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本編
第二話 愛してるって言って?
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しばらくして何だかいつもと違う匂いがするし温かいし妙に揺れるなあと思ったら、長い廊下を歩いている壁さんに抱っこされていた。
「壁さんー?」
「ああ、起きたか。部屋はすぐそこだからこのままで」
「壁さん、力持ちですねー。重たくないですかー?」
「大したことない」
「ふーん……」
突き当たりのドアの前で止まると、壁さんは私のお腹の上にあったカードキーを顎で示した。
「両手がふさがっているから代わりに開けてくれ」
「りょーかいでーす」
抱っこされたまま部屋に入ると、そこはツインルーム。でもそこはさすが老舗ホテル、とっても素敵。
「壁さん、こんなスッゴイところに泊まってるんですかー?」
「ここしばらくは。こちらに出張で出てきている」
出張でこんな凄いホテルに泊まれるなんて羨ましいなあ。私なんてテレビで観るぐらいで一生こんなところとは御縁が無いと思ってたのに。これって経費だよね、きっと。ちょーっと税金の使い方について小一時間ほど問い詰めたい気分になるよ?
「ほえぇぇぇ、壁さん、制服からして自衛官ってことは分かりますけど一体どんなお仕事を」
「信吾だ」
「ほえ?」
「俺の名前は森永信吾。そろそろ壁さんはよせ、面白い呼び名だが何とも微妙な気分になる」
そして壁さんは森永信吾さんという名前をもった一人の男性になりました。
「壁さんって気に入りません?」
「んー……なんだかなあ、ほら、某国営放送の茶色くて四角いマスコットになったような気分になるというか……」
「ああ、どうもーって言ってるアレですね? 全然、壁、じゃなくて信吾さんの方が素敵ですよ?」
「当然だ、あれと一緒にされてたまるか」
そんなこと言いますけど、世の中には男の人よりあの茶色い壁ちゃんが好きな人だっているんですよ?と言いながらくすくす笑う私に信吾さんは憤慨したようだ。ちょっと乱暴にソファにポンッと落とす。
「なんですかー、その態度ー。国民を守るお仕事の人なのにひどーい!」
そこで私はテーブルの上に何か乗ってるのに気がついた。テーブルに駆け寄るとケーキとその横に花束が添えられている。
「わー、ケーキとお花ー!」
「誕生日だと聞いて何もしないわけにはいかないだろ? 時間がなかっかたらこんなことぐらいしか出来ないが、さすが老舗ホテル、ケーキは本格的なものを用意してくれたな。それに花まで。これには気がつかなかったよ。お誕生日おめでとうございます、だと」
花束の横に置かれたカードを壁さんが私に差し出した。
「これって、かべ、じゃなくて信吾さんが用意してくれたの? すっごく嬉しいです、ありがとー! あ、シャンパンもあるー、こんなの飲んだら私、更に酔っ払いだあ」
開けて開けてと瓶を信吾さんに突き出すと、仕方がないなあと笑いながら栓を抜いてくれた。ポンッと音がしてコクル栓が飛び跳ねる。グラスに注がれる液体は金色で小さな泡がパチパチと音を立てて爆ぜていた。
「わあ……こんなの初めてぇ……」
「ところで、名前を聞いてなかったな」
「私ですかー? 名無しの花子ちゃんじゃ駄目なんですかー?」
「それではおめでとうを言ってもありがたみが無いだろう」
「そうかなあー……まあいいや。私は奈緒です、片倉奈緒。皆、なおっちって呼びますよ?」
私の名前を口の中で何度か呟いている壁さんがグラスが差し出してきたのでそれを受け取った。綺麗だあ……。こんなの見たこと無いよ。
「片倉……なんか何処かで聞いたことあるような。まあ良いか、では改めて。片倉奈緒さん、二十歳のお誕生日おめでとうございます」
「ありがとーございまーす!」
誘ってくれた皆には悪いけど、さっき飲んだお酒よりも今飲んでるやつの方がずーっと美味しい。
「壁さーん、ケーキ、味見しても良いですかー?」
「どうぞ、君のために作られたケーキだ、味見じゃなく食べてくれ」
「やっほーい」
ケーキナイフもフォークもお皿も何もかもが揃ってる。さすがサービスも素晴らしいと世界から言われるレグネンスだよね、こんな遅い時間の急な要望にもちゃんと応えてくれるなんて。
でもお、私、ケーキを見るとやりたくて仕方がないことがあるんだよねー。特にこんなふうに綺麗にクリームでデコレーションされているケーキを見ると。せっかくのデコレーションだけど、お誕生日だから良いよね?
「どうした?」
「私ね、こういうホールのケーキを見るたびにやってみたくて仕方がなかったんですよねー、こうやって指でクリームすくって食べちゃうってやつ」
ムニュって指をクリームの山に突っ込むと山盛りすくって口に入れた。うまーい!! 叫びにエコーかけたいぐらい超美味いーっ!!
「おいひー!!」
「子供か、君は」
「はたちですよー、もうおとなですう、選挙権だってありますもーん」
「そうかそうか、そりゃ失礼」
ソファに座ってニヤニヤ笑っている壁さんをちょっと睨んでから、ナイフでケーキを一切れちょっと大きめに切り分けると、それをお皿に乗せてフォークを手に取ると壁さんの隣に落ち着いた。
「そんなに食べて大丈夫なのか?」
「さっきのお店、私、飲んでばかりで殆ど食べてないんですよう。目の前に出てくるのがお酒ばかりだったのは何でだったんですかね。美味しそうなのがメニューにあったから色々と食べたかったのに」
「ケーキでお腹が膨れると良いんだが」
「それは大丈夫ですよー。こんだけ食べたらきっとお腹いっぱい。とっても美味しいし幸せ~♪」
私はそう言うと壁さんに見守られながらケーキを食べた。
「ねー、壁さん」
「だから壁さんじゃないって」
「あ、ごめんなさい、信吾さん」
慌てて言い直すとよろしいと頷く。でも私は心の中ではずっと壁さんって呼ぼうと思ったんだけど、それは内緒ね。
「あのね、どうしてここに連れてきてくれたんですか?」
「あの時、君を部屋まで送り届けた後、直ぐに帰ろうと思ってた。だから下にタクシーを待たせていたんだ」
それで降りた時に同じタクシーが止まっていたんだ、納得。
「でもあの部屋を見て、せっかくの誕生日なのに一人であんなところに残しておけないと思った。だからここに連れてきた」
平均的な部屋より家財道具が少ないからって、女の子の部屋をあんなところ呼ばわりは酷いなあ。掃除も楽だし意外と快適なのにぃ。正真正銘の私のお城なんだよ?
「下心はなかったんですかー? 正直に答えてくださーい」
ちょっと困ったような顔をして頭を掻いている。
「まあ……それなりに下心はあったかな」
「今は? 今もその下心ってありますー?」
「んー……それこそ、それなりにってところか。けど何故だ?」
「えっとね、せっかくの誕生日だしぃ、今夜だけで良いから、私のこと世界で一番愛してる振りをしてくれる人になって欲しいかなーって。駄目かなあ……」
私の言葉に壁さんがちょっと怖い顔をした。
「酔っ払っている時に言うことじゃないと思うぞ。きっと後で後悔する」
「別に後悔なんて。あ、私、処女じゃないのでその点は安心してください」
高校生の時に憧れてた先輩に告白されて付き合った時に初めては先輩にあげちゃったんだ。でもその先輩、会えば直ぐにでも即合体したいとか言う人で、何度かデートするうちにそれが苦痛になっちゃってた。だから受験勉強が本格的に始まった頃にお別れしたんだよね。
で、それから誰とも付き合ってないんだなー、私。だからこんなふうに男の人と二人っきりで過ごすなんてのは本当に久し振りのことなんだ。
「そういうことが問題なんじゃない。軽々しく会ったばかりの男と一夜を共にするなんて、エンコーじゃないんだから若い子のすることじゃないだろ?」
「……そーですかあ……だったらさっきの松橋先輩について行けば良かったかなあ……今日ぐらい一人で過ごさなくてもすむかなって思ってたけど」
最後の一切れをパクリと食べると、御馳走様でしたと手を合わせてお皿をテーブルへと戻した。松橋先輩、電話したら迎えに来てくれるかな、それとももう他の女の子に電話しちゃってたりするかな。カバンの中から携帯を取り出した私に、壁さんはいぶかしげな顔をした。
「何をするつもりだ」
「さっきのお、先輩に連絡して迎えに来てくれるか聞くんですよー。もしかしたらまだ一人でいるかもしれないでしょー、あ、ちょっと返して下さーい」
手にしていた携帯が突然のように消えた。壁さんが怖い顔をしてこちらを見ている。
「本気か? あんなチャラチャラしたのが好みなのか?」
「私の好みじゃないけど、少なくとも先輩は女の子には優しいって話だから、お願いすれば一晩ぐらい付き合ってくれるかなーって」
「駄目だ、ああいうのは女を次から次へと食い散らかすタイプだぞ」
「別にそれでも良いんですよお? 今晩だけ一人でいたくないなって思っただけだしい、別に先輩の彼女にしてくださいってわけじゃないしい」
ますます壁さんが怖い顔になっちゃったよ。
「なんですかー。別に壁さんに迷惑かけるわけじゃないからどうでもいいことじゃないですかー。携帯、返してくださいー」
「駄目だ。どうしても一人でいたくないんだったら俺にしろ」
「なんでですかー、そういうのエンコーみたいで嫌なんでしょお? いいですよ無理しなくても。先輩に電話すれば済むことですしい、私だって嫌々な人に抱かれるよりは喜んで抱いてくれる人の方が良いですー」
壁さんに取り上げられた携帯を取り返そうと手を伸ばす。
「駄目だと言ったら駄目だ」
壁さんの手にあった私の携帯は部屋の隅の方へと投げ捨てられた。わー酷いよ、壊れちゃったらどうすんのよお!! 横暴だあ、暴力だあ!!
「先に目をつけたのはあいつかもしれないが、最初に奈緒が俺を選んだ時点でこちらに優先権がある。だからお前は俺のものだ」
「私はものじゃなーい!」
「どうして女っていうのはこうも口が達者なんだ、ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う」
「うるさいですー、あっち行ってくださいよー」
飛んでいった携帯を探そうと立ち上がったところで床に引き倒された。やだー暴力はんたーい!!
「ったく、せっかく何もせず大人しく家に帰してやろうと思っていたのに、人の好意をドブに捨てるような真似をして悪い子だな君は」
「だいたい良い子は男の人をお持ち帰りなんてしないもの」
「確かに」
私を見下ろす壁さんは仕方がないなって笑いながら溜め息をついた。
「分かった。今日は奈緒の誕生日だからな、君の好きにしたら良い」
「じゃあ……今晩は壁さんは私だけのもの?」
「ああ、朝まで俺は君だけのものだ。君の望むようにしよう」
それを聞いた私は凄く嬉しくて、やったーと言いながら壁さんにしがみついた。
「一つ聞くが、君の父親は俺に似ているのか?」
変な問いに首を傾げた。
お父さんと壁さんが? 全然似てないと思うけどな。お父さんはもう直ぐ六十歳で、周囲には内緒にしているけど四十代から髪が薄くなってきて実は植毛してるんだよ? すっごいそっちにお金をかけたから今の母親ですら知らないみたいだけど。たまにむしゃくしゃしている時にばらしたくなっちゃうんだけど、ばらしちゃっても良いかな? ダンディで通ってるお父さんが実はカツラだって知ったらきっとガッカリする人もいるんじゃないかなあ。
そんなことをあれやこれや並べ立てたら、分かったからもう黙れって言われちゃった。何よ、聞いたのは壁さんじゃない。私は聞かれたから答えただけなのに。
「そんなにペラペラ喋り続けられたらキスも出来ないじゃないか。自分から誘っておいていつまで俺を待たせる気だ?」
「……待ってるんですか?」
「ああ」
そっか。
「じゃ、どうぞ?」
「……」
なんだか微妙な顔してる。何よー、せっかくどうぞっ言ったのに何でしないの?
「壁さん、さっさとキスしなさーい」
途端にニヤリと笑ったのはどういうこと?
「お嬢様の仰せのままに」
唇が覆いかぶさってきたのとほぼ同時に口の中に温かい舌が進入してきて、中を探るように動き回る。はうぅ……キスだけでこんなに感じちゃうのってやっぱりお酒のせいかなあ。もっと体の奥深くに迎え入れたくて、うずいている場所を壁さんの体に擦りつけた。
「ちょっと待った」
「は……なにぃ?」
苦笑いしながら顔を上げると大きく深呼吸をしたみたい。私もちょっと酸欠気味なので大きく息を吸った。キスして窒息死だなんて洒落にならないよ。
「ベッドがそこにあるのに床で抱き合ってるなんて馬鹿馬鹿しいと思わないか?」
「確かに……壁さんは私の上にいるから平気かもしれないけど、私は背中がちょっと痛い」
「だよな」
壁さんは立ち上がると私を引っ張り起こしてくれた。急に立ち上がったのとお酒が抜けていないせいもあって足元がふらふらする。ふにゃっと壁さんにもたれかかった。
「ほんと、壁さんだあ……」
「もう壁さんはやめろというのは無理みたいだな……」
「私の望むようにって言ったあ」
「はいはい、好きに呼んでくれ」
ベッドの横に来ると、壁さんは私の服を脱がせ始めた。
「私も壁さんの脱がせても良いー?」
「どうぞ?」
お互いの服を脱がせ合いっこしてからふとシャワーも浴びてないことに気がついた。
「壁さん、シャワーぐらい浴びたいかも……」
「んー……後で」
「でも、うむむむ」
反論しようとしたら口をキスで塞がれちゃった。望み通りとか言いつつ反論を封じるなんてずるいデスよ、壁さん。そして私はベッドに寝そべった彼の上に跨るようにして座らされる。あれ?
「なんで?」
「下だとご不満だったようなので」
「こ、これ、どうすれば……」
「もしかしてこういうのは初めて?」
最初から自分が上になるのって初めてで戸惑いながら頷く。壁さんは私の腰に両手を当てて膝立ちさせると、キスのせいで少しだけ濡れ始めていた私自身に自分のものが当たるように位置をあわせ、こちらを見てうっすらと笑った。
「そのまま腰を降ろせばいい」
降ろせばって……。戸惑いと羞恥心と早く彼と一つになりたいという本能が、アルコール漬けになった頭の中でごちゃごちゃになって暴れまくってる。躊躇いがちに腰を落とせば、熱い切っ先が入りこんで押し開かれる感覚があまりにも生々し過ぎて思わず尻込みしてしまった。中途半端な態勢のせいで太腿がフルフルと震える。
「そんなところでやめるなんて、俺を殺す気かい?」
「だって……こんなの無理ぃ……」
多分、泣きそうな顔になっていたんだと思う。そんな私を見ていた壁さんはとっても優しい笑みを浮かべて片手で私の頬を撫でてくれた。
「キスしてくれるかい?」
「キス?」
「そのまま体を倒せばいいから」
その言葉に促されて体を倒すと壁さんの唇が私を迎えてくれた。そしてさっきと同じようなキスをしてくれる。私はキスに夢中になっていて、私の腰に当てられていた壁さんの両手に力が入ったことに殆ど気がつかなかった。
「あっ」
体の奥深くに入り込もうとする熱に反応して思わず唇を離す。
「痛い?」
久し振りに男の人を受け入れたそこは少し痛みを感じていたけど、やめて欲しくなくてその問いに首を横に振った。壁さんは私の顔をジッと見詰めながらゆっくりと入ってくる。それから完全に一つになると壁さんはホッと息をついて私に笑いかけて再び唇を合わせてきた。
「……信吾、さん?」
「なんだ?」
「私のこと、好きぃ?」
「……ああ、好きだよ」
「愛してる?」
「愛してる」
「……嬉しいな、えへっ……私も信吾さんのこと好きぃ」
今日だけでもそう言ってくれる人が側にいることが嬉しくて笑ったつもりなのに、右目から涙がポロリと零れた。
「壁さんー?」
「ああ、起きたか。部屋はすぐそこだからこのままで」
「壁さん、力持ちですねー。重たくないですかー?」
「大したことない」
「ふーん……」
突き当たりのドアの前で止まると、壁さんは私のお腹の上にあったカードキーを顎で示した。
「両手がふさがっているから代わりに開けてくれ」
「りょーかいでーす」
抱っこされたまま部屋に入ると、そこはツインルーム。でもそこはさすが老舗ホテル、とっても素敵。
「壁さん、こんなスッゴイところに泊まってるんですかー?」
「ここしばらくは。こちらに出張で出てきている」
出張でこんな凄いホテルに泊まれるなんて羨ましいなあ。私なんてテレビで観るぐらいで一生こんなところとは御縁が無いと思ってたのに。これって経費だよね、きっと。ちょーっと税金の使い方について小一時間ほど問い詰めたい気分になるよ?
「ほえぇぇぇ、壁さん、制服からして自衛官ってことは分かりますけど一体どんなお仕事を」
「信吾だ」
「ほえ?」
「俺の名前は森永信吾。そろそろ壁さんはよせ、面白い呼び名だが何とも微妙な気分になる」
そして壁さんは森永信吾さんという名前をもった一人の男性になりました。
「壁さんって気に入りません?」
「んー……なんだかなあ、ほら、某国営放送の茶色くて四角いマスコットになったような気分になるというか……」
「ああ、どうもーって言ってるアレですね? 全然、壁、じゃなくて信吾さんの方が素敵ですよ?」
「当然だ、あれと一緒にされてたまるか」
そんなこと言いますけど、世の中には男の人よりあの茶色い壁ちゃんが好きな人だっているんですよ?と言いながらくすくす笑う私に信吾さんは憤慨したようだ。ちょっと乱暴にソファにポンッと落とす。
「なんですかー、その態度ー。国民を守るお仕事の人なのにひどーい!」
そこで私はテーブルの上に何か乗ってるのに気がついた。テーブルに駆け寄るとケーキとその横に花束が添えられている。
「わー、ケーキとお花ー!」
「誕生日だと聞いて何もしないわけにはいかないだろ? 時間がなかっかたらこんなことぐらいしか出来ないが、さすが老舗ホテル、ケーキは本格的なものを用意してくれたな。それに花まで。これには気がつかなかったよ。お誕生日おめでとうございます、だと」
花束の横に置かれたカードを壁さんが私に差し出した。
「これって、かべ、じゃなくて信吾さんが用意してくれたの? すっごく嬉しいです、ありがとー! あ、シャンパンもあるー、こんなの飲んだら私、更に酔っ払いだあ」
開けて開けてと瓶を信吾さんに突き出すと、仕方がないなあと笑いながら栓を抜いてくれた。ポンッと音がしてコクル栓が飛び跳ねる。グラスに注がれる液体は金色で小さな泡がパチパチと音を立てて爆ぜていた。
「わあ……こんなの初めてぇ……」
「ところで、名前を聞いてなかったな」
「私ですかー? 名無しの花子ちゃんじゃ駄目なんですかー?」
「それではおめでとうを言ってもありがたみが無いだろう」
「そうかなあー……まあいいや。私は奈緒です、片倉奈緒。皆、なおっちって呼びますよ?」
私の名前を口の中で何度か呟いている壁さんがグラスが差し出してきたのでそれを受け取った。綺麗だあ……。こんなの見たこと無いよ。
「片倉……なんか何処かで聞いたことあるような。まあ良いか、では改めて。片倉奈緒さん、二十歳のお誕生日おめでとうございます」
「ありがとーございまーす!」
誘ってくれた皆には悪いけど、さっき飲んだお酒よりも今飲んでるやつの方がずーっと美味しい。
「壁さーん、ケーキ、味見しても良いですかー?」
「どうぞ、君のために作られたケーキだ、味見じゃなく食べてくれ」
「やっほーい」
ケーキナイフもフォークもお皿も何もかもが揃ってる。さすがサービスも素晴らしいと世界から言われるレグネンスだよね、こんな遅い時間の急な要望にもちゃんと応えてくれるなんて。
でもお、私、ケーキを見るとやりたくて仕方がないことがあるんだよねー。特にこんなふうに綺麗にクリームでデコレーションされているケーキを見ると。せっかくのデコレーションだけど、お誕生日だから良いよね?
「どうした?」
「私ね、こういうホールのケーキを見るたびにやってみたくて仕方がなかったんですよねー、こうやって指でクリームすくって食べちゃうってやつ」
ムニュって指をクリームの山に突っ込むと山盛りすくって口に入れた。うまーい!! 叫びにエコーかけたいぐらい超美味いーっ!!
「おいひー!!」
「子供か、君は」
「はたちですよー、もうおとなですう、選挙権だってありますもーん」
「そうかそうか、そりゃ失礼」
ソファに座ってニヤニヤ笑っている壁さんをちょっと睨んでから、ナイフでケーキを一切れちょっと大きめに切り分けると、それをお皿に乗せてフォークを手に取ると壁さんの隣に落ち着いた。
「そんなに食べて大丈夫なのか?」
「さっきのお店、私、飲んでばかりで殆ど食べてないんですよう。目の前に出てくるのがお酒ばかりだったのは何でだったんですかね。美味しそうなのがメニューにあったから色々と食べたかったのに」
「ケーキでお腹が膨れると良いんだが」
「それは大丈夫ですよー。こんだけ食べたらきっとお腹いっぱい。とっても美味しいし幸せ~♪」
私はそう言うと壁さんに見守られながらケーキを食べた。
「ねー、壁さん」
「だから壁さんじゃないって」
「あ、ごめんなさい、信吾さん」
慌てて言い直すとよろしいと頷く。でも私は心の中ではずっと壁さんって呼ぼうと思ったんだけど、それは内緒ね。
「あのね、どうしてここに連れてきてくれたんですか?」
「あの時、君を部屋まで送り届けた後、直ぐに帰ろうと思ってた。だから下にタクシーを待たせていたんだ」
それで降りた時に同じタクシーが止まっていたんだ、納得。
「でもあの部屋を見て、せっかくの誕生日なのに一人であんなところに残しておけないと思った。だからここに連れてきた」
平均的な部屋より家財道具が少ないからって、女の子の部屋をあんなところ呼ばわりは酷いなあ。掃除も楽だし意外と快適なのにぃ。正真正銘の私のお城なんだよ?
「下心はなかったんですかー? 正直に答えてくださーい」
ちょっと困ったような顔をして頭を掻いている。
「まあ……それなりに下心はあったかな」
「今は? 今もその下心ってありますー?」
「んー……それこそ、それなりにってところか。けど何故だ?」
「えっとね、せっかくの誕生日だしぃ、今夜だけで良いから、私のこと世界で一番愛してる振りをしてくれる人になって欲しいかなーって。駄目かなあ……」
私の言葉に壁さんがちょっと怖い顔をした。
「酔っ払っている時に言うことじゃないと思うぞ。きっと後で後悔する」
「別に後悔なんて。あ、私、処女じゃないのでその点は安心してください」
高校生の時に憧れてた先輩に告白されて付き合った時に初めては先輩にあげちゃったんだ。でもその先輩、会えば直ぐにでも即合体したいとか言う人で、何度かデートするうちにそれが苦痛になっちゃってた。だから受験勉強が本格的に始まった頃にお別れしたんだよね。
で、それから誰とも付き合ってないんだなー、私。だからこんなふうに男の人と二人っきりで過ごすなんてのは本当に久し振りのことなんだ。
「そういうことが問題なんじゃない。軽々しく会ったばかりの男と一夜を共にするなんて、エンコーじゃないんだから若い子のすることじゃないだろ?」
「……そーですかあ……だったらさっきの松橋先輩について行けば良かったかなあ……今日ぐらい一人で過ごさなくてもすむかなって思ってたけど」
最後の一切れをパクリと食べると、御馳走様でしたと手を合わせてお皿をテーブルへと戻した。松橋先輩、電話したら迎えに来てくれるかな、それとももう他の女の子に電話しちゃってたりするかな。カバンの中から携帯を取り出した私に、壁さんはいぶかしげな顔をした。
「何をするつもりだ」
「さっきのお、先輩に連絡して迎えに来てくれるか聞くんですよー。もしかしたらまだ一人でいるかもしれないでしょー、あ、ちょっと返して下さーい」
手にしていた携帯が突然のように消えた。壁さんが怖い顔をしてこちらを見ている。
「本気か? あんなチャラチャラしたのが好みなのか?」
「私の好みじゃないけど、少なくとも先輩は女の子には優しいって話だから、お願いすれば一晩ぐらい付き合ってくれるかなーって」
「駄目だ、ああいうのは女を次から次へと食い散らかすタイプだぞ」
「別にそれでも良いんですよお? 今晩だけ一人でいたくないなって思っただけだしい、別に先輩の彼女にしてくださいってわけじゃないしい」
ますます壁さんが怖い顔になっちゃったよ。
「なんですかー。別に壁さんに迷惑かけるわけじゃないからどうでもいいことじゃないですかー。携帯、返してくださいー」
「駄目だ。どうしても一人でいたくないんだったら俺にしろ」
「なんでですかー、そういうのエンコーみたいで嫌なんでしょお? いいですよ無理しなくても。先輩に電話すれば済むことですしい、私だって嫌々な人に抱かれるよりは喜んで抱いてくれる人の方が良いですー」
壁さんに取り上げられた携帯を取り返そうと手を伸ばす。
「駄目だと言ったら駄目だ」
壁さんの手にあった私の携帯は部屋の隅の方へと投げ捨てられた。わー酷いよ、壊れちゃったらどうすんのよお!! 横暴だあ、暴力だあ!!
「先に目をつけたのはあいつかもしれないが、最初に奈緒が俺を選んだ時点でこちらに優先権がある。だからお前は俺のものだ」
「私はものじゃなーい!」
「どうして女っていうのはこうも口が達者なんだ、ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う」
「うるさいですー、あっち行ってくださいよー」
飛んでいった携帯を探そうと立ち上がったところで床に引き倒された。やだー暴力はんたーい!!
「ったく、せっかく何もせず大人しく家に帰してやろうと思っていたのに、人の好意をドブに捨てるような真似をして悪い子だな君は」
「だいたい良い子は男の人をお持ち帰りなんてしないもの」
「確かに」
私を見下ろす壁さんは仕方がないなって笑いながら溜め息をついた。
「分かった。今日は奈緒の誕生日だからな、君の好きにしたら良い」
「じゃあ……今晩は壁さんは私だけのもの?」
「ああ、朝まで俺は君だけのものだ。君の望むようにしよう」
それを聞いた私は凄く嬉しくて、やったーと言いながら壁さんにしがみついた。
「一つ聞くが、君の父親は俺に似ているのか?」
変な問いに首を傾げた。
お父さんと壁さんが? 全然似てないと思うけどな。お父さんはもう直ぐ六十歳で、周囲には内緒にしているけど四十代から髪が薄くなってきて実は植毛してるんだよ? すっごいそっちにお金をかけたから今の母親ですら知らないみたいだけど。たまにむしゃくしゃしている時にばらしたくなっちゃうんだけど、ばらしちゃっても良いかな? ダンディで通ってるお父さんが実はカツラだって知ったらきっとガッカリする人もいるんじゃないかなあ。
そんなことをあれやこれや並べ立てたら、分かったからもう黙れって言われちゃった。何よ、聞いたのは壁さんじゃない。私は聞かれたから答えただけなのに。
「そんなにペラペラ喋り続けられたらキスも出来ないじゃないか。自分から誘っておいていつまで俺を待たせる気だ?」
「……待ってるんですか?」
「ああ」
そっか。
「じゃ、どうぞ?」
「……」
なんだか微妙な顔してる。何よー、せっかくどうぞっ言ったのに何でしないの?
「壁さん、さっさとキスしなさーい」
途端にニヤリと笑ったのはどういうこと?
「お嬢様の仰せのままに」
唇が覆いかぶさってきたのとほぼ同時に口の中に温かい舌が進入してきて、中を探るように動き回る。はうぅ……キスだけでこんなに感じちゃうのってやっぱりお酒のせいかなあ。もっと体の奥深くに迎え入れたくて、うずいている場所を壁さんの体に擦りつけた。
「ちょっと待った」
「は……なにぃ?」
苦笑いしながら顔を上げると大きく深呼吸をしたみたい。私もちょっと酸欠気味なので大きく息を吸った。キスして窒息死だなんて洒落にならないよ。
「ベッドがそこにあるのに床で抱き合ってるなんて馬鹿馬鹿しいと思わないか?」
「確かに……壁さんは私の上にいるから平気かもしれないけど、私は背中がちょっと痛い」
「だよな」
壁さんは立ち上がると私を引っ張り起こしてくれた。急に立ち上がったのとお酒が抜けていないせいもあって足元がふらふらする。ふにゃっと壁さんにもたれかかった。
「ほんと、壁さんだあ……」
「もう壁さんはやめろというのは無理みたいだな……」
「私の望むようにって言ったあ」
「はいはい、好きに呼んでくれ」
ベッドの横に来ると、壁さんは私の服を脱がせ始めた。
「私も壁さんの脱がせても良いー?」
「どうぞ?」
お互いの服を脱がせ合いっこしてからふとシャワーも浴びてないことに気がついた。
「壁さん、シャワーぐらい浴びたいかも……」
「んー……後で」
「でも、うむむむ」
反論しようとしたら口をキスで塞がれちゃった。望み通りとか言いつつ反論を封じるなんてずるいデスよ、壁さん。そして私はベッドに寝そべった彼の上に跨るようにして座らされる。あれ?
「なんで?」
「下だとご不満だったようなので」
「こ、これ、どうすれば……」
「もしかしてこういうのは初めて?」
最初から自分が上になるのって初めてで戸惑いながら頷く。壁さんは私の腰に両手を当てて膝立ちさせると、キスのせいで少しだけ濡れ始めていた私自身に自分のものが当たるように位置をあわせ、こちらを見てうっすらと笑った。
「そのまま腰を降ろせばいい」
降ろせばって……。戸惑いと羞恥心と早く彼と一つになりたいという本能が、アルコール漬けになった頭の中でごちゃごちゃになって暴れまくってる。躊躇いがちに腰を落とせば、熱い切っ先が入りこんで押し開かれる感覚があまりにも生々し過ぎて思わず尻込みしてしまった。中途半端な態勢のせいで太腿がフルフルと震える。
「そんなところでやめるなんて、俺を殺す気かい?」
「だって……こんなの無理ぃ……」
多分、泣きそうな顔になっていたんだと思う。そんな私を見ていた壁さんはとっても優しい笑みを浮かべて片手で私の頬を撫でてくれた。
「キスしてくれるかい?」
「キス?」
「そのまま体を倒せばいいから」
その言葉に促されて体を倒すと壁さんの唇が私を迎えてくれた。そしてさっきと同じようなキスをしてくれる。私はキスに夢中になっていて、私の腰に当てられていた壁さんの両手に力が入ったことに殆ど気がつかなかった。
「あっ」
体の奥深くに入り込もうとする熱に反応して思わず唇を離す。
「痛い?」
久し振りに男の人を受け入れたそこは少し痛みを感じていたけど、やめて欲しくなくてその問いに首を横に振った。壁さんは私の顔をジッと見詰めながらゆっくりと入ってくる。それから完全に一つになると壁さんはホッと息をついて私に笑いかけて再び唇を合わせてきた。
「……信吾、さん?」
「なんだ?」
「私のこと、好きぃ?」
「……ああ、好きだよ」
「愛してる?」
「愛してる」
「……嬉しいな、えへっ……私も信吾さんのこと好きぃ」
今日だけでもそう言ってくれる人が側にいることが嬉しくて笑ったつもりなのに、右目から涙がポロリと零れた。
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