魔法学園の悪役令息ー替え玉を務めさせていただきます

オカメ颯記

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王位

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 俺は手を洗いに行った。水たまりの水は冷たかった。戻ると王子がじっと頭を垂れていた。なんだ? 悲しんでいる? 落ち込んでいる?

「アーサー様?」
 俺が声をかけると、王子は顔を上げて力ない笑みを見せた。

「すまない。君はこういうことに慣れているのか?」

「いえ。ぜんぜん。こんな洞窟に入るのは初めてです」
 北の洞窟は真っ暗でそれこそ灯りなしに入る気にはならない場所だった。子供には禁じられていたし、俺達も入ろうとは思わなかった。迷子になって永遠に洞窟の中をさまよう子供の話とか、洞窟の主に食われた話とか、そういう話ばかり聞いていたから。この洞窟は様子が違うみたいだけどな。

 俺が大真面目に言うと、王子は困った表情を浮かべて、それから自分の荷物の中を探し始めた。

「ああ。君。これを食べるか?」
 しばらくしてから、彼はクッキーのようなものを俺に渡した。

「ありがとうございます。でも、今は……ちょっといただきますね」

 後にとっておくべきだと思いつつ、俺は食べてみたい衝動を抑えられなかった。さすが王室御用達、非常食でもこんなにおいしいなんて。

「残りはとっておきます」
 俺は半分残ったクッキーをそっとしまい込んだ。ネズミに毒でもあったらこれが最後の望みになる。

「あ、俺も少しは食料があります」
 俺も手持ちを並べる。

「酒なのか。一体どこでこんなものを」王子は瓶を見てぎょっとしたように俺を見る。

「これは、兄貴のために調達したものです。それと、これも兄貴のつまみです」
 俺は言い訳をする。厨房からこっそりいただいてきた、なんて王子様の前で絶対にいえない。

「兄貴? アルフィン殿だな。彼とはうまくやっているのか?」

「鍛えていただいております」
「鍛えて、ね。なるほど」

 王子は俺をじっと見ていた。心の中が見透かされるような気がした。兄貴がこの男は厄介だといった意味が少しだけわかる。

「彼は面白い人物だ。先日、正式な挨拶ということで訪問を受けたが楽しい時間だった」
 あれ、兄貴、ちゃんと挨拶していたんだ。
「北の人間はああいう男ばかりなのだろうか」
 王子はつぶやく。

「酒は後にしよう。まず、ここをどうやって抜けるかを考えなければ」
 そう、まずここから抜け出さなければならない。幸いにも危険な生き物の跡は見当たらなかった。

「殿下はここが結界の中だといわれていましたが、前のときはどうだったのですか。……何しろ覚えていないので」
 俺はつつましやかに設定を付け足した。

「ああ。そうだね。話しておこう。最初の儀式だね。この儀式は最初簡単なものだといわれた。結界に入って、塔に上って、王座に備えられた宝珠を取ってくる。それだけだと。その過程で守護獣が生まれ、王座に座った次代の王を祝福する、という説明だった。だが……」
 俺は彼の言葉を待った。
「まさか送り込まれた先が化け物の巣だとは思わなかったのだ」

「化け物? 魔獣ですか?」
 思いもかけない言葉だった。聖なる神殿の結界内に化け物がでるなんて。結界は魔獣から人を守る盾ではなかったのだろうか。王子は何を思い出したのか顔をしかめて、首を振る。

「私の知る魔獣ではなかった。もっと生理的な嫌悪感を催すような、悪霊の類かもしれない。私たちはいくつかの組に分かれて塔を目指していた。学園内では塔までの距離はそんなにないと思うだろう? しかし、あの時は距離が何十倍にも伸びたように感じた。まるで違う場所の飛ばされたような、そんな感じだった」

 王子の目が宙をさまよう。
 俺は続きを促した。
「それで?」

「多くのものは途中で逃げた。逃げたのだと思う。とにかく、散り散りになって……」
 王子は俺の顔を真正面から見た。
?」

 真剣なまなざしに俺は圧倒される。俺は目を合わせていられなかった。本物のローレンスなら、ここでどうしただろう。彼なら、
「そうか、仕方ないな」
 王子はまた顔を伏せた。黒い髪が垂れて、表情を隠す。

「もう一度、周りを見てきます」
 俺は場を外した。俺の存在が彼を傷つけているような気がして、いたたまれない。

 俺は洞窟探索を再開した。ぐるりと回ってきたものの、状況は先ほどと変わりはなかった。光植物、キノコ、ネズミ以上。新しい発見はなかった。ところどころに岩の割れ目があって、何か所か潜ってみたけれど、同じような洞窟が続いているだけだった。風を感じるから、外とどこかで通じているのだろう。印だけつけて、元の場所に戻る。
 戻った時には王子は湯を沸かしていた。

「飲むか?」
 薄い紙のようなもので作ったカップを渡される。薄いけれど、確かにお茶だった。

「どこから、その入れ物を出してきたんですか?」
 この人は野営用の道具一式持ち歩いているのだろうか。あまりにも用意がいい。

「前のとき苦労したのでね。いつ何があってもいいように、持ち歩いている」
 王子はほかのいろいろな道具を広げてくれた。

「すごい道具ですね。僕も欲しいなぁ」
 これはいい道具だ。演習のときに持ち歩ければ、生肉を食べる危険を冒さなくても済む。

「これがほしいのか? 今度、魔道具師を紹介するよ」
 これを土産に持って帰れば、みんな喜ぶだろうな。俺は故郷の仲間を思い浮かべる。こういう魔道具は北の大地でこそ活躍するものだ。

「それで、どうだった?」

「大きな獣がいる雰囲気はありませんね。どこもここと同じようで」
 俺は空気の流れがあることを話す。「多分どこかに通じているのだと思います」

「洞窟の外があるということか」

「おそらくは。ここも神殿の結界の一部なのかもしれません。前回と比べてどうですか? 同じ結界の中のようですか?」

 王子はしばらく考え込む。

「わからない。誰かにここに送られたのなら違うのだろう。たぶん」

 困ったな。実質的な牢獄というわけか。外から助けてくれるとすれば、学校関係者だが。

「僕達がいなくなったことに学園は気づくと思いますか? 気づくとすれば、どのくらいの時間で?」

「いずれは。ただいつまでかかるのかはわからない。そもそも結界の中と外では時の流れが違うことがある。前のときもそうだった」

「こちらで一年過ごしていても、実際には数時間ということもあるということですか。あるいはその逆も」
 早く出ないとな。そんな焦燥感が胸をさいなむ。みんなは若いのに、俺だけ爺になるのはごめんだ。

「少し休んでから、また探索をしよう。しばらくはここにいないといけないようだからな」
 王子は自分の上着を脱いで床に敷いた。

「何か俺がすることはありますか?」
 例えばネズミを捕まえてくるとか。

「そうだな。することではないが、頼みがある」
 王子は言葉を濁した。

「なんでしょう」

「石を、返してくれないだろうか」
 王子は思いを吐き出すように、俺にそういった。

「石、ですか?」

「前に返しただろう。やはり、あの石は手元に置いておくべきだった。あれは、私にとっても大切なものだった。返してくれるかな」
 心のどこかがすっと冷めた。彼は気づいたのだ。俺とローレンスが別人だと。だから……

「あれは部屋に置いています。いいですよ。帰ったら、探します」
 胸にあたる石の存在を意識した。素直に返すとはいえなかった。
 この石の記憶が彼にとって大切なものであっても、これは俺にとっての道標でもある。

「そうか。ありがとう」
 王子はほっとしたように笑う。ローレンスの記憶の断片で見た優しい笑いだった。

 俺たちは交代で休むことにした。

 危険はないとは思うが、念のためにどちらかが起きておこうと、王子はいった。

 俺の眠りは浅く、うとうとと夢を見ては醒め、また夢を見ることを繰り返した。最後に覚えているのはイーサンと兄貴が馬に乗って神殿を蹂躙する悪夢だった。これは正夢になりそうで恐ろしい。

 目を開けると、王子が先ほどの位置で何か書いていた。魔法の炎がその横顔をぼんやりと照らしている。

「まだ、寝ていていいぞ」
 彼は俺が体を起こしたのを見て、そういった。

「そういっても、寝づらくて」

「よく寝ていたぞ。ぐっすりと」
 くすりと王子は笑う。

「殿下もお休みください。今度は僕が起きていますから」
 そうか? そういって王子は横になる。

「確かに寝づらいな」
 ふかふかとはいえない。豪華な寝台に慣れている王子様にはつらいだろうな。俺は慣れているけれど。

「すまなかったな」
 俺に背を向けて王子は言う。

「なにが、でしょう?」

「ここに送られたことだ。もし私が態度をはっきりさせていたら君が巻き込まれることはなかった。フェリクスに王位が渡ると確定すれば、周りの取り巻きも強引なことはしなかっただろう。ただ、正直言って、私はここに送られてよかったと思っている」

「え?」思わず驚いた声が漏れてしまった。

「私がここにいるとフェリクスが塔に上るだろう。彼が王になることが決まれば、今の争いはなくなる。君や君の友達が狙われることもなくなる」
 なぜこんな話を私はしているのだろう、と王子は自らを笑う。
「私はそもそも資格がないのだ。私は、守るべきものも守れない人間だから」

 俺は何も言えなくなる。彼の痛みや迷いを感じる。でも、俺にはそれを解きほぐす言葉がかけられない。
 本物のローレンスなら何と言っただろうか。

「そこまで考えられているなら、なぜ王にならないと宣言されなかったのですか?」

「……なぜだろうな。推してくれるものたちがいるから、私を信頼してくれている人がいるから。違うな。王にふさわしいといわれたからかもしれない」
 表情が一瞬和らいだ。
 貴方こそ王にふさわしい、か。俺が今そんな言葉をかけても彼は冗談だと思うだろうな。事情を知らない偽物には使えない言葉だ。

「変な話をしたな。悪かった。忘れてくれ」
 王子はお休みと手を上げる。

 俺は王子が眠りにつくまでじっと炎を眺めていた。

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