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しおりを挟むあの夜会の後、二人のことは社交界で瞬く間に噂に上り、そしてついには王弟殿下の肝煎りで舞台の演目にまでなっていた。
普通は脚本を練り、舞台俳優を決め、そして練習を積んでからになるのだから、そんな簡単なはずはないのに。
そこはそれ。権力と金がモノを言うのだろう。
あの夜会の後、一か月ほどで舞台は幕を開いたのだった。
「ああ、シンシア。何度見ても素晴らしい舞台だわ。あなたも早く観に行くべきよ」
「なぜ私が観に行かなければならないのか、意味がわかりません。
大体から王太子妃ともあろう方がお忍びで何度も足を運ぶような場ではありません。おわかりでしょう?」
「あら、そこまでしても観たいのよ。あなたも見ればわかるわ。
だってあの女優さんたら、あなたに似て本当に可愛いのよ。お相手の俳優さんも雰囲気がセドリック様に似ていてね。よく探して来たと思うわ。ねえ?」
「はい。本当によく似ていらっしゃるんです。それはもうビックリするくらいに」
「ええ、本当にシンシア様に雰囲気が似ていらして、とても可愛らしい女優さんなんですよ。お相手の方もセドリック様を少し優しくした感じの方で、本当にお似合いなんですぅ」
お忍びで舞台を観に行った者達は、口を揃えて素敵な演目だと言う。
王太子妃がお忍びで何度も観に行くなど、警護の観点からもあり得ないのだが、そこは王弟殿下がパトロンをしている劇団だけあって、しっかりとしているらしい。
実は王妃殿下すらも観に行ったとかなんとか?
「まったく信じられないわ」
シンシアは大きくため息を吐く。
そして、諦めたように目の前で繰り広げられる舞台の話を右から左に聞き流すのだった。
「演劇の話は……、もう耳に入っていると思うが……」
この前の帰宅時待ち伏せの一件以来、なぜかセドリックと一緒に帰るようになったシンシア。
二人きりの車内で口数が多いのはセドリックの方で、仕事一辺倒の真面目人間と言われた人からは想像も出来ない姿だ。
シンシアもどちらかと言えばおしゃべりな方だが、セドリックの前では聞き役に回る方が多い。一日働いた体には、その方が楽なのだ。
「王弟殿下のそれですね。オリヴィア様はもう、何度かお忍びで観覧されています。
噂では王妃殿下も行かれたとか?」
「ああ、そうだな。王妃殿下の段取りをしたのは私だから」
「な! それをお止めするのがあなたの務めでしょうに。なにを考えていらっしゃるのですか!?」
セドリックの言葉にシンシアは身体を乗り出し、向かいに座る彼に食いつく勢いで叫んだ。
肩で息をするシンシアの真剣な表情を可愛いと思い、思わず見入ってしまったことは口にしてはいけないと『ぐっ』と飲み込んだ。
「本当は国王も見てみたいとのことだったが、それはお止めした」
「あ、当たり前です!!」
国王の暴走を止めたことに対して少しは褒めてもらえるかと思ったが、それはなかったことに少し残念そうな顔をしてみせたセドリックに、「なんですかその顔は?」と、しっかり苦言を呈することを忘れないシンシア。
「その、なんだ。一緒に行ってみないか?」
「はあ~?」
期待通りの返事が返って来て、少し苦笑いを浮かべるセドリックに対し、「何を笑っているのですか?」と、お小言を並べ始めるシンシアだった。
自分たちがネタになっている演劇など見て、何が楽しいのか?
それを喜ぶ周りの者達もどうかしている。
もとはと言えば、こうなった原因はあなたにあるのだから、キチンと反省しろ。
と、まあ。こんな内容の話をグチグチと並べ立てる姿は幼い顔立ちも相まって、子犬がキャンキャン吠えているように見える。そんな姿も可愛らしいと心の中でそっと思うだけに留め、決して言葉にしないようにと口を閉じるのだった。
―・―・―
「で? どうだった?」
「……ええ、まあ。演目の内容的にはよく出来たお話だと思います。そこは、さすが王弟殿下監修といったところでしょうか?」
「そうでしょう? 良かったでしょう? 素直に面白かった、良かったですって言えばいいのに」
長椅子に腰を下ろし、紅茶を飲みながらほくそ笑んでいる王太子妃オリヴィアを見て、シンシアは感情を殺し無表情で答えてみせた。これも王太子妃専属侍女に必要なスキルだ。
あれから王弟殿下まで現れ、御礼を言われた。
「とても盛況でね。劇団の者も大変喜んでいるよ」
それはそうだろう、連日立ち見が出るほどの盛況だと聞いている。それだけ人が入れば懐が十分潤うのは頷ける。
「そこでだ。この演目のモデルになった君たちにもぜひ一度観てもらいたいと思ってね。どうだろうか?」
どうだろうか?などとこちらの予定を聞いているようで、これは事実上命令だ。
「ぜひ、一度観たいと思っておりました。な? シンシア」
「え? ええ、そうですわね……」
「そうか。それは良かった。急で申し訳ないが明日の席が取れてね。個室だから邪魔が入らずふたりきりで楽しめるはずだ。
劇団の者達も喜ぶよ。ありがとう」
満面の笑みでセドリックと握手まで交わす王弟殿下に対し、誰が「行きません」などと言えようか?
「楽しみです」
と、作り笑顔で答えるのがやっとのシンシアだった。
そして昨日。ついにというか、やっとというか。お忍びのような出で立ちでこっそりと観に行った二人。
演目は確かに面白かった。セドリックの元婚約者もそれほど悪者に演出されることもなく、すれ違う二人が愛を確かめ合い甘々な話しで終るといった内容。
巷では浮気だとか、断罪だとかといった内容の物が好まれると聞いていたが、結局はいつの時代も幸せを求めているのが人間と言うものなのかもしれない。
王弟殿下に忖度した人間がチケットをバラまいていると話も聞くが、それでもやはり人々が求め、見たいと願うのは幸せな話しなのだろうかと、そんなことを漠然と考えながら観劇を観ていたのだった。
「面白かったな」
「……ええ、そうですね」
帰りの馬車の中、驚いたような顔でマジマジと見つめられ、気恥ずかしさを感じたシンシアは「私だって普通の方と同じ感性を持っていますから」と、すまし顔で答えた。
それを正面の席で見つめていたセドリックは、
「実は舞台というものを始めて観て、以外に面白い物だなと思ったんだ。今度は違う演目が観てみたいのだが、一緒にどうだろうか?」
セドリックは舞台演劇を始めて観たらしい。これはまた意外だなと思った。
前の婚約者とはそういうことをしないままに留学をしてしまったのだろう。
舞台を観るのは嫌いではない、どちらかと言えば好きなシンシアは迷わず即答した。
「これからいくらでも観に行ける時間はありますわ。楽しみですね」
俯き、優し気にほほ笑む彼女の顔をとろけるような眼差しで見つめるセドリック。
だがそれを見られる前にすぐに表情を戻すと、「楽しみがまたひとつ増えたな」と、嬉しそうに答えるのだった。
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