貴方と二人で臨む海

鏡野ゆう

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東京・横須賀編

第十二話 絶賛筋肉痛中ですよ!

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「うううっ、いたいーー」

 次の日、目が覚めて口から出た第一声がこれ。前の日、帰宅してからお風呂に入っていた時、何だかあっちこっちが軋むような感じがするなとは思っていたんだけど、まさか朝になってから、こんなに痛む状態になっているとは思わなかった。

「こんなことになるなんて、篠塚しのづかさん言ってなかったじゃん……」

 帰る時にゲートで、筋肉痛になるかもしれないから、自宅に戻ったら教えたストレッチはしておけよとは言われていた。だからお風呂に入った後ちゃんとしたんだよ? なのにこんなに痛むのは何故なの? っていうか、何でそんなところが痛むの状態なんですけど!!

「もしかして私、物凄く運動不足だったってこと?」

 なんとか寝返りをうって、ベットサイドに目覚まし代わりにおいてあったスマホに手をのばす。そして高島たかしまさんの番号をタップして電話をかけた。この時間なら、高島さんはとっくに登庁しているはずだ。

『おはよう、門真かどまさん。どうしたの? まだ来てないから、どうしたのかしらって思ってたのよ。もしかして、電車に乗り損ねちゃった?』

 すぐに、いつもの元気な高島さんの声が聞こえてきた。

「お、おはようございます。すみません、申し訳ないんですけれど、今日は病欠ということでお願いしても良いですか?」
『あら、どうしたの? 風邪でもひいた?』

 病欠という言葉が出たとたんに、心配そうな口調にかわる。

『お薬は飲んだ? それともお医者さんに行くぐらい酷い? もし起きれないぐらいなら、帰りに何か買って寄ってあげましょうか?』

 高島さんは、私が実家を出て一人で暮らしていることを知っているから、あれこれと心配してくれて質問をしてきた。だけど今はそれにすら答える気分じゃない。

「いえ、病院に行くほどではないんですけど……とにかく動けそうにないので休みます」

 何て説明したら良いのか迷って、そう言って黙り込んでしまう。だって筋肉痛で体中が痛くて動けませんなんて、情けなくて言えないよ……。

『……門真さん?』
「はい?」
『まさか、そこに篠塚君がいるなんてことはないわよね?』
「はい?」

 なんでそこで篠塚さんの名前が?

「あの、どうして篠塚さんがここにいるなんて発想が? そりゃあ金曜日に送ってはもらいましたけど、今日は月曜日ですよ? 篠塚さんだってお仕事なんじゃ?」

 この時の私は、とにかく痛くてそれどころじゃなかったものだから、どうして高島さんがそんな質問をしてきたのか、まったく気にもしていなかった。

『ああ、そうね、うん、そうだった。今の質問は忘れてくれて良いから。じゃあ、今日は病欠ってことね。一人暮らしなんだから無理しないように。何か欲しいものがあったら、遠慮なく連絡してきなさい。持っていってあげるから』
「ありがとうございます。明日には元気になってると思いますので」

 ……多分。

『分かった。堅田かただ部長にも言っておくから、安心して休んでなさい。明日も体調が優れないようなら私に電話して。今はそんなに忙しくないし、無理して出てこなくても大丈夫だからね』
「はい、ありがとうございます」

 そこで電話を切る。欲しいものは痛み止めと大量の湿布薬なんです、なんて言えなかった。置き薬に頭痛薬はあるけど、湿布薬なんてあったかな。そんなことを考えながら、電話を置いて姿勢を寝返りをうとうとする。それだけでも一苦労だ。

「も~~なんでこんなに痛いのよぅ~~……」


+++


 電話を切ってからどれぐらい経ったのか分からないけれど、玄関のチャイムが鳴ったのが聞こえた。だけど、痛くてとても起き出す気になれない。

 今日は平日で、こんな時間に何か届く予定もないし、どうせ新聞の勧誘か何かだろう。そんなもののために、痛いのを我慢して玄関まで行くのもバカバカしいので、無視することに決める。チャイムは何回か鳴って静かになった。どうやら不在だと思って諦めたみたい。

 静かになってホッとしたところで、今度はスマホが鳴り出した。

「もう、なんなの平日だっていうのに……」

 もしかして今日は千客万来の日?!とウンザリしながら、痛む体に鞭打ってスマホに手をのばす。画面を見ると『篠塚さん』の表示。なんで篠塚さん?

「……はい、門真ですがなにか?」
『いま何処にいるんだ? もしかして病院にでも行っているのか?』

 いきなり何でそんなことを質問するんだろう? 今日は月曜日。普段なら、官庁勤めの私は仕事をしている時間なのに。

「もしかして本省に行かれたんですか?」
『いや。あんたの自宅の前にいる。正確には玄関ドアの前にだが』
「……なんで? 今日はお仕事じゃないんですか?」

 もしかして、さっきのチャイム連打は篠塚さんが?

『なんでって、高島女史からお叱りの電話が来たからだよ。何故か、門真さんが休んだのは俺のせいになってるみたいだからな。それと俺は今日は休みだ』
「それ、間違いじゃないですよ、私が休んだ理由は篠塚さんのせいだから」

 正確には篠塚さん達、なんだけど。

『どういうことだ』
「だって、あっちこっちが痛くて動けないんだもの……」
『なるほど。そういうことか』

 なんだか面白がっているようだけど、私はぜんっぜん面白くないですから!

『それで何処にいるんだ?』
「家の中に決まってるじゃないですか。痛くて動けないから休んだんですよ? 何処かに行けるとでも?」

 自分の運動不足の可能性は遥か彼方の棚に仕舞い込んで、こんなに痛いのは篠塚さんのせいじゃんとムカつきながら答えた。

『そうか。門真さん、今から二時間後もう一度ここに戻ってくるから、その時は頑張って玄関に出てきてくれ』
「どうしてですか?」
『痛み止めと湿布薬を届けるから。俺達が訓練で捻挫をした時に使うものだから、かなり強力で効くと思う』
「……分かりました」
『じゃあ、戻ってきたら電話をするから寝るなよ? それと他の痛み止めも飲むな』

 そう言って、篠塚さんは私の返事を聞くことなく通話を切った。

「自衛隊御用達の痛み止めなら、すぐに効くかな……」

 鳴るたびに寝返りをうたなくてもすむように、スマホを枕の横に置く。体を横にしてじっとしていたら、自分の体が無視できない事態になりつつあるのが感じられた。

「……トイレ行きたい」

 どんなに痛くても生理現象だけはどうしようもない。何としてでも起きなくちゃ、幼稚園以来の大失態をしでかすことになってしまう。一人暮らしのマンションだから自宅に比べればトイレも近いけど、今の私にはその近い距離がまるで北海道から沖縄状態だ。

「痛み止めを飲むのもダメとかあんまりじゃ……?」

 篠塚さんから言われる前に飲んだことにしようかと思いながら、体を起こして何とか立ち上がった。あっちこっちが痛くて泣けてくる。家具と壁をつたいながら、何とかトイレまでたどりついた。

「洋式で良かった……」

 そして便座に座りながら考える。ベッドに戻って篠塚さんがお薬を届けてくれたら、また痛いのを我慢して玄関まで戻ってくるの? トイレの方が玄関に近い。いっそのこと、ここに座ったままでいた方が良くない? どうせ今の格好を誰かに見られることもないんだもの、ここに座っていても問題ないよね? ジッとしていれば痛みも幾分かマシだし、またトイレに行きたくなった時にもここなら何とかなるし。

 そして、私がトイレに籠城してかなり経ってから、ベッドでスマホが鳴り始めた。そしてその後にドアを叩く音も。

「はいはい、いま行きますよお、いたたた……」

 立ち上がってトイレから出ると、玄関へと向かう。そしてドアをあけた。そこには、少し驚いたような顔をした篠塚さんが立っていた。

「えらく早く出てこれたな」
「そこのトイレで座ってました」

 ドアが開きっぱなしになっているトイレを指さす。

「なんでまた」
「トイレに行きたくなったからに決まってるじゃないですか。ベッドに戻ってこっちに出てくるのが大変そうだから、そこで待ってたんですよ」
「そうか。じゃあこれを渡しておく。飲み薬と貼り薬」

 そう言って差し出されたのは、大きめの茶色い封筒。その中にお薬一式が入っているらしい。

「本当にもらっても良いんですか?」
「ああ。以前に怪我をした時によぶんにもらったやつなんだ。俺は、必要になればすぐに出してもらえるから」
「じゃあ、遠慮なくいただきます。ありがとうございます、いたたたたっ」

 体を支えていた手をドアから離して、封筒を受け取ろうとした。だけどその拍子に、それまで手で支えていた体重が足腰にかかって痛む。もう早くお薬飲んで楽になりたい!!

「大丈夫なのか」

 いたたたっと顔をしかめた私の様子を見た篠塚さんは、心配そうな顔(当社比)をして尋ねてきた。

「大丈夫じゃないに決まってるじゃないですかー。もう痛くて死にそうですよ、筋トレなんて大嫌いです、それをさせた篠塚さん達も!!」
「八つ当たりするほど痛いのか」
「痛いです!!」

 きっとその時の私は、涙目になっていたに違いない。そのせいか、会ってからこっち怖そうな顔しかしていなかった篠塚さんが、ものすごく気の毒そうというか心配そうな顔をした。

「もし部屋に入っても良いなら、介助ぐらいするが?」
「だったら、前みたいな米俵あつかいでもなんでも良いですから、あっちまで連れてってください」

 もう痛いんだから!

 米俵ってなんのことだと呟きながら、篠塚さんは玄関に入ってきて靴を脱いであがると、私を抱き上げて運んでくれた。それが世の言う人生初のお姫様抱っこってやつだったんだけど、筋肉痛がひどくて感動も何もあったもんじゃない。

 お布団が落ちかけているベッドを見つけると、篠塚さんはそこに私をおろしてくれる。

「海自さんみたいに整ってないベッドですみませんね」
「なにも言ってないだろ。薬を飲む前に、何か腹に入れた方が良いんだが」
「食べる気分じゃないです」
「だがそれなりにきつい薬なんだ、胃をやられるぞ」
「胃が痛くなったらその時に考えます。今はお薬ちょうだい」
「分かった分かった。さすがに水が無いと飲めるものじゃないから取ってくる」

 篠塚さんは溜め息まじりにそう言うと、ベッドを離れた。その間に茶色い袋の中にあるお薬を取り出す。痛み止めと貼り薬。貼り薬の入った袋を開けるとツンと湿布薬独特のにおいがした。

「それは飲み薬じゃないぞ」
「分かってますよ、それぐらい。どんなのか見ただけです」

 飲み薬はありがたいことに錠剤だった。水が入ったマグカップを受け取ると、口に錠剤を放り込む。

「すぐに効きます?」
「それなりに。痛みがマシになったら体をほぐしておけよ。マシになるから」
「それ本当ですか? 言われたストレッチしましたけど、役に立たなかったじゃないですか」
「まさかそこまで痛くなるとは思ってなかったんだよ」
「すみませんね、運動不足で」

 マグカップを篠塚さんに返す。早く効いてくれると良いんだけどな。

「じゃあ俺は帰るからお大事に。門真さんが男ならマッサージして筋肉をもみほぐしてやるんだが、女相手では、おい、なんだ」

 立ち去りかけた篠塚さんの服の袖をつかむ。

「今、なんて言いました?」
「お大事にと言ったんだが」
「そうじゃなくて、もみほぐすとか言いませんでした?」
「まあ言ったに言ったが……ってなんだ、どうした」

 さらに私が腕をつかんで引っ張ると、怪訝けげんな顔をした。

「それ、してください」
「はあ?」
「マッサージですよ。だって篠塚さんやり慣れてそうだし」
「いやしかし」

 明らかにためらっている。

「お願いします、湿布は後で自分で貼りますから」
「だがなあ」
「ストレッチ役に立ちませんでしたよ? そのお詫びにここは一つ」
「なんで俺が、門真さんに詫びなきゃならんのだ……」
「だって痛いんだもん」
「……はあ、分かった」

 篠塚さんは溜め息をつくと、私を見下ろした。

「それで何処が痛むんだ?」
「どこもかしこも」
「それが一番困る返答だな。動く時に一番厄介な痛みは何処だ」
「腰と足」
「……分かった。だが言っておくが、後で俺のことを痴漢だとかセクハラをしたとか言って、訴えたりするなよ?」

 いわゆるセクハラ行為ってやつのことを言っているらしい。最近はそういうのが随分とうるさくなっていて、うかつに女性職員の肩を叩くことすらできないと、堅田部長も言っていたっけ。

「分かってますよ」
「それと、もみほぐすのもそれなりに痛いから、そこも文句言うなよ?」
「えー、また痛いんですか?」
「まあ仕事を休むぐらい痛むんだ、あと一つ二つ痛いのが増えても大して変わらんだろ」

 何気に怖いことを良いながら、篠塚さんは私をベッドに寝るように言うと、溜め息をつきながら自分が着ていたジャケットを脱いだ。

「さて、覚悟はいいか、門真さん」
「え、覚悟ってなんですか、うっ、ぎゃー、痛いですよ、篠塚さんっっっ!!」

 最初から容赦ない力で太ももをもまれて、思わず叫び声を上げてしまった。

「だから痛いから文句を言うなと言っただろ」
「だけどこんなに痛いなんて言わなかったじゃないですかっ、ぎゃあ、本当に痛いっんですってばっ」
「痛いのは分かってるから少しぐらい我慢しろ」
「これ少しどころじゃないですよ!」
「が、ま、ん、しろ」

 やっぱりマッサージなんて頼むんじゃなかったかも!!!
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