サラリーマン二人、酔いどれ同伴

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第11話 両家ご挨拶、塩の手と靴紐の結び目

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――ちゅん、ちゅん。

鳥は冬でも勤務態度がいい。
窓の向こうは白くて、息はまだ見えないけど、空気はお正月一歩手前の匂いがする。
枕の片側は、いつもどおり温い。

「おはようございます、先輩。白湯、低温」

右に迅蛇。
声は安定。寝癖は最小。手には湯のみ二つと、小さいカステラ。お正月前気分の糖。

「……おはよう。今日、うち(実家)行って、その明日、迅蛇の実家、だよな」

「はい。“両家ご挨拶スプリント”二日構成です」

「スプリントって言うな。胃が固くなる」

「あたためます」

白湯が体の中で“準備OK”の札を上げる。
今日は、たぶん大事だ。
けど、怖いより先に“会いたい”がある。
僕は毛布を肩まで上げたまま、会議を宣言する。

「“朝ごはん会議・両家版”、始めます」

「議題は四点。①手土産、②言葉の順番、③合図の使い方、④帰りの白湯導線」

「はい先生。①手土産は、うちの母が好きな“焼き菓子と昆布”で。妹用に“海苔パンチャー替え刃(星・猫)”。父はコーヒー派だから本採用ブレンド少し」

「了解。②言葉の順番は“普通にご飯→普通に雑談→“ふたりで正式にお付き合いしています”→“同棲は段階的です”の順」

「③合図は“とんとん”“む”“に”を控えめに。公共スペースモード。長押しは無し」

「④帰りは駅前で白湯。緊張の解凍に必要です」

「万全」

僕は起き上がって、湯のみを持つ。
湯気が鼻をくすぐって、思考の角が丸くなる。
いつもどおりを増やそう。いつもどおりは、だいたい強い。

―――

正午前、実家。
玄関を開けると、だしの匂い。
母の手は、やっぱり塩の手だった。
父は新聞で“おせちの段取り”の特集を読んでいる。
妹は猫耳を控えめに装備(低温モード)で、海苔パンチャーを腰にさしている。武器か。

「ただいま」

「おかえり。――迅蛇くん、いらっしゃい。寒かったでしょ」

「お世話になります」

迅蛇はきれいに頭を下げる。
母は目尻で笑って、台所に消えた。
父は新聞から目だけ上げて、「おう」と短く言って、それで全部OKの感じ。
妹は、両手を広げてひとこと。

「兄者、補給」

テーブルに小さな三角のおむすびが整列した。
梅、昆布、鮭。
海苔はパリとしんなりの二種類。
ああ、この家だ。変わってない。好きだ。

「迅蛇くん、どうぞ。昆布の等級、上げたやつ」

妹がニヤリとする。
迅蛇は真顔のまま、目だけで「ありがとうございます」。
三角を手に取る指先が、優しい。
母の塩の配合を、ちゃんと尊重する持ち方だ。

「ご飯のあとで、話すから。まずは食べなさい」

母の声で、緊張の風船が少ししぼむ。
僕らは「いただきます」と頭を下げ、三角を噛む。
しんなりはやさしく、パリは心地よく、昆布は等級を上げて正解。
父は何も言わずに、僕の茶碗におでんの大根をひとつ落としてくれた。
“おでんは大根から”。うちの宗派は健在。

「――で、さ」

食後、こたつ。
みかん。湯飲み。猫耳(低温)がテーブルの端で休んでいる。
母が「そろそろ?」とだけ言う。
迅蛇と目を合わせて、頷く。順番、練習どおり。

「父さん、母さん。それから……妹よ」

「なにその区分」

「いえ、重要なステークホルダーなので」

妹が笑い、父は新聞をたたんで、母は湯飲みを持ち直す。
僕は、言う。

「迅蛇と、正式に付き合ってます。β版は二週間で終わって、本採用。――同棲はB案で段階を踏んでます」

母の目が、少しだけ潤んだ気がした。
父は「ふむ」とだけ言って、僕らを交互に見た。
妹は猫耳を小さく“ぴこ”と動かして(低温なのに動くのか)、指で丸を作った。OKサイン。

「うちはね」

母が湯飲みに視線を落としたまま、言う。

「“止まれるかどうか”が大事だと思ってるの。止まらない日があっても、合図で止まれること。合図、持ってる?」

迅蛇が少しだけ笑って、僕の方を見る。
僕はうなずいて、母の前で、そっと彼の手の甲に“とん、とん”。

「持ってる」

母は「よし」とだけ言って、昆布の皿を中央に寄せた。
それで終わり、という感じがして、胸があったかくなる。
父は湯飲みを置いて、ぼそっと言った。

「靴紐を結べる男は信頼できる」

「急に核心」

「こいつの靴紐、昔からすぐ解けるんだ」

「父者、思い出を雑に暴露しないで」

父は口の端で笑った。
迅蛇は真面目に「責任を持って結びます」と言った。
母は小さく拍手。妹は海苔パンチャーを取り出して、海苔に“祝”と“星”を打ち抜いた。
黒い星がテーブルに降る。ささやかな花火。

「――で、妹枠からの質問です」

「なにその枠」

「兄者の“朝ごはん会議”、議事録の公開は?」

「やめろ。家庭内Slackを覗くな」

「見ないよ。見ないけどさ、ふたりの“普通”が続くのは、妹として超うれしい」

彼女は指で小さくOKを作って、それから“に”を僕の手の甲に書いた。
半分こ。
みかんが半分に割られて、僕の手に乗る。
なんだこれ。うれしい以外の言葉がない。

「じゃ、駅まで送るわ」

母が立ち上がる。
父も立つ。
妹は猫耳(低温)を外して、玄関へ先回り。
靴を出して、手際よく配置。
迅蛇がかがんで、僕の靴紐を結ぶ。
きゅっと、でも優しく。
母の視線がそこに落ちて、僕にだけ聞こえるように「いいじゃない」と言った。

外は冬の日差し。
空が近い。
駅までの道は短くて、でもこの家の匂いがずっとついてくる。
改札前。
父は「体に気をつけろ」と定型文。
母は「年明け、またおいで」と未来形。
妹は「兄者、補給」と手の中に小さな三角を忍ばせてきた。
しんなり一個。母の塩。

「ありがとうございます。――行ってきます」

頭を下げて、僕らは改札へ。
振り返ると、家族は三人で並んで、小さく手を振っていた。
普通。
普通が、すごく強い。

―――

――ちゅん、ちゅん。

翌朝、再び勤務態度の良い鳥。
白湯は低温。
僕らは布団の上で、小さく拍手した。昨日、第一関門突破。

「レビューします」

「はい。総評:母の塩は普遍。父の靴紐理論は新規発見。妹の海苔パンチャーは武器。改善点:僕の“緊張笑い”を削減」

「同意。――本日は迅蛇の実家へ」

「議題は三点。①呼称(ご両親の前では“先輩”は控える)、②兄たちへの対処(根性・熱拡散)、③父上の沈黙への対応(白湯を増やす)」

「③の言い方」

でも助かる。
ストールを巻いて、手土産を抱える。
箱は羊羹、そしてコーヒー豆(本採用ブレンド)。
昆布は昨日で学習済み。今日は“羊羹等級”で勝負。

インターフォン。
扉の向こうから、塩の匂いに似た、あたたかい湯気。
開いた扉。
母上(塩の手、ver.迅蛇家)。
父上(静かにお茶を点てるタイプ)。
長兄(根性)、次兄(熱拡散)。
配役は満員御礼だ。

「お邪魔します。佐万里と申します。――いつも迅蛇が、たいへんお世話になっております」

言いながら、“いつも迅蛇が僕の靴紐を結んでおります”が喉の奥で渋滞した。
危ない。今は出すな。

「よう、佐万里くん!」

長兄がガッと握手を求めてきた。
握力が体育会。
僕の手が圧に驚いた瞬間、次兄が横から茶碗を持ってぼそっと言う。

「熱拡散を考えろ」

「握手で?」

「人の緊張は熱い」

「なるほど?」

母上が笑って、テーブルに羊羹を置く。
父上は湯を注ぎ、茶をわずかに冷ます。
湯気がまろやか。
この家の“普通”、すでに好きだ。

「今日は来てくれてありがとう」

母上の声は、迅蛇に似てまっすぐだ。
座布団に座ると、長兄がどすん、と向かいに座り、次兄は湯気の角度を調整している。
迅蛇はきちんと背筋を伸ばし、僕と目を合わせ、うなずく。

「ご挨拶を」

迅蛇が言う。
順番は同じ。
普通にお茶。普通に羊羹。普通に雑談。
それから、僕らは言う。

「正式に、お付き合いしています。――段階的同棲B案を運用中です」

母上は静かに笑った。
父上は茶をすすって、湯気の向こうで目を細めた。
長兄は「根性だ!」と言い、次兄は「熱拡散を考えろ」と続ける。
僕はどちらにも「はい」と返す。
迅蛇は笑わずに笑った目で、母上を見た。

「――止まれていますか?」

母上の言葉は、僕の家の母と似ていた。
でも、音色は少し違う。
塩の溶け方が、それぞれの家にある。

「止まれています」

迅蛇が言う。
僕はその手の甲に、そっと“とん、とん”。
長兄が「合図!」と盛り上がり、次兄は「そのタイミングは熱が下がる」とコメント。
父上は茶を置き、「良いね」と一言。

「うちの家はね」

母上が湯呑みに視線を落としたまま言う。
小さくて、でも部屋全体に届く声で。

「“止まらない日があってもいい”けれど、“止めたかったらいつでも止められる”こと。――それが一番だと思ってます」

「同意です」

迅蛇の声が、少しだけ震えた。
僕はそれを知っている。
昨夜、長押しの三秒を出した時と同じ震え。
母上はそれを見て、うん、と小さく頷いた。

「それから、靴紐ね」

父上が唐突に言う。
ここも靴紐か。世界は靴紐でできているのか。

「結び目は簡単に解ける。だから、毎朝結び直すのだ。それでいい」

「名言メーカー、親族にもいた」

「仕様です」

迅蛇が即答して、長兄が「根性だ!」、次兄が「熱拡散」、母上が笑って、父上がうなずいた。
家族の合図は、たぶんそれぞれ固有。
それでも今、僕らの“とんとん”は、この家にもちゃんと翻訳された気がした。

「それと」

母上が、小さな包みを差し出した。
薄い布に塩の刺繍。
中には、小さな塩入れと、白いハンカチ。

「おむすびの塩は目分量でいいけど、不安になったら、これで“ちょっとだけ”。――それと、泣いたらこれで拭く」

「泣かないですよ」

「泣いていい時は泣くの」

ストレート。
塩の手は、強い。
僕は礼を言って、包みを胸に当てた。
体の内側で、白湯がじんわり広がったみたいになった。

「兄者、試験だ!」

長兄が急に立ち上がる。
玄関から米袋(5kg)を持って戻ってきた。
いや待て。今?

「これを持って、玄関から台所まで。根性だ!」

「それ、運動会?」

次兄が横で「熱拡散」と言いながら扇風機を用意する。
扇風機の季節じゃない。
でも僕は笑ってしまって、立ち上がる。
米袋を抱える。
重い。けど、持てる。
キッチンまで運ぶ間、母上が背中で“よしよし”をしてくれた気がした。
父上は扇風機を止めた。次兄は真顔で「拡散良好」。長兄は「根性だ!」の回数を増やした。
なんだこれ。最高だ。

茶の時間が終わり、駅までの道。
母上と父上、兄たちが玄関に並ぶ。
靴を履く。
迅蛇が、いつもどおり、きゅっと結ぶ。
僕はその手の甲に“とん、とん”。
それから、人差し指で小さく“に”。
半分こは、家族も含めて。

「またいつでもおいでなさい」

母上。
「根性だ!」
長兄。
「熱拡散」
次兄。
父上は、言葉少なく、でも目で“OK”。
僕は頭を下げて、胸の中で塩の包みを握った。

―――

駅の手前、風が冷たい。
でも手の中の白湯(魔法瓶)はぬくい。
僕らは歩幅を落として、ふう、と息を合わせる。

「両家、ご挨拶スプリント、完了です」

「総評、言う?」

「言いましょう」

迅蛇がメモを開く。
僕は笑いながら、指で空中に“OK”を書いた。

「総評:成功。――うち(佐万里家)は“合図があるか”の確認と“靴紐理論”。迅蛇家は“止まらない日もOK、でも止めたい時に止められるか”の確認と“結び直す比喩”。」

「改善点は二つ。①僕の“緊張笑い”まだ少しある、②長兄の“根性試験”に備えて次回はストレッチ」

「短距離走じゃないよ?」

「準備運動は万能です」

笑う。
笑えるうちは、だいたい大丈夫。
白湯を一口。
胃の中で、お正月前の静けさが広がる。

「――合図についての最終確認」

迅蛇が真面目な顔に戻る。
家族の前では出し惜しみしたけど、ここはふたりの場所だ。

「止めは“とんとん”。半分こは“む”と“に”。進めは“手を絡める”。長押しは三秒で“本当にいい?”」

「そして“OKサイン”は、駅の境界線」

「はい」

指で小さくOK。
このOKは、新年に持ち越される。
持ち越していいOKだ。
僕らは、ゆっくり駅へ向かう。

改札前。
人の流れはいつもどおり穏やか。
パン屋の香りに、おせちの前段の匂いが混ざる。
僕は振り返って、迅蛇を見る。
真面目な目。笑ってないけど、温度は高い。
その奥に、母たちの塩と、父たちの靴紐が、小さく光っている。

「ありがとな。――一緒に行ってくれて。家族に、ちゃんと『普通』でいてくれて」

「こちらこそ。合図を共有できたのが、今日の勝利です」

「来年も、ほどよく」

「ほどよく」

僕は指先で空気に“とん”。
進んでいい合図。
そして、人差し指で“に”。
半分こは、来年も。“普通”も。白湯も。
最後に、小さくOK。
迅蛇は、目だけで“了解”と返す。
それで十分。
それが、僕らの“正式”。

改札を抜ける。
Suicaが“ピッ”。
振り返ると、迅蛇が片手でOK、もう片方で白湯の魔法瓶を持ち上げた。
塩の包みがポケットの中でやさしく当たる。
結び目は、明日の朝、また結び直す。
合図は、来年も続く。
朝は、ちゅん、ちゅん。

佐万里、二十九歳。
冬コミのあと、お正月の前。
両家の“普通”に頭を下げて、僕らの“普通”を持ち帰る。
鍵は二つ。塩は少し。白湯は低温。
これで一旦、完結。
また会う朝に、合図を。
――お疲れさまでした、僕ら。おはよう、来年。
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