俺の彼女は中の人

鏡野ゆう

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本編

第三十二話 マツラー君、お嫁に行く?

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「立原杏奈、貴女は病める時も健やかなる時も……」

 祭壇の前に立っている神父様が口にするそんなお決まりの言葉が全然頭に入ってこない。だって横に立っている圭祐さんが伏し目がちではあるものの制帽の陰から、あまりにも早く食べちゃいたいって顔をしながらこっちを見ているんだもの。私の方はベールに隠れているし今は参列者の皆さんに背中を向けているから誰にもバレてはいないけど絶対に顔が赤くなっていると思う。結婚式の、しかもまだ指輪さえはめてもらってないのに圭祐さんてばまったく……。

 そんな彼の様子に気が付いているのか私達の両隣に立っている寺脇さん御夫妻は何気にニヤニヤしているような気がするのよね。その笑み、どう考えても微笑んでいるんじゃなくてニヤついてますよね、特に旦那さんの方の寺脇さん?! 顔がちょっとおかしいですよ?!

「それでは指輪の交換を」

 寺脇さんが神父様に渡したプラチナの結婚指輪。あれは洋上訓練から戻った圭祐さんと一緒に選んだもの。任務中に外している人もいるみたいだけど圭祐さんは外すつもりがないということだったので、仕事中に何処かで引っ掛けて怪我でもしたら大変だよねって話をしながらあれこれ迷って決めたもの。迷っただけのことはあってシンプルなデザインだけど私も彼も凄く気に入っている。

 神父様から指輪を受け取った圭祐さんが私の指に指輪をはめてくれた。良かった、念の為にと朝には一度確かめはしたものの、最近、ちょっと浮腫み気味だからはまらなかったらどうしようなんて密かに心配していたのよね。

「?!」

 指輪をはめてくれて手を離す瞬間、圭祐さんが私の薬指と中指の間をそっと撫でてきたので思わず飛び上がりそうになった。その場所はエッチしている時に圭祐さんが偶然に見つけた私の弱点?らしい。その時はたまたま舐めたら物凄く反応良かったよって御満悦な様子で笑っていたっけ。何処の反応が?なんて聞くのは野暮よね……。

 ただ困ったことに、その存在を知ってからはデートで手を繋いでいる時にさりげなく今みたいに撫でてくることが多くなった。その度に飛び上がる私のことも考えて欲しい。駄目ですスタンプ押しますよ!って怒っても全然効果が無いし、私の旦那様になる海の男さんはまったく油断できない。これは最後まで気を引き締めて臨まないと物凄く恥ずかしい失敗をしでかしちゃいそうな予感。圭祐さんの指にお揃いの指輪をはめる時の私の表情はちょっとだけ不穏な感じだったに違いない。

 そして恐らくこの結婚式で一番の難関はこれからする誓いのキスだと思う。神父様がキスという言葉を口にした途端にほら、もう目が喜んじゃってるし、もう嫌な予感しかしない。公衆の面前で堂々と杏奈さんにキスできるのはこの時だけだからねーとか式のリハーサルの時に言ってたけど、まさかディープキスするつもりじゃないよね? ほら、圭祐さんの上司の人もいるわけだし? 日本人はそういうとこは慎ましい気質よね? ね?!

「なんでそんな警戒心丸出しな顔してこっちを見るのかな杏奈さん。これでやっと晴れて夫婦になれるっていうのに」
「お行儀よくしないと駄目ですスタンプですからね」
「はいはい、お行儀良くね」

 小声でヒソヒソと囁き合っている花嫁と花婿、傍から見れば微笑ましいでしょ? だけど! 実情は大違いで、これはこれからの結婚生活の主導権をどっちが握るか否かの戦いだと思うのよね。ただこの戦い、圧倒的に私が不利なんだけど。

「お行儀良くだってさ」
「花嫁殿からの命令だ、まあ頑張れ」

 何を寺脇さんと笑い合ってるんだか。

「む……?」

 唇が合わさって直ぐに何だか変だと気が付いた。そりゃディープじゃなくて唇をくっつけるだけのお行儀の良いキスには違いないけれど……な、なんだか長くない?! 友達の結婚式に参列したことは何度かあるけど、記憶ではこんなに長くなかった筈。ちょっと息苦しくなって圭祐さんを軽く押し戻そうとすると肩に置かれた手に力が入って逆に引き寄せられた。ちょっと、これは間違いなく長すぎ!!

 何だか変な間が流れてから我に返った神父さんが咳払いをしてもう良いですよ?となかなか私のことを離さない圭祐さんに囁いたりするやら、参列者の席の方からはクスクス笑いが聞こえるやら……。

「おいおい、そろそろ離してあげないと花嫁さんが窒息するぞ」

 寺脇さんの囁き声でようやく解放された。

「お行儀良く我慢したキスだったろ?」

 顔を上げた圭祐さんはそう言ってニヤリと笑った。どこが!!

「な、長すぎ!」
「ふむ、濃厚なやつで素早く一回が御希望でしたか、奥様。では……」

 そんな訳で予定には無い二度目のキスなんてのをされてしまってちょっと恥ずかしかったです……。


+++++


「圭祐にあんなオチャメな一面があるとはね」

 楽しそうに笑いながら話すのは披露宴の時に私の隣にやって来たお婆ちゃま。どうやらキスのことを仰っているらしい。圭祐さんは海上自衛隊の先輩や同期の人に引っ張り回されてそれぞれのテーブルで散々からかわれているのがここからでも分かる。とは言え、男同士の世界だからキスのことにしろ何のことにしろからかわれて恥ずかしいなんてことは無さげで、実質ダメージゼロな感じが丸分かりなのでちょっとムカつく。

「オチャメすぎますよ。私、凄く恥ずかしかったんですから」
「杏奈さんをお嫁さんにできて浮かれているのよ、今回は大目に見てやって」

 最初の結婚の時はこんなことなかったらしい。だけどその時だって奥さんと結婚できて嬉しかった筈だから今回の結婚と前の結婚を単純に比較することは出来ないし、そんなことをしたら前の奥さんが気の毒だよね。

「まあ暴走せずにキスだけで我慢したところは褒めてあげようと思ってますけど。但し……」
「甘やかしは厳禁ね」

 これは佐伯家の男性陣すべてに言える事らしい。だからある意味これは佐伯家嫁の家訓ってやつなのかな。たまには褒めて甘やかしても良いけど甘やかしすぎては駄目。なかなかこれは力加減が難しいのよね、これからお婆ちゃまとお義母さんにはお義姉さん共々しっかりコツを伝授してもらわなくちゃ。

 あ、そうそう。披露宴会場の入口に置かれたウェルカムボードは当初の予定通り花嫁姿の可愛いマツラー君と白い海上自衛官の制服を着た凛々しいマツラー君になっていた。これは武藤さんが作ってくれたもので、正式に松平市で許可をもらって制作されたもの、つまりは市の公認イラストなのだ。最初にこのイラストを見た時、圭祐さんはとうとう俺までマツラーにされちゃったかと笑っていた。マツラー君は男の子なんだから制服を着ている方がある意味正しいんだけどね。

 お婆ちゃまが私の隣から離れると同時にお友達から解放された圭祐さんが戻ってきた。

「やれやれ参ったよ。散々からかわれた」
「それは自業自得だと思うけど?」

 ダメージゼロっぽくて全然困った顔してないし。

「まあね。だけど後悔はしてない」

 ほらね?

 なんならもう一度ここでしても良いよ?なんて言うから、すかさずお行儀よくしなさいと言って膝に置かれた手を軽く叩いた。叩かれて圭祐さんはわざとらしく痛そうな顔をしたけどこればかりは騙されません。甘やかしは厳禁なんだから。

「あとちょっとで二人っきりになれるし、それまでは我慢するか」
「もう……圭祐さんてばどんどん手に負えなくなる」

 最初の頃のお行儀の良い海の男は一体どこへ旅立ってしまったのやら。

「今から覚悟しておいた方が良いと思うよ? 俺、自分がここまで性欲過多になるとは思ってなかったから」
「はっきり言い過ぎ!」

 そりゃここには私と圭祐さんしかいないんだから他の人には聞こえないだろうけど。

「仕方ないだろ? すぐにでも杏奈さんと二人っきりになりたいのにそれを我慢して社会的な責務も果たしているんだから」
「色々と協力してくれた同期の皆さんに申し訳ないでしょ、そんなこと言ったら」
「皆、分かってるさ。俺がこんな所で座ってなんかいないで花嫁とさっさと二人っきりで部屋にこもりたいって思っていることは。杏奈さんはそうじゃないのか?」
「そりゃあ圭祐さんと二人っきりにはなりたいけど、やっぱりこういうお祝いはちゃんと楽しみたいかな。なかなかこうやって集まれない人も多いんだし」

 圭祐さんの方の招待客は圭祐さんの御家族と佐伯家の親戚の皆さん、そして海上自衛隊関係者、それに先輩な神様とそのお知り合い。現役自衛官さんの方では艦隊勤務の人もいて、今回の出席の為にわざわざ休暇と移動許可を貰った人もいるぐらいなんだからやっぱりきちんとしなくちゃ。

 あ、そうだ。余談ではあるけれど先輩な神様が座っている席には制服を着た年輩の人、つまりは偉い人が何人も挨拶しに行っていた。その様子を見て本当に神様なんだなあって改めて感心してしまった。

 私の方はうちの家族と立原家の親族が少し、それから私の学生時代の友達と広報課の人達。そこそこ独身女性の割合が多くて、特に大学時代の友達は圭祐さんの同期の人達の制服姿にポ~ってなってしまったみたいで、さっきからうっとりと眺めているのがよく見える。ただ彼女達にとって残念なのは、圭祐さんの同期の人達の殆どが既婚者で奥さんを同伴しているってこと。まああの様子からして何となく奥さんのことは都合よく見てないような気はするんだけど。

「制服効果って凄いのね、奥さんがいるのにあんな風に見詰めていたらそのうち喧嘩にならないか心配になってきちゃう」

 友達の様子を見ながら呟いた。

「大丈夫だよ、あいつらもその点はよく理解しているし、それは奥さん達も同じだから」
「そう?」
「ああ。だから披露宴で修羅場とか披露宴が終わってら修羅場とかそういうのは無いから安心してくれ」
「良かった。さすがに私も長い付き合いの友達を殴り飛ばすわけにはいかないもの」
「女の子は怖いねえ」
「彼女達が婚活中だから怖いの。普段はそんなことない良い子達ばかりなんだけどね」

 なんて言うか、あまり結婚結婚と言わなかった私がいきなり結婚することになったってことで少なからず闘争本能?に火をつけちゃったって言うか何て言うか。別に張り合っている訳じゃないんだろうけどそろそろ結婚をという年齢を迎えた女性陣にとっては自分の友達の結婚というのは無視できない状態であって。

「俺が気をつけなきゃいけない人物はいる?」
「ん?」
「ほら、中にはいるだろ? 何て言うか人のものを欲しがる人間とか隣の芝の方が青く見える人間とか」
「あー……そういう子も知ってはいるけど親しくないから招待状出してないよ」
「やっぱりいるのか……」
「私の友達じゃなくて友達の友達ってやつね」

 大学に通っている時はその子のことで随分と友達は迷惑を被っていたし、いい加減に友達をやめれば?と他の子にからも言われているんだけど実家が近いってこともあって難しいらしい。

「万が一その子が近くに来てもちゃんと私が守ってあげるから心配しないで」
「頼もしいね」
「そりゃあ、海の男の奥さんになる訳だからそれなりに逞しくないと。せっかく二年間は一緒に過ごせることが決まったんだし」

 圭祐さんの今度の勤務地は何と横須賀基地管内の関連施設。艦隊勤務ではなくなったとはいえ同じ地域での異動にとどまるとは思っていなかったようで本人もかなりビックリしていた。本人の予想では佐世保あたりに飛ばされるんじゃないかって覚悟していたらしい。これってもしかして先輩な神様のお蔭じゃ?なんて密かに思ってるんだけどどうなのかな。

 そんなことを考えていると、その先輩な神様が席を立ってこちらにやって来た。圭祐さんは直ぐに立ち上がって一礼する。私が立とうとすると先輩な神様はドレスでは大変だからそのまま座っていなさいとニッコリと微笑んだ。

「お先に失礼しなくてはならないので花嫁さんに挨拶に伺いました。私の目は確かだったと分かって安心しましたよ、杏奈さん。色々と大変な事もあるだろうけれど、これからも彼のことを頼みます」
「はい。まだ本当の大変さは分かっていないとは思いますが、圭祐さんと二人で乗り越えていくつもりです」
「それは心強いことです。佐伯君も奥さんを大事にしなさい」
「はい!」

 私達の返事に満足げに頷いた先輩な神様……葛木さんはテーブルのところで待っていた奥様と一緒にお先に失礼しますと言って会場を出ていかれた。その時も制服を着た人達が立ち上がって一礼していたのが凄く印象的だった。本当に神様扱いだ……。

「ご一緒だったのは奥様?」
「そうだよ」
「ってことは、私にとっての先輩な神様ってことよね」
「ああ、そうかもしれないね。奥さんも俺達には想像できないような苦労をされたんじゃないかな。それでもああやってずっと仲睦まじく一緒に年を重ねてきたというのは凄いことだよね」
「じゃあ私達も神様を目指さなきゃ」
「ん?」

 首を傾げてこちらを見下ろす圭祐さん。

「先輩な神様夫妻みたいに仲睦まじく年をとっていくの」
「めざせ、縁側でまったりジジババ夫婦?」
「です」


+++


 【今日のマツラー君のお写真】ホームページより
 マツラー君が花嫁さんと海上自衛官のコスプレをしたイラストができました!
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