アホの子と変な召使いと、その怖い親父たち

板倉恭司

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悪の天才魔術師

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 城塞都市バーレンは、大陸でも最大の規模を誇る街である。その名の通り、周りを高い壁に覆われている。面積は広く、大陸の中でもっとも巨大な街と言われていた。文明や文化も発達しており、このバーレンに住むこと自体がひとつのステイタスとなっている。
 街は、大まかに言うと四つの地区に分かれていた。大陸でもトップレベルの人間が住むアーセナル地区。それよりは劣るが、貴族や金持ちの大商人たちが住んでいるベースマン地区。一般人たちが住むセールス地区。
 そして最後が、ゴロツキやチンピラや盗賊や凶状持ちといった連中がうごめくゾッド地区だ。他の地区に住めなくなった者たちが、最後に行き着く場所でもある。住民のほとんどは最下層の貧民たちだが、稀に身分の高い人種が、怪しげな目的のためお忍びで訪れることもある。ゾッド地区は、いわくつきの場所であった。



 そんなゾッド地区であるが、今はしんと静まりかえっていた。店は扉を固く閉めており、通行人の姿もほとんど見えない。
 今の時刻は昼の二時だ。いつもなら、ほとんどの店が開いている。様々な人種が行き来し、話し声が聴こえているはずの時間帯である。
 にもかかわらず、なにゆえここまで静まりかえっているのか。それは、街でもトップクラスに位置する危険人物が出歩いているからだ。

 その危険人物の名は、ララーシュタインである。身長はニメートル、体重は百三十キロという巨漢だ。毛皮のベストを素肌に直接着ており、長く太いチェーンをネックレスのように己の首巻き付けている。もじゃもじゃの黒髪は肩までの長さで、髭もぼうぼうに伸びている。腕力は異常に強く、オーガーを素手で殴り倒したという逸話の持ち主だ。
 しかも、この男は魔術師なのである。一時期は魔術の天才と謳われていたほどで、ガバナス帝国魔術師団の一員でもあった。しかし、魔術師の長とトラブルを起こし、必殺魔法のサンダーボールで建物を破壊した挙げ句に自ら魔術師団を退団……という恐ろしい経歴を持つ男なのだ。
 そんなララーシュタインは、街中をのしのし歩いていた。片手には、飼い犬のロバーツのリードを持っている。このロバーツ、小型のブルドッグであり、顔はとぼけているが大変に賢い犬なのである。
 ララーシュタインは、このロバーツを大変に気に入っていた。昼と夜の一日に二回、ほぼ欠かすことなく散歩させているのだ。
 その散歩の間、近辺の住人たちは、みな窓を閉め扉に鍵をかけ、出歩かないようにしていた。この魔術師とかかわって、いいことなどひとつもないからだ。

 道のど真ん中を、犬を連れて歩くララーシュタイン。
 その視界に、妙な者が入ってきた。どうやら、旅をしている冒険者のパーティーらしい。たまに、こうした連中が街に来ることがある。食事代や宿賃などが安いため、駆け出しのパーティーがクエストの途中で寄ったりするのだ。
 パーティーの編成も、ありがちなパターンであった。ブロードソードを腰から下げ胴鎧を着た若い戦士、温厚そうな顔の僧侶、中年の盗賊、不健康そうな痩身の魔術師、弓と細身の剣で武装したエルフの女、バトルアックスを肩に担いだドワーフという面々である。
 ララーシュタインの目つきが鋭くなった。彼は、こういう若者たちが大嫌いなのだ。険しい表情で、ずんずん歩いていく。向こうの冒険者パーティーも、道を空ける気はないらしい。五人で横に並び、こちらを睨みながら歩いてくる。
 その光景を、街の住人たちは窓の隙間から覗いていた。八百屋のジョンは、大きな溜息を吐いた後に呟いた。

「あのガキども、ララーシュタインのことを知らんのか。また犠牲者が出るな」



 ララーシュタインは、肩をいからせ道のど真ん中を歩いていく。
 冒険者たちも、引く様子はない。異様な格好の魔術師を睨みながら、どんどん前進している。
 やがて、両者は立ち止まった。手と手が触れ合わんばかりの位置で、じっと睨みあっている。
 傍らにいるロバーツは、また始まったよ……という顔でぷいと横を向いた。この犬は、きちんと状況を把握し空気を読む。ひょっとしたら、飼い主より賢いかもしれない。今も、我関せずという態度で立ち止まり、後ろ足で耳の裏を掻いていた。

「邪魔だ。道を空けろ」

 先に声を発したのは、ララーシュタインであった。犬のリードを放し、臨戦体勢に入った。すると、ブロードソードを下げた若い戦士が威嚇するような表情で近づいてくる。

「誰に向かって言っんだよ、このオヤジが。暑苦しいカッコしやがって。俺たちにケンカ売ってんのか?」

「ケンカだと? ケンカはな、実力の近い者同士の闘いだ。お前らと俺とでは、実力差がありすぎる。さっさと失せろ、目障りだ。でないと怪我するぞ」

「ざけんなヒゲオヤジ! ケンカはな、デカきゃ勝てるってもんじゃねえんだよ!」

 戦士が怒鳴った瞬間、ララーシュタインの足が伸びる。強烈な前蹴りを食らい、戦士は吹っ飛ばされた。馬に蹴られたような衝撃である。宙を飛んでいき、ばたりと倒れた。
 唖然となる冒険者たちだったが、ララーシュタインは既に行動を開始していた。エルフの髪の毛をひっ掴み、ゴミでも捨てるようにブン投げる。そう、ララーシュタインは極悪な天才魔術師である。相手がうら若き美女エルフでも容赦しないのだ。
 さらにドワーフを蹴飛ばし、魔術師にヘッドバットを食らわせ、僧侶と盗賊をダブルラリアットでまとめてぶっ飛ばす……一瞬にして、全員が倒れていた。

「つまらん。ウォームアップにもならん」

 吐き捨てるような口調で言うと、極悪な魔術師は去っていった。その後を、呆れた様子のロバーツが付いていく。
 その様子を窓の隙間から見ていた肉屋のアンジェラは、顔をしかめた。

「まったく、どうしょうもないろくでなしだね。早く出て欲しいよ」



 やがて極悪人の帰宅を確認し、肉屋を開けたアンジェラ。すると、さっそく客がやって来た。

「アンジェラさん、鹿の肉をください」

 そんな注文をしたのは、小柄な少年であった。髪は金色で肌は白く、可愛らしい顔立ちだ。白いシャツと黒い半ズボン姿である。肩掛け鞄をぶら下げ、にこにこしながら立っている。

「おや、ジュリアンじゃないか。学校は終わったのかい?」

 アンジェラもにこにこしながら、肉を包む。代金を受けとる時、顔を近づけ囁いた。

「あんた大丈夫かい。あの変態魔術師に、変なことされてないかい?」

 そう、このジュリアンはララーシュタインの召使いなのである。魔術師の屋敷に住み、身の周りの世話をしているのだ。

「変なこと? どんなことですか?」

 訝しげな表情で聞き返すジュリアンに、アンジェラはためらいながらも、以前より思っていたことを口にした。

「たとえばさ……裸にされて、あちこち触られたりとかしてないかい?」

「はい、たまにありますね」

 即答したジュリアンを、アンジェラはじっと見つめる。
 その目から、涙が溢れ落ちた。

「や、やっぱり……なんて悲しい話なんだろう。あんた、大変だねえ。あんなデカブツの相手をさせられるなんて……」 

「相手? なんのことです? なぜ泣いてるんですか?」

「ごめんよ。とにかく、頑張るんだよ。不幸に負けるんじゃないよ」

「はい! 頑張ります!」

 朗らかな顔で答え、ジュリアンは肉を持って帰っていった。
 残されたアンジェラは、涙を拭きながら呟く。

「かわいそうな子だよ。あの変態魔術師、ジュリアンにとんでもないことしてやがった。まったく、あんないたいけな子供の体をもてあそぶなんて……許せない奴だよ」



 そのかわいそうなジュリアンは、町外れに建っている屋敷に到着した。そう、ララーシュタインの住処である。

「ご主人さま! ただいま帰りました!」

 扉を開け中に入ると同時に、たいへん元気よく挨拶した。すると、奥からララーシュタインが出てくる。こちらは、たいへん不機嫌そうだ。

「帰ったか。ったく、召使いの分際で学校など行きおって。さっさと仕事しろ」

「はい! わかりました!」

 またしても元気よく返事をする。一方、ロバーツは嬉しそうにトコトコ近づいていき、少年のくるぶしに濡れた鼻を押し付ける。この犬なりの挨拶だ。

「ロバーツも、ただいま」

 ロバーツにもきちんと挨拶し、ジュリアンは自室に鞄を置く。エプロンを付け台所に行き、調理の準備を始めた。


 やがて、夕食の時間になった。ララーシュタインは、旺盛な食欲を発揮しモリモリ食べている。エプロン姿のジュリアンは、にこやかな表情で傍らに控えていた。
 だが、その表情が変わる。

「ララーシュタインさま、そのニンジンはどうするのですか?」

 彼の視線の先には、サラダが盛られていた皿がある。そこには、刻まれたニンジンが残っていた。他の野菜は、全て食べられているにもかかわらず、ニンジンだけは手をつけた気配がない。

「あっ、いや、最後に食べようと思ってな」

 うろたえるララーシュタインに、ジュリアンはなおも追及していく。

「そうやって、またロバーツに食べさせる気ですね?」

 語気強く尋ねた。そう、ララーシュタインの足元にはロバーツがいる。この犬は、大抵のものは食べてしまうのだ。出されれば、ニンジンも美味しく食べてしまう。

「ち、違う! 俺は、そんなセコい真似などせん!」

「そんなこと言って、これまで何度もロバーツに食べさせてるじゃないですか! 僕が知らないと思ってるんですか!? いい加減に好き嫌いしないでください!」

 召使いに叱られた悪の魔術師ほ、何も言い返せず下を向く。

「う、ううう……」

「さあ、早く食べてください!」

「そんな急に言われても……俺にも、心の準備というものが必要だ」

 上目遣いでそんなことを言うララーシュタインだったが、ジュリアンには手心を加える気配がない。

「何わけわからないことを言っているんですか。あなたは、仮にも地上最強の天才魔術師なんですよね。だったら、ニンジンごとき今すぐにでも食べられますよね?」

「クソ、なめやがって……」

 ララーシュタインは、小声で呟いた。もちろん、聞こえないように言っている。

「ニンジンを食べなければ、デザートは出しません!」

 一方、ジュリアンは大きな声で宣言した。こうなると、どちらが偉いのか傍目にほわからない。

「わかったよう。まったく、召使いの分際で口うるさい奴だ」

 ブツブツ言いながら、ララーシュタインはニンジンを食べ始める。その表情は苦しげで、拷問されているかのようだ。
 一方、見守るジュリアンは満足げな様子である。主人が嫌々ニンジンを食べる姿を、ウンウン頷きながら見ていた。
 そんな両者を、ロバーツは冷めた目で見ている。またやってるよ……とでも言いたげな様子だった。






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