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本編
28.蜂蜜の蓋(前編)
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佐枝さんは僕の支離滅裂で混乱した話を黙って聞いてくれた。
支離滅裂だったのは、頭に浮かんだことから喋ったからだし、全部を話していないからだ。デュマーで昔の友人の秀哉と再会したこと。同じく友人だった昌行はいまでは僕を憎んでいること。僕が好きな人は本当に僕を求めているのか自信がないこと。ヒートがいつもよりつらくてどうしようもないこと。アルファの気配だけで体が勝手に反応すること――
とりとめない話を機関銃のように喋ったせいで息が切れた。隙を狙うかのように佐枝さんがいった。
『なあ、三波。いまは峡は一緒じゃないんだな?』
驚いて僕は沈黙した。
『三波、聞こえてる? デュマーにひとりでいるんだな? 峡は』
「どうして……峡さんが出てくるんですか」
『だって、三波の好きな人って、峡だろ? つきあってるんだろう?』
僕は佐枝さんに話したっけ? 頭がすっかり混乱しているのはヒートのせいだ。そういえば引越の日に、勘づかれてもしかたがないようなことは尋ねている。けれど「つきあっている」とはいわなかったはずだ。断じてそれはない。
「峡さんが話したんですか?」
『まさか』佐枝さんの声は真剣だった。
『峡は俺にそんな話はしない。自分の話なんかちっともしないんだ、昔から』
「じゃあ、どうして」
『そんなの』今度は笑いまじりだった。
『なんとなくわかったよ。俺の引越の時は峡が三波を連れてきたしさ』
僕は思わずぶつぶついった。
「つきあうっていっても……最初は僕が頼んだんです。その――さっき話した昔の友人が――マスコミにリークしたやつが、ストーカーみたいになっていたから、もののはずみで」
『三波。峡はたしかに面倒見がいいけど、もののはずみでデートの相手を作るほどいい加減じゃないぞ』
ぴしゃりといわれて僕はひるむ。
「すみません」
『――あ、いや、そこでへこむなって。三波については峡も変だったからさ。すごくきれいな子だって連呼してたし、いくら俺の知り合いだからって、お返しを口実にプレゼント預けてくるし、あの時は三波も挙動不審だったし』
「どうせ僕はゾンビなみに挙動不審ですよ……」
『ゾンビはいいから、で、峡はそこにいないのか?』
どうして峡さんがここに?
足元がすっと冷えるような気がした。反対に胸の奥は熱くなって、また眼の奥から涙がもりあがる。僕はそんな自分自身にあきれた。
「佐枝さん。僕が峡さんとつきあってたって――ここに峡さんがいるわけないじゃないですか。あの人はベータだ。ベータだから……」
『ベータだから何?』
「僕がヒートになっても何にも影響されないし……峡さんには必要がない。ここはハウスなんですよ?」
ハウスはアルファとオメガが出会う場所だ。ベータはいつも埒外だ。空調の音が急に耳につきはじめた。モバイルの向こうが急に静かになったのだ。
と、前触れもなく佐枝さんはいった。
『三波、迎えに行くから』
「はい?」
『今はひとりでいちゃいけない。待っていろよ』
「え、いや」僕は焦った。
「ちがうんです。僕はちょっと――ちょっと話がしたかっただけで。すみません、迷惑をかけるつもりじゃなくて、だからそんなこと」
『わかるよ』
佐枝さんの声はやさしかった。
『俺も三波に慰められただろう?』
僕はこの人に何かしてあげたことがあったっけ?
またも混乱した僕の耳に入ってきたのはモバイルの向こう側の物音だった。カシャカシャと紙をまるめるような音が鳴り響いたあとで『サエ?』と呼ぶ声がきこえる。よく知っている声なのに妙に聞きなれない気がするのは、その響きがやたらと甘ったるいからだ。ふだんは威勢よく尖った声で命令ばかりしているくせに、今は蜜のように丸く甘い。
『ああ、ちょっと。三波から電話……』
『ん? 問題でも?』
藤野谷さん――ボスの声が繰り返す。僕は突然思い出した。この二人は休暇――実質的に新婚旅行の真っ最中じゃなかったか?
「佐枝さん!」僕はあわててモバイルに叫んだ。
「すみません。ほんとうにいいです。僕は大丈夫です。ごめんなさい、邪魔して。ボスにもそう」
『いいから!』
佐枝さんもモバイルの向こうで怒鳴っていた。
『とにかく三波、迎えは行くから。行くまで動くな』
「でも……」
『一度切る。またかける』
どうしよう。
僕はソファに膝をかかえて座りこんだ。体全体が熱くて、なのにふるえがのぼってきた。下肢の中心でじくじくする欲望で頭が霞む。僕は吐息をつき、両手で自分の胸を抱きしめた。緩和剤の作用はもう切れてしまったのだろうか。
欲望はいくら息を吐いてもおさまらない。怖くて自分で触れることもできない。
触れてもこれが消えなかったら僕はいったいどうしたらいいんだろう? この部屋を出て誰かをさがすのか? この熱を消してくれるものを、誰だっていいから、とにかく今だけ――
『お迎えが来ましたよ』
スピーカーからAIのサムの声が響いた。
僕はびくっとして体を起こした。どのくらい時間がたったのだろう? 僕は居眠りしていたのだろうか?
『おひとりで外へ出られますか? ああいや、そのご様子なら、迎えの方に入っていただいた方がいいでしょう』
AIのはずなのにやはり妙に人間臭い口調だ。ソファにうずくまったまま、霞のかかった頭で僕はそんなことを思う。そのせいか扉が開いたのに気づかなかった。呼ぶ声でやっと気づいた。
「朋晴」
僕は顔をあげた。峡さんがそこに立っていた。
まだ頭はぼうっとしていた。変だなぁと思った。どうして峡さんがここにいるんだろう?
モバイルが鳴った。はじかれたように意識が戻って、僕はあわてて電話を取った。手がふるえて画面をうまくタップできない。やっと成功したとたん、佐枝さんの声が聞こえてくる。
『三波、峡はそっちについたか?』
「佐枝さん」
僕は何をたずねる準備も、答える準備もなかった。
「峡さん――は」
『三波。峡は対処法を知ってる。叔父の専門はオメガの生理現象だ。峡がいなかったら俺はヒートを乗り越えられなかった』
僕はなんと答えればいいのかわからなかった。ふいにふるえっぱなしの指が暖かい手のひらに包まれた。手のひらだけでなく、頭も、肩も。
峡さんはソファにうずくまった僕を抱きしめるようにして、静かにモバイルを取り上げた。
「零、俺だ。朋晴は連れて帰る。大丈夫だ」
支離滅裂だったのは、頭に浮かんだことから喋ったからだし、全部を話していないからだ。デュマーで昔の友人の秀哉と再会したこと。同じく友人だった昌行はいまでは僕を憎んでいること。僕が好きな人は本当に僕を求めているのか自信がないこと。ヒートがいつもよりつらくてどうしようもないこと。アルファの気配だけで体が勝手に反応すること――
とりとめない話を機関銃のように喋ったせいで息が切れた。隙を狙うかのように佐枝さんがいった。
『なあ、三波。いまは峡は一緒じゃないんだな?』
驚いて僕は沈黙した。
『三波、聞こえてる? デュマーにひとりでいるんだな? 峡は』
「どうして……峡さんが出てくるんですか」
『だって、三波の好きな人って、峡だろ? つきあってるんだろう?』
僕は佐枝さんに話したっけ? 頭がすっかり混乱しているのはヒートのせいだ。そういえば引越の日に、勘づかれてもしかたがないようなことは尋ねている。けれど「つきあっている」とはいわなかったはずだ。断じてそれはない。
「峡さんが話したんですか?」
『まさか』佐枝さんの声は真剣だった。
『峡は俺にそんな話はしない。自分の話なんかちっともしないんだ、昔から』
「じゃあ、どうして」
『そんなの』今度は笑いまじりだった。
『なんとなくわかったよ。俺の引越の時は峡が三波を連れてきたしさ』
僕は思わずぶつぶついった。
「つきあうっていっても……最初は僕が頼んだんです。その――さっき話した昔の友人が――マスコミにリークしたやつが、ストーカーみたいになっていたから、もののはずみで」
『三波。峡はたしかに面倒見がいいけど、もののはずみでデートの相手を作るほどいい加減じゃないぞ』
ぴしゃりといわれて僕はひるむ。
「すみません」
『――あ、いや、そこでへこむなって。三波については峡も変だったからさ。すごくきれいな子だって連呼してたし、いくら俺の知り合いだからって、お返しを口実にプレゼント預けてくるし、あの時は三波も挙動不審だったし』
「どうせ僕はゾンビなみに挙動不審ですよ……」
『ゾンビはいいから、で、峡はそこにいないのか?』
どうして峡さんがここに?
足元がすっと冷えるような気がした。反対に胸の奥は熱くなって、また眼の奥から涙がもりあがる。僕はそんな自分自身にあきれた。
「佐枝さん。僕が峡さんとつきあってたって――ここに峡さんがいるわけないじゃないですか。あの人はベータだ。ベータだから……」
『ベータだから何?』
「僕がヒートになっても何にも影響されないし……峡さんには必要がない。ここはハウスなんですよ?」
ハウスはアルファとオメガが出会う場所だ。ベータはいつも埒外だ。空調の音が急に耳につきはじめた。モバイルの向こうが急に静かになったのだ。
と、前触れもなく佐枝さんはいった。
『三波、迎えに行くから』
「はい?」
『今はひとりでいちゃいけない。待っていろよ』
「え、いや」僕は焦った。
「ちがうんです。僕はちょっと――ちょっと話がしたかっただけで。すみません、迷惑をかけるつもりじゃなくて、だからそんなこと」
『わかるよ』
佐枝さんの声はやさしかった。
『俺も三波に慰められただろう?』
僕はこの人に何かしてあげたことがあったっけ?
またも混乱した僕の耳に入ってきたのはモバイルの向こう側の物音だった。カシャカシャと紙をまるめるような音が鳴り響いたあとで『サエ?』と呼ぶ声がきこえる。よく知っている声なのに妙に聞きなれない気がするのは、その響きがやたらと甘ったるいからだ。ふだんは威勢よく尖った声で命令ばかりしているくせに、今は蜜のように丸く甘い。
『ああ、ちょっと。三波から電話……』
『ん? 問題でも?』
藤野谷さん――ボスの声が繰り返す。僕は突然思い出した。この二人は休暇――実質的に新婚旅行の真っ最中じゃなかったか?
「佐枝さん!」僕はあわててモバイルに叫んだ。
「すみません。ほんとうにいいです。僕は大丈夫です。ごめんなさい、邪魔して。ボスにもそう」
『いいから!』
佐枝さんもモバイルの向こうで怒鳴っていた。
『とにかく三波、迎えは行くから。行くまで動くな』
「でも……」
『一度切る。またかける』
どうしよう。
僕はソファに膝をかかえて座りこんだ。体全体が熱くて、なのにふるえがのぼってきた。下肢の中心でじくじくする欲望で頭が霞む。僕は吐息をつき、両手で自分の胸を抱きしめた。緩和剤の作用はもう切れてしまったのだろうか。
欲望はいくら息を吐いてもおさまらない。怖くて自分で触れることもできない。
触れてもこれが消えなかったら僕はいったいどうしたらいいんだろう? この部屋を出て誰かをさがすのか? この熱を消してくれるものを、誰だっていいから、とにかく今だけ――
『お迎えが来ましたよ』
スピーカーからAIのサムの声が響いた。
僕はびくっとして体を起こした。どのくらい時間がたったのだろう? 僕は居眠りしていたのだろうか?
『おひとりで外へ出られますか? ああいや、そのご様子なら、迎えの方に入っていただいた方がいいでしょう』
AIのはずなのにやはり妙に人間臭い口調だ。ソファにうずくまったまま、霞のかかった頭で僕はそんなことを思う。そのせいか扉が開いたのに気づかなかった。呼ぶ声でやっと気づいた。
「朋晴」
僕は顔をあげた。峡さんがそこに立っていた。
まだ頭はぼうっとしていた。変だなぁと思った。どうして峡さんがここにいるんだろう?
モバイルが鳴った。はじかれたように意識が戻って、僕はあわてて電話を取った。手がふるえて画面をうまくタップできない。やっと成功したとたん、佐枝さんの声が聞こえてくる。
『三波、峡はそっちについたか?』
「佐枝さん」
僕は何をたずねる準備も、答える準備もなかった。
「峡さん――は」
『三波。峡は対処法を知ってる。叔父の専門はオメガの生理現象だ。峡がいなかったら俺はヒートを乗り越えられなかった』
僕はなんと答えればいいのかわからなかった。ふいにふるえっぱなしの指が暖かい手のひらに包まれた。手のひらだけでなく、頭も、肩も。
峡さんはソファにうずくまった僕を抱きしめるようにして、静かにモバイルを取り上げた。
「零、俺だ。朋晴は連れて帰る。大丈夫だ」
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