私の主治医さん - 二人と一匹物語 -

鏡野ゆう

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本編

第十八話 キャラメルの退院

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 ご飯を食べ終わって片づけている時も、普段ならネズミのおもちゃを持ってきて足元で遊ぶキャラメルの姿が無くて、なんだか物足りなかった。膝に飛び乗ってきて、机の上に手をのばして邪魔をする相手がいないんだから、今のうちに次の原稿を進めておけば楽なのは分かっていたけれど、なんだかやる気が出ない。

「はあ……録画しておいた映画でも観よ……」

 やる気が出ないままリビングに戻ると、録画しておいた深夜映画を観始める。その映画がクライマックスにさしかかってきたところで、玄関のカギを開ける音がした。そして少し間があって、リビングに先生が入ってくる。

「お帰りなさい。ご飯は?」
「まだなんだ、頼めるか?」
「うん。……どうしたの?」

 先生が変な顔をして、リビングの入口で立ち尽くしているので首をかしげた。

「いや……そうか、キャラメルは病院だったな」
「そうだよ。……もう今頃は手術も終わって、寝ているんじゃないかな」

 なにかあれば病院から私の携帯電話に連絡が入ることになっていたけれど、今のところなんの連絡も無いので、手術は無事に終わって経過も順調ってことだと思う。

「明日の休みは変わらない?」
「ああ。ちゃんと一緒に迎えに行ける」

 明日は先生がお休みなので、一緒に病院に迎えに行く予定。そこであっちの先生から術後の注意事項と、お腹に巻かれているであろう腹帯の説明を、二人で聞くことになっている。

「私でも巻けるかな、包帯」
「どうだろうな。元気になってきたらじっとしていないだろうし、それは俺がするから、めぐみが無理にやることはないぞ」
「先生がお医者さんで良かった」
「動物を診るのは専門外だけどな」

 冷蔵庫に入れておいたおかずを出して、レンジで温める。そうしている間に、先生は自分でお茶碗を出してご飯をよそって、お箸とお湯呑をテーブルに置いた。

「今日は西入にしいりのところに遊びに行ったんだって?」
「うん。キャラメルがいなくて寂しいなら遊びにおいでって。で、ケーキを持って遊びにいって、心ゆくまでモンブランちゃんをもふもふしてきた」

 モンブランちゃんもキャラメルがいなくて寂しそうだったよって言ったら、先生が笑った。

「恵の具合が悪い時に、キャラメルを連れて行っただろ? あの時になにも言わないうちから、さっさと世話を始めるのを見て、今までモンブランは一度も子供を育てたことが無いのにって、西入も驚いていたな」
「本能みたいなものなんじゃない? 雄猫でもちゃんと面倒見るらしいよ? 子猫パワーって凄いね」
「まったくだ」

 それから先生がご飯を食べている間、病院で起きた変わった出来事を聞かせてもらった。今はペット中心のイラストやコラムを兼ねた漫画を描いているけど、いつそういう知識が役立つか分からないものね。あ、そのうち二人のお兄さんからも、お話を聞いても良いかな? そんなことを思いついて、先生に尋ねてみる。

「まあ、兄貴達は別に嫌がりはしないだろうけどな」
「そう? だったら機会があったら、お話を聞かせてもらう」

 そうだなと先生はうなづいたものの、約束はできないぞと言ってきた。

「二番目の兄貴は文字通り消息不明になることが多いし、一番上の兄貴は事件にかかりっきりだし」
「そんなに事件って多いの? ニュースでは殺人とか強盗より、交通事故とか脱税とか、そっち関係の事件のほうが多い気がするけど」
「ニュースにならないだけで、意外と人が不審な死に方をしている事って多いんだぞ。テレビで流れるのなんて、ごく一部だ」
「じゃあ先生のところに運ばれてくる人でも、そういう人がいるの?」
「そのへんは、守秘義務もあるから話せない」
「えー」

 いきなり守秘義務とか言われてガッカリ。変わった出来事は話してくれるのに、そういう話はダメなの?触りだけでもとか?なんて粘ってみたけど、先生の口は思ったより固かった。

「それより、次の原稿の進み具合は? 邪魔するチビがいないんだから、少しははかどったんだろ?」
「それが全然なの。キャラメルがいないと描く気がまったく出なくてね。だからさっきまで、映画を観ていたってわけ」
「だったら今夜は、一緒に風呂にでも入ってのんびりするか?」

 先生はご飯を食べながら普段通りの表情で、とんでもないことをサラッと口にした。

「……先生と一緒にお風呂?」
「今まで一緒に入ったことないだろ」

 言われてみれば、シャワーを二人で浴びたことは何度かあるけど、湯船につかかってゆっくりお風呂に入ったことは一度もしたことがなかった。

「なんだか恥ずかしいな……」
「イヤか?」
「そんなことないよ、一緒に入ってみたい。あ、だけどさ」
「ん?」
「えっと、お風呂でエッチするってのは無しね?」

 先生がプッと吹き出した。失礼な。私、真面目に言ってるんだからね?!

「私、真面目に言ってるんだけど!」
「分かった分かった。とにかく、ああいうのは小説や漫画の世界だけのことだ。風呂場、特に湯船の中で致すことは、女性の体にとって衛生上よろしくないから、医者としてはお勧めしない」
「……私、けっこう真面目に言ってるんだけどなあ」
「俺も真面目だぞ? いくら沸かしたばかりのお湯でも、雑菌がまったく存在しないなんてことは、一般家庭では有り得ないことだ。男の俺はともかく、女性は感染症の可能性もあるから、やめておくのが無難だ。どうだ、真面目な話だろ?」

 真面目な話だろって言われても困るよ。

「ま、俺も一週間の疲れを癒すために、のんびりと湯船につかりたいからな。悪戯いたずらはせずに、純粋に一緒に風呂に入るだけだ。御期待に応えられなくて申し訳ないが」
「別に期待してるわけじゃなくて!」

 だから真面目な話をしてるんだってば!

 それから一時間後、私と先生は湯船につかってあれこれ話をしたりしながら、お風呂タイムを楽しんでいた。もちろん変な悪戯いたずらは一切無しの、純粋な入浴タイムってやつ。

 だけど、のんびりできたのはそこまで。バスタオルを巻いただけの状態で、ベッドに連れて行かれてそこに寝かされたと思ったら、あっという間に先生が覆いかぶさってきた。

「のんびりするって言ってなかったっけ?」
「これものんびりの一つだろ? 部屋の外で待っているキャラメルのことを気にせずに、すごせるんだから」
「先生は、キャラメルと一緒に寝るのが好きだと思ってたんだけどな」

 だって最近じゃ寝る前に、キャラメルに寝るぞって声をかけて呼んでるし。

「それとこれとはまた別だ。たまにはキャラメルをはさまずに、恵を独り占めしたい」
「キャラメルが聞いたら気を悪くしそう」
「だから二人だけの秘密だ」

 そう言って先生は、私にキスをした。


+++++


 次の日、夜の診察時間になったところで、先生と一緒に動物病院までキャラメルをお迎えに行った。ゲージに入れられたキャラメルは、お腹に白い包帯を巻かれてジッとしていて、心なしか元気が無い。

「まだ麻酔と薬の影響があるので食欲がありませんが、二日ほどしたら普通に食べるようになるので、その点は心配しないでください。それといくつかの注意点と、包帯と抗生剤のことですが……」
「それは私がうかがいます」

 先生がそう申し出ると、先生同士で私には分からないような医学用語を交えて話し始めた。私はその間、椅子に座ってキャラメルに声をかけた。指をゲージから差し込むと、ペロリと舐めてニャーンと鳴く。

「寂しい思いをさせてゴメンねキャラメル。今日からはお家にいられるからね」
「恵、ちょっといいか?」

 先生に呼ばれて顔を上げる。

「なに?」
「先生がどっちにするかって」
「どっち?」

 そこには、いわゆるエリザベスカラーと言われているものと、布製のなにかが置かれている。

「こっちは知ってるけど、これ、なんですか?」

 穴が何箇所か空いている布を持ち上げる。

「猫が傷口を舐めないようにするものでね。カラーだとイヤがる子も多いし、腹帯だと抜け出す子も多くて、こんな洋服みたいなのを着せることが増えているんだ。まあそれでも、勝手に脱いじゃう子もいるんだけどね」

 猫って本当に忍者みたいだよねと、先生が笑う。

「で、どっちにするかって話だ」
「カラーよりこっちのほうが邪魔にならないし、生活はしやすそうだよね。こっちにしようかな」

 そういうわけでキャラメルは、帰る前にちょっと変わった術後服を着せられることになった。

「他に気をつけることって、どんなことだったの?」

 自宅に戻る途中で先生に尋ねる。

「まあ人間の術後と同じだな。傷口が完全にふさがるまでは安静にしていること、傷口は清潔にしておくこと、抗生剤を忘れずに飲ませること。抜糸は十日後だそうだ」
「痛くはないのかな、傷口」
「今は痛み止めが効いているからそれほどでもないだろうが、明日からはどうかな。人間と違って痛いとか言わないから、なんとも言えないが」

 普段ならいつものカフェに寄るんだけど、今夜はまっすぐ家に帰ることにした。自宅に戻ってバスケットからキャラメルを出してやると、鼻をひくひくされながら部屋を回り始めるた。

「良かった、普通に歩けるみたい」
「薬が効いているってことを忘れるなよ」
「あ、そっか。だったらトイレも寝床も、近いほうが良いのかな」
「そうだな」

 脱衣所に置いてあるトイレはそのままにしておいて、キャラメルのベッドがある仕事部屋に、もう一つのトイレとご飯と水をそれぞれ置いた。キャラメルは匂いに気がついたのか、さっそくカリカリの入った器に近づいて匂いを嗅ぎ始めた。

「食欲が無いかもって先生は言ってたけど、その点は大丈夫みたいだね」

 ポリポリと音を立てながら、ご飯を食べ始めたのを眺めながらつぶやく。

「今のところはな。しばらくは、油断せずに様子を見よう」
「うん」

 その後も、新しく用意したトイレではなく、いつもの場所のトイレに行っておしっこをしたりと、普通に歩き回っていたキャラメルだったけど、しばらくして痛み止めが切れたのか、寝床でお腹が下にならないように横になって、動こうとはしなかった。

「やっぱり痛いんだね、可哀想に」
「それもしばらくの辛抱だ」
「うん」

 そしてその日から、先生がキャラメルの傷口の確認をすることが毎日の日課になった。最初の二日ぐらいは大人しくされるがままになっていたんだけど、三日目あたりから急に元気になって服を着るのをイヤがり始め、先生にも手に負えない状態が続いている。

「おい、いい加減にしないとキャラメルからグミに逆戻りだぞ」

 先生の言葉に抗議するように、キャラメルがニャーと鳴いている。お兄さんの時みたいにフーッとかシャーッにならないだけマシだけどね。

「恵、ちょっと来てくれ」
「はいはーい」

 とうとう先生からのSOS。先生の怖い顔は人間の患者さんに通用するけど、キャラメルにはまったく通じないみたいだ。



 そして私のほうは犬飼さんと相談して、キャラメルが避妊手術をするために入院してからの経過観察を、コラム風の漫画にして載せることになった。術後はどんなことに気をつけなきゃいけないとか、腹帯もどうしたら良いのかとか、もちろん今みたいな先生の悪戦苦闘も含めてね。

 包帯に関しては先生からのアドバイスを含めた解説を入れたので、読者さんの猫ちゃんが退院した時に役に立ちましたってお手紙があったりして、意外と反響が大きかったのが嬉しい驚きだった。まあキャラメルからしたら、とんだ災難だったとは思うけど。
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