アホの子と変な召使いと、その怖い親父たち

板倉恭司

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ロミナとジュリアンの心配

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 その日も、ロミナは元気に学校へとやって来た。しかし、ジュリアンの顔を見るなり血相を変える。

「ど、どうしたのだ!?」

「えっ、何が?」

 呑気な表情で尋ねるジュリアンに、ロミナはなおも尋ねる。

「いっぱいケガしてるのだ! 大丈夫なのか!?」 
 
 そこでジュリアンは、ようやく自身の顔がどういう状態なのか思い出した。苦笑しつつ答える。

「うん、大丈夫だよ」

「どうして、こんなことになったのだ? 誰かにやられたのか? だったら、ロミナがそいつを怒ってやるのだ!」

 ロミナは、怒りもあらわに怒鳴った。と、その怒りはバラカス兄弟にも伝染したらしい。ふたりとも、拳を握りしめてロミナに近づく。

「俺もいく。そいつを殴る」

「そいつを殴る」

 そんな物騒なことを言い出したのだ。このままでは、大変なことになりかねない。ジュリアンは、顔を引きつらせながら答える。

「だ、大丈夫だから。これは、事故だったんだよ」

「ジコ? ジコとは何なのだ?」

「じ、事故というのはね……運が悪くて起きる出来事だよ。転んで膝を擦りむいたり、階段から落ちて頭を打ったりするようなことさ」

「じゃあ、ジュリアンは転んでこうなったのか?」

「そ、そうなんだよ。転んだり、歩いてて木にぶつかったり、うっかり火に手を突っ込んで火傷したり……僕は、オッチョコチョイなんだよ」

「そうなのか。では、気をつけなくてはならないのだ」

 ロミナが言うと、兄弟もウンウンと頷く。

「気をつけろ」

「気をつけろ」

 ほぼ同時の言葉に、ジュリアンは苦笑した。

「うん、気をつけるよ。じゃあ、授業を始めようか」

 そう言うと、三人の前に羊皮紙を配る。ロミナは、楽しそうに羽ペンを手にした。
 一方、ロミナに付いてきているバロンはというと、ザビーネの語る話に興味をそそられているらしい。真剣な表情で、聞き耳を立てている。

「つまりだ、数万年には今よりも遥かに優れた文明が存在していた可能性がある。今はまだ、可能性の段階でしかないがな」

 ダークエルフのザビーネは、身振り手振りを交えて皆に語っている。その内容に、バロンは知的好奇心をくすぐられてしまったようだ。
 一方、娘のロミナはというと、こちらも真剣な表情で羊皮紙に何やら書いている。羽根ペンを握り、ぎこちない動きで文字を書いていた。
 と、その表情が明るくなる。

「書けたのだ! ジュリアン、見るのだ!」

 言われたジュリアンは、ロミナの席に行く。机の上を見てみると、羊皮紙にロミナと書かれている。

「どうなのだ? ちゃんと書けているのか?」

「うん、ちゃんと書けてるよ。上手上手」

 そう言って、ジュリアンはパチパチ手を叩く。すると、兄弟たちまで手を叩き出した。

「すげえ」

「すげえ」

 三人に褒められ、ロミナはよほど嬉しかったのだろうか。羊皮紙を頭上高く掲げ、旗のようにヒラヒラさせた。
 その時、強い風が吹いた。運悪く、羊皮紙はロミナの手を離れ飛んでいってしまう──

「うわっ! 飛んでいってしまったのだ!」

 ロミナは、慌てて羊皮紙を追いかける。
 羊皮紙は、風に乗り飛んでいった。ロミナは、さらに追いかける。と、風が収まり羊皮紙は地面に落ちた。

「よかったのだ。飛んでいったら、どうしようかと思ったのだ」

 そんなことを言いながら、ロミナはしゃがみ込んで羊皮紙を拾う。
 だが、そんな少女の近くで、とんでもない事件が起きていたのだ。

 なぜ、そうなったのかは不明だが……ゾッド地区にて繋がれていたはずの馬が、いきなり暴れ出したのだ。しかも、運悪く繋いでいたロープがほどけてしまう。
 当然ながら、馬は街の中を駆け回った。他の地区ならば、同じく馬に乗った衛兵たちがすぐに取り押さえていただろう。しかし、ゾッド地区の衛兵には、命を賭して暴れ馬を捕らえよう……などという気概のある者などいない。
 馬は街中を走り続ける。その先には、なんとロミナがいた。馬が突進してくるというのに、しゃがみ込んだままである。あまりのことに、足がすくんでしまい動けないらしい。
 このままでは、確実に踏み潰されてしまう──

 その時、動いたのがバラカス兄弟であった。彼らは、羊皮紙を追いかけるロミナの後を付いて行っていたのである。
 馬が突進してきたのを見るや、兄弟は何のためらいもなく行動を起こす。
 まず動いたのは弟だ。凄まじい勢いで走り、馬の横っ腹に、助走つきのドロップキックを食らわしたのだ。
 百キロを超える巨体の全体重を乗せたドロップキックをくらえば、さしもの馬とてたまらなかった。ドゥ、という地響きのごとき音とともに横倒しになる。
 同時に、兄も動いていた。地面を転がり、ロミナに抱きついた。さらに転がり、道から離れ助け起こす。
 その時、ようやくジュリアンたちも駆けつけてきた。

「ロミナちゃん! 大丈夫!」

「だ、大丈夫なのだ……」

 どうにか答えるロミナ。その時になって、バロンも走ってきた。

「ロミナ! 大丈夫か!」

「お、お父さん……怖かったのだ……うわーん!」

 泣きながら、父に抱きついていくロミナ。今になって、ようやく恐ろしさに気づいたらしい。

「大丈夫だ。大丈夫だからな」

 バロンは優しい声で言いながら、ロミナの頭を撫でる。
 そんなふたりを見ているジュリアンは、複雑な表情を浮かべていた。



 
 夕食が終わった時、ジュリアンは思い詰めた表情で口を開く。

「ご、ご主人さま。お聞きしたいことがあります」

「今度は何だ? 言ってみろ」

 ララーシュタインも、少年の異様な雰囲気を感じ取ってはいた。だが、自分から言い出すまで待っていたのである。
 しかし、ジュリアンの口から出た問いは想定外のものだった。

「どうやったら、ご主人さまみたいに強くなれるんですか?」

「はあ? 何を言っているのだ?」

「ですから、どうやったらご主人さまみたいに筋肉モリモリになれるんですか?」

 極めて真剣な表情である。これは、よくよくの理由があるのだろう。ララーシュタインは、そこを聞いてみることにした。

「学校で何かあったのだな。言ってみろ」

 ララーシュタインに促され、ジュリアンはぽつりぽつりと語り始めた。
 昼間、学校で起きた出来事を──



「そんなことがあったのか。大変だったな」

 聞き終えたララーシュタインは、そっと感想の言葉を述べた。

「あの時は、運良くバラカス兄弟がいました。でも、もしふたりっきりの時に何かあったら……僕は、ロミナちゃんを守れるくらい強くなりたいんです」

 そんなことを言ったジュリアンを、ララーシュタインはじっと見つめる。
 少しの間を置き、静かな口調で尋ねる。

「お前にひとつ聞きたい。前に、お前は普通の人間のようになりたいと言った。今も、その気持ちは変わらんのか?」

「はい! 変わっていません!」

「だがな、強くなるということは、普通からは遠ざかるということだぞ」

「えっ……」

「バラカス兄弟は、お前よりも遥かにバカだ。果てしないバカだ。しかしな、奴は強い。はっきり言えば、素手の闘いであのふたりに勝てる人間など、大陸中を探しても、そうそういないだろう」

 そう、バラカス兄弟の強さはよく知っている。あのふたりほ、成長しきったヒグマですら倒せるほど強い。
 しかし、あの兄弟には足りないものがある。バラカス兄弟は、神から与えられた能力値を全て身体能力へと極振りしたような人間なのだ。普通とは、程遠い存在である。

「だがな、あのふたりは普通ではない。その事実は、お前もよく知っているだろう」

 ララーシュタインの言葉に、ジュリアンは頷いた。

「は、はい」

「お前は、最強の生物兵器として私が創造した。お前に秘められた力は、あの兄弟など比べものにならないほどだ。もちろん、この俺よりも強い。本気になった時のお前は、俺の全魔力を用いても勝つことは出来ない。ロミナを、あらゆる危険から守ることが出来るはずだ」

 ララーシュタインの言葉に嘘はなかった。ジュリアンは本当に強い。事実、この前までは痛みを感じることもなかった。怪我もしなかった。それだけでも、普通の人間より遥かに強いのだ。

「だがな、その力を全て発揮できるようになった時、お前は普通でなくなる。普通の人間としての生活など、永遠に無縁のものとなるだろうな」

「なぜですか?」

「俺は、お前に頼まれ怪我機能を付けた。しかし、痛みを感じることも怪我をすることもなければ、お前がロミナを助けることも出来たかもしれない。普通に生きることを選んだ結果だ」

 ララーシュタインの言葉に、ジュリアンは顔を歪める。
 そう、この少年は痛みという感覚を知ってしまった。そうなれば、痛みに対する恐怖も生まれる。結果、行動する時にも躊躇してしまう。普通の人間ならば、当然である。
 だが、生物兵器としては失格である。

「力を得ようと思えば、捨てなければならないものもある。普通に生きることなど出来ないのだ、大いなる力には、大いなる責任が伴う」

 ララーシュタインは、淡々とした口調で語っていった。ジュリアンは、口を挟まず神妙な顔つきで聞いている。
 仕方ない。ララーシュタインの表情が、少しばかり緩くなった。

「だがな、ほとんどの人間たちは皆、普通に暮らしている。普通の幸せを享受している。お前にも、ロミナとともに普通の幸せを享受できる日が来るかもしれん」

「ほ、本当ですか!?」

「保証はできん。だが、少なくとも普通に生きていれば、普通の幸せは得られる可能性がある。まずは、今を精いっぱい生きてみろ」

 確かに、保証など出来ない。それどころか、普通の幸せすら得られるかどうかもわからない。にもかかわらず、こんなことを無知な人造人間の少年に語っている。
 ララーシュタインは、自身が嘘つきであるという事実を改めて痛感させられた。そう、自分は嘘つきだ。悪の天才魔術師などというふざけた異名を名乗っているのも、その事実から目を逸らすためだった。
 しかし、その嘘にジュリアンは力付けられたらしい。満面の笑顔で頷いた。

「わかりました! 僕、頑張ります!」


 

 
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