21 / 46
2章 レイン・リスター
19 リスター家
しおりを挟む辺りは薄紫から青紫に変化して、レインの横顔がうっすらとしか見えない。波の音が静かに聞こえる。
「恥ずかしい話だろう、一度女性に布団に潜り込まれただけでこんなに症状が出るようになるなんて」
レインは海を見ながら言った。レインは全てを淡々と話し続けた。それが彼の心を覆っている雪のようで無性に悲しかった。
「そんなことない」
「二十歳の美しい女性からのキスにそんな拒絶反応を出すなんて男としてありえないらしいよ。セレンにがっかりされると思って今まで言えなかった、私は弱い男なんだ」
レインは私を見つめてそう言った。こんなにも傷ついた瞳をしているのにどうしてそんな風に言うのだろう。どれだけの人が無遠慮に彼を傷つけたのだろう。
「相手が女性とか、美しいとか、そんなことは関係ないわ。同意のないものは暴力よ」
私は力を込めて言った。レインはそっと瞳を伏せる。きっと誰かの言葉で簡単に癒えるものではない。わかっているけれど伝えたくなった。
「ありがとう、でももう七年も前のことなのにずっと忘れられないのは弱さだよ。
先日も……セレンとアナベルは全く違うのに。絶対に重ねたくないのに。女性と同じベッドに入っていると思うだけで苦しくなって……」
レインの手が小さく震えている。ここで彼の手を取っていいのか、わからない。
「ごめん、セレン……」
小さな声で謝る彼に私は手を差し出してみる。言葉で癒えないなら、こういう時は体温が必要なんじゃないだろうか。凍えたレインの手を温めたかった。
おずおずとレインは自分の手を重ねてから、そっと握った。
「あったかい」
彼にとって、触れることは暴力だったんだ。
どうか、あなたの心が少しでもほどけますように、溶けますように、そう思って手を重ね続けた。
どんな言葉を言っても今は気休めにもならないから。温度から伝わるものがありますようにと願う。
「アナベルはまだ私を諦めていない」
しばらく海を眺めてから、レインはぽつんと言った。
「彼女の私への気持ちは恋心なんて可愛いものではない。彼女は私の子を産んで、女主人としてリスター家を掌握するつもりなんだ」
「女主人?」
「そう。父を殺したのはアナベルだ」
予想していなかった言葉に私は驚いてレインを見つめる。彼の瞳にはちらりと怒りの炎が見える。
「元々、私は父と折り合いが悪かったと言っただろう?昔の私はずっと気弱で、父には出来損ないだと言われていた。だから私にはリスター家を継がせる予定はなかった」
「今は魔法省で働くほど優秀なのに?見る目がないのね」
私の小さな抗議にレインは小さく笑った。
「父にはずっと頼れる親友がいてね、父の補佐官をしていた人だ。彼はとても優秀な人でリスター領の運営は父と彼と共同で行っていたんだ」
リスター家といえば領地は広く、農業や工業も盛んで小国程の力がある。その領主の右腕となればかなり優秀なのであろう。
「彼には息子がいて、私の一つ下の年でセオドアと言う。父は妹のアメリアが十六になれば結婚させてリスター家を継がせるつもりだったんだ。
しかし……二年前、アメリアが十五歳の時に父は死んだ。そして私が爵位を継ぐことになった」
「お父様の希望は通らなかったのね」
「ああ、父はいつ何があってもいいように遺言も残していたはずなんだ。だけどそれもなくなっていて。まだセオドアとアメリアは結婚もしていないから、自動的に長男である私が継ぐことになったんだよ」
「まさか……」
「うん、アナベルの策略だと思う。彼女はリスター家を自身の物にしたかった。
私が出て行った後一度は私をあきらめて、父との子を産み、その子を後継者におくつもりだったんだろうけどついに子供はできなかった。
父は酒と女に溺れて、補佐官と未来の領主のセオドアにほとんどの領地運営を任せていたから、セオドアが婿になればすぐに爵位を渡すつもりだったんだ」
レインは一気に言葉を紡ぎ、ふうと息をつく。
「とにかく父は死に、セオドアとアメリアの結婚も一旦なしになった」
「レインが新しい当主になったのならなんとかできないの?」
「私はもう五年も離れていたからね、弱虫で情けない領主の言うことは誰も聞いてくれない。
私の領地は広くてそれぞれの村や興した会社に有力者がいる。彼らは彼らで独立して力を持っているから、領主だからといって支配はできないんだよ。それに、アナベルが彼らと密接に繋がっている」
「そんな……」
「彼女は父を殺すまでに入念に準備をしていたらしい。領地内の有力者たちの愛人となっていたんだよ。アナベルの言うことには逆らえない。アナベルは手を出す範囲はわきまえていて直接的な経営には参加しない。セオドアが領地の管理は全てしてくれている。私はお飾りのリスター侯爵なんだよ」
レインは首を振って自虐的に言った。
「そしてアナベルが求めているものは私と、その子供だ。
爵位さえ継がせれば、戻ってくると思ったんだろうけど。セオドアと相談して、私はお飾りのまま、セオドアが実質的な領主の体制は変えなかったんだ。アナベルはそこは冷静な女でね、私を無理に領主においてセオドアを追い出しても、得にはならないと思ったみたいだ」
義母は激情のまま動く人ではないようだ。こちらも慎重に動くしかなくなる。
「そして彼女はしびれを切らした。私に結婚などできないと思って条件も出した。今も仮面夫婦だとは思っているだろう。そのうち次の手を打ってくると思う」
「そうね……」
「私とセオドア、それからアメリアの願いは二人が無事に結ばれることだ。今回私が戻るか、結婚しなければアメリアを他の家に嫁がせると脅された」
「二人は想い合っているの?」
「うん、今はね。今まではお互いむやみに動かず膠着状態だったけど、今後アナベルが何もしないとは思えない。先日はアナベルが関係のない誘拐だったけど、彼女がそういったことをする可能性だって大きい」
レインは真剣な顔で私を心配しているようだから、私は頷いた。
「全部打ち明けてくれてありがとう」
「私こそ。受け止めてくれてありがとう」
彼の背景は予想以上に大きい。でも、傷ついた過去のレインごと抱きしめたい。
抱きしめられないかわりに私はもう一度手に力を込めた。
「たくさん話したらお腹がすいたな、そろそろ夕食だから帰ろうか」
「そうね。どんなメニューかしら」
レインは一旦手を離してから立ち上がるけど、また手を差し出してくれる。
今はこうして手の温度だけで十分だ。私は手を重ねる。
手を繋いで歩くと、同じ歩幅で歩けるんだった。またこうして隣で歩いてくれることが嬉しい。
この冷たい手の主を温めたい。大切にしたい。愛したい。
156
あなたにおすすめの小説
【完結】長い眠りのその後で
maruko
恋愛
伯爵令嬢のアディルは王宮魔術師団の副団長サンディル・メイナードと結婚しました。
でも婚約してから婚姻まで一度も会えず、婚姻式でも、新居に向かう馬車の中でも目も合わせない旦那様。
いくら政略結婚でも幸せになりたいって思ってもいいでしょう?
このまま幸せになれるのかしらと思ってたら⋯⋯アレッ?旦那様が2人!!
どうして旦那様はずっと眠ってるの?
唖然としたけど強制的に旦那様の為に動かないと行けないみたい。
しょうがないアディル頑張りまーす!!
複雑な家庭環境で育って、醒めた目で世間を見ているアディルが幸せになるまでの物語です
全50話(2話分は登場人物と時系列の整理含む)
※他サイトでも投稿しております
ご都合主義、誤字脱字、未熟者ですが優しい目線で読んで頂けますと幸いです
※表紙 AIアプリ作成
【完結】婚約者が好きなのです
maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。
でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。
冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。
彼の幼馴染だ。
そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。
私はどうすればいいのだろうか。
全34話(番外編含む)
※他サイトにも投稿しております
※1話〜4話までは文字数多めです
注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)
【完結】魔女令嬢はただ静かに生きていたいだけ
⚪︎
恋愛
公爵家の令嬢として傲慢に育った十歳の少女、エマ・ルソーネは、ちょっとした事故により前世の記憶を思い出し、今世が乙女ゲームの世界であることに気付く。しかも自分は、魔女の血を引く最低最悪の悪役令嬢だった。
待っているのはオールデスエンド。回避すべく動くも、何故だが攻略対象たちとの接点は増えるばかりで、あれよあれよという間に物語の筋書き通り、魔法研究機関に入所することになってしまう。
ひたすら静かに過ごすことに努めるエマを、研究所に集った癖のある者たちの脅威が襲う。日々の苦悩に、エマの胃痛はとどまる所を知らない……
【完結】あなたのいない世界、うふふ。
やまぐちこはる
恋愛
17歳のヨヌク子爵家令嬢アニエラは栗毛に栗色の瞳の穏やかな令嬢だった。近衛騎士で伯爵家三男、かつ騎士爵を賜るトーソルド・ロイリーと幼少から婚約しており、成人とともに政略的な結婚をした。
しかしトーソルドには恋人がおり、結婚式のあと、初夜を迎える前に出たまま戻ることもなく、一人ロイリー騎士爵家を切り盛りするはめになる。
とはいえ、アニエラにはさほどの不満はない。結婚前だって殆ど会うこともなかったのだから。
===========
感想は一件づつ個別のお返事ができなくなっておりますが、有り難く拝読しております。
4万文字ほどの作品で、最終話まで予約投稿済です。お楽しみいただけましたら幸いでございます。
モラハラ王子の真実を知った時
こことっと
恋愛
私……レーネが事故で両親を亡くしたのは8歳の頃。
父母と仲良しだった国王夫婦は、私を娘として迎えると約束し、そして息子マルクル王太子殿下の妻としてくださいました。
王宮に出入りする多くの方々が愛情を与えて下さいます。
王宮に出入りする多くの幸せを与えて下さいます。
いえ……幸せでした。
王太子マルクル様はこうおっしゃったのです。
「実は、何時までも幼稚で愚かな子供のままの貴方は正室に相応しくないと、側室にするべきではないかと言う話があがっているのです。 理解……できますよね?」
「転生したら推しの悪役宰相と婚約してました!?」〜推しが今日も溺愛してきます〜 (旧題:転生したら報われない悪役夫を溺愛することになった件)
透子(とおるこ)
恋愛
読んでいた小説の中で一番好きだった“悪役宰相グラヴィス”。
有能で冷たく見えるけど、本当は一途で優しい――そんな彼が、報われずに処刑された。
「今度こそ、彼を幸せにしてあげたい」
そう願った瞬間、気づけば私は物語の姫ジェニエットに転生していて――
しかも、彼との“政略結婚”が目前!?
婚約から始まる、再構築系・年の差溺愛ラブ。
“報われない推し”が、今度こそ幸せになるお話。
【完結】殺されたくないので好みじゃないイケメン冷徹騎士と結婚します
大森 樹
恋愛
女子高生の大石杏奈は、上田健斗にストーカーのように付き纏われている。
「私あなたみたいな男性好みじゃないの」
「僕から逃げられると思っているの?」
そのまま階段から健斗に突き落とされて命を落としてしまう。
すると女神が現れて『このままでは何度人生をやり直しても、その世界のケントに殺される』と聞いた私は最強の騎士であり魔法使いでもある男に命を守ってもらうため異世界転生をした。
これで生き残れる…!なんて喜んでいたら最強の騎士は女嫌いの冷徹騎士ジルヴェスターだった!イケメンだが好みじゃないし、意地悪で口が悪い彼とは仲良くなれそうにない!
「アンナ、やはり君は私の妻に一番向いている女だ」
嫌いだと言っているのに、彼は『自分を好きにならない女』を妻にしたいと契約結婚を持ちかけて来た。
私は命を守るため。
彼は偽物の妻を得るため。
お互いの利益のための婚約生活。喧嘩ばかりしていた二人だが…少しずつ距離が近付いていく。そこに健斗ことケントが現れアンナに興味を持ってしまう。
「この命に代えても絶対にアンナを守ると誓おう」
アンナは無事生き残り、幸せになれるのか。
転生した恋を知らない女子高生×女嫌いのイケメン冷徹騎士のラブストーリー!?
ハッピーエンド保証します。
笑い方を忘れた令嬢
Blue
恋愛
お母様が天国へと旅立ってから10年の月日が流れた。大好きなお父様と二人で過ごす日々に突然終止符が打たれる。突然やって来た新しい家族。病で倒れてしまったお父様。私を嫌な目つきで見てくる伯父様。どうしたらいいの?誰か、助けて。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる