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しおりを挟む今日の晩飯が乗った盆を左手に持ち、佐平は襖を開けると明るい声でユキの名を呼んだ。
「腹、減っただろう? 遅くなって悪かったな。医者を送り届けてたら遅くなっちまった」
「ううん。そんなにお腹もすかないから大丈夫」
ユキは薄い布団の中で身体を起こし、元気なく答えた。
この部屋も布団も、全てが部屋付きの頃とは雲泥の差だ。仕方ないとはわかっている。金を稼ぐどころか、金を食いつぶす者に良い物を与える訳がない。
「冷めちまったな。明日はあったかいうちに持ってくるから」
「いいの、気にしないで。ここのご飯は冷めても美味しいから」
そう言って膝の上に盆を乗せると箸を持ち食べ始めた。時間が経ち、飯も汁も冷めている。それでも美味しいと不満を漏らすことも無く口に運んでいる。
「お仕事は大丈夫? うち、一人で食べられるよ」
「ん? そうだな、ちょっと見て来るわ。また後で椀を取りに来るから。ちゃんと全部食べるんだぞ」
佐平の言葉に「ええ、全部は無理だよ」と笑うユキ。ほんの一瞬の会話で彼女の心は和むのだろう。梅岡ではなくユキに戻っていることに佐平は安堵し、仕事に戻って行った。
手を振り佐平を見送ると、ユキは堪えていたように激しい咳をする。
医者に渡された薬など気休め程度の物で、ユキの身体を休めることすらできていない。膝の上に乗った晩飯も喉を通りそうにない。それでも、せっかく佐平が持って来てくれたのだからと、汁だけでもと口にするが、冷たくさめた汁は凍えた体をさらに冷やしてしまう。
人気の無い離れのようなこの小部屋は、雨戸を閉めても隙間風が入って来る。
冬を迎え寒い部屋には小さな火鉢しか暖を取る物が無く、凍える身体を温めようと布団にもぐるが、薄い布団ではそれもままならない。
それでもないよりはましだと体を丸く縮こませ、頭まで布団をかぶり暖を取った。布団の中で吐く息の暖かさで、次第に暖かくなるような気がして来る。
呼吸も落ち着き、ユキはいつしかウトウトとし始めていた。
しばらくして様子を覗きに来た佐平は、薄っぺらの布団にくるまり眠るユキを見て、込み上げるものを堪えきれずに廊下に出ると、声を殺して泣いた。
何も悪いことをしていないのに、なぜこんな思いをしなければならないんだと、怒りの矛先をぶつける場所を見つけられずに自分を責めた。
ユキも、自分自身も悪くないことは百も承知だ。だけど、この胸の思いを誰かにぶつけなければ収まりが付かないのだ。
壁に向かい拳を叩きつければ、脆い壁はメキッと音を立て穴が開いてしまった。どうせ誰も来ない部屋だ。こんな部屋に押し込めた店を憎み、今まで躰を張って店に尽くしてきたのにと、花見や桔梗を恨んだ。
佐平は下っ端の男衆が雑魚寝をする部屋から自分の布団を運び出すと、ユキのいる部屋へと向かう。
ユキの隣に自分の布団を敷いた佐平は、彼女を優しく起こした。
「ユキ、起きてくれ。隣の布団に寝よう、ユキ」
佐平の声に目を覚ましたユキは、隣の布団を見て驚いていた。
「これ、どうしたの?」
「奥の布団部屋から運んできた。こっちの布団の方が綿が入ってる。こっちに移動して寝ろ」
そう言うと、ポンポンと布団を叩き、笑顔でユキを誘導するのだった。
「今までみたいにふかふかの布団ってわけにはいかないが、その布団よりずっといいぞ。さあ、早くこっちにこい」
笑顔の佐平につられるように「いいの?」と言いながらも、嬉しそうにユキは佐平の布団に移動した。「あったかい」掛布団から顔を出し嬉しそうに笑うユキに、佐平も自然と笑みがこぼれた。
「今日から俺もここで寝るから。ずっと手を繋いでいれば悪い夢は見ねえだろう? だから安心して眠るんだ」
「え? 佐平さんがここで?」
「ああ。お高さんには了承をもらってる。だから心配するな」
「ええ、良いの? でも、嬉しい。ここは、ちょっと怖かったから」
恥ずかしそうに笑うユキの頭をそっと撫で、「またすぐに戻るから、それまで大人しく寝てるんだぞ」と、佐平は仕事に戻って行った。
晩飯を届けた後、佐平はお高に声をかけられていた。
「あの子は結核だ。本来隔離しなきゃいけない病だよ。あんたに押し付けるように世話役を頼んだけど、うつる危険もあるんだ。嫌ならそう言ってくれるかい。
今までずっと、そういう子達の面倒は私が見て来たんだから。嫌なら私がするからね、気にしなくていいんだよ」
お高の言葉に佐平は間髪入れずに返事をした。
「いえ、ユキの面倒は俺が見ます。どうなったとしても、最後まで俺がそばにいます」
「そうかい……、すまないね。できるだけのことはしてやりたいから、仕事の合間に様子を見に行くのはかまわないよ。番頭さんにも言っておくから」
「あの、今日から俺もあの部屋で寝泊まりしてもいいですか?」
「おまえ。それだとうつる確率が上がってしまう。そこまで無理をすることはないんだ。夜はしっかり寝た方が……」
「俺がそうしたいんです。うつったら、その時はその時です。
これだけは後悔したくないから」
悔しさを滲ませた瞳はまっすぐにお高を見つめていた。
彼の思いの覚悟を知ったお高は、もうそれ以上は何も言うまいと思う。
「そうかい。じゃあ、最後まで好きにすると良い。こっちは上手い事やっておくからね、心配しなくていいよ」
「ありがとうございます。お高さん」
頭を下げ礼を言う佐平を見て、お高は少しだけ羨ましくも思った。
ここまで想われる女の気持ちをとうとう知らずにここまで生きてしまった。
遊女として数多くの男と肌を合わせても、ただ一人の心をも得ることは出来なかったのだ。この地で生き残ったのは、ただ運が良いだけだ。そこに女としての幸せは微塵もない。
それが良いのか悪いのかはわからない。ただ、この地で世間を知らずに消えていく人生なら、ユキのようにたった一人に想われ、支えられて散らすのもまた女の幸せなのかもしれないと、ふとそんなことを思うのだった。
その晩から佐平はユキの部屋で寝ることにした。
持ち込んだ自分の布団にユキを寝かせ、自分はユキが寝ていた薄っぺらのせんべい布団を隣に敷き、そこに横になった。
そして、布団から手を伸ばしユキの手を取る。先ほどよりもわずかに暖かくなった手を掴み、佐平は安心した。
「佐平さん?」
「あ、悪い。起こしちまったか?」
佐平は隣に眠るユキを覗き込むように身を起こした。
「佐平さん、布団は?」
「ん? 俺は元気だし、男だから大丈夫だ。気にするな」
自分が先ほどまで使っていた薄い布団で眠る佐平を見たユキは、自分の布団をめくると笑って言った。
「一緒に寝よう。ふたりの方が暖かいよ」
何の屈託もなく言うユキの顔は笑っている。
今まで客を取り続け、感覚が麻痺しているわけでは無い。ただ、佐平の身体が心配なだけだった。
「おめえ、そういうのは客に言うもんだ。俺は客じゃねえぞ。馬鹿が」
少し照れくさそうに話す佐平に、「うふふ」と笑い、
「佐平さんは客じゃないよ。うちも佐平さんだから、言ったんだもん」
と、明るく返事をする。それを聞かされた佐平は、毒気を抜かれたのか「仕方ねえ」と言いながら、どこか嬉しそうにユキの布団に潜り込むのだった。
狭い布団の中ではみ出さないように互いをくっつけ合い、佐平がユキを抱きしめるように横になる。
「あったかい」
「そうだな。こうしてると暖かいな」
心を許し合った二人に言葉は要らない。
こんな小さなことに幸せを感じ、このまま時が止まれば良いとユキは願うのだった。
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