私の主治医さん - 二人と一匹物語 -

鏡野ゆう

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本編

第二十三話 先生の愛弟子?

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 暑い夏が終わりを告げて、季節は秋。

めぐみ、そろそろインフルエンザの予防接種をしておけよ」

 ある日、先生が急にそんなことを言い出した。

「えー?」
「えーじゃない。俺が、病院でもらってくる可能性だってあるんだからな、きちんと打て。これは主治医としての命令だ。……そうだな、予約を入れておく。来週の月曜日の朝一に行け」
「えー?!」

 大学附属病院は普通の病院と違って、他の病院の紹介状が無ければ診てもらえないんじゃ?と尋ねてみれば、なんにでも例外はあるし、予防接種は別だときっぱりと言われてしまった。

「注射嫌い……」
「好きなヤツなんていないだろ」
「先生もするの?」
「当たり前だ。うちのスタッフは、今週中に全員が一回目の予防接種を受ける」
「だったら、先生から私にうつる可能性は無いじゃない」

 私の言葉に、先生が顔をしかめた。

「あのな、予防接種というのはウィルスを体内で殺すためのものではなく、あくまでも発症リスクを抑えるためのものだ。つまり、俺がウィルスを患者からもらって発症しなくても、それが俺を経由して恵にうつって、インフルエンザを発症する可能性もあるんだ。だからおとなしく病院に行け」
「えー……インフルエンザが流行り出してからじゃ駄目なの?」

 私の質問に、先生は今度は信じられないと言う顔をした。なんで? どうして? まだ流行ってないのに、どうして今から予防接種なの? インフルエンザの季節ってもっと先だよね?

「恵、もしかして予防接種のことを、虫除けかなにかと一緒だと思ってないか?」
「違うの?」

 あ、そこでどうして溜め息を?

「いいか。ワクチンの予防接種というのは、打ったからと言ってすぐに効くわけじゃないんだ。予防接種を打つことによって体の中で抗体を作るわけだが、その抗体ができるまでに、三週間から四週間かかる。つまり、流行り出してから打っても意味が無い」
「そうだったんだー……」

 効果が出るまで、そんなに時間がかかるんだ。しかも発症を抑えるってことは、百パーセント完璧防御じゃないってことだよね。私、予防接種のこと過大評価してた。

「分かったか?」
「うん、まあ一応……」
「一応ってなんだ一応って。とにかくだ。そういうわけだからちゃんと行くように。予約はしておくからな、忘れるんじゃないぞ?」

 そう言って先生は立ち上がると、カレンダーの来週月曜日のところに、恵インフルエンザ予防接種と赤ペンで書いた。

「なにもそんなに大きな字で書くことないじゃない、下の数字にまでかぶってるし!」
「大きく書かないと忘れそうだからな、恵が」

 故意にと付け加えられてぐうの音も出ない。こういう時のキャラメルは薄情なもので、我関せずって感じでキャットタワーから降りても来ないんだから!


+++++


 そして月曜日。先生は昨日から当直で不在なんだけど、前日の出掛ける時に、予防接種の予約はしてあるから絶対に行けよと、念押しをされてしまった。忘れたことにしたいけど、夜中にまで念押しのメールが来たから、行かないわけにはいかないよね……。

「キャラメルゥ、行きたくないけど行ってくるね、病院……」

 午前の診察時間が迫ってきたので、諦めて出掛ける用意をした。そして再びメール着信の音。そろそろ出掛ける準備はしたか?だって!!

「うわあ……先生ってば容赦なく追撃してきたよ」

 まったく信用が無いなあ、ちゃんと行くってば。今から出るところ!!!!!!!と、ビックリマークをこれでもかってぐらいいっぱいつけて、返信しておいた。

 憂鬱ゆううつな気分で、駅前からコミュニテバスに乗って病院へと向かう。この時間は、病院に行くお爺ちゃんお婆ちゃんの姿が多い。前に座っているお婆ちゃん二人が、今日はインフルエンザの予防接種の日ですねえなんて話している。やっぱりこの時期から打ち始めるんだ。あ、別に先生を疑っていたわけじゃないから!!

 そして、病院に到着して番号札を発券する場所に行くと、予防接種専用の受付機が設置されていた。

 番号札を手に、待合室の長椅子に座って待っていると、奥の廊下から、白衣を着た不機嫌そうな顔をした先生が、スパスパとサンダルの音を響かせながら歩いてきた。ま、まさか私が来ているかどうか、確かめにやって来たとかじゃないよね?!

 そんなことを考えながらビクビクしていると、向こう側の長椅子に座っていた女の人が、急に立ち上がって先生に話しかけた。先生は一瞬だけ驚いた顔をしてから嬉しそうな顔をすると、その女の人の肩を叩いてなにか話しかけている。

 誰かな……もしかして、私と仕事とどっちが大事なの的なことで別れちゃった、元カノさんだったり? あ、でもそれだったら、あんな風に嬉しそうな顔はしないか。うーん、誰なんだろう、気になる~~。

 その人と楽しそうにお喋りをしていた先生が、やがて眼を丸くしてその人のことを見詰めた。それからなにやら真面目な顔をして、あれこれと話しかけると、なぜか急に顔を上げてこっちを見た。

「?!」

 いきなりのことで目を逸らすのも忘れて、先生のことガン見しちゃってた。先生の視線がこっちに向いていることに気がついたのか、女の人もこっちに振り返る。そして「ははーん」という感じでニンマリと笑ったように見えた。

「え?」

 その人が先生に一言二言しゃべりかけて、なぜかこっちにやって来た。え、どうしてこっちに?! その人の後ろを、しかめっ面をした先生がついてくるし、なに? なんなの? もしかして修羅場しゅらばな予感?!

「おはようございますと初めまして」
「え、えっと、おはようございます。それから初めまして……?」

 私の横に立った先生に、こちらはどちら様でしょうと目で問い掛ける。

一昨年おととしの三月まで、うちの病院で研修医をしていた北川きたがわだ」
「今は南山みなみやまですけどね。東出ひがしで先生に彼女さんができたって話は、西入にしいり先生から聞いてはいたんですけど、まさかこうやってお目にかかれるとは思ってもみなくて。お会いできて光栄です」

 予防接種様様ですねと微笑んだ。だけどニコニコしているその人とは反対に、先生はますますしかめっ面だ。

「お前、わざとこの日に予約入れただろ?」
「まさか! 私はそんなにヒマじゃありませんよ? 今回はたまったま帰国して、そろそろ予防接種のシーズンだから、少しでも古巣の点数稼ぎに貢献しようと思っただけです」

 真面目な顔をしてそう言っているけど、先生は信じていないみたい。しかめっ面から今度は怖い顔になった。

「嘘をつけ嘘を。絶対に西入あたりに、今日が恵の予防接種の日だと聞いたんだろうが」
「まっさかー。あ、先生。あんまり怖い顔で睨まないでください。胎教に悪いですから」
「た、胎教?! 赤ちゃんがいるんですか?! だったら座らなきゃ! こっちにどうぞ」

 慌てて座っていた場所を移動して、その人が座れるだけのスペースを開ける。その人は私の横に座ると、自分がちゃんと名乗っていないことに気がついたのか、申し訳なさそうな顔を一瞬だけした。

「改めて初めまして。私、南山みなみやま雛子ひなこと申します。一昨年おととしの三月までこちらで研修医をしていまして、この怖い顔をした東出先生にも、救命救急で数ヶ月間しごかれたんですよ。こんな怖い先生に、まさかこんな可愛らしい彼女さんが現れるとは、驚きです」
猫田ねこだめぐみです。あの、もしかして、先生とお付き合いなさっていた、とか?」
「「ありえない!!」」

 間髪入れず二人が真剣な顔をして、はもりながら否定した。

「西入先生にも証言してもらっても良いですよ。私も、先生とそちら様と似たような形で、今の旦那様と出会ったんですよ」
「……まさか川で流されてきたんですか、旦那さん」

 私の言葉に、南山さんはおかしそうに笑った。

「いえいえ、うちの旦那様は盲腸でここの病院に運ばれてきたんです。その時、最初に診てくれたのがこちらの東出先生だったんですけどね、なぜか私が担当することになってしまって。その御縁でお付き合いするようになって、結婚しました。……つまりは東出先生は、私と私の旦那様の間を取り持ってくれた、キューピットなんです」

 最後の方だけ声を秘めてささやいた。先生がキューピットと聞いて、変な笑いが込み上げてくる。だって似合わないんだもの。

「おい、そこで何故笑う」
「だって……似合わない……」
「ですよね~~」
「お前達、なにを想像しているんだ」

 先生が怖い顔をするけどまったく効果無し。それどころか、怖い顔をした天使さんが頭に浮かんじゃって、笑いをこらえるのが大変。

「それでその、お前のダンナサマとやらは何処にいるんだ。どうせ二人して予防接種しにきたんだろうが」
裕章ひろあきさんならトイレですよ。あ、ほら、来ましたよ。おーい、こっちだよー」

 南山さんが手をあげて、誰かを探すようにキョロキョロしていた男の人に合図を送る。すると、気がついたその人がホッとした顔をして、こっちにやって来た。そして先生が立っているのに気がついて、一瞬だけギョッとた顔をした、ような気がする……。

「なんだ、久し振りに顔を合わせたのに、そのイヤ嫌そうな顔は」
「そうですか? 気のせいですよ」
「裕章さん、こちら、東出先生の婚約者さんで恵さん」

 私の手の指輪を見た南山さんが、御主人に嬉しそうに報告している。旦那さんはその言葉に、私の顔と先生の顔を交互に見詰めた。

「それは……なるほど……はー……」
「なんなんだ、その反応は」
「いえ、なんて言うか、先生には似合わない可愛い方だなと思って。猫ちゃん、お好きなんですか?」

 指輪が猫だって気がついたみたいで、私の手元を指さした。

「おい、変なボールペンをプレゼントしようなんぞ考えるなよ」
「失礼な。僕がボールペンをプレゼントするのは、雛子さんだけですよ」
「それでお式はいつ? 先生、もちろん私達も招待してくれるんですよね?」
「地球の裏側から帰ってこれるのか?」
「地球の裏側……?」

 まさかこちらの旦那さんも、先生のお父さんみたいなスーパードクター?

「彼は外交官で、今は南米の某国の大使館員として働いているんです。今回は本省の仕事で、こっちに帰国しただけなんですよ」
「僕としては、雛子さんには、このまま日本に留まっていてほしいんですけどねえ」
「イヤですからね。せっかく一緒にあっちに行けたのに、また離ればなれなんてとんでもない。私は一緒に戻りますから」
「だけど赤ん坊もいることだし」
「いーやーでーすー」

 私達のことはそっちのけで言い合いが始まってしまった。先生はまたかと呆れた顔をしながら、溜め息をついている。

「おい、夫婦喧嘩はよそでやれ。ほら、受付で呼ばれているのはお前だろ、北川。さっさと注射を打って、とっとと帰れ」

 先生の言葉に南山さんは可愛らしく頬をふくらませた。

「先生、ぜーんぜん変わってないし優しくない」
「うるさい、さっさと行け。……出産に関してはこっちの方が安心だし安全だ。その点は北川も分かっているだろう。きちんと話し合えよ?」
「本当に雛子さんの頑固さには驚かされますよ。大丈夫です、ちゃんと説得してみせます」

 南山さんが行ってしまうと、先生と旦那さんが溜め息まじりに言葉を交わす。

「結婚式には是非とも呼んでください。雛子さんがどうするかはともかく、僕もできるだけ帰ってこれるようにしますから」
「ああ、分かった」
「恵さん、でしたよね。御婚約おめでとうございます。それと、結婚式でお会いできる日を楽しみにしています」
「ありがとうございます」

 では失礼しますと言って、旦那さんは南山さんの後を足早に追いかけて行った。

「南山さんは、先生のお弟子さんみたいなもの?」

 南山さんと旦那さんが仲良さげに話しているのを見ていると、ちょっとうらやましくなってしまった。あんな風に私達もなれるかな?

「俺は直接の指導医ではなかったが、救命救急で学んでいる時から、あいつは良い医者になると思っていた。もう少しこっちで学べば、日本でもトップクラスの外科医になれたんじゃないかと、思っていたんだがな」

 そう言う先生はちょっと無念そう。

「へえ。で、今は結婚して外国暮らしなんだね。あ、でも、お医者さんには違いないんでしょ?」
「まあな。あっちで現地の医療を学んでいるらしい」
「先生のお父さんとは違った意味で、ワールドワイドな先生なんだね。またお会いできると良いなあ」

 あれ? なんでそんな顔をするの?

「なに? なんでそんな顔するの?」
「いや、恵と北川が仲良くなったらと、とんでもない化学反応が起きそうで怖い」
「それってどういう意味……?」


 先生の心配をよそに、私と南山雛子先生は仲良くお付き合いする関係になるんだけど、それはもう少し後になってからの話だ。
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