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第七話
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静寂が戻った庭園で、アルフレッドはしばらくの間、背を向けたまま微動だにしなかった。
その背中は、隣国の「氷神」として知られる通り、冷徹で、近寄りがたいほどに完成された王子のものだった。
……けれど。
「………………はぁぁぁぁぁ!!」
彼が振り返った瞬間、そこにあったのは冷徹さの欠片もない、魂が抜けかけたような顔だった。
アルフレッドはガシガシと自らの銀髪を掻き乱し、膝をつく勢いで深く溜息をつく。
「終わった……。俺の、俺の『完璧な再会劇』が、……いや、まだ首の皮一枚繋がっているか?」
「どうしたのよ、急に。かっこよかったわよ? あの追い払い方」
私が声をかけると、アルフレッドは恨めしそうに、でもどこか必死な面持ちでこちらを睨んできた。……と言っても、耳まで真っ赤なので全く怖くない。
「……エルナ。お前、さっきの状況でよく『アルくん』と呼ばなかったな。俺は、いつあのアホや騎士たちの前で、あの忌まわしき……いや、愛称を暴露されるかと心臓が止まる思いだったんだぞ!」
「えっ、そこを心配してたの? 呼ぶわけないじゃない、あんな公の場で。私だって公爵令嬢としての教育は受けているわよ」
「……そ、そうか。それならいい。……いや、よくない。お前のことだ、『アルくん、助けて!』なんて泣きついてきたら、俺はあいつを殺すだけじゃ済まさなかった自信がある」
彼はふい、と視線を逸らした。
どうやら彼は、冷徹な「氷の王子」を演じきることで、私にとっての「頼りがいのあるかっこいい救世主」に上書きしたかったらしい。
……本当は、馬車の中で余裕なく私を抱きしめていた時点で、全部バレているのだけれど。
「……まぁ、それはいい。それより、エルナ」
急に声のトーンを落として、彼は私の手を取った。
その手は、さっきまでの動揺が嘘のように、力強く、温かい。
「あいつ……エドワードに言われたこと、気にするなよ。『無能』だの『所有物』だの。……あんなのは、お前の価値を一ミリも理解していない馬鹿の戯言だ」
「……分かっているわ。ただ、長年尽くしてきた相手にそう言われると、やっぱりちょっと、虚しくなっちゃうわね」
私が少し視線を落とすと、アルフレッドは私の指をぎゅっと握りしめた。
幼い頃、私が木登りをして降りられなくなった時、下で泣きべそをかきながらも「俺が受け止めるから!」と手を広げていた彼と同じ、真っ直ぐな握り方。
「俺は、知っているからな。お前が夜遅くまで、誰にも感謝されないような細かい数字と戦っていたことも、あいつが放り出した仕事をお前が泥臭く片付けていたことも。……俺は、ずっとそれを見ていた。お前のその手があったから、あの国は保っていたんだ」
「……見ていたの?」
「……ああ。……お前の書く報告書は、隣国の俺から見ても美しかった。完璧な整合性、無駄のない言葉選び。……あいつに使い潰されるには、あまりに惜しい才能だ」
アルフレッドの瞳に、熱い独占欲が灯る。
それは重苦しい執着というより、長年待ち焦がれた宝物をようやく手に入れた男の、隠しきれない歓喜に近かった。
「エルナ。……あいつに捨てられるのを、ずっと待っていたなんて言えば、お前は俺を軽蔑するか?」
「……。……アルくん」
「……っ、だから人前ではその呼び方は……! ……いや、今は周りに誰もいないからいい。……続けろ」
「ふふ。……私、あんな風に助けてもらえるなんて、思ってもみなかった。ずっと一人で戦わなきゃいけないって、思ってたから」
私の言葉に、アルフレッドは苦笑いして、私の肩にそっと手を回した。
「……これからは、俺のために、その手を使ってくれないか。……勘違いするなよ。国家運営の効率化という観点からの、極めて理性的なスカウトだ。……断じて、俺の隣にいてほしいからとか、そういう不純な動機ではない。……多分」
「ふふ、『多分』って言っちゃってるわよ。……いいわよ、アルフレッド殿下。私で良ければ、全力で支えてあげる」
「……っ。……ああ、よろしく頼む」
彼は満足げに頷くと、そのまま私を連れて歩き出した。
「よし、それじゃあ決まりだ。明日からは執務室に机を二つ並べる。一分一秒、お前の仕事ぶりを俺が……その、監修してやるからな。……変な男が近づかないようにな」
「それ、ただの監視じゃない?」
「監修だと言っているだろう!」
赤くなって言い張る彼を見て、私は思わず吹き出した。
冷徹な「氷の王子」を演じきれない、不器用な幼馴染。
でも、彼が繋いだ私の手は、その後もずっと離されることはなかった。
「……エルナ」
「なあに?」
「……。……おかえり」
「ただいま、アルくん」
彼の胸に顔を寄せると、ドクドクと少し速めの鼓動が聞こえてきた。
余裕たっぷりな王子様への道はまだまだ遠そうだけど。
この賑やかで温かい隣国での生活が、私はもう、大好きになっていた。
その背中は、隣国の「氷神」として知られる通り、冷徹で、近寄りがたいほどに完成された王子のものだった。
……けれど。
「………………はぁぁぁぁぁ!!」
彼が振り返った瞬間、そこにあったのは冷徹さの欠片もない、魂が抜けかけたような顔だった。
アルフレッドはガシガシと自らの銀髪を掻き乱し、膝をつく勢いで深く溜息をつく。
「終わった……。俺の、俺の『完璧な再会劇』が、……いや、まだ首の皮一枚繋がっているか?」
「どうしたのよ、急に。かっこよかったわよ? あの追い払い方」
私が声をかけると、アルフレッドは恨めしそうに、でもどこか必死な面持ちでこちらを睨んできた。……と言っても、耳まで真っ赤なので全く怖くない。
「……エルナ。お前、さっきの状況でよく『アルくん』と呼ばなかったな。俺は、いつあのアホや騎士たちの前で、あの忌まわしき……いや、愛称を暴露されるかと心臓が止まる思いだったんだぞ!」
「えっ、そこを心配してたの? 呼ぶわけないじゃない、あんな公の場で。私だって公爵令嬢としての教育は受けているわよ」
「……そ、そうか。それならいい。……いや、よくない。お前のことだ、『アルくん、助けて!』なんて泣きついてきたら、俺はあいつを殺すだけじゃ済まさなかった自信がある」
彼はふい、と視線を逸らした。
どうやら彼は、冷徹な「氷の王子」を演じきることで、私にとっての「頼りがいのあるかっこいい救世主」に上書きしたかったらしい。
……本当は、馬車の中で余裕なく私を抱きしめていた時点で、全部バレているのだけれど。
「……まぁ、それはいい。それより、エルナ」
急に声のトーンを落として、彼は私の手を取った。
その手は、さっきまでの動揺が嘘のように、力強く、温かい。
「あいつ……エドワードに言われたこと、気にするなよ。『無能』だの『所有物』だの。……あんなのは、お前の価値を一ミリも理解していない馬鹿の戯言だ」
「……分かっているわ。ただ、長年尽くしてきた相手にそう言われると、やっぱりちょっと、虚しくなっちゃうわね」
私が少し視線を落とすと、アルフレッドは私の指をぎゅっと握りしめた。
幼い頃、私が木登りをして降りられなくなった時、下で泣きべそをかきながらも「俺が受け止めるから!」と手を広げていた彼と同じ、真っ直ぐな握り方。
「俺は、知っているからな。お前が夜遅くまで、誰にも感謝されないような細かい数字と戦っていたことも、あいつが放り出した仕事をお前が泥臭く片付けていたことも。……俺は、ずっとそれを見ていた。お前のその手があったから、あの国は保っていたんだ」
「……見ていたの?」
「……ああ。……お前の書く報告書は、隣国の俺から見ても美しかった。完璧な整合性、無駄のない言葉選び。……あいつに使い潰されるには、あまりに惜しい才能だ」
アルフレッドの瞳に、熱い独占欲が灯る。
それは重苦しい執着というより、長年待ち焦がれた宝物をようやく手に入れた男の、隠しきれない歓喜に近かった。
「エルナ。……あいつに捨てられるのを、ずっと待っていたなんて言えば、お前は俺を軽蔑するか?」
「……。……アルくん」
「……っ、だから人前ではその呼び方は……! ……いや、今は周りに誰もいないからいい。……続けろ」
「ふふ。……私、あんな風に助けてもらえるなんて、思ってもみなかった。ずっと一人で戦わなきゃいけないって、思ってたから」
私の言葉に、アルフレッドは苦笑いして、私の肩にそっと手を回した。
「……これからは、俺のために、その手を使ってくれないか。……勘違いするなよ。国家運営の効率化という観点からの、極めて理性的なスカウトだ。……断じて、俺の隣にいてほしいからとか、そういう不純な動機ではない。……多分」
「ふふ、『多分』って言っちゃってるわよ。……いいわよ、アルフレッド殿下。私で良ければ、全力で支えてあげる」
「……っ。……ああ、よろしく頼む」
彼は満足げに頷くと、そのまま私を連れて歩き出した。
「よし、それじゃあ決まりだ。明日からは執務室に机を二つ並べる。一分一秒、お前の仕事ぶりを俺が……その、監修してやるからな。……変な男が近づかないようにな」
「それ、ただの監視じゃない?」
「監修だと言っているだろう!」
赤くなって言い張る彼を見て、私は思わず吹き出した。
冷徹な「氷の王子」を演じきれない、不器用な幼馴染。
でも、彼が繋いだ私の手は、その後もずっと離されることはなかった。
「……エルナ」
「なあに?」
「……。……おかえり」
「ただいま、アルくん」
彼の胸に顔を寄せると、ドクドクと少し速めの鼓動が聞こえてきた。
余裕たっぷりな王子様への道はまだまだ遠そうだけど。
この賑やかで温かい隣国での生活が、私はもう、大好きになっていた。
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