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【後日談2】トロワ・メートル
41.星の薫り
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「本日のワインリストです。こちらのボトルを準備してください」
「はい。甲斐チーフ」
この日もワインカーブで、甲斐チーフと向き合っている。
渡されたワインリストを片手に、葉子はワインをストックしている棚を見て回る。
アペリティフに七飯町産スパークリングワイン、小樽産のデザートワイン。今日のグラスワイン、小樽のナイアガラ白ワインと池田町産の十勝の赤ワイン、トカップを探す。
秀星の命日を三人一緒に迎えた後も、甲斐チーフと一緒に日々の業務をこなしていた。
三月半ば、その人はもう、フレンチ十和田に来ていた。
「甲斐さん。来月仕入れの確認をお願いします」
その人が上階からワインカーブへと階段を降りて現れる。
フレンチ十和田、初のソムリエに就いた西園寺チーフ。既に勤務に入って、彼専門でできる仕事を甲斐チーフが任せるようになっている。
カーブにある立ち飲み用の丸テーブルは、いまは甲斐チーフのデスクのようになっている。
そこに、西園寺チーフが仕入れ票を見えるように置いた。
甲斐チーフがそれを手に取り、眺める。
「どれどれ」
「十和田シェフと篠田給仕長の許可を得て、チリとオーストラリア、カリフォルニア産、海外のものを少し増やしました」
「うん、いいセレクトですね。葉子さんにテイスティングさせてくださいね」
「わかりました」
「いま、葉子さんが本日のアルコールを持ってきます。準備の指導と監督をお願いします。西園寺チーフ」
ボトルを集めて丸テーブルに最後の1本を置くと、その人が葉子を見下ろした。
すごく冷たい目の人。それが第一印象だった。蒼が言ったように笑わない。いつも同じ表情で、目の表情も変わらない。ほんとうにサイボーグみたいな人だった。
「そろそろ準備の頃合いですね。十和田さん。厨房に行きますよ」
「はい。西園寺チーフ」
引き継ぎをするため、チーフがふたり葉子についている状態だった。
甲斐チーフが全責任を持ち、徐々にソムリエとしての業務を西園寺チーフに引き継いでいる。
ボトルを順に厨房へと移動させる。
ディナー開始前で、父と料理人たちは、いつものように忙しく動き回っていた。
その厨房の端にあるアルコール準備用のカウンターで、新しい上司と一緒に準備をする。
「お一人でできると聞いています。十和田さん、やってみてください」
「わかりました」
まだ来たばかりの西園寺チーフは、葉子がどこまでできるかここで見定めるつもりのようだった。
この半年、甲斐チーフから毎日毎日たくさんのことを丁寧に教わってきた。それを葉子は、甲斐チーフの恩に報いるためとばかりに、気を抜かずに準備をする。
秀星が使っていたソムリエナイフでボトルのキャップシールを切り離す。コルクにスクリューを当て差し込んでいく。ゆっくり慎重に、コルクがワインの中に落ちないように。ちぎれないように丁寧に開栓する。
葉子のそんな動向を、あの冷たい目で西園寺チーフがじっと凝視している。
少し緊張するが、すべて葉子が積み重ねてきた動作で技術。メートルたちから受け継いだものだ。
今度の新しい葉子のメートルは、いままでの師匠たちより年若い。だが、その視線は鋭く厳しく、決して甘くはない。それでも、今日はなにも言われなかった。
三月になると日が長くなり、ディナータイム前の時間でも、外はほの明るい。大沼に優しい夕の茜が残っている。駒ヶ岳もうっすらと紅色に染まって静かに佇んでいるのが、厨房の開いている窓から見えた。
西園寺チーフが、じっとその窓辺を、遠い目で見つめていた。
「いい夕暮れだね。新しい家からも見えるかな」
蒼がレストランから徒歩で通える一軒家を見つけていた。西園寺チーフもご家族も気に入ってくれ、その家に既に移り住んでいた。
今日もそこでは、奥様とお子様がご主人を送り出し帰りを待っているはず。
だからなのか。葉子には、とても温かな眼差しに見えたのだ。やっと感情を宿している新しい上司の横顔に、つい見とれていた。
確かに美形だった。まつげは長いし、鼻筋は通っているし、目鼻立ちくっきりしていて、西洋の彫刻にある男性みたいなお顔だった。なのにサイボーグのように硬い顔しかしない。だから石膏なんて思い出してしまうのかもと葉子は思っていた。
でも愛する人を想うときは、こんな素敵な目をするんだと、葉子は魅入ってしまっていたのだ。
それは女性としてではなく、彼がどれだけ美しいかを純粋に感じているだけ。だから葉子も淡々と答える。
「あちらのお家でしたら、二階から見えると思いますよ」
「いい家を探してくれたと感謝しています。篠田給仕長にも、奥様としてお伝えください」
「……ここでは、妻ではないので。ついでに、シェフの娘という遠慮もいりません」
「いえ、そこに助けられることも、これからあると思っています。その代わり、ソムリエとして育て上げるつもりです」
サイボーグのお顔に戻っちゃったと葉子は思った。
「西園寺チーフ、できました」
空が薄暗くなってきたころに、ディナーに向けたアルコールの準備を終える。
準備したワインの味を、西園寺チーフも銀のテスターを指に引っかけて確認をする。
夕闇の大沼が白樺木立の向こうに見える窓があるそこで、美しくも険しい眼差しをしている男が、背筋を伸ばして銀のテスターを口元へと傾ける。
目を瞑って、じっとしている横顔――。
あ、似てる。
葉子はふとそう思ったのだ。
「いいですね。甲斐チーフがきちんと指導してきたことがよくわかります」
あ、それも似てる。
秀星に似てる。
仕事中はそのためだけの神経を尖らせている厳しい目。なのに澄んでいる声と目。
秀星と一緒だと思った。
これからまた、この新しいメートルが、たくさんのことを運んでくる。
葉子は微笑まずにいられなかった。
そんな葉子の笑みに、西園寺チーフも気がついた。
「認めましたが、だからとて、気を抜かれたら困りますよ」
「はい……」
まだ笑みが止まらない。
「十和田さん、なんですか。なにかおかしいことでも?」
「桐生給仕長に似ているなと思ってしまいました」
さすがにサイボーグの彼が、ギョッとした顔をした。
「いや、それはないだろう?」
「似ていました。そのテスターで味見をする姿がそっくりでした」
「いや、それは困る。あんなできるメートル・ドテルだった方と一緒だなんて」
「いえ。きっと同じだと思います。心構えとかきっと」
「ないない。絶対にないから!」
あ、なんか砕けた言い方に崩れたと葉子はますます笑みを見せてしまった。
それを西園寺チーフも気がついたようで、焦るようにしてサイボーグのお顔に必死に戻している。
「ふう、なんだか、俺が知っているメートル・ドテルや矢嶋社長が、ここに向かってしまったのはどうしてかわかってしまったような、そうでないような」
「なにもしていないと、いつも父と母とも言っているんですよ。大沼と駒ヶ岳のせいかもしれないですね」
「そうかもしれない……」
また綺麗な横顔で、もう夕闇に溶け込んでいく湖と駒ヶ岳を遠く見つめている。
哀しげな目をされるから、余計に魅力的に見えるのだろうかと葉子も見つめていた。
なにかあって、この人も大沼に来たような気がする……。
「桐生給仕長は、自分の目標でもありました。揺るがない信念をお持ちの方。なのにフレンチではなくて、写真が生き甲斐だった……」
「チーフから見られても、そんなメートル・ドテルだったんですね。秀星さんは……」
「こう言っては、なんですけれど。篠田給仕長は温かみがあって親しみやすく店の雰囲気が明るくなるそんな上司でした。ですが、桐生給仕長はこう、空気がピンと張って澄んでいくという気高さがあったような……。理想高く挑んでいく鋭さに憧れていましたね」
「わかります。夫の蒼君は、ぜんぜん秀星さんに勝てないみたいなんですよ。いっつもふざけているし、最初に来た時から騒々しくて『なにこの人、秀星さんじゃなきゃヤダ』と思うほど、まったく思わぬ人が派遣されてきて、ため息ついていましたから。それにしつこく、私の行く先についてくるし、動画配信中に大きな声を出すし……。落ち着きないですからね」
妻として冷たく言ってみたら、西園寺チーフが目を丸くしている。
ちょっと砕けた空気にしようと思っての事だったが、家族の顔を出しすぎたかなと葉子は少し怖じ気づく。
「いや、ちょっと待って。ずるいな。妻だから言えることだからって、その……、とおり……というか」
サイボーグ君と聞いていたけれど、西園寺チーフは口元に拳を当て必死に笑いを堪えている。
なのに、もうクスクスと笑い出して、彼もそのまま止まらなくなってしまったようだった。
なんだ、ぜんぜんサイボーグじゃないじゃん――と、葉子も嬉しくなってくる。
そう思ったら、ちょうど厨房に入ってきた蒼がこちらを見てギョッとしていた。
西園寺君が笑っている――と驚きおののいている。
ディナー開始前、葉子がホールに出てくると、蒼がすぐに隣に並んできた。
「葉子ちゃーん、西園寺君をどうやって笑わせたのかなあ。知りたいなあ」
「別に。夫としての蒼君のことを話していただけだよ」
「わ、ちょっと! プライベートを持ち出して、俺を笑いのネタにすんの禁止だからね」
「普通に皆が知っているだろう蒼君のことを話したら笑ったんだよ。蒼君、神戸でもさんざん皆を笑わせていたんでしょう」
「そりゃあ、そうだけどー。その時だって西園寺君は笑ってくれなかったんだよぅ」
「神戸だったからじゃないですか。大沼では、たくさん笑ってくれるかもしれませんよ。篠田給仕長」
葉子はすっと蒼から離れた。カトラリーが揃っているかどうか、最後のチェックを江藤君としているのに、まだ蒼がついてくる。
「えーっとね。葉子ちゃん。えーっとね、西園寺君、めっちゃ美形でしょ。あのねえ」
美形の若い男が妻の上司になって、ちょっと気にしているのかなと葉子は気がついた。
どちらも既婚者であるのに心配らしい? 美しい佇まいに魅せられはしたけれど、それは仕事をしている男としてのこと。
「私の夜空にね。ずうっと沈まないお星様があるの。そこにいるの、秀星さんと、蒼君、そして甲斐チーフ。この三人以外の男は、いまのところ入る余地はありませんから」
「星……三つ? ちょーっと待って。ねえねえ、葉子ちゃん、三つ並んじゃっているんだ。俺以外に、二つも!! っていうかさ。そこにパパもいれてあげなくちゃまずいんじゃないの? ねえねえ」
「私が愛したい男としては、最高のてっぺんに輝いています。代わりはいません。絶対に、これからも、ずっと。毎日、どの星よりもキラキラと輝いています。それはもうナンバーワン。ですから、もうよろしいですか給仕長」
「うん……、えっとわかった。いいよ。えへへ。ナンバーワンなのね、その星の輝き」
ちょっと離れたところにいる江藤君が、背中を向けているのに肩を揺らして笑いを堪えているのがわかった。
✿・✿・✿
ディナータイム開始、フレンチ十和田の扉が開く。
「いらっしゃいませ。ご来店、ありがとうございます」
エントランスにて優雅な身のこなしでお客様を出迎えるメートル・ドテルの蒼。
「最初のお客様、入られます。アペリティフお願いします」
蒼と共にホールを取り仕切ってくれるシェフ・ド・ランの神楽君が、厨房にやってくる。
「石田、鳥居、アミューズの仕上げいくぞ」
「ウィー、シェフ」
白いコックコートの父が奏でるひと皿が、今夜のお客様の彩りとなりますように。
日が暮れ、駒ヶ岳が見えなくなった窓辺。でも今宵も春の朧月が湖面を優しく照らしている。
「西園寺君、ソムリエとしてお客様への接客とサーブをお願いします」
「かしこまりました、甲斐チーフ」
水芭蕉が咲いたらここを去ってしまうけれど、いまも皆のお師匠さん、甲斐チーフ。
「では十和田さん。最後の確認をお願いします」
「はい。西園寺チーフ」
美しくも冷たい目が、どことなく懐かしい新しい上司、シェフ・ソムリエの西園寺チーフ。
秀星の形見、フランス製の銀のワインテスターを指にひっかけ、葉子はスパークリングワインと、デザートワインの味を確認する。
銀のテスターに、窓辺からこぼれてくる夜灯りがほんのり反射する。
今夜も大沼の夜空に、北極星が瞬く。
小樽産、貴腐葡萄のデザートワイン。
ずっと前のあの人の薫りが蘇る。今日も葉子のそばにいる。
後日談2 トロワ・メートル(終)
「はい。甲斐チーフ」
この日もワインカーブで、甲斐チーフと向き合っている。
渡されたワインリストを片手に、葉子はワインをストックしている棚を見て回る。
アペリティフに七飯町産スパークリングワイン、小樽産のデザートワイン。今日のグラスワイン、小樽のナイアガラ白ワインと池田町産の十勝の赤ワイン、トカップを探す。
秀星の命日を三人一緒に迎えた後も、甲斐チーフと一緒に日々の業務をこなしていた。
三月半ば、その人はもう、フレンチ十和田に来ていた。
「甲斐さん。来月仕入れの確認をお願いします」
その人が上階からワインカーブへと階段を降りて現れる。
フレンチ十和田、初のソムリエに就いた西園寺チーフ。既に勤務に入って、彼専門でできる仕事を甲斐チーフが任せるようになっている。
カーブにある立ち飲み用の丸テーブルは、いまは甲斐チーフのデスクのようになっている。
そこに、西園寺チーフが仕入れ票を見えるように置いた。
甲斐チーフがそれを手に取り、眺める。
「どれどれ」
「十和田シェフと篠田給仕長の許可を得て、チリとオーストラリア、カリフォルニア産、海外のものを少し増やしました」
「うん、いいセレクトですね。葉子さんにテイスティングさせてくださいね」
「わかりました」
「いま、葉子さんが本日のアルコールを持ってきます。準備の指導と監督をお願いします。西園寺チーフ」
ボトルを集めて丸テーブルに最後の1本を置くと、その人が葉子を見下ろした。
すごく冷たい目の人。それが第一印象だった。蒼が言ったように笑わない。いつも同じ表情で、目の表情も変わらない。ほんとうにサイボーグみたいな人だった。
「そろそろ準備の頃合いですね。十和田さん。厨房に行きますよ」
「はい。西園寺チーフ」
引き継ぎをするため、チーフがふたり葉子についている状態だった。
甲斐チーフが全責任を持ち、徐々にソムリエとしての業務を西園寺チーフに引き継いでいる。
ボトルを順に厨房へと移動させる。
ディナー開始前で、父と料理人たちは、いつものように忙しく動き回っていた。
その厨房の端にあるアルコール準備用のカウンターで、新しい上司と一緒に準備をする。
「お一人でできると聞いています。十和田さん、やってみてください」
「わかりました」
まだ来たばかりの西園寺チーフは、葉子がどこまでできるかここで見定めるつもりのようだった。
この半年、甲斐チーフから毎日毎日たくさんのことを丁寧に教わってきた。それを葉子は、甲斐チーフの恩に報いるためとばかりに、気を抜かずに準備をする。
秀星が使っていたソムリエナイフでボトルのキャップシールを切り離す。コルクにスクリューを当て差し込んでいく。ゆっくり慎重に、コルクがワインの中に落ちないように。ちぎれないように丁寧に開栓する。
葉子のそんな動向を、あの冷たい目で西園寺チーフがじっと凝視している。
少し緊張するが、すべて葉子が積み重ねてきた動作で技術。メートルたちから受け継いだものだ。
今度の新しい葉子のメートルは、いままでの師匠たちより年若い。だが、その視線は鋭く厳しく、決して甘くはない。それでも、今日はなにも言われなかった。
三月になると日が長くなり、ディナータイム前の時間でも、外はほの明るい。大沼に優しい夕の茜が残っている。駒ヶ岳もうっすらと紅色に染まって静かに佇んでいるのが、厨房の開いている窓から見えた。
西園寺チーフが、じっとその窓辺を、遠い目で見つめていた。
「いい夕暮れだね。新しい家からも見えるかな」
蒼がレストランから徒歩で通える一軒家を見つけていた。西園寺チーフもご家族も気に入ってくれ、その家に既に移り住んでいた。
今日もそこでは、奥様とお子様がご主人を送り出し帰りを待っているはず。
だからなのか。葉子には、とても温かな眼差しに見えたのだ。やっと感情を宿している新しい上司の横顔に、つい見とれていた。
確かに美形だった。まつげは長いし、鼻筋は通っているし、目鼻立ちくっきりしていて、西洋の彫刻にある男性みたいなお顔だった。なのにサイボーグのように硬い顔しかしない。だから石膏なんて思い出してしまうのかもと葉子は思っていた。
でも愛する人を想うときは、こんな素敵な目をするんだと、葉子は魅入ってしまっていたのだ。
それは女性としてではなく、彼がどれだけ美しいかを純粋に感じているだけ。だから葉子も淡々と答える。
「あちらのお家でしたら、二階から見えると思いますよ」
「いい家を探してくれたと感謝しています。篠田給仕長にも、奥様としてお伝えください」
「……ここでは、妻ではないので。ついでに、シェフの娘という遠慮もいりません」
「いえ、そこに助けられることも、これからあると思っています。その代わり、ソムリエとして育て上げるつもりです」
サイボーグのお顔に戻っちゃったと葉子は思った。
「西園寺チーフ、できました」
空が薄暗くなってきたころに、ディナーに向けたアルコールの準備を終える。
準備したワインの味を、西園寺チーフも銀のテスターを指に引っかけて確認をする。
夕闇の大沼が白樺木立の向こうに見える窓があるそこで、美しくも険しい眼差しをしている男が、背筋を伸ばして銀のテスターを口元へと傾ける。
目を瞑って、じっとしている横顔――。
あ、似てる。
葉子はふとそう思ったのだ。
「いいですね。甲斐チーフがきちんと指導してきたことがよくわかります」
あ、それも似てる。
秀星に似てる。
仕事中はそのためだけの神経を尖らせている厳しい目。なのに澄んでいる声と目。
秀星と一緒だと思った。
これからまた、この新しいメートルが、たくさんのことを運んでくる。
葉子は微笑まずにいられなかった。
そんな葉子の笑みに、西園寺チーフも気がついた。
「認めましたが、だからとて、気を抜かれたら困りますよ」
「はい……」
まだ笑みが止まらない。
「十和田さん、なんですか。なにかおかしいことでも?」
「桐生給仕長に似ているなと思ってしまいました」
さすがにサイボーグの彼が、ギョッとした顔をした。
「いや、それはないだろう?」
「似ていました。そのテスターで味見をする姿がそっくりでした」
「いや、それは困る。あんなできるメートル・ドテルだった方と一緒だなんて」
「いえ。きっと同じだと思います。心構えとかきっと」
「ないない。絶対にないから!」
あ、なんか砕けた言い方に崩れたと葉子はますます笑みを見せてしまった。
それを西園寺チーフも気がついたようで、焦るようにしてサイボーグのお顔に必死に戻している。
「ふう、なんだか、俺が知っているメートル・ドテルや矢嶋社長が、ここに向かってしまったのはどうしてかわかってしまったような、そうでないような」
「なにもしていないと、いつも父と母とも言っているんですよ。大沼と駒ヶ岳のせいかもしれないですね」
「そうかもしれない……」
また綺麗な横顔で、もう夕闇に溶け込んでいく湖と駒ヶ岳を遠く見つめている。
哀しげな目をされるから、余計に魅力的に見えるのだろうかと葉子も見つめていた。
なにかあって、この人も大沼に来たような気がする……。
「桐生給仕長は、自分の目標でもありました。揺るがない信念をお持ちの方。なのにフレンチではなくて、写真が生き甲斐だった……」
「チーフから見られても、そんなメートル・ドテルだったんですね。秀星さんは……」
「こう言っては、なんですけれど。篠田給仕長は温かみがあって親しみやすく店の雰囲気が明るくなるそんな上司でした。ですが、桐生給仕長はこう、空気がピンと張って澄んでいくという気高さがあったような……。理想高く挑んでいく鋭さに憧れていましたね」
「わかります。夫の蒼君は、ぜんぜん秀星さんに勝てないみたいなんですよ。いっつもふざけているし、最初に来た時から騒々しくて『なにこの人、秀星さんじゃなきゃヤダ』と思うほど、まったく思わぬ人が派遣されてきて、ため息ついていましたから。それにしつこく、私の行く先についてくるし、動画配信中に大きな声を出すし……。落ち着きないですからね」
妻として冷たく言ってみたら、西園寺チーフが目を丸くしている。
ちょっと砕けた空気にしようと思っての事だったが、家族の顔を出しすぎたかなと葉子は少し怖じ気づく。
「いや、ちょっと待って。ずるいな。妻だから言えることだからって、その……、とおり……というか」
サイボーグ君と聞いていたけれど、西園寺チーフは口元に拳を当て必死に笑いを堪えている。
なのに、もうクスクスと笑い出して、彼もそのまま止まらなくなってしまったようだった。
なんだ、ぜんぜんサイボーグじゃないじゃん――と、葉子も嬉しくなってくる。
そう思ったら、ちょうど厨房に入ってきた蒼がこちらを見てギョッとしていた。
西園寺君が笑っている――と驚きおののいている。
ディナー開始前、葉子がホールに出てくると、蒼がすぐに隣に並んできた。
「葉子ちゃーん、西園寺君をどうやって笑わせたのかなあ。知りたいなあ」
「別に。夫としての蒼君のことを話していただけだよ」
「わ、ちょっと! プライベートを持ち出して、俺を笑いのネタにすんの禁止だからね」
「普通に皆が知っているだろう蒼君のことを話したら笑ったんだよ。蒼君、神戸でもさんざん皆を笑わせていたんでしょう」
「そりゃあ、そうだけどー。その時だって西園寺君は笑ってくれなかったんだよぅ」
「神戸だったからじゃないですか。大沼では、たくさん笑ってくれるかもしれませんよ。篠田給仕長」
葉子はすっと蒼から離れた。カトラリーが揃っているかどうか、最後のチェックを江藤君としているのに、まだ蒼がついてくる。
「えーっとね。葉子ちゃん。えーっとね、西園寺君、めっちゃ美形でしょ。あのねえ」
美形の若い男が妻の上司になって、ちょっと気にしているのかなと葉子は気がついた。
どちらも既婚者であるのに心配らしい? 美しい佇まいに魅せられはしたけれど、それは仕事をしている男としてのこと。
「私の夜空にね。ずうっと沈まないお星様があるの。そこにいるの、秀星さんと、蒼君、そして甲斐チーフ。この三人以外の男は、いまのところ入る余地はありませんから」
「星……三つ? ちょーっと待って。ねえねえ、葉子ちゃん、三つ並んじゃっているんだ。俺以外に、二つも!! っていうかさ。そこにパパもいれてあげなくちゃまずいんじゃないの? ねえねえ」
「私が愛したい男としては、最高のてっぺんに輝いています。代わりはいません。絶対に、これからも、ずっと。毎日、どの星よりもキラキラと輝いています。それはもうナンバーワン。ですから、もうよろしいですか給仕長」
「うん……、えっとわかった。いいよ。えへへ。ナンバーワンなのね、その星の輝き」
ちょっと離れたところにいる江藤君が、背中を向けているのに肩を揺らして笑いを堪えているのがわかった。
✿・✿・✿
ディナータイム開始、フレンチ十和田の扉が開く。
「いらっしゃいませ。ご来店、ありがとうございます」
エントランスにて優雅な身のこなしでお客様を出迎えるメートル・ドテルの蒼。
「最初のお客様、入られます。アペリティフお願いします」
蒼と共にホールを取り仕切ってくれるシェフ・ド・ランの神楽君が、厨房にやってくる。
「石田、鳥居、アミューズの仕上げいくぞ」
「ウィー、シェフ」
白いコックコートの父が奏でるひと皿が、今夜のお客様の彩りとなりますように。
日が暮れ、駒ヶ岳が見えなくなった窓辺。でも今宵も春の朧月が湖面を優しく照らしている。
「西園寺君、ソムリエとしてお客様への接客とサーブをお願いします」
「かしこまりました、甲斐チーフ」
水芭蕉が咲いたらここを去ってしまうけれど、いまも皆のお師匠さん、甲斐チーフ。
「では十和田さん。最後の確認をお願いします」
「はい。西園寺チーフ」
美しくも冷たい目が、どことなく懐かしい新しい上司、シェフ・ソムリエの西園寺チーフ。
秀星の形見、フランス製の銀のワインテスターを指にひっかけ、葉子はスパークリングワインと、デザートワインの味を確認する。
銀のテスターに、窓辺からこぼれてくる夜灯りがほんのり反射する。
今夜も大沼の夜空に、北極星が瞬く。
小樽産、貴腐葡萄のデザートワイン。
ずっと前のあの人の薫りが蘇る。今日も葉子のそばにいる。
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※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
後日談、一区切りお疲れさまでした。
長いようであっという間でしたが、最後は期待以上の爽やかな終わりで満足でした。
キーパーソンが亡くなっているという設定の中、今を生きるキャラクター達が未来に向けてどう生きるかを見事に描いた作品だったと思います。
悲しみを乗り越えてというのは簡単ですが、いざドラマにするのは難しいと思います。そこをどう描かれるのか着目していましたが、乗り越えることがメインではなく、新たな出会いを通じて向き合っていくことに重きを置かれたのかなと思いました。
その結果、様々な立場の視点からストーリーが展開していき、深い悲しみ以上に未来に向けて力強く歩いていく姿を垣間見れたようで、毎回感情を揺さぶられていました。
ちょっと今不思議な感覚なんですが、レストランに味以外の目的で行ってみたいと思ったのは初めてです。温かい灯りの中で、ダラシーノとハコちゃんが微笑みながら出迎えてくれるという光景が目に浮かび、会いに行ってみたいなと素直に思えます。
長くなりましたが、今回も素敵な作品に触れる機会をいただきありがとうございました。
今後も、たくさんの読者さまに素敵な作品を届けていかれることを、陰ながら応援したいと思います。
今回も最後まで、ありがとうございました。
回を重ねるごとに、逆に秀星がいつまでもそばにいることを不自然に感じることもありました。だからといって、葉子からまったく消える存在でもなく、また夫となった蒼がどこまで受け止めてくれるかなどを、登場人物のキャラ性も含めて、どこまでが自然かなとか迷いつつ、最終回まで。でした。
そこのあたりが、悲しみを乗り越えるとはどういうことなのかなという自問もありました。そんな中、葉子が秀星と繋がる関係者と出会うことで、もう一度秀星と話をするような形にしていったので、出会いを通じて向き合う形にはなっていたと思います。
今回は、違うジャンルに夢を持つ若い女性と不惑の男性が、表現から通じていく話でしたが、そんなふたりが『夢が叶わないから、とりあえず、ここで働いている』という対象が飲食業界でした。もともと興味があったフレンチレストランでしたので、そこを舞台(+ご当地として書いてみたかった大沼)としましたが、いまの世の中が元に戻りましたら、是非、レストランにも足を運んでくださればと思います。
またコンテスト期間中の応援も、今回も後押し、感謝いたします。
またどこかで、お目にかかれますように! 作品を書き続けていきたいと思っております😌✨
素敵なお話ありがとうございました。
また成長したハコちゃんと会えること楽しみにしてます。
西園寺チーフも大沼でご家族とこのレストラン
で良い時間過ごしてそうですね。
ソムリエで毎日アルコール扱うハコちゃんとダラシーノは二世をどうするのか
未来の想像いっぱい出来ちゃいますね。
コンテスト期間中も含めて、心許ない中、嬉しくなる感想をいくつもいただきまして心強かったです。ありがとうございました✨
続編3も思い描いているところですが、やはり西園寺チーフ一家が今度は葉子と蒼になにをもたらすか、西園寺一家が大沼でどうなっていくか……ですよね
そして二世なのですが!
そうなんですよねえ。葉子がアルコールを日々口にするので、そこもこれから二人がどう決めていくかになりそうです。
葉子自身、ソムリエとしてスタートが遅いし、適齢期もあるしで……。
まだ結婚式もしていないですしね(ノ∀`)
また大沼のフレンチ十和田の日々をお届けしたいと思っています。
その時に、再度、お楽しみいただけますように。.:* ♬*゜
爽やかに終わりましたね💕
うんうん1番だもんね蒼くんがねwwwチョロいw蒼くんチョロいw
ハコちゃんに新しい出会いがまた沢山の物を得られそう。
来た西園寺さんも得るものが少なくは無さそうですね。
連載お疲れ様でした♪ひとまず完結❗️さわやかなお話。ありがとうございます
今回もこちらで伴走、ありがとうございました(*'∀'人)♥*
葉子のポールスターは秀星なんですけど、めっちゃ明るいお星様は蒼のようです(ノ∀`)
そして葉子の手のひらのうえに、平気にのせられはじめちゃったダラシーノさん
かわいいヤキモチ妬きながら奥ちゃん一筋でこれからも頑張ってくれると思います
(かわいいのは奥さんじゃなくて、旦那ちゃんのほうになりそうな🤔)
次の続編を書くとしたら、今度は西園寺チーフと葉子の間でなにが生まれるか、知ることができるかですね
またそこのあたり構築して、再度お届けできたらと思っています!
応援、ありがとうございました٩(*´◒`*)۶♡