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3章
29 滞在の始まりと種まき
しおりを挟むリスター領に滞在する日々が始まった。
今回の目的は、アナベル様の不正の糸口を掴む。タイムリミットは二週間後のパーティー。
時間は限られているからリスター領に到着すると私たちは館には寄らずに、すぐに各代表者の元に向かうことにした。まずは一つ目の事務所・工業組合長を訪ねた。
「どうしたんですか、レイン様が視察に来るだなんて。それも突然」
「便りも出さずにすみません」
「困りますよ、こちらにも予定はありますし」
怪訝な表情を隠すこともなく彼は言った。通された応接間は見るからに高級で派手な調度品が並べられている。事務所兼自宅らしいこの館は、いくらかの貴族より豪華な館だ。
「いえ、大した用事ではないので。ご挨拶に伺っただけですよ」
「はあ……」
「近々戻ってくるつもりでいまして。長らく領地を離れておりご迷惑をおかけしました」
「……なんですと」
レインの言葉に、ますます表情が曇る。でっぷりと太った彼はハンカチで汗を拭いた。
「紹介します。妻のセレンです」
「先日お見掛けしました」
「先日はご挨拶できず申し訳ありません。セレンと申します」
いまだにカーティスから笑顔禁止令が出ているので、私は小さく礼をした。もっとも彼は私の表情など気にする場合ではないらしいけれど。
「美しい奥様が出来て何よりですよ。で、戻ってくるというのは……」
「言葉通りですよ。魔法省を辞めて領主の仕事に専念しようと思っています。結婚もしましたし、良き領主になれるよう一から頑張りますので、これからもご指導お願いいたします」
レインがにこやかに言うと、彼もひきつった笑顔を返す。
「ええ、それが一番いいでしょうね……。よろしくお願いします」
どう見てもいいと思えない表情だったが、言葉だけは繕うつもりはあるらしい。
「勉強し直そうと思っておりまして、事務所の方に案内いただけないでしょうか?業績の資料などを見たいのですが」
「報告書はあげていますから、レイン様もご存知でしょう」
「ええ。しかし実際に目を通したいのです。全て任せてしまっていますから」
「ではこれからも任せていただければ。お忙しいですのでお手を煩わせるわけにはいきません」
先ほどまで戸惑っていた彼だが、強い口調ではっきりと反論した。
「そうですか。いきなり来て失礼でしたね」
「本当ですよ」
レインがあっさり引き下がることにあからさまに安堵した様子を見せる。あまり隠し事はうまくなさそうな人だが、彼も不正の容疑者の一人だ。
「本日は挨拶だけでしたから、これで失礼します。事務所の方にも挨拶してから帰ってもよろしいでしょうか。帰り際で構いませんから」
「それはもちろん」
「ああそうだ、王都で土産を買ってきたのです」
そう言ってレインが土産を取り出すと、彼はようやく心からの笑みを見せた。
私たちは二階の応接間から一階の事務所に移動し、関係者に簡単に挨拶をして館を後にした。
・・
工業組合の事務所を出た私は馬車の中で、これからのこととリスター領について整理してみる。
まず表向きは『レインは魔法省を辞めてリスター領に戻り、領主として務めようと思っている』ことになっていて、アナベル様にもそう説明している。すぐには辞められないけれど領主としての自覚が芽生えて勉強するために滞在する、という設定だ。
そして、二週間の間にするべきことだが。
一つ目は、各有力者とアナベル様の癒着の証拠を見つけたい。
リスター領はいくつかの組織がある。商会、工業組合、農業組合、役所、騎士団が主に有力な組織でそれぞれに代表者がいる。
先ほど訪ねていた工業組合は、領地の工業関連をまとめた組合だ。リスター領は王都から近く自然や資源は少ない。そのため加工工業を中心に栄えていてたくさんの工業施設がある。そのすべてを管理している組合だ。
代表者たちはそれぞれ不正の疑いがあり、アナベル様との癒着が疑われる。ここを洗い出して黒い代表者は解任し、アナベル様の断罪の材料にしたい。
次に、前商会長の不自然な不正を暴きたい。
彼も小金は掴んでいたとしても不自然な罪が多い。アナベル様が関係しているとレインは見ている。誰かの罪や冤罪を着せられている証拠を見つけたい。
そして最後に、レインのお父様の死の真相を。
レインはアナベル様が裏で指示し、殺させたと思っている。
既に二年経過していることと、今までも何も進展がなかったことから今さら何も見つからない可能性が高い。しかしこれがわかれば殺人関与の罪で、アナベル様を断罪することができる。
どれも今まで進展がなかったことばかりでこの二週間で明るみに出せるのかは不安なところはある。
でも前商会長の事や癒着の範囲が広まり、アナベル様や周囲の行動が大胆になっていることから、以前よりも調査しやすいのではないと信じている。
「どこの代表者も警戒して管理書類は見せてもらえないだろうね」
流れる景色を見ながらレインは言った。レインの想定通りだ。
今まで任せてきたものだから、何か疑いを突きつけなければ全てを明け渡してもらうことは不可能だ。
「動きがあるといいわね」
「ある、はずだ」
レインが動くことで、きっと動いてくれるはずだ。どこまで動いてくれるかわからないけれど。
とにかく今日と明日は種まきだ。挨拶だけする、警戒してもらうけれど、警戒されすぎないように。当たり障りのない挨拶だけを。
・・
役所から出ると、いつの間にか空は薄暗くなってきている。
リスター領は広いけれど、各組合の事務所や役所関連などは街に集まっているから挨拶はほぼ終えることができた。
しかし誰も彼もレインを歓迎していないのが見て取れる、一軒目の工業組合長ほどあからさまな人はいなかったけれど。
「今日はここまでにしようか。アナベルに夕食は一緒に取るように言われている。騎士団には明日向かおう」
「わかったわ」
挨拶をするだけでも気を張って疲れたけれど、今からアナベル様と食事だと思うと気が重い。一日はなかなか終わらないらしい。
「セレン、ありがとう」
私よりも疲れているはずのレインはそんな素振りを見せることもなく笑顔を見せた。
一緒に乗り越えよう。繋がれた手をぎゅっと握り返した。
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