魔法学園の悪役令息ー替え玉を務めさせていただきます

オカメ颯記

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「兄さん? い、痛いよ」

 彼は弟の講義には構わず、無言でリーフを地面に膝をつかせて、自分も片膝をつく。俺のほうに向かって。追い詰められたような彼の鋭い視線に俺は虚を突かれた。

「大変失礼いたしました。公子殿下。私の弟が何か粗相をいたしましたでしょうか」

 俺は何を言われているのかわからなくて、ただただ頭を下げるリーフの兄の黒い髪を凝視した。リーフをつかむ兄の指が白くなっている。

「兄さん、痛いって」

「リーフ、頭を下げるんだ」
 彼は力づくで弟の頭を地面に擦り付ける。
「大変申し訳ありません。弟が何かお気に召さない行動をとりましたでしょうか」

「え? いや」
 俺は口を開けたけれど、言葉を何も思いつかなかった。立ち上がっては見たけれど、どうしていいのかわからない。

「私たちはしがない平民にすぎません。もし、弟がお気に触ったようなことがあれば、それは私の責任です。どうか、弟にお目こぼしを……」

 何をいっているんだ? お目こぼしって、俺たちはただここでご飯を食べているだけなのに。

「ラーク」
 イーサンが慌ててこちらに走ってくる。
「どうしたんだ。いったい」
 イーサンは俺とリーフ兄弟を見くらべて、俺に尋ねた。

「な、なにも」
 かろうじて、それだけが口からこぼれる。

「本屋、いいよ。もう、行ってくれ」
 イーサンがリーフ兄弟に手で合図した。

「ハーシェル殿、感謝いたします」
 本屋と呼ばれた青年はもう一度頭を下げて立ち上がると、弟の腕をつかんで一目散に俺たちの前から消えた。

「ラーク。おい、なにがあった?」
 イーサンが心配そうに顔を覗き込んでくる。

「なにもしてない。俺、ただ、ここでご飯にしようって」
 目を落とすと弁当の包みを抱えたままだった。

「そうしたら、あいつがきて、いきなり」
 背筋が震えた。なんだろう、これは。
 混乱の呪文をかけられたら、こんな感じなのだろうか。頭の中がぐちゃぐちゃして思考がまとまらない。

「落ち着けよ。そうだ。これを持ってきたんだ」
 イーサンが俺の持っているのと同じような包みを取り出した。

「みろよ。君の好きなパンケーキだ。食べたいって言ってたよね」
 甘い香りが漂う。こんなに頭がぐちゃぐちゃしているのに、手がパンケーキに伸びる。

 あれ、俺は一体何をしているのだろう。
 おいしい。
 もぐもぐとケーキを食べているうちにだんだん心が落ち着いてきた。

「おいしい?」
「うまい。最高だ」
 俺が少しだけ微笑んだのを見て、イーサンも小さく笑った。

「それで、何があったんだ?」

「本当に何もしていなかったんだ。俺は、授業で友達になった子とお昼を食べようとしていたら、いきなりあいつが……あんなふうに謝ってきたんだ」

 ただの謝罪ではない。あれは明確な悪意だ。あんな形の敵意を向けられたことはいままでなかった。恨み? 憎しみ? 弟を守りたいという愛情? 守りたい? いったい何から弟を守るんだ?

「謝ることなんか、何もないのに」

「彼らは平民だからね」

「だから?」

 イーサンは手を前で組んだ。

「ラークは、平民が大嫌いだった」

 平民が、嫌い? 俺の中の優しくて無口なおとなしい少年の像が壊れ始めていた。

「……その態度を隠さなかったし、同じ学年の平民の生徒に対して、その、」
 イーサンは目をそらした。いわなくても、わかる。

「……食べ物を貢がせたのかな。裏に呼び出して、ここではねてみろ、とかいって小銭を……」

「……具体的だな。さすがにそんな下品なことはしていない……とにかく、彼、本屋のローレンスがとっさにああいう態度に出るようなことを、ラークはやっていた」

 俺はもぐもぐとパンケーキを食べた。食べるという行動でなんとか平静を保っていた。しばらくしてようやく一つの言葉が浮かんでくる。

「……最低の野郎だな」
 俺の考えていたローレンスは幻だった。気弱な笑いを浮かべてこちらを見ていた少年はどこにいたのだろう。

「……」
 イーサンも、俺の言葉を黙って聞いている。なにかを言い返すわけでもなく、ただ静かに寄り添ってくれていた。

「……俺はただ、友達と昼ご飯を食べたかっただけなんだけどな」
 俺は力なくつぶやき、パンケーキの包みを握りしめる。そして、食べ終わってもしばらくそこに座っていた。

「気にするなよ。……君のしたことじゃないから」
 イーサンが思いもよらぬ優しい声で話しかけてきた。
「何かあったら、僕に話してくれ。何とかできるものなら、力を貸す」
 その言葉に、俺の胸に会った重苦しいものが少しだけ和らいだ。味方がいる、そう思うだけで気持ちが軽くなる。

「……次の授業は何だ?」
 俺はぼんやりと彼の顔を見上げた。

「神学だ」

「じゃぁ、教室まで送ろう。僕は次の授業は休みだから」
 彼は立ち上がり、俺に手を差し伸べる。
 今、ここに、イーサンがいてくれることが俺の中で現実の支えのように感じられた。彼の手のぬくもりが、少しずつ俺の乱れた心を落ち着かせてくれる。

「ありがとな」
 俺はぽつりとそういった。イーサンは何も言わずに微笑み返し、俺を教室へ送ってくれた。


 神学は併設されている神殿の中での授業だった。神殿に入ると空気がひんやりしている。ここでもまだ生徒は集まっていなかった。俺はやはり目立たないように隅に座った。

 先ほどの出来事はまだ尾を引いている。事情が分かれば、本屋のローレンスを責めるわけにもいかない。一体ローレンスはどんなことを本屋のローレンスにしたんだろう。殴ったとか、つるし上げたとか。その想像が胸に重くのしかかる。

 本当は俺はやっていないといいたかった。俺がしたことじゃないのに。

 はぁ。俺は頭を掻きむしった。髪の毛が指の間で絡まり、無力感を一層強めていく。
 本当に、俺は知らないんだよ。理不尽だと思う。どこにこの気持ちを訴えたらいいのかわからない。

 ニャァ

 小さな声がした。横を見ると通路に白い猫が座っていた。その純白の毛は、神殿の壁よりも白く光り輝いている。

 ニャァ

 巻き付けたしっぽがピクリと動く。
 こんなところに迷い込んできて。一体どこから入り込んできたんだろう?
 俺は様子をうかがう。まだ授業が始まる雰囲気ではない。

「おい、どこから来たんだ?」

 ニャァ

「今から授業中だぞ」
 猫は優雅な動きで立ち上がると、ゆっくり神殿の後ろに向かって歩いていく。

「おい」
 俺は小声で猫を呼ぶ。
「どこに行くんだよ」

 まだ授業は始まりそうにもない。俺は猫を追いかけた。

 猫は俺が追いかけているのを気にも留めず、悠々と彫像の陰に消えた。

 彫像の後ろを覗くと、そこには狭い通路があった。猫なら余裕だが、人間は横向きにならないと抜けられないほど狭い空間だ。

 ニャァ

 猫は誘うように振り返って、先に進む。

「待てよ、待って」

 なんだかあの猫を追いかけないといけない気がして、心のどこかがざわつく。俺は彫像と石壁の間に身を割り込ませた。服が埃まみれになりそうだ。
 しばらく進むといきなり広い通路に出た。白い石で組まれた真っ白な通路だ。天井が異様に高い。

「なぁ、ここ、どこ?」

 猫は一瞬振り返ってから、とことこと歩調を速めて廊下を歩きだす。

「おい、待てって」

 俺が捕まえようとすると猫はするりと腕から逃げ出した。
 そのまま半開きになった扉の隙間を抜けていく。

 俺は扉に手をかけて中を覗いた。扉は思っていたよりもずっと軽く、ちょっとおしたつもりが全開になる。

 水の音がした。部屋の中に水が流れていた。学校の中庭にある水盤よりもずっと大きな池が部屋に作られていた。その中央に大きな木が植えられている。どのくらいの樹齢なのだろう。俺の知るどんな山の木よりも太い。

 ニャァ

 今度こそ俺は猫を捕まえるのに成功した。

「こら、どこに行くんだ」
 俺が抱き上げると猫は身をくねらせてゴロゴロとのどを鳴らした。
 人懐っこい猫だ。

「君」
 そっと後ろから呼びかけられて振り向いた。

 驚いた。気配もなく、神官が立っていた。

 腕の中の猫のように白い髪、白い肌、白い神官服。神殿の白い壁の前に立ったら背景と区別がつかないのではないかと思えるほど白い。
 神官を認めて、猫はニャアと鳴いた。
 俺の腕から降りて、神官の足に体をこすりつける。

「君が連れてきてくれたの?」

 風のささやきのような声は不思議によく響いた。

「いい子だ」
 そういって、神官は猫を抱き上げる。

「神官様」俺は慌てて、礼を取った。

「ありがとうね。連れてきてくれて」

 どちらかというと猫が俺を連れてきたんだけどな。でも、彼にそういわれるとそうだったような気もしてきた。

「君、この子に気に入られたみたいだね」神官はふふと笑う。「授業はあっちだよ」

 いてはいけないところにいるような気がして、俺は慌てて礼をして扉の外に出る。

 あれ? 

 俺は教室の入り口に立っていた。隅のほうに先ほどまで自分が座っていた席がある。広げてある本も先ほどと同じだ。

 あれ? 廊下は? 彫像の間の道は?
 俺は慌てて後ろの壁の隙間をのぞいたけれど、間は狭くて暗くてとても入れるような場所ではない。
 なにかに化かされたような気分だった。

 ガヤガヤと貴族の子たちがやってくる気配がしたので俺は慌てて隅の自分の席に戻る。

「それでは、今日は帝国と神殿のかかわりについてのお話をいたします」

 どこかで聞いた声だと思ったら校長室で会った神官だった。思っていた通り、ずいぶん若い。長い金の髪を後ろで束ね神官服を着ている姿は、この神殿に刻まれた壁画にそっくりだった。冷たくて表情のないところも含めて、だ。お近づきになりたくない人物、だな。俺は顔を伏せて極力目立たないように授業を聞く。

 授業の内容は帝国がまだ王国だったころの物語だった。一人の王が精霊を宿した少女と恋に落ちる。そしてその二人から5人の子供と5人の精霊の化身が生まれ、彼らは現在の公家の先祖となった。
 最初、子供たちは順々に王位を回していたが、やがて、王位をめぐっての争いが起きた。それを悲しんだ王は精霊に懇願する。どうか彼らの中で一番ふさわしいものを選んでくれと。精霊はその声を聴くものを集め、彼らは精霊の声で王たるものを選ぶようになった。

「……それが帝国の王と神殿の始まりだといわれています。神殿は王を支え、精霊が選んだ守護獣が国を支え、5公家は神殿と王に仕える。この原理は今も変わっていません」

 聞いたことがある。帝国の守護獣は俺たち戦士の宿す精霊を何百体も集めたよりも強力だと。それは帝国を支える神殿の力だ。
 俺の育った北の地の神殿も同じ精霊信仰のはずなんだけど。何か違うんだよね。

 神官の話は思っていたより面白かった。彼の流れるような語りはささくれ立った俺の心を落ち着かせるのには役に立った。
 授業が終わった後、俺はさっさと自分の部屋に戻るつもりだった。でも。

「ローレンス、君も聞いていたのですね」
 神官は穏やかに呼び止めた。
「どうですか? 記憶は戻りましたか?」

 ここは覚えていないといわなければ。俺は黙って首を振った。

「そうですか。徐々に戻ってくるといいですね。ローレンス」
 多分、ひどい記憶だ。たとえ本人であったとしてもあまり思い出したくない記憶だと俺は思う。
「でも、覚えていないからといって、いらいらするのは駄目ですよ。特に力で物事を解決するのはね」

 穏やかな言葉だけれど、その中にあるとげが俺に突き刺さる。
 こいつ、昨日のことをすでに知っているんだな。神官の笑顔が怖くて俺は下を向いた。

「精霊の教えは愛と調和ですよ。力に頼るものは力によって打ち負かされるのです。良く肝に銘じておきなさい」
 そういって、神官は俺の前から去っていった。俺は彼がどこかに行ってしまうまで顔を上げられなかった。
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