名もなき朝の唄〈湖畔のフレンチレストランで〉

市來茉莉(茉莉恵)

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【後日談2】トロワ・メートル

37.僕がいなくても大丈夫

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 真っ白な雪の中、今年も白鳥が飛来し、結氷しない白鳥台セバットのエリアで優雅に泳ぐ姿が見られるようになった。

 クリスマスシーズンのフレンチレストランは、たくさんの人々の想いを包んで華やぐ。
 ご家族での一年のご褒美ディナー。結婚記念日だからと、ゆったりとご夫妻でくつろぐ食事。年が明ける前にと、ロマンチックなプロポーズをしたいという男性と、なにも知らない恋人の女性。若いお二人のプロポーズディナー。そんなときは『ロマンチック大好きオジサン』を名乗る当店のメートル・ドテルが、男性のゲストをしっかりサポート。大成功したら、従業員一同で祝福をした。

 外は真っ白で凍えている雪景色でも、フレンチ十和田のホールは、いつも暖かな灯りに包まれている。


 蒼と住まう家も、もう暖房をガンガン入れる季節になっていた。
 外は小雪がたくさん隙間なく降り続けている。明日もまた、真新しい雪が眩しい朝を迎えることだろう。
 そんな夜でも、葉子はブルー色の分厚いニットカーディガンをパジャマの上に羽織って、ダイニングテーブルで勉強中。蒼がホットウィスキーを作ってくれた。広島の真由子義姉が送ってくれた手作りの瀬戸内レモンジャムを入れたホットウィスキー。半分ぐらい飲んだらほこほこと身体の芯まで温まってくる。

 眠くなる前にと、葉子は『ソムリエ教本』を読み込んでいた。蒼が最新版を取り寄せてくれたが、あまりの分厚さに葉子は茫然としたほど……。それでも、蒼に甲斐チーフが勉強の進め方、取り組み方を教えてくれたので、まずは産地の勉強から取り組んでいる。
 いまここに蒼はいない。ホットウィスキーを飲み干すと『僕はもう限界です』と一人で二階のベッドルームへと行ってしまった。

 それから三十分経っただろうか。ホットウィスキーもなくなり、葉子も身体がぽかぽかするので、ついに眠気が襲ってきた。

 ソムリエ教本を閉じたときだった。
 階段がそばにあるリビングのドアがあいて、スウェット姿の蒼がひょっこり現れた。

「葉子ちゃん、まだ~?」
「え、もう終わるよ。私も二階に行くから」
「寒くて眠れないのよ~。やっぱり一緒に眠ってくれませんかねえ。オジサン、すぐに冷えちゃうみたいで辛いっ。やっぱりまだ北国、辛いっ」

 本当かどうかわからないが、一階まで蒼が迎えに来てしまった。
 それぐらいにして早く休んだほうがいいと様子を見に来たのか、ほんとうに寒くなったのかはわからない。

 教本をたたんで、ダイニングとリビングの灯りを落として、彼と一緒にベッドルームへ向かう。
 いつも一緒のベッドの入ると、今夜は蒼から葉子に抱きついてきた。

「ふぁ~、ぬっくぬくー。やっぱり独り寝はもうできないっ」
「あ、ほんとだ。蒼君の足、冷たい」
「暖まったはずなのに。どんどん冷えるんだよぅ。どんどん! 歳かな~。泣いちゃうもう。あっためて~葉子ちゃ~ん」

 いつもは葉子が甘えているのに。今夜は蒼から抱きついて、葉子の肌にごろごろと頬ずりをしてくる。葉子も笑いながら、彼の黒髪の頭を抱きしめた。

「ほんと、私もあったかい~。蒼君の匂い、大好き」
「俺も好き好き。はあ~癒やしタイムだね~。はあ~うっとり~」
「あはは。私、蒼君の猫みたいだね」
「ネコちゃんより、ずうっとずうっと素敵素敵」

 もう可笑しくて可笑しくて、蒼と抱きあって笑い合いながら、何度もキスを繰り返した。
 そんな触れ合いタイムが落ち着いて、二人揃って抱きあったまま静かになると、すぐにうとうとしてしまった。
『え、もう寝ちゃうの。え、俺が先に眠くなったのに? え、葉子ちゃん??』

 そんな声が聞こえた気がしたけれど、葉子はもう夢の中。



ハコちゃん。こっち向いて。ハコちゃんのいまの笑顔をのこしてあげるよ。
白いドレス、僕に撮らせて。綺麗に撮ってあげるから。

僕、誓っていた。
ハコちゃんが、恋をして、結婚をして、奥さんになって、お母さんになっても。
君が夢を叶えたとき、唄っていても、ホールでサーブをしていても。
そばにいるって……。君が好きになった彼と一緒に……。


そばいてくれたと、思う。私も。


でも。もう僕がいなくても大丈夫だね。


あなたがいなくなって、四年も経つよ。
あなたと一緒にいた歳月を越えていく……。
でも。今年も行くよ、会いに行く。




❄・❄・❄



 新年を迎え、甲斐チーフは一度、大分のご家族が待つ家へ帰省。少し長い冬休みで不在となっていた。お師匠さんが戻ってくると、交代で派遣するためのソムリエの人選が終わっていた。

 甲斐チーフがその結果を携えて出勤をした日。
 矢嶋社長から託されたという経歴書が、蒼に手渡されることになっている。
 葉子も早く知りたくて、蒼の許しをもらい、出勤してから給仕長室で一緒に待っていた。

「長い冬休みをありがとうございました」

 白髪の頭をさげて、まず給仕長室へと甲斐チーフが帰ってきた報告へとやってきた。
 ゆったりとした休暇で英気を養えたのか、すっきりしたお顔で戻って来たと葉子には感じられた。こうして、たまに身体を休めて働くことが、この年代の方には必要だと痛感した瞬間でもあった。

 お土産は、また二階堂。お師匠さんが『葉子さんのための吉四六きっちょむ』と笑いながら手渡してくれた。実はあのあと葉子が実家に帰ると、仏壇に供えられていた『二階堂・吉四六』を父が呑んでしまっていたのだ。
 それを知った甲斐チーフが『では、次は葉子さんのために持ってきますね』と約束してくれていた。

「嬉しいです。ほんとうに、すみません。飲んべえの父で」
「秀星と語りながら呑んだとおっしゃっていたので、致し方なかったかもしれないですね」
「もともと、秀星さんのために持ってきてくださったものだったので。それはそれで、良かったと思っています。いただきます。楽しみです!」
「ソムリエはワイン以外のアルコールも熟知していなくてはなりませんからね。これからもお土産はアルコールにしましょうかね」

 甲斐チーフが選んでくれるならば、きっと勉強になるものだろうと、葉子も期待で胸を膨らませる。

「楽しみです!」
「次回、葉子さんのお土産にしたいアルコールはですね。宿題にしましょう」
「え、宿題!?」

 また急に来たと、葉子は喜びから反転、ギョッとした。

「サンタ・マリア・ノヴェッラのアルコールについてお勉強してください」
「サンタ・マリア……?」

 まったく知らない名前が出てきた。響き的にイタリア? イタリアのお酒?
 それを聞いた蒼が『ああ、なーるほど』と、師匠の出題に感嘆のため息を漏らした。

「俺が買ってあげたくなっちゃうじゃないですかあ」
「夫の篠田が買うなら、フレグランスにしておけ」
「わ、師匠からヒントを言っちゃったよ。葉子ちゃん、メモしておきな!」

 お酒にフレグランス??
 うん。心にメモをして、あとでまた調べようと葉子は心得る。

「俺だったら、ローザにしちゃうなあ。チョコレートも捨てがたいな」
「篠田らしい、ロマンチックなチョイスだな。では、私は伝統のアックアを探すかな」
「札幌まで行くんですか~。阪神だと大阪に行かないと」
「福岡にあるんだなこれが」

 大沼ではすぐには手に入らないとわかった。
 それも葉子は心の中のメモにしておいた。

「お喋りはそれぐらいにしてだな。給仕長、こちら、矢嶋社長から預かったものです」

 手に持ったままになっていたクリアファイルが、蒼へと手渡された。
 履歴書のような書類がちらっと葉子の目をかすめていく。
 蒼がそれを受け取り、挟まれている書類を抜き取り、眺めた。

「え、西園寺君に決定なんですか!」

 西園寺さいおんじ……。
 葉子の次の上司の名が明かされる。蒼も知っている矢嶋シャンテの従業員らしい。

「年齢的にも、経歴も、希望動機も、家庭の事情も含めて、彼が適任。矢嶋社長と私の意見が一致したソムリエです」

 だが蒼がうーんと唸っている。
 蒼君にとっては、やりにくい人? 葉子の心はドキドキと大騒ぎ。

「サイボーグ君が来るのかー。そうかー」

 サイボーグ君……?
 いったい、どんな人!?
 そのネーミングだけで、葉子は震え上がった。
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