アホの子と変な召使いと、その怖い親父たち

板倉恭司

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ミネルバの来訪

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 その日、ゾッド地区は騒然となっていた──



 昼過ぎ、商店が立ち並ぶ大通りに現れたのは、衛兵たちに囲まれた一台の馬車であった。珍しいことに、ゾッド地区担当の衛兵たちが気合を入れて仕事をしているのだ。
 客車(人が乗っている部位)は白く塗りたてられ、ところどころに純金の金具が使われているのだ。特に目立つのは、客車の左右に付けられた金具である。ドラゴンを模したデザインであり、とても見語なものだ。
 その上、大きな宝石があちこちに付けられている。この宝石ひとつの値段だけでも、ゾッド地区を担当する衛兵が、しばらくタダ働きしないといけないくらいの額であろう。
 中に乗っているのは、真っ赤なドレスを着た若い女である。肌は白く、金色の髪には艶がある。豊満な胸元があらわになっているデザインのドレスを着ているが、それが全く下品になっていない。
 この女性とすれ違えば、男女を問わず大半の者が反射的に振り返ってしまうであろう。だが、その容貌は美しいだけではない。高い知性と意思の強さをも、見る者に感じさせる。
 その隣には、紺色の服を着た男が座っている。こちらは落ち着いた物腰であり、五十代から六十代だろうか。女の父親といってもおかしくない。
 さらに、向かい側には侍女らしき女がふたり座っていた。

 やがて、馬車は停止した。
 扉が開き、中年男が出ていく。身長は高くすらりとした体型で、紺色の上下が見事なほど様になっていた。髪は白いが、背筋はピンと伸びており物腰にも上品さが窺える。ゾッド地区では、まず見ることのないタイプの人間だ。
 中年男は、まっすぐ歩いていった。その後を、衛兵たちが慌てて追いかけていく。 
 やがて、男は立ち止まった。彼の前には、口を開けポカンとしている女が立っている。肉屋のアンジェラだ。騒ぎを聞きつけ、何事かと前掛け姿のまま外に出てきてしまったのであった。
 そんなアンジェラに、中年男は恭しい態度で尋ねる。

「すまないが、ひとつ聞きたいことがある。この辺りに、ララーシュタインという男が住んでいると聞いた。どこにいるのか、教えていただけないだろうか」

 聞いたアンジェラは、顔色を変えた。

「ララーシュタイン!? あのバカ、ついに貴族さまにまで何かやらかしたのですか!?」

「そ、そんなにひどい男なのか?」

「はい、とてもひどい男です。服装もメチャクチャなら顔もメチャクチャ。でかい体で街をのし歩き、肩がぶつかろうものなら殴る蹴る。本当にひどい奴なんです。こないだなんか、物見櫓に怪しげな魔法をぶちかまして黒焦げにしてしまったんですよ。しかも、可愛らしい召使いの男の子のことも毎日イビリ倒してるみたいで──」

 一方的に喋り続けるアンジェラだったが、中年男は片手をあげた。ちょっと待て、というジェスチャーだ。
 途端に、アンジェラはぴたっと口を閉じた。喋りすぎていたことに、ようやく気づいたらしい。
 そこで、中年男はやっと口を開く。

「すまんが、ちょっとこちらにも喋らせてくれ。まずは、ひとつ質問がある。そんなろくでもない悪人が、何事もなくここでのうのうと生活していられるのはなぜだ?」

「しょうがないんですよ。ここらの衛兵と来たら、とんと根性なしでしてね。ララーシュタインのやることなすことには、見て見ぬふりなんですよ」

 すると、そばに立っていた衛兵が慌てて口を挟む。

「そ、そんなことはありません! 我々とて、街の平和と秩序を守るために、常日頃より尽力しております! ララーシュタインとて、何かしでかせば捕らえるつもりです!」

 その時、アンジェラが衛兵を睨みつけた。

「へん、何をいってんだか。こないだだって、ララーシュタインが来るのを見て、真っ先に隠れてたじゃないか。それでも衛兵かい!? タマ付いてんのか!?」

 さんざん悪態をつくアンジェラだったが、中年男が慌てて止めに入る。

「わかったわかった。となると、ララーシュタインはこの街でも一番の顔役なのだな?」

「顔役? そんな大層なもんじゃありませんよ。単に嫌われてるだけです。ただ、誰も逆らえないのは確かですね。あいつに立ち向かっていくようなバカは、この辺りの住人にはいませんよ」

「わかった。少ないが、取っておけ」

 言った直後、中年男は上着のポケットから何かを取り出した。皮の小袋だ。その小袋を、アンジェラに手渡した。

「は、はい」

 アンジェラは怪訝な顔つきで受け取ったが、持ってみればズシリと重い。何かと思い中を見てみれば、金貨がつまっていた。肉屋の一月の売上を確実に超えている額だ──

「あ、ありがとうございます!」

 慌ててペコペコ頭を下げるアンジェラに一礼し、中年男は馬車へと戻っていった。客車の扉を閉めると、女に向かい口を開く。

「お嬢さま、さすがですな。あの女、ララーシュタインなる男について詳しく知っておりましたよ」

「当然です。一目見てわかりましたわ」

 女は、すました顔で答える。
 そう、この女は窓から一目見ただけで、アンジェラが街の事情通であることを見抜いたのだ。
 そんな女に、中年男は落ち着いた口調で語る。

「まずは、ララーシュタインの家へ参りましょう。かの者は、ゾッド地区の顔役のようでして、誰も逆らえぬほどの力を持っているとか。その男に協力を要請しましょう」

「わかりました。では、そのララーシュタインとやらの家まで行ってください」

 女に言われた御者は、衛兵に道を尋ねた。衛兵は渋い表情を浮かべつつも、彼の屋敷へと案内する。



 やがて、馬車は停止した。

「ここが、ララーシュタインとやらの住処すみかなのね……」

 馬車を降りた女は、誰にともなく呟いた。その言葉には、想像していたのと違う……という思いも含まれている。
 見れば、何の変哲もない木造の平屋なのである。悪の天才魔術師を自称し、ゾッド地区の顔役でもある男の住居にしては、えらく地味な造りだ。庭はさほど広くもなく、建物も木造の平凡なものである。
 彼女らが屋敷を見ている時、扉が開いた。出てきたのは、素肌に毛皮のベストを着たヒゲモジャの大男である。そう、悪の天才魔術師・ララーシュタインであった。
 周りの衛兵たちは、思わず後退りする。しかし、女は下がらない。そのまま、正面から大男を見すえている。
 ララーシュタインはというと、その場にいる者たちをジロリと見回した。
 少しの間を置き、口を開く。

「ずいぶん外が騒がしいと思ったら、貴族さまのお出ましか。で、あんたらはどこの何さまだ? 何しに来た?」

 その問いに対し、女は恭しい態度で答える。

「はじめまして。わたくし、ガバナス帝国のエドワード・フロンタル公爵の長女、ミネルバ・フロンタルです」

 口調そのものは丁寧である。しかし、態度にはララーシュタインを見下しているような雰囲気が出ていた。まさに、慇懃無礼を絵に描いたような立ちふるまいである。誰もが怯んでしまうであろう風貌のララーシュタインを前にしても、臆する様子がまるでない。
 ララーシュタインの方は、空を向きフウと溜息を吐いた。ついに、来るべきものが来てしまったらしい。
 直後、口を開く。

「フロンタル家か。となると、ひょっとしてロミナの件で来たのか?」

 途端に、ミネルバの表情が変わる。

「あなた、ロミナのことを知っているの!?」

「ああ、知っているよ。一応は顔見知りだ。ちょっと変わったところはあるが、とてもいい子だ──」

 最後まで言い終えることは出来なかった。ミネルバが突進し、ララーシュタインのベストを両手で掴んたのだ。ベストの毛皮をむしり取らんばかりの勢いである。

「ロミナはどこにいるのです!? 今すぐ案内しなさい!」
 
 ベストを両手で掴んだ状態から、凄まじい形相で怒鳴りつけたのだ。
 他の者がこんなことをしたら、確実に病院送りにされていたであろう。だが、今日のララーシュタインは違っていた。落ち着いた口調で言葉を返す。

「おい、あんたも貴族の娘なのだろうが。ならば、人にものを頼む時には、どのような態度で接するか知っているだろう。それとも、あんたは礼儀を教わっていないのか?」

 そこで、両者の間に割って入ったのは中年男であった。お付きの侍女らと共にミネルバを引き離すと、ララーシュタインに頭を下げる。

「すみません。私はギャリソン、ミネルバお嬢さまの執事をしております。お嬢さまの御無礼、私が代わってお詫びします。本当に、申し訳ありません」

 しかし、ララーシュタインは表情ひとつ変えていなかった。平静な顔つきで、ギャリソンに頷いてみせる。
 次いで、ミネルバの方を向いた。

「ひとつ質問がある。ロミナは、あなたたちの何なのだ?」

 その言葉に、ミネルバは怪訝な表情を浮かべる。

「あなたは、全てご存知なのではないのですか?」

「俺の知っていることは……この程度のことだ」

 そう前置きし、ララーシュタインはガバナス帝国での貧民窟の一件から語り出した。



「……その後、俺はロミナとこの街で再会した。ところがだ、あいつは俺のことを覚えていなかった。いや、俺のことだけではない。どうやら、過去の記憶を失っているらしいのだ。普段は、両親と一緒にアルラト山にある家で暮らしているらしい。だが、その両親というのも本物ではなさそうだ」

「そんなことがあったのですか……」

 そう言ったミネルバに、ララーシュタインは真剣な顔つきで尋ねる。

「聞かせてもらいたい。ロミナは、エドワード公爵の娘で間違いないのだな?」

「そうです。ロミナは、紛れもなく我が父の子。そして、私の義理の妹なのです。三年ほど前、母親であるリーブラ教の巫女と、ふたりして帝国を出ていきました。このバーレンに移り住む予定であったようです」

「やはり、隠し子だったのだな。なぜ、今まで放っておいたのだ?」

「放っておいたわけではありません! 私とて、つい最近ロミナの存在を知ったのです!」

 ミネルバはぴしゃりと言ってのけた。ララーシュタインを睨みながら、なおも言葉を続ける。

「とにかく、まずはロミナに会わせてください。腹違いとはいえ、ロミナはわたくしの妹でありフロンタル家の人間です。ならば、フロンタル家の人間に相応しい環境で育てなくてはなりません」

「その前に、ひとつ約束して欲しい。今、ロミナはふたりの人間によって育てられている。そのふたりのことを、本当の両親だと思い込んでいるようなのだ」

「なんですって? どういうことですか?」

「俺は、詳しい事情は知らん。本人たちに聞いてくれ。俺が言いたいのは、ロミナ及びふたりの男女ときっちり話し合い、双方が納得の上でロミナを引き取ってくれ……ということだ。まずは、ロミナの意思を確かめて欲しい」

 悪の天才魔術師を自称する男とは思えぬ申し出であった。ミネルバは面食らいつつも、一応は頷いてみせる。

「わかりました。よく話し合いましょう。ただし、わたくしがロミナの本当の家族であることをお忘れなく」



 彼らは、まだ知らなかった。
 この時ロミナの身に、大変なことが起きようとしていたのである──


 


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