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東京・横須賀編
第三話 駄目だしを食らったようです
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米俵のように脇に担がれて連れてこられたのは、医務室ではなく艦長室という部屋だった。もちろん具合が悪いわけではないんだから、別にそれはそれでかまわないんだけど。
艦長室は、狭いながらも応接セットが置かれていて、それなりの人数が押し寄せてきてもなんとかなりそうだ。ここで秘密の会合が? にしてはちょっと狭すぎない?
「あのう……」
そこでやっと落ち着いて、私のことを人さらいのように連れてきた人物を見上げる。そこには超絶不機嫌そうな顔をした、眼つきの悪い強面なお兄さんがこちらを見下ろしていた。そしてその口は間違いなく「手間をかけさせやがって」と呟いた。
『横須賀基地陸警隊、篠塚三等海尉であります、閣下』
そして私を抱えたまま、JJおじさんに向かって敬礼をしている。もしかして私、そこらへんの荷物と同列で、人間として扱ってもらえていないとか?
『文官の彼女はこういうことには不慣れだ。君達と同じように対処できないことで責めるのはお門違いだぞ、篠塚少尉』
『分かっております、閣下』
分かっていると返事をしたけど、その目つきは変わらない。どうやらこの人は、何故だか分からないけれど、私に対してひどく腹を立てているらしかった。
「あの、そろそろ下ろしてもらえると助かるのですが……」
そう言ったと同時に、爪先しか触れていなかった床に、やっとまともに足をつけることができた。少なくとも五十キロはある私を、片手で脇に抱えて狭い艦内を素早く歩いて運ぶなんて、一体どれだけ腕力があるんだろうと感心してしまう。
「あの、私の行動になにか不備がありましたでしょうか?」
そう日本語で話しかけてから、それではおじさんには通じないと同じことを英語で繰り返す。
『問題ない。君はあくまでも周囲からのカモフラージュで、無理を言ってここに来てもらっている。本来この手のことは、現場のこちらがすべてお膳立てしなければならないことだ。……まったく君達自衛官は、自分にも他人にも厳しすぎるね』
おじさんは笑いをこらえているような顔をして、その人を見ながら言った。
『お言葉ですが、彼女はただの文官ではなく防衛省の職員です、閣下。こういうことは、これからも少なからずあるでしょう。それなりの対処能力を備えてもらわないと、現場の我々が困るのです』
いまさらながら、その人が当然のようにすらすらと英語で受け答えをしているのを聞いて驚いてしまった。だけど今は、気にするのはそこじゃない。
「入省半年の新人になんてことを」
「キャリア組と言われるのは看板倒れなのか」
入隊して半年の隊員だって、すぐには一人前の行動はとれないだろうに、なんたる言い草。国家公務員試験を受けて入省してきたからって、誰もが初日からバリバリ仕事ができるわけじゃないんだから。
「それに、私はこれ以外の仕事はちゃんとできてますよ……なんで無能を見るような目でにらまれなきゃいけないんだか」
たまに、分からない文言が出てきて頭を抱えることはあるけれど。
「なにか言ったか、お嬢さん」
「いいえ、なにも申しておりません! ……篠塚三尉殿!!」
制服の階級章と胸に縫いつけられた苗字を確認してから、怒鳴り返してしまった。おじさんは日本語が分からないなりに、私と篠塚三尉さんのやり取りが面白かったらしく、とうとう笑い出してしまった。その笑い声に、篠塚三尉も自分が仕事中だということに思い至ったらしく、顔をしかめると一瞬にして真面目な表情に戻る。
『幹部用の食堂が、総理及び大臣の控室となっております。自分が大将閣下をそこまでご案内します』
『了解した』
そして篠塚三尉さんは、私のことを見下ろした。
「君は下艦するまではお役御免だ。一般人として、ここで楽にすごしていろとのことだ」
「このお部屋でですか?」
「ここではなく外で、だ」
「え、ここで待っていたらダメなんですか?」
そう質問したとたんに、怖い顔をされてしまった。なにか変なことを尋ねた? だって外は一般のお客さんでいっぱいなんだもの、ここなら一人で静かに、話が終わるまですごせるから最適だと思うのだ。
「艦長室に、見張りもいない状態で残していけるとでも?」
「見張りがいないとダメなんですか? 私、これでも防衛省職員ですが」
その顔が「なにを言ってるんだこの女は」って表情になった。
『ミス・カドマ。せっかくの機会だから、のんびりと観艦式を見学すると良いだろう。海軍では万国共通の伝統の行事だし、軍人ではない君は護衛艦になんてなかなか乗る機会もないだろう? こちらが終わったら私から、声をかけるから安心して楽にすごしていなさい』
なんとなく私達の会話で察したのか、おじさんがそう言って肩をポンポンと叩いた。
+++
ところで、この観艦式で旗艦になるにはいくつか条件がある。
まずは、総理が乗り入れることになる、ヘリコプターが着艦できるスペースが甲板にあること。それから、総理や三幕僚などが、受閲艦艇を観閲できるスペースが十分にとれること。その点から今回も、前回に引き続き護衛艦くらまが選ばれた。
そして、この護衛艦が選ばれた理由はもう一つ。三年後、次に海上自衛隊が受け持つ観艦式がやってくるまでに、くらまは退役が決まっていた。つまり、引退するくらまに対する最後の花道とする配慮でもあるのだ。
「……」
三尉さんに、艦長室からトコロテンのように押し出された私は、艦橋に上がる途中の狭いデッキに出た。新米で頼りないと思われたとは言え、今回の秘密会談に協力した本省職員に対して、あまりにもあんまりな仕打ちでは?
ほんの少しムカムカしながら、隊形を整えつつある他の護衛艦の姿を眺める。こういう時に堅田課長が横にいたら、あの護衛艦はどういう役割を持っているかとか説明してもらえるのにな。そんなことを考えながら、前後に揺れる船体と上下にうねる波を見ていたら、なんだか急に気持ち悪くなってきた。さっきから感じていたムカムカは、腹を立てているムカムカじゃなくて、もしかして船酔いのムカムカ?
「気持ち悪い、かも」
ここなら誰もいないし、万が一粗相をしても、海側へ出しちゃったら誰の迷惑にもならないかな?と念のためにと下をのぞいてみる。下はかろうじて人一人が通れそうな感じになっていて、そのすぐ外側は海面だ。少し体を乗り出せば問題ないかもしれない、私が間違って落ちなければ。
「おい」
今朝はなにを食べたっけ? もうほととんど消化されて残っていないと思うんだけどな。今まで乗り物酔いになんてなったことなかったから、薬も用意してないしどうしよう。ここはいっそのこと思い切って、全部出しちゃえばスッキリするかもしれない。
「おい、大丈夫か」
肩をつかまれて、飛び上がるようにして振り返る。目の前には、黒い防弾チョッキみたいなのを着た青色の迷彩柄。視線を上げると、さっきの三尉さんが立っていた。あ、もしかして艦長室にいても良くなった……ってことはないよね、その表情。
「なんでしょう」
「……顔色が悪くないか?」
きっとなにか他のことを言いかけていたに違いないのに、私の顔を見て少しだけ心配そうな顔をした。あくまでもほんの少しだけ。
「すみません、ちょっと気持ち悪くて……ああ、別に三尉さんのことを気持ち悪いって言ってるわけじゃなくて」
勘違いされてまた不機嫌な顔をされてはたまらないので、慌てて断わりを入れる。
「そんなことは言ってない。気分が悪いのか?」
「酔ったみたいです。えっと、お酒を飲んだわけじゃなくて」
「だからそんなことは言っていない。医務室に行けば、なにか薬があるだろう。ついて来い」
私の返事を待たずに、クルリと背を向けて中へと戻っていく。そしてしばらくして、私がついて来ないのに気がついて、顔をしかめながら戻ってきた。
「なにをしている。こんなところで腹の中のものをぶちまけたいのか」
そう言いながら、私の腕をつかんで引っ張る。
「そんな乱暴に引っ張らなくてもついて行きますから」
「その割には、今ぼーっと突っ立っていただろう。掃除をする隊員のことを考えろ」
「……つまりは私を心配しているわけじゃなくて、乗組員さんのことを思いやっただけと。なるほど」
「なにか言ったか?」
「いいえ、なにも!」
この人がどう思っているかはさておき、薬をもらえるならありがたい。このまま夕方まで我慢するなんて、どう考えても無理だもの。
細い通路を歩いていった先にあったドアを、三尉さんがノックしてドアノブに手をかけた。
「医官先生、いるか?」
「どうした?」
「患者だ」
イスに座っていた年輩の男の人が振り返った。医官とは、お医者さんの資格を持った自衛官のことだ。
「急病か?」
「いや、どうやら船酔いらしい。酔い止めの薬はあったかな」
「護衛艦に酔い止めの薬があると思うか?」
「言われてみればたしかに」
たしかに船乗りが船酔いになっていたらお話にならない。ということは、このままムカムカを夕方まで我慢しなくてはならないと言うこと?
「だが喜べ。今日は民間人を乗せているということで、船酔いの薬も用意して乗せてきた。さすが俺、ほめろ、たたえろ、あがめたてまつれ」
そう言いながら、医官さんが棚から薬を取り出す。
「水はそっちだ」
「俺が用意しよう」
「……もしかしてお前のカノジョか?」
「まさか!」
「そうか。だったらお嬢さん、俺と付き合わないか?」
薬を差し出しながらニッコリと笑った。
「……はい?」
「おい、あんたには奥さんと子供がいるだろう」
「ああ、そうだった」
私の手に錠剤をポトリと落とす。
「残念だが妻子のことを愛しているので、来世でお会いしましょう」
「はあ……」
わけが分からず間抜けな返事をしていると、コップが目の前に差し出された。
「さっさと飲め」
「……ありがとうございます」
コップを受け取り薬を飲む。水を飲んだらますます気持ち悪くなってきた。お薬はどれぐらいで効いてくるんだろう。
「顔色が悪いな。どこかで体を横にして、休ませてやったほうが良いと思うんだが」
薬を飲む私を見ていた医官さんが、そう言って三尉さんを見上げる。
「あいにくと空いている部屋がなくてな。俺はここの乗組員じゃないから、部屋もあてがわれていないし」
「ここは手術台があるだけで、他にも患者が来ないとも限らない。……そうだな、艦長室なんてどうだ? 佐伯艦長なら許可してくれると思うんだが」
「民間人に使わせて良い場所じゃないだろ」
それにさっきは、関係者じゃない人間を一人で置いておくわけにはいかない、みたいなことも言っていたし。
「……まったく、幹部がこんな時に役立たなくてどうするんだ。ちょっと待ってろ」
医官さんは内線を利用して何処かと連絡を取ると、なにやらブツブツと相手に向かって小言を言い出した。そして受話器を置くと、ニッコリと笑って私を見る。
「良かったな、お嬢さん。一部屋使わせてくれるそうだ。ただし、空き部屋じゃなく幹部が使っている部屋なんだが、それでもかまわないだろうか。女性幹部がいてくれれば良かったんだがな、あいにくとここは今は男所帯らしい」
「そちらの御都合さえ問題なければ」
「問題ない。今からここにやって来るのは、恐らくここの幹部では一番無害な男だろう。自分の嫁が好きすぎて浮気のウの字も存在しないし、風俗のフの字も存在しない珍しいヤツらしいからな。で、篠塚三尉、君はお嬢さんが休んでいる間、部屋の前で見張り番でもしてろ」
そう言われた三尉さんは、ものすごく嫌そうな顔をした。
「なんで俺が」
「良からぬことを考えるヤツがいるかもしれないだろ。このお嬢さんになにかあったら一大事だ。艦長が呼ぶまではそこに立っていろ。ちなみにだ、君より俺の方が階級が上で偉いということを忘れるな」
「ったく」
チッと小さく舌打ちをすると、余計な仕事を増やしやがってとばかりに私のことを睨んできた。
艦長室は、狭いながらも応接セットが置かれていて、それなりの人数が押し寄せてきてもなんとかなりそうだ。ここで秘密の会合が? にしてはちょっと狭すぎない?
「あのう……」
そこでやっと落ち着いて、私のことを人さらいのように連れてきた人物を見上げる。そこには超絶不機嫌そうな顔をした、眼つきの悪い強面なお兄さんがこちらを見下ろしていた。そしてその口は間違いなく「手間をかけさせやがって」と呟いた。
『横須賀基地陸警隊、篠塚三等海尉であります、閣下』
そして私を抱えたまま、JJおじさんに向かって敬礼をしている。もしかして私、そこらへんの荷物と同列で、人間として扱ってもらえていないとか?
『文官の彼女はこういうことには不慣れだ。君達と同じように対処できないことで責めるのはお門違いだぞ、篠塚少尉』
『分かっております、閣下』
分かっていると返事をしたけど、その目つきは変わらない。どうやらこの人は、何故だか分からないけれど、私に対してひどく腹を立てているらしかった。
「あの、そろそろ下ろしてもらえると助かるのですが……」
そう言ったと同時に、爪先しか触れていなかった床に、やっとまともに足をつけることができた。少なくとも五十キロはある私を、片手で脇に抱えて狭い艦内を素早く歩いて運ぶなんて、一体どれだけ腕力があるんだろうと感心してしまう。
「あの、私の行動になにか不備がありましたでしょうか?」
そう日本語で話しかけてから、それではおじさんには通じないと同じことを英語で繰り返す。
『問題ない。君はあくまでも周囲からのカモフラージュで、無理を言ってここに来てもらっている。本来この手のことは、現場のこちらがすべてお膳立てしなければならないことだ。……まったく君達自衛官は、自分にも他人にも厳しすぎるね』
おじさんは笑いをこらえているような顔をして、その人を見ながら言った。
『お言葉ですが、彼女はただの文官ではなく防衛省の職員です、閣下。こういうことは、これからも少なからずあるでしょう。それなりの対処能力を備えてもらわないと、現場の我々が困るのです』
いまさらながら、その人が当然のようにすらすらと英語で受け答えをしているのを聞いて驚いてしまった。だけど今は、気にするのはそこじゃない。
「入省半年の新人になんてことを」
「キャリア組と言われるのは看板倒れなのか」
入隊して半年の隊員だって、すぐには一人前の行動はとれないだろうに、なんたる言い草。国家公務員試験を受けて入省してきたからって、誰もが初日からバリバリ仕事ができるわけじゃないんだから。
「それに、私はこれ以外の仕事はちゃんとできてますよ……なんで無能を見るような目でにらまれなきゃいけないんだか」
たまに、分からない文言が出てきて頭を抱えることはあるけれど。
「なにか言ったか、お嬢さん」
「いいえ、なにも申しておりません! ……篠塚三尉殿!!」
制服の階級章と胸に縫いつけられた苗字を確認してから、怒鳴り返してしまった。おじさんは日本語が分からないなりに、私と篠塚三尉さんのやり取りが面白かったらしく、とうとう笑い出してしまった。その笑い声に、篠塚三尉も自分が仕事中だということに思い至ったらしく、顔をしかめると一瞬にして真面目な表情に戻る。
『幹部用の食堂が、総理及び大臣の控室となっております。自分が大将閣下をそこまでご案内します』
『了解した』
そして篠塚三尉さんは、私のことを見下ろした。
「君は下艦するまではお役御免だ。一般人として、ここで楽にすごしていろとのことだ」
「このお部屋でですか?」
「ここではなく外で、だ」
「え、ここで待っていたらダメなんですか?」
そう質問したとたんに、怖い顔をされてしまった。なにか変なことを尋ねた? だって外は一般のお客さんでいっぱいなんだもの、ここなら一人で静かに、話が終わるまですごせるから最適だと思うのだ。
「艦長室に、見張りもいない状態で残していけるとでも?」
「見張りがいないとダメなんですか? 私、これでも防衛省職員ですが」
その顔が「なにを言ってるんだこの女は」って表情になった。
『ミス・カドマ。せっかくの機会だから、のんびりと観艦式を見学すると良いだろう。海軍では万国共通の伝統の行事だし、軍人ではない君は護衛艦になんてなかなか乗る機会もないだろう? こちらが終わったら私から、声をかけるから安心して楽にすごしていなさい』
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ところで、この観艦式で旗艦になるにはいくつか条件がある。
まずは、総理が乗り入れることになる、ヘリコプターが着艦できるスペースが甲板にあること。それから、総理や三幕僚などが、受閲艦艇を観閲できるスペースが十分にとれること。その点から今回も、前回に引き続き護衛艦くらまが選ばれた。
そして、この護衛艦が選ばれた理由はもう一つ。三年後、次に海上自衛隊が受け持つ観艦式がやってくるまでに、くらまは退役が決まっていた。つまり、引退するくらまに対する最後の花道とする配慮でもあるのだ。
「……」
三尉さんに、艦長室からトコロテンのように押し出された私は、艦橋に上がる途中の狭いデッキに出た。新米で頼りないと思われたとは言え、今回の秘密会談に協力した本省職員に対して、あまりにもあんまりな仕打ちでは?
ほんの少しムカムカしながら、隊形を整えつつある他の護衛艦の姿を眺める。こういう時に堅田課長が横にいたら、あの護衛艦はどういう役割を持っているかとか説明してもらえるのにな。そんなことを考えながら、前後に揺れる船体と上下にうねる波を見ていたら、なんだか急に気持ち悪くなってきた。さっきから感じていたムカムカは、腹を立てているムカムカじゃなくて、もしかして船酔いのムカムカ?
「気持ち悪い、かも」
ここなら誰もいないし、万が一粗相をしても、海側へ出しちゃったら誰の迷惑にもならないかな?と念のためにと下をのぞいてみる。下はかろうじて人一人が通れそうな感じになっていて、そのすぐ外側は海面だ。少し体を乗り出せば問題ないかもしれない、私が間違って落ちなければ。
「おい」
今朝はなにを食べたっけ? もうほととんど消化されて残っていないと思うんだけどな。今まで乗り物酔いになんてなったことなかったから、薬も用意してないしどうしよう。ここはいっそのこと思い切って、全部出しちゃえばスッキリするかもしれない。
「おい、大丈夫か」
肩をつかまれて、飛び上がるようにして振り返る。目の前には、黒い防弾チョッキみたいなのを着た青色の迷彩柄。視線を上げると、さっきの三尉さんが立っていた。あ、もしかして艦長室にいても良くなった……ってことはないよね、その表情。
「なんでしょう」
「……顔色が悪くないか?」
きっとなにか他のことを言いかけていたに違いないのに、私の顔を見て少しだけ心配そうな顔をした。あくまでもほんの少しだけ。
「すみません、ちょっと気持ち悪くて……ああ、別に三尉さんのことを気持ち悪いって言ってるわけじゃなくて」
勘違いされてまた不機嫌な顔をされてはたまらないので、慌てて断わりを入れる。
「そんなことは言ってない。気分が悪いのか?」
「酔ったみたいです。えっと、お酒を飲んだわけじゃなくて」
「だからそんなことは言っていない。医務室に行けば、なにか薬があるだろう。ついて来い」
私の返事を待たずに、クルリと背を向けて中へと戻っていく。そしてしばらくして、私がついて来ないのに気がついて、顔をしかめながら戻ってきた。
「なにをしている。こんなところで腹の中のものをぶちまけたいのか」
そう言いながら、私の腕をつかんで引っ張る。
「そんな乱暴に引っ張らなくてもついて行きますから」
「その割には、今ぼーっと突っ立っていただろう。掃除をする隊員のことを考えろ」
「……つまりは私を心配しているわけじゃなくて、乗組員さんのことを思いやっただけと。なるほど」
「なにか言ったか?」
「いいえ、なにも!」
この人がどう思っているかはさておき、薬をもらえるならありがたい。このまま夕方まで我慢するなんて、どう考えても無理だもの。
細い通路を歩いていった先にあったドアを、三尉さんがノックしてドアノブに手をかけた。
「医官先生、いるか?」
「どうした?」
「患者だ」
イスに座っていた年輩の男の人が振り返った。医官とは、お医者さんの資格を持った自衛官のことだ。
「急病か?」
「いや、どうやら船酔いらしい。酔い止めの薬はあったかな」
「護衛艦に酔い止めの薬があると思うか?」
「言われてみればたしかに」
たしかに船乗りが船酔いになっていたらお話にならない。ということは、このままムカムカを夕方まで我慢しなくてはならないと言うこと?
「だが喜べ。今日は民間人を乗せているということで、船酔いの薬も用意して乗せてきた。さすが俺、ほめろ、たたえろ、あがめたてまつれ」
そう言いながら、医官さんが棚から薬を取り出す。
「水はそっちだ」
「俺が用意しよう」
「……もしかしてお前のカノジョか?」
「まさか!」
「そうか。だったらお嬢さん、俺と付き合わないか?」
薬を差し出しながらニッコリと笑った。
「……はい?」
「おい、あんたには奥さんと子供がいるだろう」
「ああ、そうだった」
私の手に錠剤をポトリと落とす。
「残念だが妻子のことを愛しているので、来世でお会いしましょう」
「はあ……」
わけが分からず間抜けな返事をしていると、コップが目の前に差し出された。
「さっさと飲め」
「……ありがとうございます」
コップを受け取り薬を飲む。水を飲んだらますます気持ち悪くなってきた。お薬はどれぐらいで効いてくるんだろう。
「顔色が悪いな。どこかで体を横にして、休ませてやったほうが良いと思うんだが」
薬を飲む私を見ていた医官さんが、そう言って三尉さんを見上げる。
「あいにくと空いている部屋がなくてな。俺はここの乗組員じゃないから、部屋もあてがわれていないし」
「ここは手術台があるだけで、他にも患者が来ないとも限らない。……そうだな、艦長室なんてどうだ? 佐伯艦長なら許可してくれると思うんだが」
「民間人に使わせて良い場所じゃないだろ」
それにさっきは、関係者じゃない人間を一人で置いておくわけにはいかない、みたいなことも言っていたし。
「……まったく、幹部がこんな時に役立たなくてどうするんだ。ちょっと待ってろ」
医官さんは内線を利用して何処かと連絡を取ると、なにやらブツブツと相手に向かって小言を言い出した。そして受話器を置くと、ニッコリと笑って私を見る。
「良かったな、お嬢さん。一部屋使わせてくれるそうだ。ただし、空き部屋じゃなく幹部が使っている部屋なんだが、それでもかまわないだろうか。女性幹部がいてくれれば良かったんだがな、あいにくとここは今は男所帯らしい」
「そちらの御都合さえ問題なければ」
「問題ない。今からここにやって来るのは、恐らくここの幹部では一番無害な男だろう。自分の嫁が好きすぎて浮気のウの字も存在しないし、風俗のフの字も存在しない珍しいヤツらしいからな。で、篠塚三尉、君はお嬢さんが休んでいる間、部屋の前で見張り番でもしてろ」
そう言われた三尉さんは、ものすごく嫌そうな顔をした。
「なんで俺が」
「良からぬことを考えるヤツがいるかもしれないだろ。このお嬢さんになにかあったら一大事だ。艦長が呼ぶまではそこに立っていろ。ちなみにだ、君より俺の方が階級が上で偉いということを忘れるな」
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