僕の主治医さん

鏡野ゆう

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僕の主治医さん 第二部

第一話 そして二週間後

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 南山みなみやまさんが退院して二週間。

 西入にしいり先生の予言通り、仕事中毒な官僚さん達とのやり取りがなくなって、なんとなく物足りなさを感じてしまう毎日が続いた。

 いやいや、何を考えているんだ私。病室を外務省の分室あつかいするような人達は、いない方が良いに決まっている。それに南山さんが退院しても、病院には闘病生活を送っている患者さんはまだまだ大勢いるのだから、気持ちを引き締めないと。

 …………それでも、南山さんのことが何となく気になるのは、きっとあのボールペンのせい。

「ねえ、臼井うすいさん」
「なんですか?」

 西入先生が担当している患者さんの手術に立ち会った後、午後からの回診をするまでに一息つきたくて、詰め所でカルテの整理をしている臼井さんに声をかけた。

「二万円以上する自分のボールペンを、他人に渡すってどーゆーことだと思う?」
「はい?」

 臼井さんは顔を上げて私を見た。

「患者さんの誰かに、プレゼントでもされたんですか?」
「ううん。プレゼントじゃなくて、交換したみたいな」
「二万円のボールペンと交換するような物を、取られたんですか?」
「取られたのは、私のお気に入りのアヒルちゃん」

 そう言って、いつもボールペンをさしている自分のポケットを、指で叩いてみせた。南山さんにアヒルのボールペンを取られてからは、下のコンビニで買ったシンプルなボールペンを使っているんだけど、これがまた小児病棟の子供達には大不評で、どうしたものかとただいま思案中。ちなみに南山さんに渡されたボールペンは、自宅で大事に保管されている。

 無理やりに交換された後、新しいものを買うのもバカバカしくて、何気なく南山さんのボールペンを使っていたら、病室のお爺さんの一人が、目ざとくそのボールペンに目をつけたのだ。そして仕方なく使っていたボールペンが、実は馬鹿みたいに高いと教えられて恐れおののき、慌ててロッカーのカバンの中に放り込むと、院内のコンビニへと走った次第。そして今は、その馬鹿馬鹿しく高価なボールペンは、自宅の机の中でお留守番というわけなのだ。

「アヒル、そんなに高くないですよね?」
「うん。学生時代に、近くの商店街で引いたクジ引きの商品だから、どんなに高くても五百円どまりかな」
「なんでまたそんな高価な物とアヒルちゃんを? っていうか、誰がそんな無茶な物々交換をしたんですか?」
「南山さん」

 臼井さんは、その名前を聞いて目を丸くする。

「南山さんって、あの南山さんですか?」
「うん、その南山さん」
「一体いつのまに?」
「ほら、退院する日に見送りに行ったでしょ? その時にいきなりって言うか。無理やりって言うか」

 私の言葉に、臼井さんは少しだけ目を細めた。

「ははーん。ってことは、もちろん交換したのはボールペンだけじゃないんですよね? なかなかどうして。面白い展開になりましたね。中村なかむらさんに教えてあげないと」
「え?」

 なるほどなるほどとうなづきながら、臼井さんはカルテ整理の作業に戻ってしまった。もしかして彼女は、私の問い掛けに答えてくれるつもりはないのだろうか? ははーんと意味深な言葉を口にしただけで終わり?

「北川先生?」
「なに?」

 しばらくその場で立ち尽くしていると、臼井さんが顔を上げずに私に声をかけてきた。

「そのボールペンって、きっと就職祝いとか卒業祝いの贈り物で、南山さんにとって大切な物だと思うんですよね。値段のことはともかく、大切な記念の品でしょうから、早々に返してあげたほうが良いと思いますよ?」
「誰に?」
「もちろん南山さんに」
「やっぱりそう思う?」
「はい」
 
 実のところ、値段を知ってからすぐに、南山さんに連絡を入れようと思ってはいたのだ。しかしそこが研修医の悲しいところ。連絡を入れようとする時に限って、あちこちの先生達に呼ばれ、勉強会が長引き、東出ひがしで先生にとっ捕まって当直をさせられたりして、気がつけば二週間が経っていた。

「あ、今なら!」
「どうしたんです?」
「あ、えっと、ちょっとロッカーに忘れ物を取りに行ってくる!!」
「午後からは呼吸器外科の勉強会でしたっけ?」
「うん、回診が終わったらね」

 午後の回診までまだ少し時間があるから、急けばメールだけでも送れるかもしれない。ただこういう時に限って、東出先生が廊下で仁王像のように立っていたり、西入先生が歌いながらやってきたりして油断ができないのだ。注意深く廊下の端から端まで目を光らせながら、足早にロッカールームへと向かう。

「よし、今日は捕まらなかった!」

 自分のロッカーからカバンを引っ張り出して、急いで携帯電話を取り出す。南山さんの電話番号とメールアドレスが書かれた名刺は、手帳の表紙のポケットにはさんであったので、それも引っ張り出した。

「まずはアドレスの登録、と」

 アドレスはあっさりとしたもので、名前と苗字のイニシャルそして誕生日らしき数字だ。なんだか南山さんらしいアドレスだなと思いながら、ローマ字を入力する。それから、ボールペンを返したいので、来週の土曜日にお会いできませんかというむねのメールを送った。


+++++


「?!」

 仕事が終わって庁舎を出たところで、携帯電話をチェックするとメールが何件か入っていた。その中に、最近登録したばかりの名前が表示されていた。北川きたがわ雛子ひなこ先生。数週間前、盲腸で入院した時にお世話になった先生だ。

「どうした、なにかあったのか?」

 後ろから出てきた上野うえのが、のぞき込んでくる。慌てて画面を閉じようとしたが、間に合わずあっと言う間に携帯電話を奪われた。

「お? もしかしてピヨピヨさんからか?」
「なに? いまピヨピヨさんと言ったか?」

 さらに後ろから出てきた下田しもだが、楽しそうにやって来る。

「おい、返せ」
「心配するな、メールを読むつもりはないから」
「どれどれ? なんだよ、登録名が北川先生とか色気がないな。せめて雛子先生にしろよ」
「いやそこはピヨピヨさんだろ」

 好き勝手なことを言っている同僚から電話を取り戻すと、そのまま上着のポケットにしまいこだ。

「なんだよ、読まないのか?」
「帰ってから読む」
「もし今夜にでも会えませんか?ってなメールだったらどうするんだよ、ピヨピヨさんは医者で忙しいんだろ?」
「……」

 二人は、ニヤニヤしながらこちらのアクションを待っている様子だ。

「あっち行ってろ」
「人が心配してやってるってのにまったく。下田、先に行こうぜ。いつもの店に行ってる。もし来れないようなら連絡しろ」
「わかった」

 上野と下田が遠ざかってから、携帯電話を取り出してあらためてメールを確かめる。間違いなく北川先生だ。あの日、自分なりに精一杯の告白めいたものをしたものの、二週間まったくのなしのつぶてだったので、彼女が研修医で超多忙だと知ってはいたが、少しばかり自信が揺らいでいたのだ。

『こんにちは。おかげんはいかがですか? 傷口は痛みませんか? ところでボールペンのことなのですが、思いのほか高価なものだと知って驚いています。大切なものだと思いますし返したいと思っているので、よろしければ来週の土曜日にお会いできませんでしょうか? お返事お待ちしております。北川。追伸:アヒルも返却希望です』

 最初に、こちらの健康について尋ねてくるところが北川先生らしくて、思わず笑みがこぼれた。

 あのボールペンは、祖父が就職祝いにくれたもので、たしかに大切なものだ。それなりに高価なもので、書きやすいと評判だと聞いていたが、北川先生はやはりアヒルの方が良いらしい。

「来週の土曜日か……」

 その日は特に予定は入れておらず、ノンビリすごそうと思っていた日だ。なにも予定を入れずにいて良かった。

『こんばんは。お返事が遅くなって申し訳ありません。お陰様で元気にしております。土曜日の件ですが、こちらは終日休みの予定です。せっかくですので昼食を御一緒しませんか? 待ち合わせの場所と時間は、北川先生のご都合に合わせます。南山。追伸:アヒルは必ずお持ちします、御安心ください』

 送信ボタンを押すと、次はどんな返事が返ってくるのか楽しみだなと思いながら、下田達が向かった店に行くことにした。

 その後、二人からは「なんだ今晩のお誘いじゃなかったのか、ピヨピヨさんもつれないな」等と散々言われることになったのだが、こちらは返信と土曜日が楽しみで、二人の愚痴はまったく気にならなかったというか、まったく耳に入ってこなかった。
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