、花見のいる本家から出て来る男の姿があった。

 ぼんやりと眺めていた和歌の心臓は「ドクン」と音を立てて動き出す。
 忘れていた。忘れるように、忘れなければと思い、思い出すことを禁じていた、その人の姿がそこにはあった。
 
「小太郎!」

 和歌は夢中で部屋を飛び出し、置屋の前を通り過ぎようとする小太郎に向かって駆け出していた。
 階段を転げるようにおり、草履を履くことすらも忘れて裸足で外に飛び出そうとする。だが、それを玄関そばで見張りのように外仕事をしていた男衆に呼び止められる。「若松! どうした?」その言葉にハッと我に返ると、何でもないとしどろもどろに言い訳をし、すごすごと部屋に引き下がっていくしかなかった。

 急ぎ部屋に戻ると、再び窓辺に座り外を眺める。
せめてもう一目、後ろ姿でもいいからもう一度見たいと願いながら。
 どこ?どこにいるの?と、視線をさ迷わせると、少し離れた木の陰に隠れるようにして小太郎が立ち、こちらを見ている。
 まさか彼も自分に気が付いてくれたのか?と、喜びで胸がいっぱいになる。
 窓から大きく手を振り合図を送ると、最初から気が付いていたのだろう、向こうも小さく手を振ってくれた。それだけで和歌の心は熱くなった。
 二度と会えないと思っていた人がいた。その瞳に自分を映し、手まで振ってくれている。それだけで少女の胸は熱くなった。
 小太郎はあの時よりも少し痩せてはいるが、以前よりももっと落ち着いた風であり、男前を上げているようだった。
 初めて会い、身体を合わせたあの日から何年も経っている。
 忘れられてもおかしくないのに、覚えていてくれた。それが嬉しくて和歌の頬は自然に緩んでしまう。

 声など届く距離ではないし、大きな声を上げれば周りに気付かれてしまう。
 二人はただ見つめ合うだけで、声を聞くことも、指を絡ませることも出来ないまま口惜しい時間を過ごしていた。

「若松。そろそろ支度をしてちょうだい」

 和歌の背から姉芸者の声がする。「は、はい!」と慌てて振り返り、咄嗟に窓を隠そうとする。その慌てた姿が気になったのか、「何?面白い物でもいた?」と、姉芸者はつかつかと近寄り窓から外を覗き込む。
「あ!」と隠す間もなく隣に立った彼女は、「なんだ、何もないじゃない。早くしなさいね、時間がないわよ」そう言うと「ピシャリ」と障子を閉め部屋を出て行くのだった。
 「ほっ」とするのも束の間、急いで障子を開けて外を見るも、もうそこに小太郎の姿は無かった。
 やっと見つけたその姿はあっと言う間に消えてしまった。
 でもこれで良いんだ。仕方ないのだと言い聞かせ、和歌は座敷に出る支度をし始めた。


 姉芸者や荷物持ちの男衆と共にお座敷を終えた帰り道、他愛もない話をしながら置屋に向かって歩いていた。
 昼間の小太郎のことを思い出しながら、皆の輪から少しだけ遅れて和歌が歩いていると、突然肩に『ドン』と衝撃を感じた。
 両手で抱えていた手荷物が地面に落ちると、「あ!」「すいやせん。酒で足がふらついちまって。申し訳ねえ」と、ぶつかり合った二人が同時に声を上げた。
 しゃがんで荷物を拾おうと二人同時に膝を折り顔が近づいた。すると、
「明日、裏の祠で待ってるそうです」と、微かに聞こえる声が耳元にささやかれた。慌てて顔を上げ男の顔を見るも、知らぬ顔。
 男は何事もなかったように「いやぁ、こんな綺麗な芸者さんと肩を合わせられるなんて運がいい。どうも、申し訳なかったですね。じゃ」と言ってそそくさと去って行った。
 「若松、大丈夫だった? なんだか調子の良い男だったけど、あんた何か盗まれてないかい?」
 心配して声をかけてくれる姉芸者に、
「ちょっとぼんやりしていて。手提げの荷物は出ていないから大丈夫です。心配かけました」とほほ笑んで見せた。
 「そう、ならいいけど。あんたは意外に抜けてるところがあるからね。さ、私の横にお並び、一緒に戻ろう」
 そう言って優しく声をかけてくれ、和歌は今度こそ皆に遅れないように置屋に戻るのだった。

 今晩の座敷はこれで終わり。和歌は浴衣に着替えると、一人部屋で考えた。
 先ほどの男は「明日、裏の祠で待ってるそうです」と言った。
 誰がとは口にしていない。それでも、その相手がだれかなど、もはや考えるまでも無い。きっと小太郎だ。小太郎がまだこの地に残り、自分に会いたいと思ってくれている。そう思うと、昼間とは違う何かが身体の内側からせりあがるような気持ちになってくる。
 その晩、和歌は横になっても眠ることができず、まんじりともしないまま朝を迎えた。

 

 花街と呼ばれる一河の地には小さな祠があった。
 運河の入り口近くの片隅に据えられたその祠は、何を祀っているのかも、誰が管理しているのかも今は知る者もいない。だが、この祠を心の拠り所にし、遊女や芸者たちが掃除をし、お供えを上げたりしながらその姿を守り続けている。
 和歌も何度かここに足を運び、願をかけたことがある。
 女たちは日々様々な願いを唱える。もっと客が付き売れっ子になれるように。
 早く年季を返し自由になれるように。遊女とはいえただの女だ。客に惚れることもあるだろう。そんな男を自分のものだけにしたいと、無理とわかっていても、神に何かにすがりたくなるとここに来て手を合わせるのだった。

 花街の朝は遅い。そんな中、夜も明け切った頃に和歌は一人置屋を後にした。
 花街の中でなら外出は基本自由にできる。しかしその時には男衆が護衛として付いたりもするが、この時間帯はすでに客も船で引き揚げ、周りは各店の関係者がほとんどだ。それぞれの店の人間が他店の娘にちょっかいを出すことはしない。中には小間物などを扱う店もあり、そういった店に買い物にも出かけたりできるため、おかしな時間帯でなければ不審に思われることはなかった。

 和歌はその日、月の触り用の綿を買いに行くと言って出かけた。月に一度は必要になる物のため、特に疑われることは無かった。
 周りに気付かれぬよう、平静を装い祠に向かう。自然と気が急いて足取りが早くなる。この角を曲がれば到着すると、そう思った時。和歌は腕を掴まれ奥に引き込まれてしまった。
 突然のことで声も出せず、腕を掴んだままの男にその身を覆われてしまった。



「和歌」

しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

付喪神狩

やまだごんた
キャラ文芸
古い道具には年月と共に人の情念が蓄積され、それが意思を持ったものが付喪神と呼ばれる。 容姿端麗だが口も性格も女癖も悪い大和御門は日本で唯一の付喪神狩として、付喪神を祓う能力者。 自分に取り憑いた大口真神を引き連れ、同居中の相方・棚橋亨と繰り広げる現代異能バトル

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

まひびとがたり

パン治郎
歴史・時代
時は千年前――日ノ本の都の周辺には「鬼」と呼ばれる山賊たちが跋扈していた。 そこに「百鬼の王」と怖れ称された「鬼童丸」という名の一人の男――。 鬼童丸のそばにはいつも一人の少女セナがいた。 セナは黒衣をまとい、陰にひそみ、衣擦れの音すら立てない様子からこう呼ばれた。 「愛宕の黒猫」――。 そんな黒猫セナが、鬼童丸から受けた一つの密命。 それはのちの世に大妖怪とあだ名される時の帝の暗殺だった。 黒猫は天賦の舞の才能と冷酷な暗殺術をたずさえて、謡舞寮へと潜入する――。 ※コンセプトは「朝ドラ×大河ドラマ」の中高生向けの作品です。  平安時代末期、貴族の世から武士の世への転換期を舞台に、実在の歴史上の人物をモデルにしてファンタジー的な時代小説にしています。 ※※誤字指摘や感想などぜひともお寄せください!

【完結】東京・金沢 恋慕情 ~サレ妻は御曹司に愛されて~

安里海
恋愛
佐藤沙羅(35歳)は結婚して13年になる専業主婦。 愛する夫の政志(38歳)と、12歳になる可愛い娘の美幸、家族3人で、小さな幸せを積み上げていく暮らしを専業主婦である紗羅は大切にしていた。 その幸せが来訪者に寄って壊される。 夫の政志が不倫をしていたのだ。 不安を持ちながら、自分の道を沙羅は歩み出す。 里帰りの最中、高校時代に付き合って居た高良慶太(35歳)と偶然再会する。再燃する恋心を止められず、沙羅は慶太と結ばれる。 バツイチになった沙羅とTAKARAグループの後継ぎの慶太の恋の行方は? 表紙は、自作です。

訳あり冷徹社長はただの優男でした

あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた いや、待て 育児放棄にも程があるでしょう 音信不通の姉 泣き出す子供 父親は誰だよ 怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳) これはもう、人生詰んだと思った ********** この作品は他のサイトにも掲載しています

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

【完】経理部の女王様が落ちた先には

Bu-cha
恋愛
エブリスタにて恋愛トレンドランキング4位 高級なスーツ、高級な腕時計を身に付け ピンヒールの音を響かせ歩く “経理部の女王様” そんな女王様が落ちた先にいたのは 虫1匹も殺せないような男だった・・・。 ベリーズカフェ総合ランキング4位 2022年上半期ベリーズカフェ総合ランキング53位 2022年下半期ベリーズカフェ総合ランキング44位 関連物語 『ソレは、脱がさないで』 ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高4位 エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高2位 『大きなアナタと小さなわたしのちっぽけなプライド』 ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高13位 『初めてのベッドの上で珈琲を』 エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高9位 『“こだま”の森~FUJIメゾン・ビビ』 ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高 17位 私の物語は全てがシリーズになっておりますが、どれを先に読んでも楽しめるかと思います。 伏線のようなものを回収していく物語ばかりなので、途中まではよく分からない内容となっております。 物語が進むにつれてその意味が分かっていくかと思います。

処理中です...