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奇妙な家族
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アルラト山は、高さはさほどでもないが横に広いと言う特殊な形をしている。獰猛な獣たちが多く生息しており、ゴブリンやオークのような凶暴な亜人たちまでもが住み着いている。旅人たちも、よほどのことでない限り避けて通る場所である。
そんな危険な山に、奇妙な家族が住んでいた。
アルラト山の広大な森の中を、男女が歩いていた。より正確に言うなら、成人男性と幼い少女が散歩をしている。
たくましい体を皮の服で包んだ男の名はバロン。高い木の生い茂る中、辺りを油断なく見回しながら歩いている。
この男、身長はさほど高くない。だが、目つきは鋭く面構えにも迫力がある。黒髪は長くぼさぼさで、野性味あふれる顔立ちをさらに際立たせている。
しかも二十五歳という年齢にもかかわらず、顔や剥き出しの二の腕には刀傷が付いていた。それも数箇所である。彼が、これまでに歩んできた人生がどんなものなのかを物語っていた。
見るからに悪そうな風貌のバロンではあるが、幼い少女の手を握り慎重に歩いている。らしくない仕草であるが、この森には獣もたくさん住んでいる。しかも、ゴブリンやオークといった亜人たちの巣もあるのだ。まだ陽は高いとはいえ、油断は出来ない。少女にも、ひとりで出歩いてはいけないと言い聞かせてある。
もっとも、幼い少女・ロミナはそんな気遣いなど知る由もない。楽しそうにはしゃいでいる。彼女の赤い髪は短く切られており、布のシャツを着て半ズボンを穿いている。その姿は、遠目には男の子のようにも見えた。
「お父さん! お日さまポッカポッカで、あったかいのだ!」
本来なら静かなはずの森の中に、ロミナの声が響き渡る。この娘は好奇心旺盛で、目に映るものや肌で感じるもの全てが、楽しくて仕方ないようだ。
「おう、ポッカポッカだな。今日は、いい天気だよ。お日さまもご機嫌なようだな」
言いながら、バロンは空を見上げる。確かに、いい天気だ。洗濯物も、早く乾くだろう……などと思っていた時、ロミナが足を止めた。
「お父さん! あれ、なんだ!?」
少女は草むらを指差し、父親の顔を見上げる。
バロンは、指差す方向に視線を向けた。と、そこには蛇がいる。ふたりから数メートルほど離れた場所で、じっと動かずにいる。さほど大きなものではなく、敵意も感じられない。近寄らなければ、害はないだろう
だが、それよりも気になることがある。
「ちょい待て。お前、本当に知らんのか?」
困惑した表情で尋ねると、ロミナは大きく頷いた。
「ぜんぜん知らないのだ! あれは何なのだ!?」
「あれはな、蛇って生き物だ」
バロンは、呆れた口調で言葉を返した。この娘、もうじき十一歳になろうというのに、蛇も知らないのか……。
そんなロミナの好奇心は止まらなかった。
「へび!? にょろにょろしてるのだ! あれは強いのか!?」
すっとんきょうな顔で尋ねる。
バロンは苦笑しつつ、蛇をよく見てみた。茶色に黒い斑点が付いている種類で、さほど大きなものではない。ただし、牙には毒を持っているタイプだ。ロミナには、近づかせない方がいい。
「いいや、強くはねえな。あんなもんな、頭を踏み潰しゃ終わりだよ。ただな、あいつは牙に毒を持ってる。お前は、近づかん方がいいな」
「どく!? どくってなんだ!?」
「えっ? お前、毒も知らんのか?」
「うん! ぜんぜん知らんのだ! 教えて欲しいのだ!」
元気に答えて胸を張るロミナに、バロンは頭を掻きながら答える。
「毒っちゅうのはな、あのう……なんつーかな、体がむちゃくちゃ調子悪くなるんだよ」
「わからないのだ! それは、どうなるのだ!?」
「うーん……あいつに噛まれると、熱が出たり手足が腫れたりすんだよ。死ぬこともあるかもしれねえ。あの蛇に噛まれたら、死ぬかもしれないと覚えておけ」
「ほ、本当か!? それは怖いのだ!」
聞いた途端に、ロミナは顔をしかめ震えた。ようやく、毒というものの怖さを理解したらしい。
そんな姿を見て、バロンは優しく頭を撫でた。
「おお、そうだ。蛇はな、怖い生き物なんだよ。けどな、蛇も人間が怖いんだ」
「そ、そうなのか?」
「ああ、怖い。奴から見れば、お前はオーガーみたいに怖い生物なんだよ。だから、毒の牙で噛み付く。けどな、お前が怖がらせなきゃ、蛇も噛み付いたりしねえんだ。わかったか?」
「うん! わかったのだ! 蛇には近づかないのだ!」
大きく頷くと、再び父の手を握り歩き出した。
そんなロミナに、バロンは優しく語りかける。
「父さんは明日、町まで買い物に行かにゃならん。お母さんが起きて来るまで、おとなしく留守番をしているんだぞ。家の鍵を閉め、絶対に外に出るなよ。いいな?」
そう、バロンは明日、城塞都市バーレンまで出かける。彼は狩人を生業としており、仕留めた獲物を肉屋に売る。代わりに、パンやチーズといった食品や生活に必要な雑貨などを購入する。これは、ほぼ一日がかりの仕事になるのだ。母が起きてくるまでの間、ロミナはひとりで留守番をしなくてはならない。
「うん、わかったのだ!」
元気よく答えるロミナだったが、次の瞬間、その表情が曇った。
「お父さんは、寂しくないのか?」
「はあ? 寂しい? なんでだよ?」
「お母さんは、いつも寝てるのだ。暗くならないと、起きて来ないのだ。でも、暗くなると、お父さんは仕事に行くのだ。だから、ほんのちょっとしか会えないのだ。それは、寂しい気がするのだ。どうなのだ?」
真顔で聞いてくる。ロミナは、ものを知らない。だが素直で、とても優しい子なのだ。バロンは、そのことをよく知っている。
「まあ、寂しいっちゃ寂しいな。でもよ、仕事に行く前に顔を見られっからな。それで充分だ。それによう、お前みたいな騒がしい子がいりゃあ寂しくならねえから」
「おおお! ロミナも、お父さんがいるから寂しくないぞ!」
胸を張るロミナを見て、バロンはくすりと笑った。
「そうか。そう言ってもらえると、俺も嬉しいぜ。じゃあ、そろそろ家に帰ろうか」
「わかったのだ!」
元気よく答え、ロミナは走っていく。バロンは、その後ろ姿を優しい顔で見ていた。
家に帰ると、バロンほ夕飯の支度を始める。庭にある井戸から水を汲み、斧を手に薪を割る。その間ロミナは、近くで父の手伝いをしていた。
薪を割ると、暖炉に火をつけお湯を沸かす。これから、温かいスープを作るのだ。ロミナは、テーブルを拭いたり皿を並べたりしている。
そんなことをしている間に、日が沈んでいった。昼でも夜でもない時間、夕暮れ時が訪れたのだ。
バロンとロミナが夕食の支度をしている時、地下室に通じる扉が開く。
現れたのは、若い女だった。瞳は青く、鼻は高い。美しく整った顔立ちで、肌の色は病的なほど白い。すらりとした体を、黒い布の服で覆っていた。けだるそうな表情を浮かべつつ、ゆっくりと歩いてくる。どうやら、今まで眠っていたらしい。
その途端、ロミナの顔がパッと明るくなる。
「お母さんが起きたのだ! おはようさんなのだ!」
言いながら、女に抱き着いていく。すると、女はにっこりと微笑んだ。そう、この女こそがライム。ロミナの母である。
「うん、起きたよ。おはよう」
挨拶を返しながら、ロミナの頭を撫でる。昼と夜の境目……この僅かな時間にだけ、バロンとロミナそれにライムの家族が揃うのだ。
三人は、食卓についた。テーブルの上には、パンとチーズ、それに野菜や肉のスープが入った皿が置かれている。もっとも、ライムだけは何も口にしていない。
「お父さんの作るご飯は、とっても美味しいぞ!」
言いながら、ロミナはパンにかぶりつく。その姿を、ライムは微笑みながら見ていた。
だが、不意に少女の手が止まる。
「お母さんの病気は、いつ治るのだ?」
言われたライムは、きょとんとなる。
「えっ、病気?」
「そうなのだ! お母さんは、病気のせいでご飯が食べられないのだ! 早く治って欲しいのだ!」
そう、ライムは食事を摂らない。ロミナには、それは病気のせいだと言ってある。お母さんは病気だから、昼間は寝ているしご飯も食べられないのだよ……と。
真剣そのものの顔を向けるロミナに、ライムは少し困ったような表情で答える。
「う、うーん……まだ治らない。でも、心配しなくても大丈夫だよ。ちゃんと、お薬は飲んでるから」
「ううう、お母さんかわいそうなのだ。こんな美味しいご飯が食べられないのは、とってもとっても不幸なのだ」
悲しそうな顔のロミナに、バロンが横から声をかける。
「バカ野郎、不幸じゃねえ。ロミナが美味しく食べる姿を見てるだけで、お母さんは幸せなんだよ。だから、冷める前に食っちまえ」
「おおお! ロミナも、お母さんと一緒にいると幸せだぞ!」
そう言うと、ロミナは再びパンにかぶりつく。
やがて、食べ終えたバロンが険しい表情で立ち上がった。
「じゃあ、俺はそろそろ行かにゃならん。ライム、留守を頼んだぜ」
バロンの言葉に、ライムは頷く。
「わかってる。任せて」
「お父さん、いってらっしゃい!」
ロミナは声をかけ、パッと手を挙げる。バロンは、その手を軽く叩いた。父と娘の、出かける前の挨拶だ。
「おう。ロミナも、お母さんを困らせるんじゃねえぞ」
そう言うと、バロンは家を出る。森の中へと消えていった。
家の中には、ライムとロミナのふたりが残された。ふたりは、楽しそうに後片付けをしている。
しばらくすると空は暗くなり、窓からは星と見事な満月が見える。どこからか、狼と思われる獣の遠吠えも聞こえてきた。
そんな中、後片付けの終わったふたりは、椅子に腰掛けている。
「昼間は、何して遊んだの?」
ライムに聞かれたロミナは、元気よく答える。
「お父さんと、森の中を散歩したのだ。あちこち行って、とても楽しかったのだ! あと、蛇とかいう奴がいたのだ!」
途端に、ライムの表情が変わった。
「蛇? 噛まれたりしなかった?」
「大丈夫なのだ。お父さんが、蛇は毒を持ってるって言ったのだ。だから、気をつけるのだ」
「そうね、ロミナはまだ小さいから、蛇には近寄らない方がいいね」
そう言うと、ライムはひょいとロミナを抱き上げる。
「さあ、ベッドに行こう。そろそろ寝る時間だよ」
「えええ……まだ寝たくないのだ。もっと、お母さんと遊びたいのだ」
ぼやくロミナだったが、ライムはにこにこしながら少女を寝室まで運ぶ。
「ダメダメ。あなたは、まだ小さいんだから早く寝ないといけないの」
言いながら、ロミナをベッドに寝かせた。
「お母さん! お話を聞かせて欲しいのだ!」
「お話って、あの勇者の話?」
「そうなのだ! 勇者の話の続きを聞きたいのだ!」
「わかった。じゃあ聞かせてあげる。勇者は、悪い奴をやっつけるため旅に出ました……」
しばらくすると、ロミナの寝息が聞こえてきた。話を聞きながら、眠ってしまったらしい。
ライムはそっと顔を近づけ、少女が眠りについているのを確認した。間違いなく熟睡している。簡単には目を覚まさないだろう。
静かに部屋を出ると、家の扉を開け外に出ていった。鍵を閉め、辺りを見回す。
今のところ、ロミナの安全を脅かすようなものの気配は感じられない。ライムは、そっと歩き出した。
そんな危険な山に、奇妙な家族が住んでいた。
アルラト山の広大な森の中を、男女が歩いていた。より正確に言うなら、成人男性と幼い少女が散歩をしている。
たくましい体を皮の服で包んだ男の名はバロン。高い木の生い茂る中、辺りを油断なく見回しながら歩いている。
この男、身長はさほど高くない。だが、目つきは鋭く面構えにも迫力がある。黒髪は長くぼさぼさで、野性味あふれる顔立ちをさらに際立たせている。
しかも二十五歳という年齢にもかかわらず、顔や剥き出しの二の腕には刀傷が付いていた。それも数箇所である。彼が、これまでに歩んできた人生がどんなものなのかを物語っていた。
見るからに悪そうな風貌のバロンではあるが、幼い少女の手を握り慎重に歩いている。らしくない仕草であるが、この森には獣もたくさん住んでいる。しかも、ゴブリンやオークといった亜人たちの巣もあるのだ。まだ陽は高いとはいえ、油断は出来ない。少女にも、ひとりで出歩いてはいけないと言い聞かせてある。
もっとも、幼い少女・ロミナはそんな気遣いなど知る由もない。楽しそうにはしゃいでいる。彼女の赤い髪は短く切られており、布のシャツを着て半ズボンを穿いている。その姿は、遠目には男の子のようにも見えた。
「お父さん! お日さまポッカポッカで、あったかいのだ!」
本来なら静かなはずの森の中に、ロミナの声が響き渡る。この娘は好奇心旺盛で、目に映るものや肌で感じるもの全てが、楽しくて仕方ないようだ。
「おう、ポッカポッカだな。今日は、いい天気だよ。お日さまもご機嫌なようだな」
言いながら、バロンは空を見上げる。確かに、いい天気だ。洗濯物も、早く乾くだろう……などと思っていた時、ロミナが足を止めた。
「お父さん! あれ、なんだ!?」
少女は草むらを指差し、父親の顔を見上げる。
バロンは、指差す方向に視線を向けた。と、そこには蛇がいる。ふたりから数メートルほど離れた場所で、じっと動かずにいる。さほど大きなものではなく、敵意も感じられない。近寄らなければ、害はないだろう
だが、それよりも気になることがある。
「ちょい待て。お前、本当に知らんのか?」
困惑した表情で尋ねると、ロミナは大きく頷いた。
「ぜんぜん知らないのだ! あれは何なのだ!?」
「あれはな、蛇って生き物だ」
バロンは、呆れた口調で言葉を返した。この娘、もうじき十一歳になろうというのに、蛇も知らないのか……。
そんなロミナの好奇心は止まらなかった。
「へび!? にょろにょろしてるのだ! あれは強いのか!?」
すっとんきょうな顔で尋ねる。
バロンは苦笑しつつ、蛇をよく見てみた。茶色に黒い斑点が付いている種類で、さほど大きなものではない。ただし、牙には毒を持っているタイプだ。ロミナには、近づかせない方がいい。
「いいや、強くはねえな。あんなもんな、頭を踏み潰しゃ終わりだよ。ただな、あいつは牙に毒を持ってる。お前は、近づかん方がいいな」
「どく!? どくってなんだ!?」
「えっ? お前、毒も知らんのか?」
「うん! ぜんぜん知らんのだ! 教えて欲しいのだ!」
元気に答えて胸を張るロミナに、バロンは頭を掻きながら答える。
「毒っちゅうのはな、あのう……なんつーかな、体がむちゃくちゃ調子悪くなるんだよ」
「わからないのだ! それは、どうなるのだ!?」
「うーん……あいつに噛まれると、熱が出たり手足が腫れたりすんだよ。死ぬこともあるかもしれねえ。あの蛇に噛まれたら、死ぬかもしれないと覚えておけ」
「ほ、本当か!? それは怖いのだ!」
聞いた途端に、ロミナは顔をしかめ震えた。ようやく、毒というものの怖さを理解したらしい。
そんな姿を見て、バロンは優しく頭を撫でた。
「おお、そうだ。蛇はな、怖い生き物なんだよ。けどな、蛇も人間が怖いんだ」
「そ、そうなのか?」
「ああ、怖い。奴から見れば、お前はオーガーみたいに怖い生物なんだよ。だから、毒の牙で噛み付く。けどな、お前が怖がらせなきゃ、蛇も噛み付いたりしねえんだ。わかったか?」
「うん! わかったのだ! 蛇には近づかないのだ!」
大きく頷くと、再び父の手を握り歩き出した。
そんなロミナに、バロンは優しく語りかける。
「父さんは明日、町まで買い物に行かにゃならん。お母さんが起きて来るまで、おとなしく留守番をしているんだぞ。家の鍵を閉め、絶対に外に出るなよ。いいな?」
そう、バロンは明日、城塞都市バーレンまで出かける。彼は狩人を生業としており、仕留めた獲物を肉屋に売る。代わりに、パンやチーズといった食品や生活に必要な雑貨などを購入する。これは、ほぼ一日がかりの仕事になるのだ。母が起きてくるまでの間、ロミナはひとりで留守番をしなくてはならない。
「うん、わかったのだ!」
元気よく答えるロミナだったが、次の瞬間、その表情が曇った。
「お父さんは、寂しくないのか?」
「はあ? 寂しい? なんでだよ?」
「お母さんは、いつも寝てるのだ。暗くならないと、起きて来ないのだ。でも、暗くなると、お父さんは仕事に行くのだ。だから、ほんのちょっとしか会えないのだ。それは、寂しい気がするのだ。どうなのだ?」
真顔で聞いてくる。ロミナは、ものを知らない。だが素直で、とても優しい子なのだ。バロンは、そのことをよく知っている。
「まあ、寂しいっちゃ寂しいな。でもよ、仕事に行く前に顔を見られっからな。それで充分だ。それによう、お前みたいな騒がしい子がいりゃあ寂しくならねえから」
「おおお! ロミナも、お父さんがいるから寂しくないぞ!」
胸を張るロミナを見て、バロンはくすりと笑った。
「そうか。そう言ってもらえると、俺も嬉しいぜ。じゃあ、そろそろ家に帰ろうか」
「わかったのだ!」
元気よく答え、ロミナは走っていく。バロンは、その後ろ姿を優しい顔で見ていた。
家に帰ると、バロンほ夕飯の支度を始める。庭にある井戸から水を汲み、斧を手に薪を割る。その間ロミナは、近くで父の手伝いをしていた。
薪を割ると、暖炉に火をつけお湯を沸かす。これから、温かいスープを作るのだ。ロミナは、テーブルを拭いたり皿を並べたりしている。
そんなことをしている間に、日が沈んでいった。昼でも夜でもない時間、夕暮れ時が訪れたのだ。
バロンとロミナが夕食の支度をしている時、地下室に通じる扉が開く。
現れたのは、若い女だった。瞳は青く、鼻は高い。美しく整った顔立ちで、肌の色は病的なほど白い。すらりとした体を、黒い布の服で覆っていた。けだるそうな表情を浮かべつつ、ゆっくりと歩いてくる。どうやら、今まで眠っていたらしい。
その途端、ロミナの顔がパッと明るくなる。
「お母さんが起きたのだ! おはようさんなのだ!」
言いながら、女に抱き着いていく。すると、女はにっこりと微笑んだ。そう、この女こそがライム。ロミナの母である。
「うん、起きたよ。おはよう」
挨拶を返しながら、ロミナの頭を撫でる。昼と夜の境目……この僅かな時間にだけ、バロンとロミナそれにライムの家族が揃うのだ。
三人は、食卓についた。テーブルの上には、パンとチーズ、それに野菜や肉のスープが入った皿が置かれている。もっとも、ライムだけは何も口にしていない。
「お父さんの作るご飯は、とっても美味しいぞ!」
言いながら、ロミナはパンにかぶりつく。その姿を、ライムは微笑みながら見ていた。
だが、不意に少女の手が止まる。
「お母さんの病気は、いつ治るのだ?」
言われたライムは、きょとんとなる。
「えっ、病気?」
「そうなのだ! お母さんは、病気のせいでご飯が食べられないのだ! 早く治って欲しいのだ!」
そう、ライムは食事を摂らない。ロミナには、それは病気のせいだと言ってある。お母さんは病気だから、昼間は寝ているしご飯も食べられないのだよ……と。
真剣そのものの顔を向けるロミナに、ライムは少し困ったような表情で答える。
「う、うーん……まだ治らない。でも、心配しなくても大丈夫だよ。ちゃんと、お薬は飲んでるから」
「ううう、お母さんかわいそうなのだ。こんな美味しいご飯が食べられないのは、とってもとっても不幸なのだ」
悲しそうな顔のロミナに、バロンが横から声をかける。
「バカ野郎、不幸じゃねえ。ロミナが美味しく食べる姿を見てるだけで、お母さんは幸せなんだよ。だから、冷める前に食っちまえ」
「おおお! ロミナも、お母さんと一緒にいると幸せだぞ!」
そう言うと、ロミナは再びパンにかぶりつく。
やがて、食べ終えたバロンが険しい表情で立ち上がった。
「じゃあ、俺はそろそろ行かにゃならん。ライム、留守を頼んだぜ」
バロンの言葉に、ライムは頷く。
「わかってる。任せて」
「お父さん、いってらっしゃい!」
ロミナは声をかけ、パッと手を挙げる。バロンは、その手を軽く叩いた。父と娘の、出かける前の挨拶だ。
「おう。ロミナも、お母さんを困らせるんじゃねえぞ」
そう言うと、バロンは家を出る。森の中へと消えていった。
家の中には、ライムとロミナのふたりが残された。ふたりは、楽しそうに後片付けをしている。
しばらくすると空は暗くなり、窓からは星と見事な満月が見える。どこからか、狼と思われる獣の遠吠えも聞こえてきた。
そんな中、後片付けの終わったふたりは、椅子に腰掛けている。
「昼間は、何して遊んだの?」
ライムに聞かれたロミナは、元気よく答える。
「お父さんと、森の中を散歩したのだ。あちこち行って、とても楽しかったのだ! あと、蛇とかいう奴がいたのだ!」
途端に、ライムの表情が変わった。
「蛇? 噛まれたりしなかった?」
「大丈夫なのだ。お父さんが、蛇は毒を持ってるって言ったのだ。だから、気をつけるのだ」
「そうね、ロミナはまだ小さいから、蛇には近寄らない方がいいね」
そう言うと、ライムはひょいとロミナを抱き上げる。
「さあ、ベッドに行こう。そろそろ寝る時間だよ」
「えええ……まだ寝たくないのだ。もっと、お母さんと遊びたいのだ」
ぼやくロミナだったが、ライムはにこにこしながら少女を寝室まで運ぶ。
「ダメダメ。あなたは、まだ小さいんだから早く寝ないといけないの」
言いながら、ロミナをベッドに寝かせた。
「お母さん! お話を聞かせて欲しいのだ!」
「お話って、あの勇者の話?」
「そうなのだ! 勇者の話の続きを聞きたいのだ!」
「わかった。じゃあ聞かせてあげる。勇者は、悪い奴をやっつけるため旅に出ました……」
しばらくすると、ロミナの寝息が聞こえてきた。話を聞きながら、眠ってしまったらしい。
ライムはそっと顔を近づけ、少女が眠りについているのを確認した。間違いなく熟睡している。簡単には目を覚まさないだろう。
静かに部屋を出ると、家の扉を開け外に出ていった。鍵を閉め、辺りを見回す。
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