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3章
30 真実と嘘と卵
しおりを挟む「突然帰ってくるというのだから驚きました。でも領主としての自覚が芽生えたなら嬉しいわ」
アナベル様は微笑んでワイングラスに唇をつけた。
食堂にはアナベル様とレインと私、アメリア様がいる。並べられた食事はどれも豪華で、最近は簡単な物しか食べていなかったから胃がびっくりしないか心配だ。
「あなたもレインと一緒に帰ってくるとは思わなかったけれど。お仕事は大丈夫でしたの?リスター領の女主人になるのなら仕事は辞めていただくことになりますよ」
チラリと私をけん制するようなアナベル様と目が合う。
「そのことなのですが……」
言いにくそうにレインは切り出した。
「彼女には仕事を辞めてもらうつもりはありません」
「許されないわ。それなら領主の妻を務められる方にしなさい」
「ええ、そうするつもりなんです。最初から」
レインがそう言い切るとアメリア様が目を見開いた姿が見えた。さすがにアナベル様も片眉を上げた。
「治療のことをご存知でしたから白状しますと、実は彼女とは契約結婚なのですよ」
「まあ」
アナベル様はわざとらしい返事をしてから私とレインを見比べた。
「彼女はフォーウッド家のご令嬢ですが仕事を続けたい、でもご両親から結婚することを求められていまして。そこで私と契約をすることにしたのです。彼女の仕事はご存知ですか?」
「魔法具か何かの研究だったかしら」
「ええ。彼女には私の体質を改善できるようなアイテムをお願いしているのです」
アナベル様の目が光ったように見えた。レインの話は嘘、だけではない、省いていることもあるがほとんどが事実なのだから。
「彼女は仕事を続けることを許してくれる家柄の合う貴族を探していました。私も結婚相手を探していましたし、体質を改善したい。この国は三年たっても子が出来なければ離縁が可能ですし、三年の契約結婚を結びました。彼女は研究の支援者も探していましたから、魔法具を作っていただいたら報酬も渡す契約です。二人の利害が一致したんです」
「そういうことだったのね。いきなり結婚相手が見つかったから不思議に思っていたのよ」
アナベル様がにこやかに答えた。アメリア様だけが納得いかない顔をしているが、私たちの滞在目的は知っているのでじっと黙っている。
「ですから彼女には仕事を続けてもらいます。幸い彼女の仕事は出社せずここでも可能なようですから。三年たてば離縁しますし、今は治療という名の魔法具開発をお願いしているところですから」
「どんなアイテムを使ったの?先日は」
「服の中に薄い魔防具を仕込んでいたのです」
興味津々といった様子のアナベル様に、レインに代わって私が答えた。手を上げるとカーティスが私のもとにハンカチを持ってきてくれる。
「まだ試作品ですが、魔法防具を薄い布にしたものです。こちらを衣類の下に忍ばせればレインに触れられた、というわけです」
「魔法――呪いを防ぐということね」
「ええ。レインにかかった呪いを私はこの布ではじくことができました。まだ試作段階で効果にムラがあるので日常的には使えないのです。先日は賭けが成功しましたが危険です」
「そう」
「お世継ぎのため、と伺っています。三年以上かかってしまうかもしれませんが、必ず開発を成させたいと思っています」
「ぜひ私からもお願いするわ。費用ならいくらでも支援するからあなたの研究に使えばいいわ。リスター家の後継者のためにどうしても成功させてちょうだい」
アナベル様は笑顔を私に向けた。初めて心から歓迎された気がする。
彼女は呪いをなんとかしたいと思っている。これで当分は「用済み」とは見られないだろう。
「契約結婚なことを黙っていて申し訳ありませんでした。アメリアを嫁がせたくなくて、焦っていたのです。とにかく私たちは契約結婚で、世継ぎは出来ません。しかし彼女が魔法具開発を急ぎますのでそれまで待っていただけないでしょうか。こうしてリスター領に帰ってきましたし、世継ぎは作ります。アメリアはセオドアと――」
「そうね、事情はわかったわ。あなたたちに世継ぎができないことは目をつむります。次の貴方の妻については三年の間に私が探しておきましょう」
レインの言葉を遮ってアナベル様は妖艶な笑みを見せた。レインに向ける瞳は熱っぽい。次の妻はきっと現れないだろう。
「でもアメリアはギリングス家に嫁ぐことは決まっているのよ」
「なぜですか」
「リスター領のためよ。言ったでしょう?セオドアと縁を結んでも何の得にもならないの」
レインは悔しそうな顔をし、アメリア様も落ち込んだ顔を見せるが想定内の返事ではあった。淡い期待で許されるかもと思ったがそこは甘くない。でもアナベル様を断罪すればいいだけの話だ。
今夜は私たちが契約結婚だと伝えることが目的の会話だ。彼女の反応を見る限り、成果としては上々だ。
・・
「動きはなさそうでしたよ」
私たちを部屋で待っていたセオドア様は立ち上がった。彼が座っていた机の前にはいくつか卵が転がっている。
「ありがとう。今夜動くかもしれないから」
「私の部下が交代で確認しています。動きがあればすぐに追えるように各事務所近くにも部下を待機させています。少数に限り、皆信頼できる部下です」
どこがアナベル様と繋がっている者がいるかはわからないし、どこで話を聞かれるかわからない。ジェイデン様やアメリア様にも詳細は話さず、私たち夫婦とカーティス、セオドア様の部下数名で動いている。
テーブルの上の卵からジージー……と音が聞こえる。前世で行った不倫捜査からワンパターンだけど、それでもなんだかんだ使い勝手のいい捜査アイテムだ。
私たちの生活必需品となったいつもの卵。それを更に改良してボイスレコーダーのような物を作った。以前からの物と同じく対になっている。
もちろん現代日本ほど性能はよくないので録音機能はなく、ただその場の音声を拾うだけだから交代で音を拾い続けなければならないが。
警戒させて、影で動いてくれるように。
かといって警戒されすぎても困る。お土産の美しい硝子細工の中に卵をこっそり隠してきたのだから。
彼らに渡した物は、私から見ればギラギラと輝く硝子細工は少し趣味が悪いと言わざるを得ない。
ジェイデン様に各代表者の好みを聞いて選んでみたのだけど、さすがの見立てでどの代表者もすぐに気に入って自室のコレクションに飾ってくれた。そして事務所に案内してもらった際には、事務所の花瓶の中や棚の隙間にも卵を忍ばせておいた。
「何か動きがありましたら報告しますので、お二人はお休みになってください。明日も騎士団の詰所を訪問されるのでしょう」
セオドア様はテーブルの上の卵を布に包むと立ち上がった。
「それじゃあ私も自分の部屋に戻るわ」
私もセオドア様の後を続く。今回の滞在もレインと同じ部屋の予定だったのだけど、夕食後アナベル様の指示で私用の部屋が急遽用意された。
「契約結婚で普段も寝室は別なのに申し訳ないことをしたわね」と微笑まれたのだ。怪しまれては困るので彼女の気遣いの振りした嫉妬を受け入れることにした。
「あ、セレン。少しだけ待ってくれる?」
部屋を出ようとした私を後ろからレインが呼び止めた。セオドア様は先に出ていき、私が振り向くとレインはすぐ近くに立っていた。
「どうかした?」
「明日は午前から騎士団の詰所に行くから」
「ええ、聞いたわ」
「ええと……騎士団長のことはあまり疑っていないんだ」
「そうだったの」
「だから明日は今日ほど気を張らなくてもいいよ」
「少しだけ安心ね」
「あー……ええと」
なんとなく歯切れが悪く、レインは困ったような顔をしている。明日向かう場所に何か心配ごとがあるのだろうか。
「不安なことが?」
「いや、そうじゃないんだ……」
レインが一歩前に出る。つま先同士が軽く当たるほど近くにいる。
「さっきは夕食の席でごめん」
「何が?」
「契約結婚だと言ったこと。いや、事実なんだけど……」
「ふふ。わかってるわ、大丈夫よ」
小さく笑った私にレインは目を細める。穏やかな眼差しがおりてきて途端に落ち着かなくなる。
「嘘でもあんなこと言いたくなかったんだ。三年後には他の妻を迎えるなんて」
「うん」
「私の奥さんはセレンだけだよ」
「私の旦那様もよ」
「……一緒に眠れないのは残念だな。今夜からずっと一緒だと思って二週間我慢していたのに」
いじけたような声と共に、私は引き寄せられた。
「元気もらってもいい?」
「うん」
返事をする前にはもう腕の中にいたけれど。ゆるく結ばれた腕の中におさまっていると、ドキドキするような安心するような不思議な感覚になる。
「あなたの部屋にあんまり長くいると疑われないかしら」
「治療をしてると言えばいいよ」
それならあと十分くらいはこうしていても許されるだろうか。
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