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3章
28 束の間の休息
しおりを挟むそれからあっという間に二週間が過ぎた。
私たちは王都で出来る仕事を終わらせるために奔走し休みも返上で働いていたから、二人でゆったりと過ごすこともなくスキンシップ治療も中断された。
「しばらく一緒に過ごせないだろうから、せめて夜は一緒に眠らない?」とレインは言ってくれたけど、ベッドは共にしないことにした。アナベル様にスキンシップ治療はまだ途中だと思ってもらった方がいいからだ。アナベル様に用済みだと判断されれば、この後の滞在期間中に害されるかもしれないと私たちは判断した。
先日話していた清掃の者がアナベル様と繋がっていることは間違いなさそうで、二週間は彼を残すことにした。スキンシップ治療は難航していることを伝えて欲しいからだ。――どちらにせよ忙しくて本当に全く進んでいなかったのだけれど。
リスター領に再び向かう前日は、一緒にゆっくり過ごせる最後の休日を取ろうと思った、のだが。
「結局夕方になってしまったね」
迎えに来てくれたレインは疲れた顔をしていた。
私は魔法具の最終調整を行うために、レインも急遽打ち合わせが入ったとかで、結局前日も慌ただしく過ぎたのだった。
「どうする?どこかで食事をして帰ろうか?」
「そうね、でも……今日は家でゆっくりしない?レインの部屋で過ごしたいわ」
「いいの?せっかくだし出かけてもいいんだよ」
「ううん、あの部屋が落ち着くの」
「それならそうしようか。……私もその方がありがたいな」
レインの目の下のクマは濃くなっているし、心なしか痩せた気がする。仕事が忙しいのに加えて、退勤後は今後の下調べを進めていたみたいだ。
きっとレインは休日だったのだから『恋人』としてデートしてくれようとしていたのだろう。
「明日から決戦なのよ、今日はゆっくり過ごしましょう」
少しだけ不自然になってしまったが明るい声を出してみるとレインは納得したように笑って見せてくれた。
・・
宣言通り、私たちは帰宅後レインの部屋で過ごした。
私は魔法具をもう少しだけ調整したくてレインのデスクで作業をさせてもらいその様子をレインは面白そうに見ていた。あまりにもじっと見られているから少し緊張したけれど、最近はずっと一人デスクに向かうだけだったから、話をしながら進めると純粋に魔法具の楽しさに触れられる。
そのうちカーティスが食事を運んできてくれた。いつもは食堂で食べるけれど、今夜はこの空間で食べたかったのだ。
壁面の本棚には魔法書がズラリと並び、どこからか取り寄せた魔法具がそのあたりに転がっていて、デスクは書類だらけだ。
几帳面そうに見える彼からは想像できない、雑多な部屋。でも、どこか懐かしく落ち着く部屋だ。
夜になり、部屋は優しい灯りだけになる。
この部屋を夜に過ごすのは初めてだ。――ああ、初めてレインのショック症状を見た日。あの日、体質を説明してもらったんだった。
でも、その時とは違う。ゆったりとした時間だ。
一人掛けのソファに座って、二人向かいあって食事を始める。
肉と野菜がくたくたに煮込んであるスープと新鮮なサラダと焼きたてパン。疲れていたから簡単なものにしてもらったけど温かいものも久々で嬉しい。
「なんだか久しぶりね」
「最近は家でろくに食事も取っていなかったからね」
職場でパンを齧る日々を思い出して二人で苦笑する。
「うん、暖かくておいしい」
「最近は冷めたものばかりだったものね」
優しい味のスープは喉に通ったあと、胸に温かさを広めてくれる。
美味しい。でも何より、誰かと食べる食事が美味しい。
不思議だ。ずっと一人で食事をしていたのに。
誰かと食事をする日々が当たり前になっていて、一人の食事が寂しいと思うようになるなんて。
「久しぶりにセレンと食べるね」
「レインは朝も早かったから」
「ようやく落ち着いた気がするよ。――まあ明日からはまた落ち着かない日が始まるんだけどね。でもいいこともあるよ」
「いいこと?」
「うん、セレンとずっと一緒にいられる」
そう言うとレインはいたずらっこの笑顔を見せた。
確かに、そうだ。普段は職場で過ごす時間が一番長い。リスター領の滞在期間は一緒に行動することが多くなる予定だ。
「よかった、セレンも嬉しそうな顔をしてる」
「えっ、顔に出てたかしら?」
「ふうん?やっぱり嬉しいと思ってくれたんだ」
ニコニコと私を見るレインに、しまった!と気恥ずかしくなって私はスープを飲んだ。
・・
「それじゃあそろそろ寝ようかしら」
食事の後は、レインのお土産の専門書を読んで過ごして。穏やかな夜をいつまでも続けていたいけれど、明日は午前からリスター領に移動しなくてはいけない。向こうでは気を張っていないといけないし、体調を崩したら元も子もない。
まだ眠るには早いけどベッドには入った方がいいだろうと立ち上がった私の手をレインが掴んだ。
「どうしたの?」
「今夜は一緒に眠らない?」
「でも、治療がうまくいっていないことを見せるんじゃ……」
「彼は昨日から領地に戻したんだ、きっと私たちのことを報告しているよ。何も治療は進んでいないと」
「本当に進んでいないものね」
「それなんだけど……」
レインも立ち上がり、私の目の前に立った。
「今から、抱きしめてみてもいいかな」
「治療をするの?」
「いや治療というか……ずっと抱きしめてみたかっただけなんだ」
レインは困ったような笑顔を見せた。
「あれだけ密着してダンスが出来たのだから、実質抱きしめるのはクリアしていると思うんだけど」
「でも、ダンスは恋人以外でもするものよ」
「最近治療していなかったけど、やっぱり私はセレンにアレルギーが出る気がしないんだよ。……だって」
私の右手をレインは左手で掬った。そのまま私の顔の高さまで手を持ち上げる。
「――触りたいと思うんだから、私が。セレンのことが好きで、触れたいんだ」
キスはしない。でも、まるでキスするかのようにレインは私の手に自分の顔を近づけた。
「触れるな、触れないをルールにして結婚したのに、私が破っているね」
「いいの」
私もレインと同じ動作をしてみせた。レインは少しだけ驚いたような顔をして私を見る。
「私もレインに触れたいって思っているから」
言葉が終わる前に、軽く繋いだ手をレインは引き寄せた。私はあっという間にレインの胸に顔をぴたりとくっつけていた。彼の右手が私の背中に回る、左手は繋いだまま。
「時間を見ないと」
突然繋がった体温に恥ずかしくて少しだけ身をよじる。
「必要ないよ」
優しくて低い声がすぐ近くから降ってくる。こんなに声が近いのは初めてで耳がくすぐったい。
「絶対に大丈夫だってわかるよ」
私の右手と繋がっている左手を離して背中に回す。両腕が私の身体を包み込んで、少し痛いくらいだ。でもその腕の感触が嬉しい、どれだけ痛くたって良かった。
「セレン、こっち向いて」
もう一度降ってくる甘い声に私はなかなか上を向けないでいると「セレン」と急かすようにもう一度名前を呼ばれる。
ゆっくり上を向くと、嬉しそうなレインの顔が目に飛び込んでくる。あどけない笑顔にこちらまでつられて嬉しくなる。
「嬉しい、セレンが私の腕の中にいるんだ」
確かめるようにレインは何度も「セレン」と呼ぶから私は小さく返事をした。
「時間、本当に見なくて大丈夫なの?」
恥ずかしさから可愛げのないことを聞いてしまうけど「絶対大丈夫だよ」と微笑まれる。
私はやっぱり恥ずかしくて下を向く。でも上を向いたままでないと、レインの腕の中にすっぽりと包まれて胸板に顔をうずめることになるからそれはそれで恥ずかしい。
どうしよう。すごく涙が出そうだ。
素直に顔を胸に当ててみる。トクトクと小さな鼓動が聞こえると、ドキドキしてるはずなのになぜか落ち着いてもくる。あたたかい。どうしてこんなにあたたくて嬉しいんだろう。
「嬉しい」
顔が見えないなら少しだけ本音が言える。
「私も嬉しい、本当に」
レインの声音が優しくてまた涙が出そうになる。涙を我慢すると、気持ちがこぼれずに胸にどんどんたまっていってしまう。これが、愛しいって気持ちだ。
「好きだよ、セレン」
「私も」
そうか。もうどうしようもなく広がってしまった気持ちは言葉にして身体の外に出してもいいんだ。
「セレンを連れて行くのは本当に心配なんだ」
思わず上を見上げるとレインは少しだけ泣きそうな顔をしていた。
「でも、情けないことだけど。セレンがいてくれる方が強い自分でいられる気がする」
「……それが夫婦ってことなのかも」
「そうだね」
レインは微笑むと私の顔に手のひらを当てた。
「抱きしめても体調が悪くなる気がしない。むしろ元気になった気さえするよ。――王都に帰ってきたら、次はキスをしてもいいかな」
「うん」
私もレインの手のひらに自分の手を重ねる。少しずつ、私たちらしい夫婦になっていけばいいんだ。
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