僕の主治医さん

鏡野ゆう

文字の大きさ
22 / 54
僕の主治医さん 第二部

第十七話 南山さんの気になる一言

しおりを挟む
 その日の酔っ払い騒動が一段落する前に、私の研修に参加するために戦線を離脱。帰る時間になるころには、満員御礼状態は一段落したということだったので、そのまま帰途につくことにする。そして病院を出ようとしたところで、東出ひがしで先生とかち合った。

「東出先生、こんな時間までいたんですか?」
「休みなんだ、俺がどこにいても自由だろ」

 私が驚いた顔をしてたずねると、先生はムッとした顔をした。

「そのどこってのが職場なんて、休みの意味がないじゃないですか」
「明日はなにが起きても来るなと言われたから、家で寝ているつもりだ。だから心配するな」

 その様子からして、また事務長に見つかって、お小言を食らってしまったらしい。

「痛み止めは出してもらいました?」
「ああ。それも帰りしなに押しつけられた」
「絶対に痛くなるに決まってるんですから、ちゃんと飲んでくださいね?」
「分かった分かった。……あそこにいるのは、お前の患者じゃないのか?」

 東出先生の言葉に視線を前に向けると、病院を出たところにある生垣のブロックに、南山みなみやまさんが腰掛けていた。私の姿を見つけて、いつものようにニッコリと微笑んでいる。

雛子ひなこさん、こんばんは」
「南山さん、いつからいたんですか? しかもコートも着ないでこんな所で! 本当に風邪をひいたらどうするんですか」

 ニコニコしている南山さん、こんなに寒い夜なのにコートを手に持っていた。

「雛子さんが出てくるまでに、頭を冷やしておこうと思って」
「?」

 コートを取り上げて無理やり着せようと歩み寄ると、タバコとお酒の匂いが漂ってきた。

「もしかして飲んでたんですか?」
「今日で仕事納めですからね。さっきまで飲んでました。これでも早めに解放してもらったんですよ。上野うえの達は、二次会で次の店に行きましたから。あ、こんばんは、先生」

 私の後ろから歩いてきた東出先生にも、ニッコリと微笑んで挨拶をする。

「おい、北川、これはできあがってるんじゃないか?」
「できあがってる?」
「酔っ払ってるだろ」
「そんなことありませんよ。酔いは覚ましました」

 そう言って南山さんは立ち上がったけれど、ふらついて私に倒れかかってきた……いや、抱き着いてきた?

「ちょっと、大丈夫ですか?」
「雛子さん、今夜も良い匂いがしますね。僕、この匂い大好きです」
「南山さんはタバコとお酒臭いですよ」
「すみません。タバコは吸わないんですが、上野達が吸うものだから。うーん、雛子さんの匂いだ」

 東出先生が居るにも関わらず、南山さんは私の肩口に顔をうずめてスンスンしている。たしかにできあがっているかもかもしれない。

「北川、お前の住んでいるところは寮じゃないんだから、男をつれこんでも問題ないんだろ。だったらつれていけ。こんな状態で野に放つのは危険だ」

 どこで誰に迷惑をかけるか分からんぞと呟いている今夜の東出先生の言葉は、ものすごく説得力がある。

「つれこんでって人聞きの悪い。まあ女性ばかりですけど、問題はないと思います。たまに、カレシが遊びに来ている人もいるみたいだし」
「なら、さっさとその酔っ払いを連れて帰れ」
「僕はそんなに酔っ払ってませんよ。大丈夫です。今夜は、雛子さんの顔を見て満足して帰るつもりだったので、これで帰ります」
「東出先生、駅まで……」
「今夜はもう、酔っ払いの面倒を見るのはたくさんだ。この酔っ払いの面倒を見るのは、お前の役目だ。じゃあな」
「じゃあなって、東出先生!」

 東出先生は私の抗議の言葉に、片手をヒラヒラさせながら行ってしまった。

「行っちゃった……南山さん、大丈夫ですか?」

 肩のところでスンスンしていた南山さんが顔を上げる。

「だから大丈夫だって言ってるじゃないですか。僕は酔っ払ってません」

 ムッとした顔で否定したけれど、すぐにヘニャッとしただらしない顔になったところを見ると、かなり酔っ払っていると見た。暴れたり大声で歌わないだけマシかもしれない。

「……酔っ払ってますね。うちに来ますか?」
「またお爺さんの診察ですか?」
「そうじゃなくて、私のアパートの方です」
「良いんですか? 僕が行ったら変な噂になったりしませんか? 雛子先生に悪評が立ったら申し訳ないです」

 悪評かどうかは分からないけれど、変な噂に関してはもう今更なような気がする。

「大丈夫ですよ。休んで酔いを覚ました方が良いと思います。こんな状態で電車に乗ったら、終点まで行っちゃうかもしれないし」
「明日から休みなので、行っちゃっても問題ないですけどねー」
「駅員さんに御迷惑でしょ? ただでさえこの時期は、困った酔っ払いさんがあちらこちらに出現するんだから」
「分かりました、先生。おとなしくついていきます」

 ヘニャ顔で呑気に笑っている南山さんを引きずるようにして、アパートに向かった。途中にあるコンビニで、2リットルサイズのスポーツ飲料のペットボトルを買う。

「これ、ちゃんと持っていてくださいね。私、重たいペットボトルと南山さんの両方なんて、面倒はみきれませんから」
「心得ました」

 南山さんは、重たいペットボトルが入ったレジ袋をおとなしく持ってくれた。そしてアパートにつくと、素早く鍵を開けて、急いで部屋の中へと押し込む。問題はないとは言え、やはり人に見られるのはバツが悪い。南山さんが素面しらふの時ならまだしも、今夜は酔っ払っているのだ、なにを言い出すか分からないし。

「南山さんのお宅みたいに、ソファはないんですよ。だから、こっちに座ってください」

 ダイニングにソファを置くと邪魔になるし、私一人だから大きな座布団とチャブ台で十分と考えていたのは間違いだったかな……。ちょっとだけ後悔しながら、奥の部屋へと南山さんの背中を押していき、ベッドに座らせた。そして、手に持っていたレジ袋とコートをひったくる。

「……雛子さん」
「なんですか?」
「いきなりベッドに誘うなんて、なかなか大胆ですね」
「ちがいますー! 座れる場所がここしかないんですよ、うちはせまいんだから!」

 タバコの臭いがしみ込んだコートに、顔をしかめながらハンガーにかける。あとで、衣服用の消臭スプレーを念入りに噴きつけておかないと。あ、このままだとベッドもタバコ臭くなるんじゃ……? そんなことを考えていたら、インターホンが鳴った。

「ああ、もう。なんでこんな時間に?!」

 なにか荷物でも届く予定があったかなと愚痴りながらドアのスコープをのぞくと、なぜか超絶不機嫌な顔をした東出先生が立っていたので、慌ててドアを開ける。

「どうしたんです?」
「これを渡しておく」

 そう言って差し出されたのは紙袋。中をのぞくと、グレーのトレーナーのようなものが入っている。

「どうしたんですか、これ……」
「病院に置いてあるのを持ってきた。お前のうちに、あの盲腸が着られるような衣服があるとは思えんのでな。下着一丁にするわけにもいかんだろ。……心配するな、洗濯済みだ」
「もしかして、わざわざ引き返してこれを?」
「お前がこのアパートに住んでいるのは分かっていたからな。じゃあ帰る。盲腸、きちんと水分はらせろよ」
「途中のコンビニで、スポーツ飲料を買いました」

 私の言葉にうなづくと、なんで俺がここまでなどとブツブツ言いながら、東出先生は帰っていった。ドアを閉めてきちんと施錠すると、部屋に引き返す。酔っ払いの南山さんは、ベッドで横になって幸せそうな顔をして目を閉じていた。

「南山さん、寝ちゃう前に着替えてください。背広がシワになりますから」

 それに、タバコの臭いがベッドに染みつくのも困る。

「僕に女装でもしろと言うんですか?」
「今しがた東出先生が、着替えを届けてくれました。あの先生が着ているモノなら、南山さんも問題なく着られるでしょう?」
「東出先生?」
「さっきのグリズリーみたいな先生です」
「ああ、あの人ですか。その先生がなんで、雛子先生の自宅を知ってるんですか?」

 急に南山さんの顔が不機嫌になった。

「ここのアパートには、他の病院スタッフもいるからですよ。今は、うちの病院の借り上げみたいな感じになっていますから」
「そうなんですか。まさか部屋にあげたりはしてないんですね?」
「この部屋に入ったことがある男の人は、ガス警報器の点検に来たおじさんの他には、南山さんだけです」

 その答えに、再び幸せそうな顔に戻る。

「そうですか、良かった」
「はっきりしたところで、ちゃんと着替えてください。明日、しわくちゃな背広姿で電車に乗るのはイヤでしょ?」
「……ください」
「はい?」
「雛子さんが脱がせてください」
「はい?!」

 とんでもない事を言い出した本人は、呑気にニコニコしている。まさかここまで酔っ払っていたとは。病院で見かける大トラさんは騒がしい人達ばかりなので、少しばかり酔っ払いをなめてた。

「病院では、患者さんの着替えも手伝うんですよね?」
「それは、看護師さんやヘルパーさんの仕事です。私達が患者さんの服を脱がす事態になるのは、急患でどうしても必要にかられた時だけですよ、脱がすというより、ハサミで切ったりですけど」
「切るのは勘弁してください。これがないと帰れないので」

 起き上がってはくれたけど、自発的に脱ごうとはせずに、私のことをニコニコしながら見つめている。酔っ払いのくせに、脱がしてほしいというのは本気のようだ。

「……じゃあ、まずは上から」
「下からでも良いですよ?」
「酔っ払いさんは黙って、私の指示に従ってください。まずはネクタイから取り掛かりますよ」
「お願いします」

 素直だったのは返事だけで、その後はとてつもなく非協力的な南山さんのせいで、何度も中断しながら着替えをさせた。それで分かったことは、看護師さんやヘルパーさんの、相手の行動を掌握するテクニックはすごいということだ。本当に尊敬する。着替えが終わる頃には、こっちはクタクタになってしまっていた。

「はい、終わりました。もう今夜はおとなしくここで寝てください」
「雛子さんとお喋りがしたいのに。話さなきゃいけない大事なことがあるんですよ」
「酔っ払いと話すことなんてありません、お話は後日あらためて聞いてあげます」
「僕、来年は海外赴任になりそうです」
「明日も仕事だと言うのにまったく……え? 今なんて言いました?」

 なにやらとてつもなく大事なことを言われたような気がして、ハンガーに服をかけていた手を止めて振り返る。だけど返事は返ってこなかった。南山さんはニコニコした顔のまま眠ってしまっている。

「ちょっと南山さん?」

 あなたは今、海外赴任って言いましたか?
しおりを挟む
感想 33

あなたにおすすめの小説

私の主治医さん - 二人と一匹物語 -

鏡野ゆう
ライト文芸
とある病院の救命救急で働いている東出先生の元に運び込まれた急患は何故か川で溺れていた一人と一匹でした。救命救急で働くお医者さんと患者さん、そして小さな子猫の二人と一匹の恋の小話。 【本編完結】【小話】 ※小説家になろうでも公開中※

月弥総合病院

御月様(旧名 僕君☽☽‪︎)
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

紙の上の空

中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。 容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。 欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。 血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。 公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。

白衣の下 第一章 悪魔的破天荒な医者と超真面目な女子大生の愛情物語り。先生無茶振りはやめてください‼️

高野マキ
ライト文芸
弟の主治医と女子大生の甘くて切ない愛情物語り。こんなに溺愛する相手にめぐり会う事は二度と無い。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

猫と幼なじみ

鏡野ゆう
ライト文芸
まこっちゃんこと真琴と、家族と猫、そして幼なじみの修ちゃんとの日常。 ここに登場する幼なじみの修ちゃんは『帝国海軍の猫大佐』に登場する藤原三佐で、こちらのお話は三佐の若いころのお話となります。藤原三佐は『俺の彼女は中の人』『貴方と二人で臨む海』にもゲストとして登場しています。 ※小説家になろうでも公開中※

【光陵学園大学附属病院】鏡野ゆう短編集

鏡野ゆう
ライト文芸
長編ではない【光陵学園大学附属病院】関連のお話をまとめました。 ※小説家になろう、自サイトでも公開中※

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

処理中です...