僕の主治医さん

鏡野ゆう

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事件です!

第四話

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南山みなみやま夫人! おはようございます、なんでこんな時間からこちらに?」

 公邸の厨房ちゅうぼうに顔を出すと、食材をチェックしていた藤堂とうどうさんが目を丸くした。

「おはよう。目が覚めちゃったから出てきちゃったの」
「そうなんですか? え、ってことは大使も?」
「いるわよ」

 藤堂さんは、あわててこちらにやってくる。

「でしたら、朝食をご用意しましょうか? この時間だと、さすがにまだですよね?」
「いいの、いいの。藤堂さん達は昼食会の準備に集中して。そのために早く出てきたんでしょ? セルナさんは?」
「セルナさんは、市場に入荷しているはずの食材を、引き取りに行ってくれています。僕より自分が行くほうが、安全だからって」
「そうだったの」

 セルナさんは地元の人間だ。前任の大使が、偶然に訪れた地元の小さなレストランで働いていたところを、無理を言って引き抜いてきた人物らしい。治安の不安定なこの国の事情を知りつくしていて、こうやって危険な場所に関しては、率先して自分が行くようにしてくれている。危険なのは自分だって同じはずなのに、それが自分を雇ってくれた、前任の大使への恩返しだと言って。

「本当に用意しなくても良いんですか? 簡単なものですけど、お二人分ぐらいなら、すぐに準備できますよ?」
「心配しないで。私達はいつものお店で、朝ご飯を用意してきたから」
「そうですか? あ、ダビさんは?」
「帰ったわよ。彼が次にここに戻ってくるのは、夕方ね」

 忙しくしている藤堂さんの手を止めるのが申し訳なくて、厨房ちゅうぼうから退散することにした。ちょっと気になって見に来ただけなのに、申し訳ないことをしてしまったかも。

「でしたら、お茶だけでもご用意しましょうか?」

 だけど藤堂さんからしたら、なにもしないでいるのも心苦しいらしい。

「それも大丈夫。大抵のものは主人の執務室に隠してあるから。ああ、そうだ、それで思い出した。ミネラルウォーターをいただける? さすがにあの部屋にも、浄水器つきの蛇口はないものね」

 東堂さんは私の言葉に笑いながら、段ボール箱から大きなペットボトルを引っ張りだした。

「でしたら、これを持って行ってください。一本で足りますか?」
「足りなくなったら、またもらいに来るわ」

 ペットボトルを受け取る。

「わかりました。……しかしここの人達は、大使御夫妻を筆頭に働きすぎですね」
「どういうこと?」

 藤堂さんの言葉に首をかしげる。

山崎やまざきさんも、朝一に出てきてるんですよ。なんでも、警備の引き継ぎがちゃんとできているか、確認しておかないと心配だからって」
「あら、そうなの? 彼にこそ、コーヒーを御馳走してあげたほうが、良いんじゃないかしら」
「そのつもりでいます。いま公邸内を見回っているので、戻ってきたら軽い食事も出してあげようかと。かまいませんか?」
「もちろん。じゃあ、私達は執務室でおとなしくしてるわね。時間までは私達はいないと思って、藤堂さん権限で好きにしてちょうだい。ああ、怪我人と病人が出たら、呼んでくれたら良いのよ? 主人じゃなくて私のほうだけど」

 そう言って厨房ちゅうぼうを出ると、執務室に向かう。

 執務室に入ると、裕章ひろあきさんがテーブルに朝ご飯をひろげていた。

厨房ちゅうぼうの様子はどうだった?」
「セルナさんが市場から戻ったら、作業開始ってところかしら。あ、お水、もらってきたわよ」
「ところで雛子ひなこさん、いつのまにこんなにたくさんのティーバッグを、ここに持ち込んだんだい? 棚をあけて、びっくりしたよ」

 裕章さんは笑いながら、私が持ちこんだ〝紅茶コレクション〟をテーブルに並べている。最初この執務室にあったのは、コーヒーメーカーだけだった。たしかに南米なんだから、おいしいコーヒーが手に入る。だけど紅茶だって飲みたい時もあるだろうと、こっそりと持ち込み続けていたのだ。

「だって、私、コーヒーより紅茶のほうが好きなんだもの。もちろん裕章さんも飲んでくれて良いのよ? そのために、棚にしまっておいたんだから」
「にしたって入れすぎだよ。コーヒー豆の袋が奥に押しやられてた。ここ、一応は僕の執務室なんだけどな」
「良いのよ。裕章さんのものは私のものでもあるんだから。それより、山崎さんも出てきているんですって。藤堂さんが、私達を筆頭に働きすぎだって言ってた」

 〝ここは大使の執務室なんだけどなあ〟とぼやく裕章さんの言葉を無視して、話を続ける。

「そこに、自分も含まれていることをわかっているのかな、藤堂君は」
「さあ、どうかしら。あの様子だと、含まれているとは思ってないわね」

 藤堂さんの顔を思い浮かべながら言った。

「総じて日本人は働きすぎなんだろうね。セルナさんがよく言っていたよ」
「あら、過去形?」
「最近は言わなくなったから。もしかしたら彼も、日本流に染まってしまったのかもしれない」
「あらあら、それは気の毒に……」

 ま、たしかに日本人は働きすぎかもしれない。病院に住みついちゃう医者もいるぐらいなんだものね。


+++++


 それからしばらくして、お湯をカップに注いでいた時、なにか乾いた音が聴こえた。

「? 今の聴こえた?」
「ああ、聴こえた。発砲音だね」

 この国の治安が不安定な原因の一つは、麻薬カルテルの勢力が強いということだ。それもいくつかのグループが存在していて、そのグループ同士の抗争も絶えない。もちろん軍隊や警察との銃撃戦も起きている。

 ここは諸外国の大使館や公邸が集まっている地域なので、そこそこ治安の良い地域ではあったけど、そういうことがまったく無いというわけでもなかった。事実、裕章さんが昔ここに赴任したばかりの時は、日本大使館にも強盗が入り込んだこともあったぐらいだし。だから今のような銃声も、まったくないわけじゃなかった。

 と、連続して同じような音が聴こえてきた。

「やだ、近くで銃撃戦でも起きてるの?」

 それにしてもなんだか近くない?と裕章さんのほうを見る。裕章さんは、手にしたカップをテーブルに置いて立ち上がる。そして窓際にそっと近づいた。

「裕章さん?」
「雛子さん、建物内のスタッフを、避難させたほうが良いかもしれないな」
「え? もしかして公邸の真ん前で、銃撃戦してるの?」

 ってことは、裏の通用口から避難させるしかない。全員を集めて避難させるのに、どれぐらい時間がかかるだろう。この時間、外を大勢がゾロゾロ歩くなんて、人目について逆に危ない。車を裏口に回せるだろうか? 行き先は大使館が良いかしら?

「……いや、この音の近さからして、公邸の外じゃなく中で起きてる」
「なにが?」
「銃撃戦が」

 立ち上がりかけたところで、執務室のドアがせわしなくノックされ、職員が駆け込んできた。

「大使、武装した集団が、公邸の敷地内に入り込んできました」
「警備員は?」
「応戦しているようですが」

 裕章さんは、言葉をにごした職員にうなづいてみせる。

「すでに侵入されたということは、して知るべしだね。裏口のほうはどうかな?」
「そちらからも」
「そうか。ということは避難は難しいね。職員には、むやみに抵抗しないようにと伝えるように。可能な限り、犠牲者は出したくないから」
「わかりました。それと……」

 職員が言葉を続けようとしたところで、窓に上からなにかが落ちる影がうつる。そしてドサッと鈍い音がした。

「!!」
「雛子さん」
「……なに?」

 裕章さんが私のもとに歩いてくる。

「早起きは三文の徳って言うけど、あれは日本だけに有効なのかな」

 私の前に立って手を握ってきた。その表情はとても落ち着いている。

「そうでもないかも」
「どうして?」

 そう問われて深呼吸をした。なぜか私の脳裏には、研修医だったころに遭遇した、お正月の救命救急の修羅場が浮かんだ。あの時、救命救急の室長だった東出ひがしで先生は、処置室の真ん中で仁王立におうだちになって、私達を統率していたっけ。あんなことが私にできるだろうか?

 ううん、できるかなんて言ってられないわよね、やらなきゃ。ここには私しか医師はいないんだから。

「雛子さん?」
「だって私がここにいるじゃない? 怪我人がいたら治療ぐらいできるわよ? さすがに、亡くなった人は生き返らせることはできないけど、生きている怪我人は私にまかせて。誰一人、死なせないから」
「頼りにしているよ」
「これでも優秀な医者ですから」

 裕章さんは、私の手を握る手に力をこめた。そして微笑む。

「いま、雛子さんの後ろに東出先生が見えたよ」
「え?!」

 そういう意味で言ったわけじゃないのはわかっていたけど、思わず振り返る。

「びっくりさせないで。東出手先生の生き霊が出たかと思ったじゃない」
「この事態を知ったら送ってきそうだけどね。携帯用の医療器具は、ここにも保管してあった?」
「ええ。手術をするのは無理だけど、大抵のものは倉庫に放り込んである。ただ、それを持ち出すことを許してくれる、寛大かんだいな相手だと良いんだけれど」

 あと、倉庫だけではなくそれぞれの部屋にも、医療バッグが一式ずつ置いてあったはず。そう、この執務室にも。

「それは僕の仕事だね。相手と交渉ができるようならなんとかしよう」
「……あまり無茶はしないで。あるものでなんとかするのも、私の役目だから」

 続いている銃声の音からして、公邸にあるものだけでは足りないのは想像がついた。だけどまずは、この部屋にある医療バッグの確保からだ。


 私達の長い長い一週間が始まった。
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