私の主治医さん - 二人と一匹物語 -

鏡野ゆう

文字の大きさ
1 / 35
本編

第一話 急患は一人と一匹 side - 東出

しおりを挟む
 珍しく救急搬送されてくる患者のいない、静かな夜が終わろうとしていたある明け方近く、救急車からの受け入れ要請の電話が入った。搬送されてくるのは成人女性、何故か、こんな朝早くから川で溺れていたらしい。

「意識レベルはⅠ-2。川の中にかなりの時間いたらしいので、大事をとって連れて来たいとのことでした。受け入れをOKしましたけど、良かったですか?」

 電話をとった研修医の山南やまなみが、確認と報告をしてきた。

「かまわん。今夜は静かだったしな。俺が診よう。山南、お前は上がっても良いぞ。いまのうちに寝ておけ」

 やれやれ。午前様のOLが、酔っ払って川にでも飛び込んだのか? まだ寒い日が続いていると言うのに、物好きな人間もいたものだと、溜め息をつきながら立ち上がり、両肩を回しながら体をのばした。

「酔っ払いというのはまったく……」

 二年前の年末に、酔っ払いの派手な転倒に巻き込まれ怪我をして、自分の職場に世話になったことを思い出す。まったく酔っ払いというのは、本当にロクなことをしないな……。

 しばらくして、サイレンの音と共に、救急車が病院の敷地内に入ってきた。そして搬入口で止まると、救急隊員に支えられて、毛布にくるまれた女が入ってくる。靴が片方なくなってはいたものの、自力で歩けるなら、それほど心配することもないなと思いつつ、歩み寄る。

「川で溺れたって? 原因はアルコールか?」

 まずは、顔見知りの救急隊員に声をかけた。

「いえ、この人は酔っぱらってはいませんよ。流されていたところを、新聞配達をしていた人が見つけて、通報してきたんですよ。一昨日おとといの大雨で、川の水位が上がっていましたからね。誤って流されたということです」

 なにをどう誤ったら流される事態に陥るのか、いまいち謎ではあるが、それはこちらには関係ないことだ。

「じゃあ、取り敢えずはこちらにどうぞ」

 毛布女を、ヒーターを横に置いたベッドの方へと連れて行く。

「先生、これを渡しておきます。この人の荷物です。中身はまあ、使い物にならないでしょうけど」
「そこに置いといてくれ」

 救急隊員は、気の毒そうな顔をして、肩にかけていたカバンをこっちに差し出したので、ベッドの足元を顎でさす。置いた途端に、ズシャッという音がして、床に水が広がった。

「おい、もう少し水気を取るとか、そういう気遣いはないのか?」
「下手に触ると、カバンの中の物が無くなったとか、後でうるさく言う人もいるものですから」
「やれやれまったく。世の中どうかしているな。あとはこっちでしておこう。ご苦労さん」
「では頼みます」

 そう言ってヤツは軽く頭を下げると、搬入口から出て行った。

「溺れたって?」

 こちらの問いに、その女は震えながらうなづいた。顔色はそれほど悪くないので、見た限り重篤な低体温症ではないようだ。とは言え油断はできない、まずは、ずぶ濡れ状態をなんとかしなければ。

「まずは、濡れた服をどうにかしないといけないな。一人で着替えられますか?」

 そう尋ねると同時に、看護師の吉永よしながさんが、上下のトレーナーを持って入ってきた。

東出ひがしで先生、相手はお年頃のお嬢さんですよ? そんなところで先生が仁王立ちしていたら、着替えたくても着替えられないじゃないですか。少しは遠慮なさったらどうです?」
「仕方がないだろ。ここには女性の医師がいないんだから」

 密かにここに引っ張ってこようと考えていた、腕の良い女の研修医が去年まではいたのだが、残念なことに結婚を機に、海外へと旅立ってしまった。そのお蔭で、今現在の救命救急の担当医師は、研修医を含めて野郎共ばかりだ。

「私がいることをお忘れですか? 患者さんが着替えている間に、温かい飲み物でも用意していただけると、時間の無駄がはぶけて、大変ありがたいんですけれど」
「やれやれ、どっちが偉いのか分からんな。コーヒーで良いかな?」
「……です」

 震えながらその患者が何か言った。

「ん?」
「……コーヒーは苦手なので、なにか別のものが、良いです」
「だそうですよ?」
「あとはお茶ぐらいしかないが、それでも良いかな?」
「お願します……あ、それと、あの、この子も診てもらえませんか?」

 ベッド周りの間仕切りカーテンを閉めて、立ち去ろうとしていた俺に、彼女はブルブルと震えながら、腕に抱いていた小さな毛玉を差し出した。

「……?」

 その毛玉には耳と尻尾があり、俺と目が合ったとたんに、か細い声でミャーと鳴き声をあげる。彼女が差し出したのは、ずぶ濡れ状態の茶トラの子猫だった。

「猫、なのか?」
「猫、ですね」

 吉永さんも戸惑った顔で、その毛玉を見下ろしている。

「お嬢さん、残念だがうちは人間の病院であって、動物病院じゃないんだが……」
「えっと、じゃあこの近所に、獣医さんはありませんか? この子は私よりも長く水の中にいたんです。早く診てもらわないと……」
「貴女もずぶ濡れなのよ、放っておいたら風邪をひいてしまうわ」
「でも」

 慌てた様子でベッドから立ち上がろうとする患者を、吉永さんが押しとどめた。そして俺の方に目を向ける。いったい俺にどうしろと?

「先生、基本は人間と同じだと思うんですけど」
「って、俺が面倒を見るのか?!」
「獣医さんの場所さえ教えてもらえば、私が連れて行きます。できれば乾いたタオルを貸してもらえると、助かるんですが……拭いてあげないと……」
「先生?」

 吉永さんの目が、「さっさと面倒を見なさい」というものになった。本当にどっちが偉いんだか分からないな、まったく……。だがこの毛玉のことがなんとかならない限り、人間の患者の方が着替えようとしないのは、火を見るより明らかだった。

「分かった分かった。そっちの患者が着替えている間に、こっち患者の面倒は俺が見る。それで良いんだな?」
「よろしくお願いします」

 その患者は、安心した様子で頭を下げてきた。

「まさか猫の急患まで、診る羽目になるとは。事務局長に知れたら、どれだけグチグチ言われることやら」

 か細い声で鳴く茶色の毛玉を受け取ると、渡されたタオルで拭きながら、温かい飲み物を取りに行く。誰もいない静かな廊下に、子猫の声が響き渡る。

「おい、静かにしろ。他の連中に見つかったら大変なんだぞ」

 とは言え、こっちの思い通りに静かになってくれるわけでもなく、哀れな様子で鳴き続けている。腹でも空かせているのだろうか? だったら、自販機で売っている牛乳でも与えてみるか。そんなことを考えつつ、仮眠室の前を通りかかったところで、山南が何事かと顔を出した。

「東出先生、もしかしてさっきの急患って、猫だったんですか?」
「いや、人間もちゃんといる。吉永師長が着替えさせているところだ。温かい飲み物を用意しろと、俺が使いっ走りにされた」

 山南の後ろから、もう一人の研修医、岡北おかきたが顔をのぞかせた。俺が猫を抱いているのを見て、目を丸くしている。

「子猫だ……東出先生が子猫を抱いているなんて」
「なにか文句でもあるのか、え?」
「いや、その……。あ、猫にも温かい飲み物ですよね。普通の牛乳はやめた方が良いですよ、子猫はお腹をくだします。それ用のミルクを飲ませないと」
「そんなものがここにあると思うか? ここは動物病院じゃないんだぞ」

 顔をしかめると、さらに部屋から眠そうな顔をした葛西かさいが出てきた。

「おはようございます、先生。岡北、たしか商店街のコンビニに、売ってたんじゃなかったっけか猫のエサ。そこにミルクもあったような気がする」
「そうなのか? じゃあ買ってくる」
「……おい」
「それまでは、お白湯さゆでも飲ませていてください。俺、自転車でひとっ走り行ってきます」
「猫のベッドも用意しなきゃな。ペットボトルとタオルと……他になにが必要だったっけ」
「人間の患者さんへの飲み物は、俺が用意して持っていきます。先生は子猫を頼みますね」
「おい……お前達なんでそんなに熱心なんだ」

 俺の問い掛けに、三人が動きを止めてこっちを見た。

「「「そりゃあ猫だから?」」」

 そんなわけで、その日一番に我が病院にやって来た急患は、成人女性一名とチャトラの子猫一匹だった。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

報酬はその笑顔で

鏡野ゆう
ライト文芸
彼女がその人と初めて会ったのは夏休みのバイト先でのことだった。 自分に正直で真っ直ぐな女子大生さんと、にこにこスマイルのパイロットさんとのお話。 『貴方は翼を失くさない』で榎本さんの部下として登場した飛行教導群のパイロット、但馬一尉のお話です。 ※小説家になろう、カクヨムでも公開中※

お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?

すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。 お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」 その母は・・迎えにくることは無かった。 代わりに迎えに来た『父』と『兄』。 私の引き取り先は『本当の家』だった。 お父さん「鈴の家だよ?」 鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」 新しい家で始まる生活。 でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。 鈴「うぁ・・・・。」 兄「鈴!?」 倒れることが多くなっていく日々・・・。 そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。 『もう・・妹にみれない・・・。』 『お兄ちゃん・・・。』 「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」 「ーーーーっ!」 ※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。 ※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 ※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。 ※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)

僕の主治医さん

鏡野ゆう
ライト文芸
研修医の北川雛子先生が担当することになったのは、救急車で運び込まれた南山裕章さんという若き外務官僚さんでした。研修医さんと救急車で運ばれてきた患者さんとの恋の小話とちょっと不思議なあひるちゃんのお話。 【本編】+【アヒル事件簿】【事件です!】 ※小説家になろう、カクヨムでも公開中※

白衣の下 第一章 悪魔的破天荒な医者と超真面目な女子大生の愛情物語り。先生無茶振りはやめてください‼️

高野マキ
ライト文芸
弟の主治医と女子大生の甘くて切ない愛情物語り。こんなに溺愛する相手にめぐり会う事は二度と無い。

月弥総合病院

御月様(旧名 僕君☽☽‪︎)
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

【光陵学園大学附属病院】鏡野ゆう短編集

鏡野ゆう
ライト文芸
長編ではない【光陵学園大学附属病院】関連のお話をまとめました。 ※小説家になろう、自サイトでも公開中※

白衣の下 第二章 妻を亡くした黒崎先生、田舎暮らしを満喫していたやさき、1人娘がやばい男に入れ込んだ。先生どうする⁈

高野マキ
恋愛
その後の先生 相変わらずの破茶滅茶ぶり、そんな先生を慕う人々、先生を愛してやまない人々とのホッコリしたエピソードの数々‥‥‥ 先生無茶振りやめてください‼️

身体検査

RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、 選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。

処理中です...