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王宮
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女性たちの控室を出ると、そこには相方を待つ男たちが談笑する広間だった。俺から見ると北のコンラート城の大広間よりも広い部屋だったが、これはただの待合らしい。
本当の大広間はこの先、運動場くらい大きな部屋に普通に大きい部屋が付属する何百人もの人を詰め込める場所なのだそうだ。ただの見習い侍女である俺はその部屋に入ることは許されていない。
城付きの怖いお兄様やお姉さまが仕切っている場所だから、近寄りたくもないな。
俺はエレインの後ろをついて、目を伏せて歩く。
時々学園で見たことがある顔をみかけて、心臓がどきりと跳ねる。でも、誰も俺が同級生だと気が付いた人はいなかった。
「エレイン」
儀式を終えたらしいローがほっとしたような笑顔を浮かべて、俺たちに近付いてきた。
「ロー兄さま」
エレインも嬉しそうだ。
「よかった。人が多くて、見つけることができないかと思ったよ……」
彼はどこか疲れているように見えた。慌てて着替えてきたのだろう、歪んだ徽章をエレインが背伸びをして直す。
「それはそうと、エレイン、ラークがどこにいるか知っているか?」
「いいえ」
妹はさらりとそこにいる俺の存在を否定した。
「どうかしたのですか?」
「いや、公子会が中断してしまって……ラークは気分が悪くなったと部屋を退去したのだけれど、行方知れずでね」
「まぁ」
初めて話を聞いたかのように、エレインは目を丸くした。演技が達者だな。
「それにしても……」
ローはエレインから一歩下がって上から下まで眺めた。
「……きれいだ」ぼそりとつぶやく。
「そう?」
エレインはくるりと一回転して見せた。ふわりと裾が舞い上がった。
「ロー兄さまとお揃いよ」
「う、うん」ローは顔を赤くしている。
「そ、そろそろ、控室に行こうか。お披露目の出席者は向こうの部屋で待機するんだ」
ローの目にはエレインしか入っていない。うわの空で、エレインの手を取る。
頑張れよ。俺はうやうやしく頭を下げて、二人を見送った。ここまではなかなかの侍女っぷりだと思う。
「お嬢ちゃん、飲み物を持ってきてくれないかな」
「ちょっと、わたくしの髪飾りはどこ?」
いやになれなれしく近寄ってくる下級貴族を無視して、なにかを落としたと一人でパニックを起こしている令嬢を避けて、さぁ、ここから奥の部屋に侵入しよう、する予定だったんだけど。
見たこともない、おいしそうな菓子が隅の机に並んでいた。もちろんこれは列席者のためのもので、そば付きの侍女の口にするものではない。でも。
こっそり一つつまんでみた。
これは……なんておいしい。見た目に反して、中身はほろりと柔らかく、香辛料の香りがふわりと口の中で広がる。これは何という名前の菓子なんだろう?
一つ、口にするとあれもこれも気になった。
菓子だけではない。一口で食べることができるように工夫された料理があちこちに置いてある。周りを見回しても、みな自分のことに必死で用意された軽食など誰も見ていない。
もったいない。食料を無駄にするなんて、俺の主義に反する。
俺は主人に差し入れをする侍女を装って堂々と用意されている皿に料理を盛り付ける。おいしそうな飲み物も用意した。
そういえば、公子会には会食の予定もあったなと思いだす。大神官やくそ王子との会食など参加したくもなかったけれど、料理だけは気になっていた。きっと超一流の料理人が調理した豪華な料理が並んだに違いない。
それを食べられなかったのは残念だ。その代わりというわけではないが、こちらの料理をいただこう。
俺は窓際のカーテンの中に隠れて、料理を堪能した。分厚いカーテンの中に入ると、外からはなかなか見つからない自信があった。
一皿ではとても足らないな。
俺は外の様子をうかがう。多くの人たちは舞踏会の本会場のほうへ向かい、控室の人は少なくなっていた。
そういえば、イーサンやリーフたちはどうしているだろう。
「ランス、何をしている……の?」
皿をもってうろうろしていると、イーサンに声をかけらえた。
「どうかしたのかしら、イーディス」
俺が振り返ってにっこりと笑いかけるとイーサンは動きを止めた。
「あたしの顔に何かついているのかしら?」
イーサンが黙って顔を見ているので、俺は口調を変えた。
「どうしたんだよ。イーサン。俺だよ、俺」
「……あ、ああ。わかってるって。ただ……」
イーサンはなぜかおどおどと俺から目をそらした。
「お、おまえ、またつまみ食いをしていたな」
と、皿をさす。
「そんな、奥様に差し入れをもっていこうとしていただけよ」
俺は後ろを通りかかった人の気配に口調を変える。
「でも、これ、本当にうまいぞ。取って帰ろう」
俺は耳元で囁く。イーサンは飛びのいた。
「やめろよ。誤解するような真似を……」
「どうしたんだよ。イーさ……イーディスさん。あたしが何か変なことをしたと、かしら?」
「その恰好で変な真似はやめろ」
「だから、してないって。おまえ、気にしすぎ。行くぞ」
俺は再び皿を一杯にして、奥様ではなくリーフたちを探す。
「イーディスさんもお皿を持っていきましょう」
俺たちは皿を片手に、あちこちの部屋をのぞきまわった。
招待されている貴族は皆、舞踏会の会場に向かったようだ。残っているのは俺たちと同じようなお仕着せを身にまとった表には出てこない人たちが多くなっていた。
「ちょっと、そこのお嬢さん」
呼び止められて、俺は思わず顔をしかめた。デキウス先輩だ。学校とは違ってきちんとした正装をしているから一瞬誰だかわからなかった。彼も招かれているのか? 下級貴族だと聞いていたけれど、会場に行く必要はないのだろうか。
俺は習ったように軽く会釈をしてそのまま通り過ぎようとした。その腕をデキウスはつかんでくる。
「ねぇ、君。かわいいね。名前教えてくれる?」
この野郎。相変わらず、俺に殴られたいみたいだ。
そう思った俺の目の隅に身振りで俺を制止するイーサンの姿が映る。
「ごめんなさい。急いでいるの」
うわずった裏声で答えたけれど、それをデキウスは誤解したらしい。
「なぁ、少しくらいいいだろう? 君はどこの家の……」
俺は手にしていた皿をデキウスにたたきつけた。
「あら、ごめんなさい」
そういいつつ手をひねって腕を外す。
あとは全力で逃げだすのみだ。
俺はスカートをたくし上げて、走った。慌てたイーサンもついてくる。
後ろから怒りの声が上がっていたけれど、振り返る時間も惜しい。女の格好だとこんなに走るのが大変だなんて。
目についた通路に飛び込んで、部屋を横断して、相手をまくために無茶苦茶な経路を取る。召使用の通路の入り口はどこだろう。
豪華な調度品だらけの部屋に迷い込んだ俺は途方に暮れる。
「ランス、待って」
後ろからイーサンが息を切らせて追いついてきた。
「……迷った。ここ、どこだ?」
本当の大広間はこの先、運動場くらい大きな部屋に普通に大きい部屋が付属する何百人もの人を詰め込める場所なのだそうだ。ただの見習い侍女である俺はその部屋に入ることは許されていない。
城付きの怖いお兄様やお姉さまが仕切っている場所だから、近寄りたくもないな。
俺はエレインの後ろをついて、目を伏せて歩く。
時々学園で見たことがある顔をみかけて、心臓がどきりと跳ねる。でも、誰も俺が同級生だと気が付いた人はいなかった。
「エレイン」
儀式を終えたらしいローがほっとしたような笑顔を浮かべて、俺たちに近付いてきた。
「ロー兄さま」
エレインも嬉しそうだ。
「よかった。人が多くて、見つけることができないかと思ったよ……」
彼はどこか疲れているように見えた。慌てて着替えてきたのだろう、歪んだ徽章をエレインが背伸びをして直す。
「それはそうと、エレイン、ラークがどこにいるか知っているか?」
「いいえ」
妹はさらりとそこにいる俺の存在を否定した。
「どうかしたのですか?」
「いや、公子会が中断してしまって……ラークは気分が悪くなったと部屋を退去したのだけれど、行方知れずでね」
「まぁ」
初めて話を聞いたかのように、エレインは目を丸くした。演技が達者だな。
「それにしても……」
ローはエレインから一歩下がって上から下まで眺めた。
「……きれいだ」ぼそりとつぶやく。
「そう?」
エレインはくるりと一回転して見せた。ふわりと裾が舞い上がった。
「ロー兄さまとお揃いよ」
「う、うん」ローは顔を赤くしている。
「そ、そろそろ、控室に行こうか。お披露目の出席者は向こうの部屋で待機するんだ」
ローの目にはエレインしか入っていない。うわの空で、エレインの手を取る。
頑張れよ。俺はうやうやしく頭を下げて、二人を見送った。ここまではなかなかの侍女っぷりだと思う。
「お嬢ちゃん、飲み物を持ってきてくれないかな」
「ちょっと、わたくしの髪飾りはどこ?」
いやになれなれしく近寄ってくる下級貴族を無視して、なにかを落としたと一人でパニックを起こしている令嬢を避けて、さぁ、ここから奥の部屋に侵入しよう、する予定だったんだけど。
見たこともない、おいしそうな菓子が隅の机に並んでいた。もちろんこれは列席者のためのもので、そば付きの侍女の口にするものではない。でも。
こっそり一つつまんでみた。
これは……なんておいしい。見た目に反して、中身はほろりと柔らかく、香辛料の香りがふわりと口の中で広がる。これは何という名前の菓子なんだろう?
一つ、口にするとあれもこれも気になった。
菓子だけではない。一口で食べることができるように工夫された料理があちこちに置いてある。周りを見回しても、みな自分のことに必死で用意された軽食など誰も見ていない。
もったいない。食料を無駄にするなんて、俺の主義に反する。
俺は主人に差し入れをする侍女を装って堂々と用意されている皿に料理を盛り付ける。おいしそうな飲み物も用意した。
そういえば、公子会には会食の予定もあったなと思いだす。大神官やくそ王子との会食など参加したくもなかったけれど、料理だけは気になっていた。きっと超一流の料理人が調理した豪華な料理が並んだに違いない。
それを食べられなかったのは残念だ。その代わりというわけではないが、こちらの料理をいただこう。
俺は窓際のカーテンの中に隠れて、料理を堪能した。分厚いカーテンの中に入ると、外からはなかなか見つからない自信があった。
一皿ではとても足らないな。
俺は外の様子をうかがう。多くの人たちは舞踏会の本会場のほうへ向かい、控室の人は少なくなっていた。
そういえば、イーサンやリーフたちはどうしているだろう。
「ランス、何をしている……の?」
皿をもってうろうろしていると、イーサンに声をかけらえた。
「どうかしたのかしら、イーディス」
俺が振り返ってにっこりと笑いかけるとイーサンは動きを止めた。
「あたしの顔に何かついているのかしら?」
イーサンが黙って顔を見ているので、俺は口調を変えた。
「どうしたんだよ。イーサン。俺だよ、俺」
「……あ、ああ。わかってるって。ただ……」
イーサンはなぜかおどおどと俺から目をそらした。
「お、おまえ、またつまみ食いをしていたな」
と、皿をさす。
「そんな、奥様に差し入れをもっていこうとしていただけよ」
俺は後ろを通りかかった人の気配に口調を変える。
「でも、これ、本当にうまいぞ。取って帰ろう」
俺は耳元で囁く。イーサンは飛びのいた。
「やめろよ。誤解するような真似を……」
「どうしたんだよ。イーさ……イーディスさん。あたしが何か変なことをしたと、かしら?」
「その恰好で変な真似はやめろ」
「だから、してないって。おまえ、気にしすぎ。行くぞ」
俺は再び皿を一杯にして、奥様ではなくリーフたちを探す。
「イーディスさんもお皿を持っていきましょう」
俺たちは皿を片手に、あちこちの部屋をのぞきまわった。
招待されている貴族は皆、舞踏会の会場に向かったようだ。残っているのは俺たちと同じようなお仕着せを身にまとった表には出てこない人たちが多くなっていた。
「ちょっと、そこのお嬢さん」
呼び止められて、俺は思わず顔をしかめた。デキウス先輩だ。学校とは違ってきちんとした正装をしているから一瞬誰だかわからなかった。彼も招かれているのか? 下級貴族だと聞いていたけれど、会場に行く必要はないのだろうか。
俺は習ったように軽く会釈をしてそのまま通り過ぎようとした。その腕をデキウスはつかんでくる。
「ねぇ、君。かわいいね。名前教えてくれる?」
この野郎。相変わらず、俺に殴られたいみたいだ。
そう思った俺の目の隅に身振りで俺を制止するイーサンの姿が映る。
「ごめんなさい。急いでいるの」
うわずった裏声で答えたけれど、それをデキウスは誤解したらしい。
「なぁ、少しくらいいいだろう? 君はどこの家の……」
俺は手にしていた皿をデキウスにたたきつけた。
「あら、ごめんなさい」
そういいつつ手をひねって腕を外す。
あとは全力で逃げだすのみだ。
俺はスカートをたくし上げて、走った。慌てたイーサンもついてくる。
後ろから怒りの声が上がっていたけれど、振り返る時間も惜しい。女の格好だとこんなに走るのが大変だなんて。
目についた通路に飛び込んで、部屋を横断して、相手をまくために無茶苦茶な経路を取る。召使用の通路の入り口はどこだろう。
豪華な調度品だらけの部屋に迷い込んだ俺は途方に暮れる。
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