ちっちゃな婚約者に婚約破棄されたので気が触れた振りをして近衛騎士に告白してみた

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第2話:お兄ちゃん騎士と子供王子

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翌朝、俺は早起きした。

五歳の早起きは、世界征服よりむずかしい。眠い。布団は甘い罠。

けれど、今日は詰所の朝点呼を見に行く。理由は簡単。ナハトがいる。

靴をはいて、マントをひきずりそうになるのを小走りで誤魔化し、廊下をするり。

角を曲がると、鉄と革の匂い。静かなざわめき。甲冑の金具が小さく鳴る音が好きだ。

「殿下?」

すぐに見つかってしまった。俺は胸を張って言う。

「おはよう。見学」

「……おはようございます。見学、ですか」

「そう。仕事、学ぶ。王子だから」

「王子のカードは便利ですね」

ナハトは口元だけで笑って、列の端を指し示す。

「ここなら邪魔になりません」

俺はうなずいて、その場にぴょこんと立つ。足がもぞもぞする。緊張。いや、楽しみ。

近衛が順に名を呼ばれ、答える。声が揃っていて気持ちいい。朝の鐘みたい。

ナハトの名が呼ばれる。低い声で「此処に」と答えた。胸が小さく鳴る。俺の鐘。

点呼が終わると、少しだけ空気がゆるむ。俺はすかさず前へ。こそこそではなく堂々と。王子だから。

「ナハト」

「はい」

「なにしてた?」

「点呼です」

「知ってる。かっこよかった」

「ありがとうございます」

褒めると、ほんの少しだけ耳の先が赤くなる。そこが好き。ずるい。

俺はナハトのマントの端をつまむ。触ると落ち着く。布もずるい。硬いのに、安心する。

「今日は訓練です。殿下は授業ですよ」

「授業、あとで行く。朝はナハト」

「先生が泣きます」

「泣かない。俺、ちゃんと行く。ナハトのあと」

「順番を入れ替えただけでは?」

「王子だから」

ナハトは「参りました」と苦笑する。俺は勝ち誇る。ささやかな勝利。

すると、奥からひとりの騎士が近づいてきた。赤毛で、やたら肩幅が広い。名前は確か、ルーク。明るい声で笑う人だ。

「おやおや、朝から殿下。ナハト、また人気を独り占めか?」

「仕事です」

「はいはい、仕事。殿下、手合わせの木剣、持ってみます?」

目がきらきらする。俺も負けずにきらきら返す。

「持つ!」

ナハトが一歩、前に出る。

「殿下には、まず軽いものを」

「わかってるって。俺だって子供に無理はさせないよ」

ルークは大きな木箱から、短くて細い木剣を取り出す。俺の腕にぴったり。持ってみると、思ったより重い。でも嫌いじゃない。

「どうです?」

ルークがしゃがんで目線を合わせる。遠くでナハトの視線がちくっと刺さる。刺さってはいないけど刺さる。嫉妬? いいね、少し嬉しい。いや、よくない。けど、嬉しい。

「おもい。でも持てる」

「いいですね。では構えだけ。足は少し開いて……そう、肩の力を抜いて」

言われた通りにやってみる。肩はすぐ固くなる。力を抜くってむずかしい。大人は簡単に言う。

ナハトがそっと背後に回って、俺の肘を支えた。指先が、的確で、やさしい。

「肘を少し落として。腰はこう」

「こう?」

「ええ。よくできました」

たったそれだけで、重さの行き先が変わる。木剣が腕から腰へ、地面へ。支えられている感じ。俺の中に小さな塔が立ったみたい。

「俺、強そう」

「強くなります」

「いつ?」

「……明日ではありません」

「明後日?」

「もっと先です」

俺は唇を尖らせ、すぐ笑う。先でいい。約束がある。先は悪くない。

ルークがひょいと立ち上がり、俺に自慢げな顔を向ける。

「殿下、ナハトは怖い顔してても、教え方は優しいだろ?」

「わかる。優しい」

「俺だって優しいぞ?」

ルークがわざとらしく腕を広げる。俺は一歩、ナハトの方へじりり。

「俺はナハト」

「ですよねー。はい解散。ナハト、焼きもち焼くなよ?」

「焼いていません」

焼いている。少し。かわいい。俺は内心だけで拍手する。

―――

午前の授業は、文字と数と歴史。王子としての基礎。机に座ると、背筋が勝手に伸びる。先生は厳しいけど、目がやさしい。俺はちゃんとやる子だ。やると決めたらやる。ナハトに言ったし。

とはいえ、窓の外が気になる。訓練場の音。掛け声。金属が擦れる。風。

「殿下。窓の外は逃げませんよ」

「先生、風が勉強したいって」

「風はすでに多くを学んでいます」

負けた。先生は強い。

昼、食堂でスープを飲む。野菜が甘い。パンをちぎる。隣の席には長兄。完璧なお兄様。世界基準。

「昨日は立派だったな」

「うん」

「泣かなかった」

「うん」

「それから、……ナハトに告げたそうだな」

スープが気管に入りかける。長兄はなんでも知っている。王宮、こわい。

「知ってるの?」

「知っているとも。近衛の話は、父上にも上がる」

「怒られた?」

「誰が?」

「俺」

「怒ってはいない。父上は笑っていた」

父上が笑うと、王国に晴れ間が差す。そんな気がする。実際、晴れている。

長兄はパンを小さくちぎって、俺の皿にひょいと置く。くせだ。やさしい。彼女が好きになるのも、わかる。悔しいけど。

「自分の望みを言葉にするのは、王族に必要な力だ。形は幼くても、誠実ならば価値がある。――ただし、相手も人だ。敬意を忘れないこと」

「敬意」

「うむ。好きと同じくらい、大事だ」

ナハトが言っていた言葉が、胸の中で音を重ねる。尊敬。敬意。似ている。たしかに、好きの土台にいる。

「兄上は、俺がナハトを好きなの、変だと思う?」

「変ではない。お前の『好き』を、私が勝手に形作ることはできないからな」

「……ありがとう」

長兄は笑って、俺の頭を軽く押した。撫でない。俺がナハトにだけ撫でられたいって、知ってるみたいに。ずるい。家族はズルの達人。

―――

午後、訓練場の端で見学を許された。授業を真面目に受けたご褒美。交渉は大事。先生は最後に「条件です」と言った。条件。甘い言葉。

風が強くなってきて、砂埃が舞う。騎士たちの掛け声が、空を切り裂く。

ナハトは実戦稽古。相手はルーク。二人とも速い。目が追いつかない。けど、身体はわかる。ここが決まった、いまだ、って瞬間。息を止めて、吐く。俺の中の太鼓が、また鳴る。

「殿下、遠い場所で見ましょう。砂が」

侍女のエリザが声をかける。俺はうなずく。少し下がる。でも見える。ナハトの背中は遠くてもわかる。空よりまっすぐ。

勝負がついた。ナハトが刃を止め、軽く礼をする。汗が光る。俺は手を振る。彼も少しだけ手を上げる。訓練場の礼儀の範囲で。そこも好き。律がある。

「殿下、ナハト殿はほんとうに真面目ですね」

エリザが微笑む。俺は誇らしく胸を張る。自慢の人、みたいな顔をしてしまう。自慢していい。俺の好きな人だから。王子の権利。違うかもしれないけど、気持ちはそう。

休憩時間、ナハトが水を飲んでからこちらへ来た。汗の匂いは少し塩辛くて、でも嫌じゃない。生きてる匂い。

「殿下。授業はどうでしたか」

「勝った」

「何にです?」

「窓に」

「それは大勝利です」

俺はマントの端で手を拭くふりをして、こっそり彼の手甲に触れる。冷たい。昼の太陽でも、金属は冷たい。でも、その下はあたたかい。知ってる。

ルークが横からひょいっと顔を出す。

「殿下、さっきの構え、忘れてませんか?」

「わすれてない」

「じゃあ、見せて?」

俺はさっと構える。足を少し広げて、肩の力を抜いて、肘を落として、腰を――

「こう」

ナハトの目が細まる。うれしい目だ。

「完璧とは言いませんが、よく覚えていました」

「完璧って言ってもいい」

「言いません」

「けち」

「現実的です」

俺はふくれ、すぐに笑う。笑うと、ナハトも少し笑う。連鎖。好きな連鎖。

―――

夕刻、王宮の廊下は光が黄金色になる。柱が長い影を伸ばして、床は格子模様の光で編まれる。俺はその上を、すごろくみたいに飛ぶ。踏んではいけない線は、任意で決める。子供の特権。

「殿下、転びますよ」

「転ばない」

「なら、手を」

「うん」

手をつなぐ。昼と違って、少し湿り気がある。夜が来る前の空気。今日の終わりの温度。

俺はふと、問う。

「ナハト。俺がもっと大きくなったら、毎朝、一緒に点呼見ていい?」

「殿下がご公務に差し支えないなら」

「公務、ちゃんとやる」

「それは何よりです」

「それから、剣を教えて」

「先生がおられるでしょう」

「ナハトがいい」

「……考えます」

考える。約束までの手前の言葉。すこし遠い。でも、嫌いじゃない。待つ間に、俺は強くなるんだと思える言葉。

「ナハト」

「はい」

「俺はナハトを尊敬する」

「ありがとうございます」

「だから、俺もがんばる。ナハトの隣に、立つため」

ナハトの歩調が、ほんの少しだけゆるんだ。言葉が追いつくのを待つように。

「殿下は、もう、私の前を歩いていますよ」

「前?」

「未来の話です」

未来。好きな響き。さわると少し冷たい。けど、長く持っているとあたたかくなる。氷砂糖みたい。時間が溶かして甘くする。

「じゃあ、未来でまた告白する」

「受け止めます」

「そんとき、撫でてくれる?」

「……そのときは、撫でる以外の言葉を探します」

「ことば?」

「ええ。撫でるだけでは足りない言葉です」

意味は難しい。だけど、胸の中に柔らかい火が灯る。小さな灯り。息を吹くと揺れる。守りたい。

廊下の角で、俺は足を止める。彼の手を離さず、顔を上げる。

「ナハト。お兄ちゃん」

「お兄ちゃん?」

「みんな、ナハトに甘える。俺も甘える。でも、俺の甘えは特別。だから、俺にとって、お兄ちゃん騎士」

ナハトは目を瞬く。やがて、驚きを溶かして、静かに笑う。

「それは、光栄な呼び名ですね」

「うん。特別」

「では、特別なお兄ちゃんとして、殿下に宿題を」

「え」

「先生から出ているでしょう? 今日の復習」

「出てる」

「一緒にやりましょう」

「お兄ちゃん、そういうとこずるい」

「お兄ちゃんですから」

負けた。甘い罠。布団より強い。

俺は笑いながら、手を引く。彼の歩幅に合わせて、小さく、小さく跳ねる。

今日の光が、背中にやさしい。

婚約がなくなった日の、次の日。

空欄に、小さな文字が書き込まれていく。

『お兄ちゃん騎士と、子供王子』

やがて、その行は長くなって、行を超えて、章になる。きっと。

だから、俺は宿題をやる。王子のカードをしまって、鉛筆を持つ。

未来のための、今日をちゃんと生きる。

お兄ちゃん騎士に、胸を張って見せるために。
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