ズボラ上司の甘い罠

松丹子

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「春ちゃん。あれが噂のイケメン課長?」
 端の席に着くなり、春菜に顔を近づけて来たのは花梨だった。
「イケメン!?どこどこ!?」
 食いついたのはその隣に座っていた坂本ひろか。座敷席は半個室になっているので奥の席の人からは小野田の姿は見えなかったのだろう。
「もう帰ったよ」
 答えたのは苦笑した五十嵐だった。春菜はそのことについて何もコメントせず、目の前に並ぶご馳走に目を輝かせる。
「うわぁい。全部食べていいの?」
「お前その前に乾杯しろよ乾杯」
「頼んでおいたよ。ビールでよかった?」
 言って花梨が春菜にジョッキを渡した。白い泡の乗ったビールジョッキはキンキンに冷えている。冬の飲み会の度、春菜はちょっとだけ不思議に思う。寒い中たどり着いた会場でわざわざ身体を冷やさなくてもいいのに。サラリーマンの悪しき慣習の一つかなと思いつつ、他のメンバーに合わせてカンパーイと杯を掲げた。
 集まっていたのは、五十嵐、花梨、ひろかの他、高橋泰延と福山豪気。結婚するという話だった二人を除くと八人中六人の同期が集まっている。なかなかの出席率と言えた。
「やっさんと豪ちゃん、久しぶりー」
 泰延は神経質そうな目をちらりと春菜に投げながら目礼を返した。豪気は名前に恥じない大柄な身体をくつろげて座っていたが、春菜の声かけに快活な笑顔を見せる。
「ねーねー春ちゃんは最近どうなの?」
「何が?」
 ひろかがコップを持って春菜の方へと移動してきた。自然、花梨と二人で春菜を挟む形になる。
「だってさぁ、なっつんが結婚したと思ったら、今度は結菜だよー。丸ちゃん彼氏いるらしいし、あっせるー」
「え?花梨ちゃん彼氏いるの?」
 知らなかったと春菜は花梨を見やる。花梨は笑った。
「いないよ、まだ」
「うわー余裕ー!」
「花梨ちゃん、美人さんだもんねぇ。いいなぁ」
 春菜はぽつりと言いながら、一口大にしたチヂミをくわえた。その温かさと美味さに舌鼓を打っていると、花梨がちらりと意味ありげな目線を寄越した。
「春ちゃんだって、順調に愛を育んでるんじゃないの?」
 その台詞に、春菜は飲み込もうとしていたチヂミを噴き出しそうになった。噴飯ものとはこのことか。げふげふとむせる春菜の背を、あらまあと花梨が微笑みながらさする。
「えー!春ちゃんは仲間だと思ってたのにー!」
 ひろかが春菜の腕にしがみついた。それ失礼だと思った方がいいのかな。光栄だと思った方がいいのかな。そんな思考が瞬時に脳裏を巡る。
「あ、愛を育むって……どういうこと」
 げふんげふんがおさまった春菜は、どうにかこうにか花梨を睨みつけた。花梨は楽しげに笑う。
「だって。わざわざ送り届けてくれたんでしょ。イケメン課長」
「うわー!春ちゃん、なに、イケメンとオフィスラブ!?美味しいじゃん美味しすぎるよー!」
 詳しく聞かせろとひろかがぐいぐい春菜の腕を引く。春菜は困りきってぶんぶんと首を振った。
「そんなんじゃないよ!多分あれだよ、私がお子ちゃまだから心配してくれただけで」
「へーえ」
 にやにやしながら言うのは五十嵐だ。春菜は嫌な予感に表情を強張らせる。
「お子ちゃまだから送ってくれたって?そんで、帰りもちゃんと送り届けるように、元部下の俺に釘を刺すわけね」
「なーんと!」
「わーお、小野田課長イケメン!」
「五十嵐黙れぇぇえ!!」
 春菜が思わず五十嵐の首元をつかみ上げようと手を伸ばすと、まあまあと花梨がなだめた。
「大事にされてるわねぇ、はーるちゃん」
 小首を傾げてにっこりされ、春菜は言葉に詰まる。
「……花梨ちゃん、可愛さの無駄遣い」
「は?」
 悔しさに任せて口をついた春菜の言葉を理解できず、花梨が違う意味で首を傾げた。
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