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終章
41 懐かしい基地
しおりを挟む私たちは次の休日にフォーウッド家に訪れた。お姉様やリリーも駆けつけてくれて、夕食を皆で食べる。ただそれだけのことだったけれど、両親とリリーが大泣きするものだから面食らってしまった。
「セレンは愛されて育ったんだね」
私たちに用意された客室に案内された後、レインは嬉しそうに言った。
「でも私は今までその気持ちを返せていなかったわ」
「そうかな?セレンが思うよりも、彼らはずっとセレンのことを知ってくれているよ」
「……本当にそうね」
レインに出会ったから。だから人を愛することができた。
前世の私の苦しみが心の奥に凍って刺さったままだった。ずっと溶けずに固まっていた気持ちを、誠実に丁寧にあたためてくれたのはレインの愛だ。
でも彼に出会う前から、少しずつ溶かされていたものがあったのかもしれない。
職場の人や、家族。私が知ろうとしなかっただけで。
「ああでも。セレンが頼りにすればもっと喜ばれそうだね」
「そうね」
私は先程のお父様の表情を思い出して笑った。
リスター領の騒動で、色々と依頼したことを父は大変喜んでいた。
今までの人生で私が父にねだったものは、王都の学校に通いたいということと、護衛と、ジェイデン様を尾行する人材と、アプリコット鉱石の見積もり。
それは娘としては全く可愛げのないものたち。だけどそれでもあれほど喜んでくれると思わなかった。素直に甘えることも親孝行なんだ。
今まで気持ちを返せていなかった分、これからたくさん返そう。きっと今夜のように受け入れてくれるはずだ。
「学校については二人とも賛成してくれたわね。お祖父様はまだまだ死ねん!って生きる希望になっていたわ」
お祖父様が喜びそうな案だとは思っていたけど、予想以上に喜んでいた。いつも寡黙なお祖父様しか見たことのない姉妹たちは少し驚いていた。
「そうだ。そろそろジェイコブ様の部屋に行こうか」
「そうしましょう」
私たちはそれぞれお祖父様にお土産を持って帰ってきていたのだ。
私からのお土産は、この数か月大活躍してくれた卵!エピソードも添えればますます喜んでくれるだろう。ずっと勉強と仕事ばかりしていた私にとっては冒険譚のような物なのだから。
・・
いつ帰ってきてもお祖父様の部屋は私をあたたかく出迎えてくれる。
幼い頃からのクッションはいつもの定位置にいて私を歓迎してくれた。
棚に並んでいる魔法具たちも、ひときわ丁寧に飾られている私が制作に関わった魔法具たちも、積まれた論文や専門書も、お祖父様のロッキングチェアも。
全てが私におかえりと囁いてくれている。
紙と少し埃っぽい匂いがするこの部屋は、いつまでたっても私の心の基地だ。
「レイン、久しぶりだな」
お祖父様はロッキングチェアから立ち上がって、私たちを出迎えてくれた。
「お祖父様。レインは夕食の席にもいたわよ」
まさか覚えていないのだろうか。年齢に不安を感じて私が尋ねると、お祖様は心外だと文句を返した。
「老いぼれジジイにするな。覚えているに決まっているだろう。レインがこの部屋に来たのが久しぶり、という意味だ」
「どういうこと?」
「十年ぶりですかね」
レインは部屋を懐かしそうに見渡した。
「レイン、来たことがあるの?」
「以前言っただろう?魔法の楽しさをジェイコブ様に教えていただいたって」
「レインは一度セレンの婚約者候補にあがったこともあるんだ」
お祖父様が楽しげな顔になる。普段は表情をあまり変えないお祖父様が魔法のことでもないのにやけに楽しそうだ。
「私とレインは会ったことがあったの?」
「いや、ないよ。フォーウッド家には何度か来たけれど、ご令嬢を紹介してもらったことはないから。
父が商談で他領を訪れる時、よく同行させられたんだ。領地を継がせるつもりはなかったから、他領の婿にできないか考えていたらしい。アメリアはセオドアと結婚するから、私を使って他家と縁を結ぼうとしていたみたいだね」
「そうそう、フォーウッド家にも何度も来ていたな。我が家にはちょうど婚約者がいないセレンがいたから。お前の両親はお茶会にレインを招待していて引き合わせようとしていたな」
「まあ……」
私が誰とも会いたがらず、お茶会にも参加しないでいた場にレインがいたとは。
その時に出会っていたとしても、私とレインは何も始まらなかったとは思うけれど。
「幼い頃の私はフォーウッド家のご令嬢に振られて――それがセレンだとは知らなかったけど――振られたおかげで、ジェイコブ様に魔法の楽しさを教えてもらえたよ。あの時のセレンに感謝だね」
レインもお祖父様と同じいたずらっ子な表情になる。
レインが魔法のことに関しては子供っぽくなるのはお祖父様の影響だったのか。――私もそうだけれど。
「父の商談を待っている時に、ジェイコブ様が魔法書を貸してくださったのがきっかけ。君に振られたから暇だったしね」
「それでレインはお祖父様を知っていたのね」
「うん。だからセレンに結婚を持ちかけたのは、フォーウッド家のご令嬢だったからだというのも正直ある。フォーウッド家にはいい思い出があったから」
白状するようにレインは言った。最初に話しかけてくれたきっかけがお祖父様だったとは。
「どこかでセレンを見たことがあると思っていたんだ。仕事関係だと思っていたけれど、この館のどこかですれ違っていたのかもしれないね」
レインの言葉にお祖父様は声を出して笑った。
「この館のどこかではなく、お前たちはこの部屋で出会っていたよ!まさか覚えていなかったのか!」
これにはレインも驚いたようにお祖父様を見た。もちろん私も一切覚えはない。お祖父様はおかしそうに私たちを見比べる。
「お前たちは子供の頃から本当に魔法バカだったようだな。
まあ……そうだな。この部屋は物も多いし、気づかないということもあるか……。セレンはいつものクッションのあたりで、レインはこっちのソファで本を読んでいたかな」
「まさか……」
「同じ空間にはいたけれどお互い存在を認識していなかったとは。本当に魔法のことしか考えていなかったんだな。五回は居合わせただろうに!」
お祖父様は一人おかしくて仕方ないと言った様子。レインを見ると口をあけて間抜け面になっているけれど、きっと私も同じ顔をしているに違いない。でも、そうだ。私もレインも夢中になると周りは一切見えなくなるのだから。
「それでお祖父様はレインとの結婚に反対しなかったのね」
「二人とも、何かに傷ついている気がした。それを和らげてくれる相手がいればいいなとはずっと思っていたんだ」
一人でしばらく笑っていたお祖父様は、優しく私たちを見た。
「その相手が見つかったんだな」
レインが大きく頷くとお祖父様は目を細めた。
この部屋は私の心の基地だ、それはずっと変わらない。でも、私の心を預ける場所は広がっていく。もう怖くなかった。
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