アホの子と変な召使いと、その怖い親父たち

板倉恭司

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ジュリアンの日時

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 城塞都市バーレンの、とある日の昼。
 ひとりの少年が、露店が立ち並ぶ大通りを歩いていた。ジュリアンである。
 一応、この辺りもゾッド地区である。したがって、彼の周辺にも怪しげな者たちが大勢ひそんでいるはずだった。しかし、ジュリアンは誰にも邪魔されることなく進んでいく。
 それも当然だった。ゾッド地区の住人は、みな知っている……このジュリアンという少年は、城塞都市バーレンでもトップランクに位置する危険人物・悪の天才魔術師ララーシュタインの召使いなのだ。
 この少年に下手に手を出したら、殺されても不思議ではない。もしくは、殺されるよりも恐ろしい目に遭わされるかもしれない……という事実もまた、ここの住人は知っている。



 やがて少年は、目指す場所へと到着した。
 広い空き地だが、草はきれいに刈られていた。隅の方には、木の小屋が建てられている。さらに、木の机や椅子が積み重ねられていた。
 そんな空き地に、ひとりの女が立っている。背は高く、すらりとした体型だ。白色の髪は肩まで伸びており、耳は長く尖っている。美しく整った顔立ちはエルフのそれだが、肌は漆黒である。黒い革の服を着ており、腰に細身の剣をぶら下げていた。
 そんな怪しげな人物に向かい、ジュリアンはぺこりと頭を下げる。 

「先生、今日もよろしくお願いします」

「ああ。こちらこそ、よろしく頼む」

 冷たい表情で、女は挨拶を返した。
 彼女は、ダークエルフのザビーネである。漆黒の肌と肩まで伸びた白髪は、死を司る神のようであった。灰色の瞳は、ジュリアンを真っすぐ見つめている。
 普通の人間なら、怯んでしまうであろう。事実、このダークエルフはララーシュタインの次くらいに恐れられている人物なのだ。しかし、ジュリアンは恐れる様子がない。さっそく、ひとりで机や椅子を並べ出した。
 そんな少年の姿を、ザビーネは無言で見ている。手伝う素振りもない。
 しばらくすると、空き地に人が入ってくる。それも、ひとりやふたりではない。十人近い男女が、思い思いの場所に座り始めた。服装や年齢はまちまちであり、中には凶悪な人相の者もいる。にもかかわらず、全員がおとなしく席に着いていた。



 このゾッド地区は、バーレンでも最下層の人間たちが住んでいる。犯罪発生率は高いが、盗みや喧嘩くらいでは衛兵たちも動かない。一応、おざなりの手続きをするだけだ。
 そもそも、この地区に何かあったとしても、衛兵はほとんど無視している。死体が転がっていれば片付けはするが、その犯人を探したりはしない。衛兵たちが動くとすれば、数十人規模の暴動が起きた時くらいのものだろう。当然ながら、まともな学校などない。
 そんな無法地帯に、この青空教室が出来たのはつい最近であった。ダークエルフのザビーネが、何を思ったか、いきなり空き地に私塾を開いたのだ。生徒も、初めのうちはジュリアンだけだった。
 にもかかわらず、今では十人ほどの生徒たちがいる。ほとんどが、二十歳を超えている大人ばかりだ。この中では、ジュリアンが一番若いだろう。
 しかし、ジュリアンは教師であるザビーネの隣に立ち、生徒らしき大人たちを見回しているのだ。

「では、授業を始めるぞ」

 ダークエルフの重々しい声の後、授業が始まった。同時に、ジュリアンが動く。皆の席に、羊皮紙や羽ペン、インクの入った壺などを配り始めた。
 少年が配り終えると、ザビーネが講義を始めた。内容は、歴史についてである。生徒たちは、彼女の話を熱心に聞いている。そう、ザビーネのようなダークエルフから歴史についての講義を受けられるなど、大都市でも有り得ないことなのだ。
 もっとも、隅の方では違うことが行われていた。

あにさん、これは違いますよ。重います、ではありません。思います、とこう書くのです」

 言いながら、ジュリアンは書き直してみせる。

「そ、そうか」

 面目なさそうに頭をポリポリ掻いているのは、小山のような体格の大男である。どう見ても、年齢は二十歳を超えているだろう外見だ。彼の金色の髪は、真ん中の部分だけ残して綺麗に剃られている。袖なしのシャツを着ており、剥き出しの二の腕はジュリアンの足よりも太い。分厚い胸板は、棍棒で殴られても弾き返しそうだ。
 にもかかわらず、そんな筋肉の塊のような体を小さく縮め、ジュリアンの言うことを神妙な顔つきで聞いている。
 その時、別の声も聞こえてきた。

「ジュリアン、作文できたぞ。読んでくれ」

 言ったのは、袖なしシャツの大男とまったく同じ顔形の若者である。着ているものも体つきもまったく同じだが、髪型だけが異なっていた。ジュリアンの前にいる男は、真ん中に一本の太い毛の束を残している。ところが、こちらは頭の左右の端に、髪の束が一本ずつ生えているのだ。ちょうど真逆の髪型である。こちらも、二十歳を超えているだろう。
 そんな奇怪な大男に向かい、ジュリアンは答える。

「弟さんは、ちょっと待っててください。今、あにさんの方を見てますから」

 そう、ふたりは双子の兄弟なのである。このバラカス兄弟は、ゾッド地区でもかなり有名な双子なのであった。
 兄弟ともに百八十センチを超える身長であり、体重も百キロを超えている。ララーシュタインほどの巨体ではないが、ガッチリした体格の持ち主だ。
 その体格に比例し、腕力も強い。戦う時には、双子ならではの連携技を使うらしい。このふたりの合体攻撃は、魔獣をも打ち倒すと言われている。肉弾戦なら、ララーシュタインにも引けを取らない数少ない存在なのだ。普段は、街の悪党どもの用心棒をしている。
 しかし悲しいことに、兄弟そろって恐ろしいくらいのバカであった。おそらく、城塞都市バーレンでも一番頭の悪い双子であろう。文字の読み書きも、簡単な足し算や引き算も出来ない。その頭の悪さは、雇い主である悪党たちの悩みの種でもあった。
 そのため、この学校にやって来るようになったのだ。文字の読み書きや、簡単な計算などを教わるためである。
 今のジュリアンは、この兄弟の専属教師であった。もともと、この少年は生徒であるはずだった。しかし、ジュリアンは勉強の飲み込みが早い。しかも、ララーシュタインの家には多くの書物がある。あっと言う間に、ここで教わる範囲の学力を超えてしまったのだ。
 そのため、ここで教わることなど何もないはずだった。にもかかわらず、ジュリアンは足しげく通って来る。そのため、ザビーネは彼を教師の補佐役に任命してしまったのである。
 今も、ジュリアンはバラカス兄弟の弟の作文を添削していた。

「あっ、弟さん。ここ違いますよ。俺わ困った、でなく、俺は困ったと書いてください」

「おう、そうか。わかった」

 言われた弟は、素直に間違いを直している。ジュリアンはというと、ニコニコしながら大男の勉強ぶりを見ていた。



 その頃、ララーシュタインはロバーツと共に散歩をしていた。
 例によって、彼の行く先はしんと静まり返っている……はずだったが、今日に限り前方に人だかりが出来ている。見れば、二十人ほどの老若男女が上を見上げているのだ。

「ったく、うっとおしい連中だな。何事が起きたのだ?」

 ひとり呟くと、ララーシュタインははずかずか近づいて行った。

「おいコラ、何があった?」

 人だかりの後方にいる若い女に尋ねてみた。すると、女はララーシュタインのことを見ようともせず上を指差す。

「あの上を見て! 飛び降りようとしてるの!」

「飛び降りるだと?」

 言われて見てみれば、物見櫓の上に若い男が立っている。しかも、柵を乗り越えているのだ。真っ青な顔で、今にも飛び降りそうな雰囲気である。どうやら、飛び降り自殺するつもりらしい。
 
「何をやっているのだ、あのバカは……」

 ララーシュタインは、面倒くさそうに辺りを見回した。だが、衛兵は来ない。
 城塞都市バーレンには、治安を守るために衛兵があちこちに配置されている。彼らは、街の平和のため見回りを欠かさない。また、詰め所に行けば話も聞いてくれる。時には、悩み相談などにも応じてくれる。
 だが、ゾッド地区は話が別である。この貧民窟には、やる気のない者ばかりが配属されていた。実際、彼らにしてみれば、ゾッド地区での勤務は他の地区に配置換えになるまでの足がかりに過ぎない。
 したがって、よほどの事件でもない限り、呼ばれたところで出動などしないのだ。ましてや、飛び降り自殺など見て見ぬふりである。

「クソが、ふざけやがって……」

 ララーシュタインは低く唸り、腕を上にあげた。人差し指を、塔の上にいる男へと向ける。
 次の瞬間、指先が光った──

 ララーシュタインの人差し指、その先端から光の弾丸が放たれる。
 弾丸は、男目がけて真っ直ぐ飛んでいく。次の瞬間、男の足元に命中した。途端に、足元のレンガが黒く焦げる。しかも、当たった場所は僅かに削れているのだ。弾丸が当たっていれば、確実に怪我を負っていただろう。
 それを見た男は怯え、その場で飛び上がる。すると、野次馬たちから悲鳴があがった。
 だが、ララーシュタインは止まらない。続けて、指先から光の弾丸が放たれる。
 男の足元ギリギリの位置に炸裂し、何発も炸裂し、足元のレンガを焦がし削っていく。その度に、野次馬たちがどよめいた。
 そんな目に遭わされて、男に飛び降りる気はなくなったらしい。悲鳴を上げながら、再び柵を乗り越える。物見櫓の内側へと入っていったのだ。

「まったく、はた迷惑なことをしおってからに……殺す方が、よっぽど簡単だ」

 ララーシュタインはボソッと呟くと、犬のリードを引き去って行った。犬のロバーツはというと、フンと鼻を鳴らして付いて行く。一応、正式な主人はララーシュタインのはずなのだが……実のところ、この犬は天才魔術師のことを若干バカにしているようであった。



 やがて夕方になり、ジュリアンが学校から帰ってくる。彼は、さっそく夕飯の支度を始めた。

「ご主人さま、今日は鶏肉とジャガイモの唐揚げですよ」

「うむ」

 食卓に着いたララーシュタインは、唐揚げをもりもり食べている。エプロン姿のジュリアンは傍らに控えており、足元ではロバーツがおこぼれに期待して座っている。
 こうして今日も、ふたりと一匹の平和な一日が過ぎていったのであった。





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