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番外小話 1
賞品は奈緒?
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「ん?」
議員団が訓練の視察に来るということで出迎えの準備をしていた俺の耳に、いつものここの雰囲気とは似つかわしくない可愛らしい声が聞こえてきた。その聞き覚えのある声がした方に目を向ければ、そこには重光議員とその随行員達、そして何故かいつもよりちょっと改まった服装をした奈緒さんの姿。
俺の横に立っていた三佐がそれを見て一瞬だけギョッとした顔になった。うはっ、あの鬼の森永が一瞬だけマジで驚いていたぞ、やはり奈緒さんは偉大だ。
「……なんでここに?」
挨拶もそこそこにすますと三佐が重光議員にヒソヒソと問い詰めている。少しばかり青筋を浮かべている三佐に対して、議員の方は別に悪びれた風もなくいつものようにニコニコと微笑んでいるのが何ともかんとも。それを横で眺めている奈緒さんも特に困ってる様子も困惑している様子も無く、いつものあの感じで珍しそうに訓練施設を見渡している。
あ、目があっちまったぞ。俺のことを見つけた奈緒さんは嬉しそうにニッコリすると、重光議員に何か囁いてからこちらにやってきた。ああ、奈緒さん勘弁してください、俺、後で絶対に三佐にどやされる……。
「こんにちは、安住さん」
「どうも。今日はどうして重光先生の随行員みたいな顔してここにいるのか聞いても良いですか?」
「えっと、私が先生の臨時の私設秘書だから?」
「……なるほど」
そりゃ奈緒さんは三佐の嫁なんだしここに連れてきても問題は無い人物ではある。だけどここは通常部隊でもなく空挺でもなく特作なんだが良いのか? 篠原群長まで呑気な顔しているし、いや、あれはニタニタしているようにも見える。もしかしてこれは新手の嫌がらせとか? 誰が誰への嫌がらせ? あまり考えたくないぞ。
「安住さん達の迷彩柄の戦闘服姿を見るのってもしかして初めてかもですね」
「そうかもですね」
制服や作業服の時には何度か顔を合わせていたが、訓練時に奈緒さんがいるなんてことは今まで一度も無かったのだから当然と言えば当然のことだ。少し珍しげな顔をして俺の装備を覗き込んであれこれ質問してくる奈緒さんだったが、その向こうでこっちに視線を向けてくる三佐の視線が非常に辛いですがね。奈緒さん、呑気な顔して俺の話を聞いてますが貴女の言動が三佐の溺愛神経を逆撫でしていること分かってますか、もしもし?
+++++
広報官の人が今回使う訓練施設を説明してくれるのをなるほどって頷きながら重光先生の横を歩く。
最初は何気ない気持ちで信吾さん達が所属しているところって本当のところはどんなことをしているんでしょうねって口にしただけなんだ。信吾さんからは特作は対テロ作戦を想定した部隊とかなんとかこんとかって聞いてはいたけど、その手のことには全く疎い私だったからイマイチぴんとこなくて、とにかくテロリストが来た時に出てくる普段は秘密な人達の集まりって程度でしか認識してなかった。
で。今日いきなり沙織さんに誘われて重光先生のお宅に遊びに伺ったら何故か改まったスーツが用意されていて出掛ける準備をさせられた。そして行先がここだったわけ。重光先生曰く私が住んでいる世界とはまったく違うところで旦那さんが普段どんな事をしているか知るのも良いことなんじゃ?なんだって。
「こういうの、訓練するだけで済んでいたら良いですね」
「確かに。出来る事ならその手の事案とはずっと無関係な国であってくれれば良いとは思うが、それでも備えは必要だからね。まあその万が一の備えに対して理解の無い人もたくさんいるわけなんだが」
私の言葉に重光先生が頷く。先生は信吾さんが普段どんな訓練をしているかっていうのを私に見せてくれるつもりでここに連れてきてくれたらしい。
経緯はどうあれ形式的には秘書を連れてきた副大臣が訓練の視察を行うということで問題は無いらしいけど、普段は非公開な訓練が殆どな部署だから随分と無理を言ったんじゃないかってちょっと心配になる。バレちゃったら色々と言われないかな?って尋ねたら、バレないように根回しするのが公設秘書の仕事ですって杉下さんが笑いながら言ってた。さすが杉下さん、本当に国会議員さん関係のお仕事って怖いね。
そして最後のゴールに当たる建物の中に入るとそこは大きなモニターが幾つか設置されていた。訓練施設内のあちこちにカメラが設置されいるらしくて、モニターにはそれぞれのカメラが捉えている画像が映し出されていた。ここで訓練中の信吾さん達を観察するのか~と感心していると普段は訓練施設の外側のあるモニター室で見ているらしい。ってことは今は何故ここに?
「今回は人質救出を想定した模擬戦です。本来ならここにもテロリストに扮した隊員が配置されるのですが、さすがにここで銃撃戦となりますと模擬弾が当たってモニターが破壊される可能性があるので今回はこの外が到達地点ということになります」
確かにこれだけのモニター、模擬弾とか言うのが当たって壊れたら大損害だものね……。
「で、そちちらの秘書の方が人質役ということですのでここでお待ちになっていて下さい」
秘書さんが人質ね、ふーん……ん? 重光先生がおかしそうに笑いながら私を見下ろしている。
「秘書って……私ですか?」
「そういうことだね。我々はあちらに移動するから、奈緒君はここに座って隊員達の動きをのんびりと見物していると良いよ」
そう言いながら重光先生はモニター前に置いてあった椅子の背に手をやった。
「え……説明を聞かせてもらえるんじゃ?」
「その辺は機密事項も出てくるのでね」
「……」
なんだか都合のよい機密事項じゃ?と思わなくはないけどここでごねても仕方がないので大人しく従っておくことにした。そして全員が移動していく中、篠原一佐がこちらに近寄ってきて何か差し出してくる。
「すみませんね、森永夫人。ところでこれ、一番乗りで入ってきた奴に渡してやって下さい。一応、二番手まで用意してあるのでよろしくお願いします」
そう言って渡されたのは壱番とか弐番とか書かれている小さな三角形の旗だった。なんで旗?
++
訓練がスタートするとそれぞれに分かれた人達が動き出す。
もっと派手に撃ち合いでもするのかな?って思っていたけど意外と地味な感じで始まった。そういうのってアクション映画の中だけでの話なのかな?なんて思いながら画面を見続ける。あ、信吾さん、見つけた。普段は一緒に訓練することも少なくなったって言っていたけど今日はもしかして特別? あ、すぐ後ろについているのはもしかして安住さんじゃないかな。移動しながらのお互いの意思の疎通はいわゆるハンドサインとかいうやつ。止まれとか回り込めとか幾つかは、アクション映画を自宅で見ていた時に出てきて信吾さんに教えてもらったものだから私にも理解できた。
だけど本当に静かに移動してるんだなって画面を見ながら思う。あっちとこっちに分かれて撃ち合いとかもしている筈なんだろうけど、耳をすましても外で何か進行中だっていう気配が全くしないよ。普段たまに私の後ろから気配を消して近寄ってくるところからして、もしかして信吾さん達ってリアル忍者?なんて思っちゃう。
それから暫くして私の想像度通り一番に建物の中に音もたてずに入ってきたのは信吾さん。ゴーグルで顔は半分隠れているけど直ぐに分かった。
「信吾さん、一番乗りだったね、おめでとー」
そう言いながら椅子から立ち上がって信吾さんのそばにいくと壱と書かれている小さな旗を差し出す。さっき篠原一佐に一番に入ってきた人にこれを渡すようにって言われもの。だからこの場合は信吾さんに渡さなきゃいけないものらしい。それを見た信吾さんは物凄く微妙な顔をした。
「なんで旗……運動会か」
「んー……普段からそんなもの渡しているとは思ってないけど、先生が見学に来ているから特別とか? ちょっとした篠原一佐のお遊びなのかも」
信吾さんが開きかけたドアを足でガンッと蹴って押し戻した。わおっ、めちゃくちゃ凄い音がしたよ信吾さん、そんなことして壊れちゃったりしたら怒られない? そして蹴って押し戻した後は誰も入ってこようとしないし。良いのかな、まだ訓練って終わってないんじゃないの? 外で待っててもらって大丈夫なの? 入ってこようとしたのは安住さんじゃない? 一応、弐って書いた旗も渡されているんだけどな。もしかしてこれで終了?
それと何故か外で笑い声が聞こえたような気がしたのは空耳?
「俺は一番乗りの賞品は奈緒だって言われたぞ」
「私? 私が賞品って……それって人質役の間違いじゃ?」
「一番でここに乗り込んで人質を救出した奴には人質と夕飯を一緒に食う権利が与えられるんだと」
「そうなの。ってことは信吾さんと一緒に夜ご飯ってこと? 普段と変わらないじゃない」
なんだか損しちゃった気分だねって言ったらちょっと怖い顔された。
「じゃあ他の誰かと夕飯を食いたかったのか?」
「そういうことじゃないけど、信吾さん、せっかく一番になったのに普段と変わり映えの無い相手が夜ご飯のお供だなんてちょっとガッカリじゃない?」
普段からこんなふうに賞品をつけて訓練しているとは思ってないけど、信吾さん的にはもっと凄い賞品だと良かったのにねって感じ? ほら、重光先生も来ていることだし高級料亭で豪遊できるとかさ。そうすればもっとモチベーションも上がるんじゃないかなって思ったわけ。
「さて、いつまでも外で安住達を待たせておくわけにはいかないからな、行くぞ、奈緒」
「うん。これで訓練は終わり?」
「まさか。ここで半分が終わったところだ。ここからは人質を連れてこの地域から脱出するという任務が残っている」
「え……あの、私まで? 無理だよ、絶対に信吾さんの足を引っ張っちゃうし」
「いいから、行くぞ」
そう言うと信吾さんは私をいきなり肩に担ぎ上げた。
「わっ、信吾さん、どうして担ぐかな」
「人質は負傷中ということで。何もしなくても良いからきゃーきゃー騒がずに大人しく静かにだけはしておけよ」
沙織さんがパンツスーツを用意してくれた理由がここでやっと理解できた。まあ私がノタノタした足取りでついて行くよりこっちの方が速く移動できるって信吾さん的な判断なんだろうけどさ、なんだかこれってかなり恥ずかしくない?
+++
「これが人質救出作戦時だったら人質は途中で重傷、下手をすれば弾が森永にあたって二人して死亡していたわけだが、まだまだ部下の鍛錬が足りんな森永」
「返す言葉もありません」
訓練終了後、篠原一佐が信吾さんと信吾さんを援護する形で一緒に移動していた安住さんともう一人の隊員さんの前で腕組みをしながら言った。
私はそこで口出しすることはしなかったけど、内心では“お言葉ですが”って言いたかったよ。だってあっちはあんなたくさんの人数でこっちを追いかけてきていたんだよ? 信吾さんは私を抱えているから片手しか使えなかったし、信吾さんと私を援護していたのは安住さんともう一人の隊員さんだけだし。だから私の足首に模擬弾が当たったのは仕方ないことだと思うんだ。そりゃ当たった時は痛かったけどさ。
そしてその模擬弾が私の足首に当たったのは自分達のせいだって三人は考えているみたいだけど、でもこれって狙って撃った矢野さんのせいだと思うのよね。それに私の足に当たってなかったらあれって信吾さんに当たってたんじゃないの? そう思いながらチラリと矢野さんの方を見ればちょっと笑って口パクでゴメンナサイだって。謝るぐらいなら撃たなきゃ良いのに。矢野さんって凄く射撃が上手い人だってことだから狙ってきたのは間違いない筈なんだし。それに踝のところにちょうど当たって本当に痛かったんだよ、矢野さん?
「お前達も何をニヤニヤしている。逆の立場で考えればお前達は人質になった民間人の救出を失敗してテロリストの逃走をそのまま許したということなんだぞ。たった三人を相手になんてザマだ情けない、何人が死亡判定を受けたんだ?」
篠原一佐は容赦なく全員の前でダメ出しを連発している。それを聞いている信吾さん達は何だか凄く神妙な顔をしていてさっきまでのお遊び半分な雰囲気はすっかり消えてしまっていた。やっぱり一番上の人だけあって篠原さんって本当に怖いんだね。その一佐に偉そうに言えるお嬢さんの純ちゃんさんって凄い。
+++
重光先生達と引き上げる直前、車を回してくるのを待っている間に急いで信吾さんの元にこっそり走っていった。あちらの人達からしたら大したこっそりではないんだろうけど、私てきには十分に目立たないようにしたつもり。まあきっとそれなりに目立っていたんじゃないかなとは思うんだけどね。
「奈緒、足の方は大丈夫なのか?」
「うん、もう平気。ところで信吾さん、今日は早く帰ってくる?」
「いつも通りかな」
ただ今日の訓練結果の総括しだいだなと付け加えた。
「ご飯、好きなもの用意しておいてあげる」
「ん?」
「篠原一佐に怒られたから慰めてあげるって意味でね、信吾さんが好きなもの用意しておいてあげるよ」
「それなら奈緒を食わせてくれるだけで十分なんだけどな」
「またそんなこと言って」
「一番になった賞品は奈緒なんだろ? 今夜しっかりいただくとするさ」
ギョッとなって周りの人に聞かれてないか慌てて見回す。幸いなことに信吾さんは私が来た時には皆とは少し離れた場所にいたから誰にも今の言葉は聞かれてない筈……あれ、向こうにいる安住さんと目があった? あ、なんで慌てて目を逸らしたんだろ? まさか聞こえていたとかないよね? ちょっともしもし安住さん、もしかして今の聞こえてた? あ、なんで背中向けちゃうの?
「……腕立て伏せ百回ぐらい増やしておくか?」
笑いを含んだ信吾さんの声が頭の上からした。見上げれば愉快そうな顔をしてこちらを見下ろしている。
「今のもしかして安住さんに聞こえてた?」
「かもな」
「……うん、恥ずかしいから増やしちゃって。えっとね矢野さんも」
「了解した」
車で帰る途中、もしかしてさっきのって完全に八つ当たり? 安住さんと矢野さんに悪いことしちゃったかなってほんの一瞬だけ思った。うん、あくまでも一瞬だけ。
議員団が訓練の視察に来るということで出迎えの準備をしていた俺の耳に、いつものここの雰囲気とは似つかわしくない可愛らしい声が聞こえてきた。その聞き覚えのある声がした方に目を向ければ、そこには重光議員とその随行員達、そして何故かいつもよりちょっと改まった服装をした奈緒さんの姿。
俺の横に立っていた三佐がそれを見て一瞬だけギョッとした顔になった。うはっ、あの鬼の森永が一瞬だけマジで驚いていたぞ、やはり奈緒さんは偉大だ。
「……なんでここに?」
挨拶もそこそこにすますと三佐が重光議員にヒソヒソと問い詰めている。少しばかり青筋を浮かべている三佐に対して、議員の方は別に悪びれた風もなくいつものようにニコニコと微笑んでいるのが何ともかんとも。それを横で眺めている奈緒さんも特に困ってる様子も困惑している様子も無く、いつものあの感じで珍しそうに訓練施設を見渡している。
あ、目があっちまったぞ。俺のことを見つけた奈緒さんは嬉しそうにニッコリすると、重光議員に何か囁いてからこちらにやってきた。ああ、奈緒さん勘弁してください、俺、後で絶対に三佐にどやされる……。
「こんにちは、安住さん」
「どうも。今日はどうして重光先生の随行員みたいな顔してここにいるのか聞いても良いですか?」
「えっと、私が先生の臨時の私設秘書だから?」
「……なるほど」
そりゃ奈緒さんは三佐の嫁なんだしここに連れてきても問題は無い人物ではある。だけどここは通常部隊でもなく空挺でもなく特作なんだが良いのか? 篠原群長まで呑気な顔しているし、いや、あれはニタニタしているようにも見える。もしかしてこれは新手の嫌がらせとか? 誰が誰への嫌がらせ? あまり考えたくないぞ。
「安住さん達の迷彩柄の戦闘服姿を見るのってもしかして初めてかもですね」
「そうかもですね」
制服や作業服の時には何度か顔を合わせていたが、訓練時に奈緒さんがいるなんてことは今まで一度も無かったのだから当然と言えば当然のことだ。少し珍しげな顔をして俺の装備を覗き込んであれこれ質問してくる奈緒さんだったが、その向こうでこっちに視線を向けてくる三佐の視線が非常に辛いですがね。奈緒さん、呑気な顔して俺の話を聞いてますが貴女の言動が三佐の溺愛神経を逆撫でしていること分かってますか、もしもし?
+++++
広報官の人が今回使う訓練施設を説明してくれるのをなるほどって頷きながら重光先生の横を歩く。
最初は何気ない気持ちで信吾さん達が所属しているところって本当のところはどんなことをしているんでしょうねって口にしただけなんだ。信吾さんからは特作は対テロ作戦を想定した部隊とかなんとかこんとかって聞いてはいたけど、その手のことには全く疎い私だったからイマイチぴんとこなくて、とにかくテロリストが来た時に出てくる普段は秘密な人達の集まりって程度でしか認識してなかった。
で。今日いきなり沙織さんに誘われて重光先生のお宅に遊びに伺ったら何故か改まったスーツが用意されていて出掛ける準備をさせられた。そして行先がここだったわけ。重光先生曰く私が住んでいる世界とはまったく違うところで旦那さんが普段どんな事をしているか知るのも良いことなんじゃ?なんだって。
「こういうの、訓練するだけで済んでいたら良いですね」
「確かに。出来る事ならその手の事案とはずっと無関係な国であってくれれば良いとは思うが、それでも備えは必要だからね。まあその万が一の備えに対して理解の無い人もたくさんいるわけなんだが」
私の言葉に重光先生が頷く。先生は信吾さんが普段どんな訓練をしているかっていうのを私に見せてくれるつもりでここに連れてきてくれたらしい。
経緯はどうあれ形式的には秘書を連れてきた副大臣が訓練の視察を行うということで問題は無いらしいけど、普段は非公開な訓練が殆どな部署だから随分と無理を言ったんじゃないかってちょっと心配になる。バレちゃったら色々と言われないかな?って尋ねたら、バレないように根回しするのが公設秘書の仕事ですって杉下さんが笑いながら言ってた。さすが杉下さん、本当に国会議員さん関係のお仕事って怖いね。
そして最後のゴールに当たる建物の中に入るとそこは大きなモニターが幾つか設置されていた。訓練施設内のあちこちにカメラが設置されいるらしくて、モニターにはそれぞれのカメラが捉えている画像が映し出されていた。ここで訓練中の信吾さん達を観察するのか~と感心していると普段は訓練施設の外側のあるモニター室で見ているらしい。ってことは今は何故ここに?
「今回は人質救出を想定した模擬戦です。本来ならここにもテロリストに扮した隊員が配置されるのですが、さすがにここで銃撃戦となりますと模擬弾が当たってモニターが破壊される可能性があるので今回はこの外が到達地点ということになります」
確かにこれだけのモニター、模擬弾とか言うのが当たって壊れたら大損害だものね……。
「で、そちちらの秘書の方が人質役ということですのでここでお待ちになっていて下さい」
秘書さんが人質ね、ふーん……ん? 重光先生がおかしそうに笑いながら私を見下ろしている。
「秘書って……私ですか?」
「そういうことだね。我々はあちらに移動するから、奈緒君はここに座って隊員達の動きをのんびりと見物していると良いよ」
そう言いながら重光先生はモニター前に置いてあった椅子の背に手をやった。
「え……説明を聞かせてもらえるんじゃ?」
「その辺は機密事項も出てくるのでね」
「……」
なんだか都合のよい機密事項じゃ?と思わなくはないけどここでごねても仕方がないので大人しく従っておくことにした。そして全員が移動していく中、篠原一佐がこちらに近寄ってきて何か差し出してくる。
「すみませんね、森永夫人。ところでこれ、一番乗りで入ってきた奴に渡してやって下さい。一応、二番手まで用意してあるのでよろしくお願いします」
そう言って渡されたのは壱番とか弐番とか書かれている小さな三角形の旗だった。なんで旗?
++
訓練がスタートするとそれぞれに分かれた人達が動き出す。
もっと派手に撃ち合いでもするのかな?って思っていたけど意外と地味な感じで始まった。そういうのってアクション映画の中だけでの話なのかな?なんて思いながら画面を見続ける。あ、信吾さん、見つけた。普段は一緒に訓練することも少なくなったって言っていたけど今日はもしかして特別? あ、すぐ後ろについているのはもしかして安住さんじゃないかな。移動しながらのお互いの意思の疎通はいわゆるハンドサインとかいうやつ。止まれとか回り込めとか幾つかは、アクション映画を自宅で見ていた時に出てきて信吾さんに教えてもらったものだから私にも理解できた。
だけど本当に静かに移動してるんだなって画面を見ながら思う。あっちとこっちに分かれて撃ち合いとかもしている筈なんだろうけど、耳をすましても外で何か進行中だっていう気配が全くしないよ。普段たまに私の後ろから気配を消して近寄ってくるところからして、もしかして信吾さん達ってリアル忍者?なんて思っちゃう。
それから暫くして私の想像度通り一番に建物の中に音もたてずに入ってきたのは信吾さん。ゴーグルで顔は半分隠れているけど直ぐに分かった。
「信吾さん、一番乗りだったね、おめでとー」
そう言いながら椅子から立ち上がって信吾さんのそばにいくと壱と書かれている小さな旗を差し出す。さっき篠原一佐に一番に入ってきた人にこれを渡すようにって言われもの。だからこの場合は信吾さんに渡さなきゃいけないものらしい。それを見た信吾さんは物凄く微妙な顔をした。
「なんで旗……運動会か」
「んー……普段からそんなもの渡しているとは思ってないけど、先生が見学に来ているから特別とか? ちょっとした篠原一佐のお遊びなのかも」
信吾さんが開きかけたドアを足でガンッと蹴って押し戻した。わおっ、めちゃくちゃ凄い音がしたよ信吾さん、そんなことして壊れちゃったりしたら怒られない? そして蹴って押し戻した後は誰も入ってこようとしないし。良いのかな、まだ訓練って終わってないんじゃないの? 外で待っててもらって大丈夫なの? 入ってこようとしたのは安住さんじゃない? 一応、弐って書いた旗も渡されているんだけどな。もしかしてこれで終了?
それと何故か外で笑い声が聞こえたような気がしたのは空耳?
「俺は一番乗りの賞品は奈緒だって言われたぞ」
「私? 私が賞品って……それって人質役の間違いじゃ?」
「一番でここに乗り込んで人質を救出した奴には人質と夕飯を一緒に食う権利が与えられるんだと」
「そうなの。ってことは信吾さんと一緒に夜ご飯ってこと? 普段と変わらないじゃない」
なんだか損しちゃった気分だねって言ったらちょっと怖い顔された。
「じゃあ他の誰かと夕飯を食いたかったのか?」
「そういうことじゃないけど、信吾さん、せっかく一番になったのに普段と変わり映えの無い相手が夜ご飯のお供だなんてちょっとガッカリじゃない?」
普段からこんなふうに賞品をつけて訓練しているとは思ってないけど、信吾さん的にはもっと凄い賞品だと良かったのにねって感じ? ほら、重光先生も来ていることだし高級料亭で豪遊できるとかさ。そうすればもっとモチベーションも上がるんじゃないかなって思ったわけ。
「さて、いつまでも外で安住達を待たせておくわけにはいかないからな、行くぞ、奈緒」
「うん。これで訓練は終わり?」
「まさか。ここで半分が終わったところだ。ここからは人質を連れてこの地域から脱出するという任務が残っている」
「え……あの、私まで? 無理だよ、絶対に信吾さんの足を引っ張っちゃうし」
「いいから、行くぞ」
そう言うと信吾さんは私をいきなり肩に担ぎ上げた。
「わっ、信吾さん、どうして担ぐかな」
「人質は負傷中ということで。何もしなくても良いからきゃーきゃー騒がずに大人しく静かにだけはしておけよ」
沙織さんがパンツスーツを用意してくれた理由がここでやっと理解できた。まあ私がノタノタした足取りでついて行くよりこっちの方が速く移動できるって信吾さん的な判断なんだろうけどさ、なんだかこれってかなり恥ずかしくない?
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「これが人質救出作戦時だったら人質は途中で重傷、下手をすれば弾が森永にあたって二人して死亡していたわけだが、まだまだ部下の鍛錬が足りんな森永」
「返す言葉もありません」
訓練終了後、篠原一佐が信吾さんと信吾さんを援護する形で一緒に移動していた安住さんともう一人の隊員さんの前で腕組みをしながら言った。
私はそこで口出しすることはしなかったけど、内心では“お言葉ですが”って言いたかったよ。だってあっちはあんなたくさんの人数でこっちを追いかけてきていたんだよ? 信吾さんは私を抱えているから片手しか使えなかったし、信吾さんと私を援護していたのは安住さんともう一人の隊員さんだけだし。だから私の足首に模擬弾が当たったのは仕方ないことだと思うんだ。そりゃ当たった時は痛かったけどさ。
そしてその模擬弾が私の足首に当たったのは自分達のせいだって三人は考えているみたいだけど、でもこれって狙って撃った矢野さんのせいだと思うのよね。それに私の足に当たってなかったらあれって信吾さんに当たってたんじゃないの? そう思いながらチラリと矢野さんの方を見ればちょっと笑って口パクでゴメンナサイだって。謝るぐらいなら撃たなきゃ良いのに。矢野さんって凄く射撃が上手い人だってことだから狙ってきたのは間違いない筈なんだし。それに踝のところにちょうど当たって本当に痛かったんだよ、矢野さん?
「お前達も何をニヤニヤしている。逆の立場で考えればお前達は人質になった民間人の救出を失敗してテロリストの逃走をそのまま許したということなんだぞ。たった三人を相手になんてザマだ情けない、何人が死亡判定を受けたんだ?」
篠原一佐は容赦なく全員の前でダメ出しを連発している。それを聞いている信吾さん達は何だか凄く神妙な顔をしていてさっきまでのお遊び半分な雰囲気はすっかり消えてしまっていた。やっぱり一番上の人だけあって篠原さんって本当に怖いんだね。その一佐に偉そうに言えるお嬢さんの純ちゃんさんって凄い。
+++
重光先生達と引き上げる直前、車を回してくるのを待っている間に急いで信吾さんの元にこっそり走っていった。あちらの人達からしたら大したこっそりではないんだろうけど、私てきには十分に目立たないようにしたつもり。まあきっとそれなりに目立っていたんじゃないかなとは思うんだけどね。
「奈緒、足の方は大丈夫なのか?」
「うん、もう平気。ところで信吾さん、今日は早く帰ってくる?」
「いつも通りかな」
ただ今日の訓練結果の総括しだいだなと付け加えた。
「ご飯、好きなもの用意しておいてあげる」
「ん?」
「篠原一佐に怒られたから慰めてあげるって意味でね、信吾さんが好きなもの用意しておいてあげるよ」
「それなら奈緒を食わせてくれるだけで十分なんだけどな」
「またそんなこと言って」
「一番になった賞品は奈緒なんだろ? 今夜しっかりいただくとするさ」
ギョッとなって周りの人に聞かれてないか慌てて見回す。幸いなことに信吾さんは私が来た時には皆とは少し離れた場所にいたから誰にも今の言葉は聞かれてない筈……あれ、向こうにいる安住さんと目があった? あ、なんで慌てて目を逸らしたんだろ? まさか聞こえていたとかないよね? ちょっともしもし安住さん、もしかして今の聞こえてた? あ、なんで背中向けちゃうの?
「……腕立て伏せ百回ぐらい増やしておくか?」
笑いを含んだ信吾さんの声が頭の上からした。見上げれば愉快そうな顔をしてこちらを見下ろしている。
「今のもしかして安住さんに聞こえてた?」
「かもな」
「……うん、恥ずかしいから増やしちゃって。えっとね矢野さんも」
「了解した」
車で帰る途中、もしかしてさっきのって完全に八つ当たり? 安住さんと矢野さんに悪いことしちゃったかなってほんの一瞬だけ思った。うん、あくまでも一瞬だけ。
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